059 暗殺
ネザール子爵家の紋章を付けた馬車は渋滞の列の中にいた。ほぼ全ての帝国貴族が一斉に馬車で登城しようとしているため、皇城への道は大渋滞を引き起こしていたのである。
突然、ネザール子爵家の馬車を操る御者が胸を押さえて倒れ込んだ。御者を失った馬車だったが、渋滞の列の中にいたおかげで暴走することもなく、前の馬車に続いて整然かつゆっくりと進んでいった。
なお、馬車の中でもネザール子爵の影武者がすでに事切れていたのだが、これは騒ぎを大きくするためには必要な措置でもあった。
貴族の馬車が連なっている大通りの沿道には、多くの民衆が見物人として並んでいた。貴族家の所有する豪華な馬車が連なっている様子は、お祭りのパレードのように壮大な見物だったからだ。
その観衆の中には一組の商人の親子もいたのだが、いつの間にか姿を消していた。その親子とはもちろん、変装したアリエルとラルフのことである。
…
べストール侯爵は焦っていた。自身の懐刀であり、参謀でもあるネザール子爵が暗殺されたのだ。おそらくは『穏健派』の犯行に違いない。侯爵はそう確信していた。
ただ、その反面、本物がひょっこりと姿を現すのではないかとも思っていた。これまでに何度も同じようなことが起こったのだが、死んだのは尽く影武者だったからだ。
しばらくして城の衛兵による調査結果が公表された。
・死んだ二人に外傷は無く、単なる心臓麻痺であった。
・馬車の中にいたのはネザール子爵本人ではなかった。
・ほぼ同時に二人の人間が心臓麻痺を起こす可能性は低いが、決してゼロではない。
・したがって、今回の一件が暗殺事件であるとは断定できない。
『外傷が無い』ことから、遅効性の毒が使用されたのではないかとも疑われた。しかし、検視官の調査によれば毒物の摂取は無かったらしい。
これにより事件ではなく単なる自然死という見方も強まったのだが、これまで帝都で数人の貴族が同様の症状で死亡していることを鑑みると、呪いの類ではないかとも考えられた。
「呪いであれば誰にも防ぐことなど不可能だぞ。すぐに呪術者らしき不審な者を摘発せよ」
皇城の衛兵隊長が部下に檄を飛ばしていた。もちろん『呪い』などではなく、全てはアリエルの犯行だったのだが…。
結局、パリ共和国への侵攻作戦を協議するための御前会議は、この一件により延期となった。ネザール子爵の本物が姿を見せさえすれば、延期されることはなかったかもしれない。しかし、その当人が元気な姿を見せることなど、未来永劫にわたり無かったのである。
…
「まさかあの初老の御者がネザール子爵本人だったとはね。エルビスお兄さんの情報が無かったら絶対に気づかなかったよ」
「ああ、今回は苦労したよ。彼が能力者であり、まさか『認識齟齬』なんて能力を持ってるなんてね。『認識阻害』は聞いたことがあったけど、『認識齟齬』ってのは見てる者の認識を別のものに置き換える能力らしい。物理的な『変身』ではなく、あくまでも観測者の認識を惑わせるってやつだな」
「しかも念の入ったことに、化粧や服装で変装までしてたんでしょ?調査にあたった衛兵も、あの御者がネザール子爵本人であることに未だ気づいていないみたいだし」
アリエルとエルビスの会話である。
ラルフとケイトも含めて、宿屋のアリエルの部屋には四人全員が集合していた。
「さて、この後は僕の出番だね。べストール侯爵を誘導して『穏健派』貴族への報復行動を実行させるとしよう。火種さえ与えれば、あとは勝手に燃え広がっていくと思うよ」
「大規模な内戦に発展すると良いんだけど、それは無理だろうね。すぐに皇帝が仲裁するだろうし」
「ああ、しかし侵攻作戦は頓挫するはずさ。外征なんてやってる場合じゃないってね」
ここでケイトが会話に参加してきた。
「帝国はエルちゃんに感謝すべきだよね。たった七人の犠牲で、大勢の兵士たちが死傷するのを回避できたんだから…。やっぱ戦争なんて起こしちゃダメだよ」
七人というのは、これまでに暗殺した五人の貴族と今回殺害した二人の合計である。かつて旧王都を震撼させた凶悪なテロリストの実績としては、かなり少ない人数である。
「まぁ、戦争になるかどうかはまだ分からないけどな。侵攻作戦が中止になるってのは、僕の希望的観測に過ぎないからね」
「エルビス殿の情報操作の腕次第ってことですな。まじでよろしく頼んますぜ。拝ませていただきやす」
「いや、拝まないでよ。ローレン警部補」
ラルフとエルビスの掛け合い漫才のようなやり取りを満足そうに眺めるアリエルだった。
彼女としてはケイトの言葉に少しだけ救われた気もしていたのだ。なぜなら、ネザール子爵本人は特に非道な糞貴族というわけではなかったからだ。
もっとも、ムルロア辺境伯領における強盗事件の被害者たちにとっては、仇となる人物ではある(彼が行った騎士団に対する工作が原因なので)。これは後世の歴史調査で判明するまでは闇に隠れていた真実であった。




