7.別荘篇⑴
Ⅰ
俺は今、列車の窓辺から突き抜けるような蒼空の下、果てしなく続く盛夏の緑をぼんやりと眺めている。眼下には透明という2文字で形容するには安易すぎる程に透き通った小川が昼下がりの陽光を乱反射している。
目を閉じれば風に靡いて擦れ合う葉音や、せせらぎの音などに荒んだ心は癒される。夏の山地の心地よい涼風が肌を撫で、肺に空気を満たせばそれだけで人生の疲れさえ忘れられる。
『ヒトなる者、自然に回帰すべし』という哲学思想は数多く謳われるのも首肯できよう。
はてさて、閑話休題。なぜ俺がこんな所にいるかというと、陸上部長距離の合宿に参加させられたからだ。(詳細は前話に参照のこと。)担任及び顧問の高魚曰く、場所は想像よりも辺鄙で電車を4、5回乗り継いだ先にあるという。現に俺らは既に電車を少なくとも3回は乗り継いで、漸く次の乗り継ぎが目的地行きの電車らしい。
この合宿の参加者は当初6人の筈が、8人に増えたのは偶然でもなければ必然でも無いという(誰が増えたかは察してほしい)。どういう意味かは知らないが。
*
そうだ、あの後どうなったかというと、目覚めたらサタンポリスカジノグループ(SPCG)というサタンポリスで一番大きな会社の本社ビルのVIPルームにいた。
「お目覚めになりましたね。」
見渡せば、眩いくらいに照り輝く黄金の壁。巨大ながらも宝石などを遇らった額縁にはノスタルジックでその先に自然が広がっているように錯覚させる風景画が飾ってある。
部屋は壁面の装飾の割にシンプルで、大理石の床の一部をアイッラン絨毯という高級絨毯が皺、シミなく覆っている。そのほかは、俺が先程まで寝ていた12人掛けのU字型ソファーやガラスの机、観葉植物、ガラスケースと展示物くらいだ。
この部屋はどうやら俺と真板だけのようだ。
「ここは何処だ?なぜ俺がここに居る?そして真板も?」
「SPCGのVIPルームです。あなたが学校の廊下で倒れていたので、ここまでお連れ致しました。」
俺の記憶が途切れていた理由がなんとなく判る気がした。
「え、SPCGのVIPルームだと!?俺がこんな所に居ていいのか?俺は一応この会社の従業員だぞ。」
「そうなんですか?」
「言ってなかったっけか。俺は学校の近くのSPCGのパチンコ屋でバイトしてる。本当は校則で1、2年のバイトは禁止だが、担任の高魚には黙認してもらっている。」
真板はいかにも「へぇ〜、そうなんだ」という表情だ。
「それは、それは。では、ゆっくりしていて下さい。」
「いやいや、バイトの身がVIPルームだなんて図々しすぎるだろ!俺は帰る。」
「待って下さい!」
真板は少し声を張り上げて俺を引き留めた。
「何だ?」
「陸上長距離に入るそうですね。」
「唐突だな。まぁそうなんだが、その話は誰から聞いた?まだ誰にも話してないぞ。」
「高魚先生から聞きました。私もメンバーなので。」
表にこそ出さないものの、俺は驚きを禁じ得なかった。
「そうなのか。それは偶然だし驚きだな。有名企業の御令嬢様が長距離走をするだなんて想像もしなかった。てっきりテニスを嗜んでるのかと思った。」
「よく言われます。」
と真板は即答する。
「因みに聞くが、なぜだ?」
「健康のためです。あと、魔法力の向上もです。」
「持久走ごときで魔法力なんて上がるのか?」
「ええ。魔法に限らず、魔術も持久力を上げればいくらでも上がりますが魔法の方がそれは顕著に現れます。一部の学者では単なる精神論だと結論付けられていますが、現在でもスピリトゥス説が定説です。おそらく、能力の使用には大なり小なりエネルギーを消費します。そのエネルギー消費も長期化すると、能力パフォーマンスが逓減し正確に能力発動することが困難になるので、そのパフォーマンス低下を抑止するために持久力が必要なのだと思います。」
真板はそのまま続けて、
「そして魔術より魔法の方が持久力に影響される理由としては、魔法は能力の構築から発動までを全て一人で行うため、エネルギー消費が大きいからです。対して、魔術は人間が能力を構築、媒体に指示して、媒体はそれを受けて能力の発動に至ります。能力者のエネルギー消費は決して少なくはありませんが、それでも魔法よりは全然少ないでしょう。」
俺はただただ聞いていた。少しの沈黙が訪れた後に俺は帰ろうとした。
「あの、東堂さん。合宿に参加されるそうですが、楽しみにして下さいね。」
「おう」
真板は屈託のない笑顔で俺に言った。こうして見れば、葛や長宗が天使だか、何だか、言う理由も分かる気がした。
**
こうして俺は列車に揺られている。この日だけでも3回以上は電車を乗り継いでいるため、各々、疲れの色が見えつつあった。
とりわけ俺は妹とディメノにバレないように秘密裏に荷造りをして、午前3時に家を出る予定......のはずが、その計画はえてして見透かされた。
後から判ったことだが、どうやら、葛が葛の妹に何かの拍子で口を滑らせ言ってしまい、葛の妹が疑わしく思って俺の妹に確かめるために訊いてそこから漏れたようだ。
「おい、そこの野郎!私を置いて1週間旅に出ると偽って女を貪り尽くすそうね。」
「違う。」
「じゃあ、その大荷物は何なわけ?家出?」
妹は俺に詰め寄る。
「学校だ。学校に用事があるんだよ。」
とまぁ、出任せで嘘をつく。
「そんな嘘が通用するとでも思ってるの?アンタの友達かなんか知らないけど言ってたわ。どこか遠いところに1週間も籠るって。」
沙耶乃はいつになく俺に食らいつく。
「バレちまったものは仕方ないな。ああそうだ、1週間陸上部の合宿に付き合わされるさ。んだから、家のことは宜しく頼む。」
「待ちなさいよ。」
そう言い、俺が振り返ると突然、俯いた。さっきまでの威勢の良さはどこへ行ったのかと言わんばかりに言葉に力がなくなっていく。何かを言ってるのは間違いないが、口ごもっていて聞き取るには至らない。
「何だ?遺言くらいは聞いてやる。」
「私を......連れて行きなさいよ。」
何のことだか理解ができなかった。
「は?」
と訊き返すも、返ってくる言葉は、
「だから!あたしを連れて行きなさいよ!」
今度は顔は真っ直ぐこちらを見て声を張り上げてそう言った。熱くなって俺に八つ当たりしていたのか、頰は先程よりも紅潮している。
「断る。常識的に考えて部外者が勝手について行っていい訳ないだろ!それに、旅費はどうする。ちょっとそこまで買い物に行くのとは全然違うぞ。俺の分は陸上部が負担することになってるが、お前の分はないから全部自己負担だ。そこに行っても何にもならんぞ。」
「いいから、連れて行きなさい!」
と喚き散らし、俺の股間を蹴り上げた。
「ぐぁっ......それが......兄に対する頼み方か......」
沙耶乃は苦しむ俺を嘲笑する。
「そんな無様な恰好で訊かれたら答えるしかなさそうね。そうよ、その通りよ。」
沙耶乃はさっきとは打って変わって、明るい口調で
「因みにこの子も行きたいって言ってるから一緒に連れて行ってね。」
と後ろにいるディメノを指さして、蹲る俺を他所に言い放った。
「おい......それは聞いていないぞ......うぅ」
ディメノは状況を把握していないのか、首を傾げて此方を窺う。
そういうわけで急遽妹とディメノの分まで荷造りをして、このボロ家とも1週間ばかりの別れを告げ扉を開く。妹とディメノは俺が荷造りした後にそそくさと家を飛び出し、予め手配していたと思われるタクシーで駅へと向かった。
「うわっ!何でお前らがここに居るんだよ!」
そこにいたのは葛麻左吉と長宗だった。
「ワシらも、合宿についていきたいでゴワス。」
と長宗は両手を揉んで言った。
「断る。理由は言わなくても解るだろうな。そもそもお前そういう喋り方じゃないだろ。」
「いやぁ、解ってんだけどな、トドヤンがハーレムエンドを迎えるのが俺らは癪なわけよ。」
とニヤニヤなのかイライラなのか判らない表情で両手を天秤の皿のようにして俺に言う。
「おい待てー!勝手にギャルゲっぽくすんな!ハーレムだとは思っていないし、物語は終わらーん!」
「おぉ、かっけぇ。なぁ、長宗。『むぅぉぬぉぐぁとぅゎりはおわrrrらん!!!!!』ってな。」
「うん、そうだね。」
と早朝のアパートの踊り場で爆笑。他の住人にとっては迷惑甚だしい。
「おいおい、変なところでウケるな。」
尚も2人は腹を抱えて笑い続ける。
熱が冷めたところで、
「んじゃ、1週間ばかり行ってくるわ。大丈夫、無事に帰ってくるって約束するから。」
これで退くあいつらではなかった。
「それでもトドヤンは、......僕たちの親友じゃなかったのか。」
長宗はあからさまなウソ泣きで俺を引き留める。また面倒臭くなる予感だ。
「なぜそうなる?」
「本当だよ。トドヤンはこの長宗の姿見て何とも思わないのか?」
「ん……解った、解ったから。連れて行ってやるよ。但し......」
***
「これっておかしくないか?トドヤン」
「しっ、静かにしろ。いいか、今から葛と長宗は荷物だ。今から一切、私語、独り言、咳、くしゃみ、鼻水は禁止だ。トイレの時は俺のケータイに電話しろ。いいな?」
「ゴホンゴホン」
「ヘェクシュワィ」
「お前らわざとだろ!何だ?ヘェクシュワィって。いいから兎に角黙ってくれ。」
駅の休憩所には俺(と葛と長宗)以外無人だと思い込んでいた。そこにいつの間にか真板が居て、俺に声を掛けた。
「東堂さん。」
「ファイ?ああ、真板か。」
思わず返事が変になる。
「どうされましたか?そんな大荷物で。」
やはりそこを訊かれた。確かにどう見ても1週間分の荷物にしては多すぎる。どこかの親の単身赴任と比較してもキャリーケースが2つある時点で不思議がられても仕方がない。
「ええ?ああ、これか?えっとな、あのな、俺、心配性でな、遠出するとなるとついつい持って来過ぎちゃうんだよな。備えあれば憂いなしというかさ。」
うぅん、やはり真板はどこか腑に落ちない様子で頷く。
「そうなんですか。私、忘れっぽいので何かあったら貸して下さると嬉しいです。」
「ええよええよ。構わず使ってくれ。」
何とかバレずに切り抜けられたようだ。と、思いきや
「ありがとうございます。ところで、私が東堂さんに話しかける前に東堂さん、お荷物となんだか険しい様子で話していたように見受けられましたが。」
やっぱり、さっきのやり取りを見られていたか。考えろ、東堂梁也。
「え、や、まぁ、この荷物は何というか、ほら、お喋りだから落ち着かせてたんだよね、あはは。」
ヘタクソか!言い訳ヘタクソ過ぎんだろ、俺!こんなん余計怪しまれるに決まってる。
「フフフ、そうなんですか。面白いですね。」
“面白かねぇよ!俺は葛と長宗の存在がバレるかヒヤヒヤしてたんだぞ!”というのが、俺の内心である。とりあえず真板には大荷物の正体がバレていないようだ。安堵していると俺のケータイが鳴った。葛からだ。
「悪い、電話だからちょっと離れる。」
と言い、俺は葛の入ったキャリーケースと長宗の入ったキャリーケースを持って便所へ向かった。判ってはいたが重い。重すぎる。
「何だ?トイレか?」
「いや、トドヤンが真板ちゃんと楽しげに喋っているのが聞いてられなくて。」
葛は露骨に落ち込んだ様子で俺に泣きついて来た。
「そんなん放っとけ。」
「あ、ホットケーキ食べたいよね。」
荷物の長宗は突拍子も無いことを言い出す。今更だが俺がキャリーケースと話しているこの場面は側から見ればシュールな画だということに気付いた。
「急に何だ?長宗。」
「そう言うと食べたくなるじゃないか。」
葛は長宗の話に乗っかった。やれやれ、また面倒臭くなる予感がする。
「葛、面倒臭くなるからやめろ。とにかくお前らは荷物だからキャリーケースの中で大人しく丸まっとけ!あ、しばらく便所には行けないだろうからここで出しとけよ。」
休憩所からトイレに運び出すのに疲弊し早くも疲れを感じた。キャリーケースのチャックを開けるだけでも一苦労だ。
「トドヤンは恐妻家ですな。」
葛は尚もボケ倒す。
「俺はお前の妻になった覚えはない。そもそも他人の合宿に殴り込みで参加することが非常識だろ。隠密に運び出してるだけ僥倖と思え。」
こうやって、葛と長宗のコントにも付き合わされるので俺は年中無休24時間営業のコンビニ並みに忙しい(流石に盛りすぎた)。
暫くは見れないサタンポリスの街並みをなんとなく見渡す。朝から雲一つない快晴に恵まれ、幸先が良いようにも思われた。
しかし、この合宿は決して一筋縄に事が進まないと、俺の第六感は念を押すように告げている。