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064 帰国

『聖女様が共和国の人間に殺害された!犯人は()の国の捜査官らしい』


 そういう噂が帝都に流れた。じきに帝国中、ひいては近隣諸国にも知れ渡ることになるだろう。帝都にある教会はこれを聞いて激怒し、共和国内にある教会を通じて共和国政府に対して猛抗議を(おこな)った。

 パリ共和国の初代大統領マックス・ロベスピエールは教会との関係を(こじ)らせるわけにもいかず、エル・ドラド警部を罷免(ひめん)し、()の者の捕縛命令を出すことになる。いくら市民革命の英雄とはいえ、殺人犯を野放しにはできない。大統領が出したのは『聖女』の『捕縛』命令であり、『殺害』命令ではなかったからだ。


 …


 アリエルとラルフの二人は乗合馬車を利用して、帝国と共和国の国境にかかる長い橋へと差し掛かっていた。帝国での用件が済んだので、帰国するためである。

 帝国側の検問所ではローレン商会の商人親子として問題なく通過できた。現在、徒歩で橋の上を歩いているという状況である(乗合馬車は国をまたいで運行していないので)。

 なお、国境である大河は先日上流で降った雨の影響で増水し、濁流となっていた。


 アリエルたちの進む前方から(つまり、共和国側から)一台の馬車が護衛の騎士たちと共にやってきた。ちょうど橋の中間地点だった。

 邪魔にならないように端に()けた二人だったが、その馬車はアリエルたちの前で停止した。近くでよく見ると、それは貴族が乗るような豪華な馬車だった。

 馬車の中からすぐに一人の男性が降りてきた。行政官のような雰囲気の立派な身なりをした若い男性であり、学院卒業生の(あかし)であるブローチが胸元で光っていた。

「お前たちはパリ共和国大統領府直属特別捜査官であるエル・ドラド警部とラルフ・ローレン警部補で相違ないか?」

「ああ、その通りだ。何か用か?」

 アリエルが前へ進み出て返答した。


 行政官らしき人物は(ふところ)から丸めた紙を取り出し、それを広げて読み上げ始めた。

「エル・ドラド警部の特別捜査官としての役職を罷免(ひめん)し、その地位を剥奪する。(あわ)せて『聖女』殺害の犯人として捕縛し、教会へ引き渡すものである。また、ラルフ・ローレン警部補を警部へと昇進させ、エル・ドラド元・警部を逮捕するよう命じる。これは大統領命令である」

 アリエルとラルフの二人が驚愕の表情になったのも無理はない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。警部殿が殺したのは『聖女』ではなく、単なる奴隷だぞ。しかも、その殺害には正当性があったことを俺が証言する」

「その奴隷が『聖女』だったのだ。それにいくら理由があろうとも『聖女』殺害は重罪であり、教会に犯人を引き渡さない限り、共和国内で再度民衆による暴動が発生するおそれもある。大統領としても苦渋の決断だったのだ」

 この発言をした彼の表情も痛ましげに歪んでいた。内心『何で殺しちゃうかなぁ』と思っているのかもしれない。


「俺が警部殿を捕縛できるわけないだろうが。いや、心情的な問題じゃなく能力的な問題だぜ。警部殿が本気を出せば、この場にいる全員を殺すのは簡単だと思うしな」

 ラルフの発言を受けて、行政官は馬車の中から四角い箱を取り出した。一辺が30cmくらいで鉄製の正六面体(立方体)だった。

「これは大統領府で開発された機械で、エル・ドラド元・警部の能力を封じるものらしい。常時発動していて、この機械の半径20mでは『空気生成』の能力が使えないということだ」

 アリエルの顔が焦ったものになっているところを見ると、どうやら本当のことらしい。

「くそっ、やはりあの男は食わせ者だったか。市民革命の闘士でありながら暗殺者でもある私を警戒していたってことだな。まぁ当然か。私でもそうするしな」


「け、警部殿…」

「ラルフおじさん。教会に引き渡されたら最後、死ぬよりも酷いことになるのは火を見るよりも明らかだよ。人間としての尊厳を奪われ、最終的には民衆の前で公開処刑されることになるだろうね。なので逮捕ではなく、できればおじさんの手で殺してくれないかな?これが私の最後の『命令』、いや『お願い』だよ」

 しばらく悩んでいたラルフが(ふところ)から愛用の短刀(ドス)を取り出して、刀身を(さや)から抜き放った。行政官や護衛の騎士たちが驚きの表情となり、彼の行動を阻止しようと一歩を踏み出すも間に合わなかった。

 短刀(ドス)がアリエルの腹部を貫き、背中から突き出た刀身が彼女の血で赤く染まった。

 アリエルはにっこりと笑って、橋の欄干から後ろ向きに倒れた。当然そこは川の上である。大きな水しぶきが上がり、濁流に飲まれた彼女の姿はすぐに全員の視界から消え去ったのだった。


 血を(したた)らせている短刀(ドス)を片手に呆然と(たたず)むラルフ…。

 この現場を目撃した行政官や騎士たちがラルフを咎めることがなかったのは、おそらく市民革命の闘士エル・ドラドに対する敬意の表れだろう。

 こうして多くの証人の目の前でアリエルは死亡した。

 もちろん、死体を確認したわけではないが、腹部を刺され濁流に飲み込まれた時点で生存は絶望的と言えるだろう。


 …


 後世において、パリ共和国の歴史書でエル少年の名誉は回復され、その偉業が(たた)えられることとなる。

 しかし、『聖女』殺害の件だけは真実とされたのであった。


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