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058 ネザール子爵

 帝国貴族であるネザール子爵には野望があった。

 戦略家として、かつ戦術家として帝国軍を勝利に導くこと(ただし、指揮官ではなく参謀として…)。そして最終的には、この帝国を大陸の覇者とすることである。


 彼の年齢は30代半ばで独身である。貴族でありながら独身である理由は二つある。一つは政争において弱点となる妻子を持たないという信念。もう一つは彼が元平民の軍人で、一代限りの子爵(領地無し)であるということ。

 つまり、子孫に受け継がれる爵位ではないため、無理に後継者を作る必要がなかったのだ。

 なお、容姿はなかなかのものであり、決して女性にもてないというわけではない。オールバックにした銀髪と涼し気な目元、通った鼻筋、そして薄い唇…。片眼鏡(モノクル)を付けていることもあって、非常に知的な印象を周囲に与える人物である。


 あるとき、帝国の誇る諜報網及び商人たちによってもたらされた情報に接し、彼は狂喜した。なんと隣国で民衆による暴動が発生し、王制が打倒されたらしい。そして、これこそが彼の野望に火をつけることになったのである。

 彼は自身の寄親(よりおや)であるべストール侯爵を(あお)って、隣国への侵攻作戦を帝国政府へ献策した。この事態は帝国が隣国を併呑(へいどん)する絶好の機会であると考えたのである。

 すぐに出征準備が進められることになったものの、侵攻作戦の実施が正式決定されたわけではない。帝国政府内に反対勢力(後に『穏健派』と呼ばれることになる)が生じたためである。


 問題は、連合王国などの他方面に対する備え(共和国とだけ国境を接しているわけではないので、ある程度の防衛戦力は必要)を(おろそ)かにすることができないため、常備兵力からの部隊抽出は1個師団が限界だったことだ。そのため、新規の徴兵や予備役の招集を(おこな)い、新たに1個師団の兵力を確保したのである。

 これによって侵攻に使用できる兵力数は2個師団となった。そしてこれこそが共和国を降伏へ導くために必要な、最低限の戦力であると推定されたのである(敵軍を蹴散らし、かつ占領に必要な兵力を試算した結果…)。


 ただ、これによってまた新たな問題も発生した。部隊訓練のためには、ある程度の期間が必要だったのだ。兵は神速を(たっと)ぶ…もしも常備軍の1個師団のみで即時侵攻を図ったとしたら、共和国は為すすべもなく敗北していたかもしれない。

 万全を期した結果が、アリエルたちによる帝都での暗躍を招いてしまったというわけだ。帝国にとってこれは痛恨の極みだったと言えよう。


 …


「我が『主戦派』の同士が殺されたというのは(まこと)か?」

「はっ、その通りであります。ただ、我らが同士の中のどなたかは存じませぬが、『穏健派』の連中に対する報復を(おこな)った者もいるようでございます」

「ふむ、やはり『穏健派』による敵対行動というわけか…。奴ら、他国への外征については否定するくせに、帝国内の内乱を主導するつもりなのか?」

 『主戦派』筆頭であるべストール侯爵とネザール子爵の会話である。

 どうやらアリエルの帝国貴族暗殺が、期せずして貴族間の疑心暗鬼や軋轢(あつれき)を生み出していたらしい。

 ちなみにべストール侯爵の外見だが、不健康そうに太った肥満体であり、(ひたい)から頭頂部にかけては禿げ上がっていた。まさに子供が思い描くような、実に貴族らしい容姿と言えよう。


「とにかく、外征作戦の決定権は御前(ごぜん)会議に(ゆだ)ねられた。皇帝陛下の御前(おんまえ)でパリ共和国なる異端の思想を持つ国を討たねばならぬこと。それをしかとご説明申し上げよ。よいな?」

「はっ、しかと承知しました。我が弁舌をもって、隣国への侵攻作戦の決定を勝ち取る所存にございます」

 王政や帝政が主流のこの世界で、共和制という考え方は確かに異端であり危険思想でもある。

 そう、この帝都にも反政府組織が存在し、当局による摘発を()(くぐ)っているのだ。彼奴(きゃつ)らにとって、隣国で生じた共和主義というのは希望の星であるに違いない。


「それにしても今(わし)がしゃべっている相手は子爵本人なのか?まさか影武者ではあるまいな?」

「その件に関しましては、如何(いか)な侯爵様であろうとお答えすることはできませぬ。私も命が惜しゅうございますれば」

「くっくっく、用心深いことよ。まぁ良い。本物だろうと偽物だろうと構わぬ。仕事さえきちんとやってくれればな」

 なお、この場に居るのはネザール子爵本人である。基本的に影の役目は馬車での移動時だけなのだ。襲撃可能なタイミングが馬車での移動時のみということでもある。


「それにしても、わずか2個師団で()の国全土を占領するのは無理があるのではないか?」

「旧・王都のみ占領すれば良いのです。地方領主など、首都陥落の報を聞けばすぐに我らに帰順することになるでしょう。また、侵攻ルート上にあるムルロア辺境伯領では騎士団に工作を仕掛けており、すでに多くの離反者が出ております。その者らには帝国軍の侵攻時に協力するよう、約束させておりますのでご心配なく。また、ハート伯爵領でも無能な領主とはすでに話がついておりますれば、何の抵抗もなく旧・王都まで進軍できるはずでございます」

 そう、ムルロア辺境伯領騎士団の一部が盗賊化したことの裏には、ネザール子爵の暗躍があったのだ。さらにハート伯爵についても、すでにネザール子爵からの調略を受けていたのである。

 そして、そのどちらの策もアリエルたちの活躍によって、すでに()()していたのである。なお、ネザール子爵へとその悲報が届くまでには、今しばらく時がかかることだろう。

 策を(ろう)する者のほとんどは、自分自身の策に絶対の自信を持っているものなのだ。まさか策が破られるとは考えもしないのである。もちろん、それはアリエルについても同様なのだが…。


 …


 時は(またた)()に過ぎ去り、ついに御前会議の当日となった。

 帝都に滞在する全ての貴族家当主に招集がかかり、登城するための馬車が皇城へと向かう道の上で列をなしていた。

 当然、ネザール子爵家の馬車もその列に加わっていたのだが、座席に座っていたのは子爵の影武者であった。果たして子爵本人はどこにいるのだろうか?

 そしてアリエルとラルフは?

 帝国及び共和国の運命を決定づける瞬間は刻一刻と迫っていたのである。


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