勇者討伐戦~後編
「レオン……」
まだその名で呼んでくれるのか、と、思わず頬が緩んだ。
でも、だからこそ、しっかり終らせないといけなかったんだ。
「ずっと、裏切ってたんだよ。俺は、お前達を」
脇差を構えなおし、バルドともう一度向き合う。腹はまだ痛い。こめかみだって、当然痛い。トリノの横に立ち、こいつが俺の新しい仲間なんだ、と、言外に告げる。
「レオン……」
虚ろだった呟きに、僅かな力が込められた。
まだ、その名で呼ぶか。
「お前達が命がけで倒した魔王は、俺の手中。この意味が解るか? バル・ボンド」
それがどういう事なのか。解らない程の馬鹿でもあるまい。そう思った俺はきっと、見誤っていたのだ。こいつの仲間意識の本当の強さを。
「レオンっ」
まだ呼ぶか。まだその名で呼ぶかっ。
「お前、わかってるのか!? 俺は!」
「レオン!」
肺から搾り出された声が、俺を黙らせる。思わず浮き足立ったのは、バルの闘志に当てられたせいだ。
バルは、元勇者の前衛は、巨大な斧をがっしりと構え、そして、言った。
「良かったよ。告白してくれて」
覚悟を決めた口調で、
「良かったよ、そんな事が理由で」
意思を持った声色で、
「お前を救う好機は、まだありそうだ」
そんな事を言ったのだ。
俺は唇を噛んだ。
なんだよこれ、と、思った。
俺は、人間の事を嫌いになりかけていた。淡白であるながら、無関心でありながら、それなのに嫌いになりかけていた。それでもこいつは手を差し伸べてくれた。仲間にしてくれた。
今も、俺はこいつを裏切った。裏切っていた。でも、まだ、仲間だと言ってくれるのだ。まだ、仲間同士だからこその呼び名で呼んできやがるのだ。
「手遅れだよ」俺は言った。「もう、手遅れなんだ」
俺は、アルメリア教団にまで目を付けられてしまった。その時点で、色々と終っている。
「だから」
脇差を翳す。高く翳す。
呼応するように、トリノも身を屈めた。
「――終わりにしよう。バル」
駆け出す。トリノと同時に、バルへ向けて。
バルは、斧で地面を叩いた。衝撃で砂塵が舞い上がる。
視界が狭まる。俺はブレーキをかけるが、それより先に、トリノが吼えた。
咆哮の衝撃波によって砂塵が散る。
しかし、バルの姿は消えていた。
どこから出てくるかなど解っている。こういう時、バルは相手が武器を持っていないほうから出現する。つまり、右側。……右側?
そっちにはトリノが居る。つまり、そっちの可能性は始めから無かったのだ。なのに、気を取られてしまった。
「油断するなど珍しいな」
左側から出現したバルの攻撃を、なんとか脇差で受け止める。が、当然鍔迫り合いになどならない。俺は後方に大きく吹き飛ばされた。
俺と入れ替わるように、トリノがバルに襲い掛かる。
トリノ――黒竜の牙を斧で受け止めたバルは、そのまま地面を抉りながら、堪え切った。そし逆に、トリノのほうを弾き返す。
「うおおおおあああああ!」
バランスを崩したトリノへ、全力の縦一線を。しかし、刃がトリノを襲うより先に、トリノの尾が、横からバルを叩いた。
「かはっ!」
横に弾かれるバルだが、倒れるまではしなかった。
魔王討伐戦の時、確かにこっちは六人掛かりだった。しかし、それは魔王城に乗り込み、玉座の間への道すがら体力もすり減らし、負傷を重ねていた状態での話しだ。つまりハンデ付きだった、という事である。ともすれば、当時六人掛かりでなんとか勝てた相手だろうと、万全であれば、バルド一人でも勝てるかもしれない。
さらに、トリノにも、俺と同様、ブランクがある。何もしなかった日常が。堕落の日々が。むしろ不利だと言える。
「負けん!」
バルドは……
「くっ」
さらに強く唇を噛み、焦りのせいで失っていた冷静さを取り戻す。そしてもう一度観察しなおした。
負けない、と叫んだバルは、斧を叩きつけ、再び砂塵を舞わせる。
二の舞。咆哮によって吹き飛ばされる砂塵。今度はどっちに消えたか、など、迷う余地さえも無かった。
全速前進。バルは、真っ直ぐトリノへ向かい、その距離をゼロにしていた。
後ろへ飛ぼうとするトリノだが間に合わず、その巨体に赤い線が刻まれる。
「トリノ!」
叫ぶ。しかし状況は変わらない。
バルの攻撃は一撃必勝の威力を持つ。浅かったとはいえ、そのダメージはしっかりとあるだろう。
もう一度、今度こそといわんばかりの雄叫びと共に、バルの攻撃がトリノに迫る。が、トリノの咆哮がそれを阻んだ。
鼓膜を打ち抜かん音量の咆哮。衝撃波さえも伴うそれはもはや攻撃の一種ともいえる。最も近くに居たバルは思わず耳を押さえ、後退した。
そこに、トリノの尾が襲い掛かる。
直撃。
砕音。
悲鳴。
吐血。
ダメージは明らかだった。
援護無しでの突進をしたのだ。それくらいは覚悟の上だったのか、バルはすぐさま立ち上がる。
唇から垂れる血。骨が逝ったのか、脇腹を押さえたまま、呻いていた。
それでも立つのだ。しかも、その目には燃え盛るような執念を宿して。
「ふん。この程度ではまだまだだ。まだ俺は倒れん」
そう言って、横腹から手を放す。
両手に斧を持ち帰る。
なあ、バル。
声に出す事はせず、俺は思う。
いつの間にか、戦う理由が変わってるんじゃないか、と。
「粋がるな。人間なぞ単独では何も出来ん」
「出来るさ」
トリノの言葉を、バルは否定する。真っ直ぐに否定する。
「ただ、一人で出来ることが少ないというだけだ」
そして再び、ふたつの影は交錯した。
幾度もの咆哮。幾度もの斬激。積み重なるダメージ。舞う鮮血。
防御を捨てた、まさしく捨て身の攻撃は、予想よりも遥かに早い決着を招いた。
「あとは、お前だ。レオン」
倒れたトリノ。ブランク明け早々勇者との再戦なんて、無茶をさせてしまったな。あとでどれだけ謝れば良いだろうか。正直怖い。
だが、それにしても、
「なんでだよ」どうしても、俺には解らなかった。「なんで笑ってるんだ。バルド」
不敵でも不適でも無い。楽しそうなバルドの顔が、どこか恐ろしくて、しかしなにより、頼もしかった。敵が頼もしい、なんて、どうかしているとしか思えない心境だが。
「決まっている」バルドは言う。「レオン。お前はやはりすごい。出会った時から変わっていない。俺の斜め上に居るよ。いつだって、俺達が望む平和の、遥か上の平和を望んでいる」
俺は、何も言えなくなった。
「俺は、人間が平和であればそれで良いと思っていた。そうとしか思えなかったのだ。しかしレオン、お前は違った。他種族の平和も望んでいた」
それはそうだ。俺は、他種族だって嫌いじゃないから。
ウノを生んでくれたハーピー族。ドノを生んでくれた霊族。俺を育ててくれた天狗族。無気力だった俺に、気力を与えてくれた悪魔族。他にも沢山ある。沢山居る。出会って、仲間になったやつらとか。そういうのがあるから、邪族にだって、悪いやつらばかりじゃないと知っているから。
「――魔族とさえも解り合う。成る程お前にしか出来ない、素晴らしい事だ。きっと、殲滅よりも遥かに確かで、美しい平和を、迎える事が出来るだろう」
違う。違うんだ。トリノとは分かり合えたわけじゃない。そうじゃない。買い被らないでくれ。そう懇願しようとも、声が出なかった。
この状況で尚も、俺をこんなふうに言ってくれるのは、きっとこいつだけだ。それが嬉しかった。
だが、
「しかし」バルドはやはり、斧を構える。「それを成すにはお前では力不足だ。敵があまりにも多すぎる。だから、俺も連れて行け」
無理矢理にでも着いていく。その潔さは本当に、娯楽用冒険譚の主人公のようにかっこよかった。
ともすれば俺は悪役。ここで負けるのが定石か。
「お前を共犯にするわけにはいかない。解ってくれ」
さっきのウノが言った通りなのだ。
この道はきっと、不可能だろう。実現出来るはずが無いのだ。だから俺は今までなにもしようとしなかった。何もできなかった。諦めていたから。諦めているから。
「お前が人間を好いていない事など、解っていた。それでも魔王討伐の旅路で幾度も命を張ってきたお前を迫害するような世界なら、それも直さなければなるまい。正しいのはお前のほうだ。それでもお前は、レオンは、間違いだと言われたまま、その冤罪さえも受け入れて、進むというのか」
ああ、きっと、その通りなのだろう。この世界が間違えているのだ。
それでも俺は、間違いの道を進む他無いのだろう。俺には、人間を否定する事など到底出来ないから。
親だけでなく人間という種族そのものに勘当されれば、俺の居場所は無くなる。他種族と共生しなければならなくなる。目指すのではなく必然。俺と共に行動すれば、バルドだって同じ。その宿命を背負わせる事になってしまうのは、許せない。
俺は怒りたくないのだ。誰にだって失望なんてしたくない。
「違う、違うんだ、バルド。正しい事が正しいんじゃない。この世界では、より多くの者が信じる事こそが正しいんだよ」
だから俺は間違えているのだ。
俺が正しいという事になれば、俺以外の殆どの人間が間違えているという事になる。
召喚師というだけで俺を泊めてくれなかった、三桁にも及ぶ宿が間違えているという事になる。俺を産んで、勘当した両親が間違えているという事になり、俺を追い出した村の皆が間違えているという事になる。
そんな事になるくらいなら、受け入れよう。
「そんな事を、認められるのか? お前は、それで良いのか?」
青ざめたバルドの言葉に、俺は頷く。
「許すさ。なんだって」
浮かんだのは失笑だった。自分に対する失笑では無い。
今更そんな決まりきった事を聞く、バルドに対してだ。
「やはり、怒らないのだな。お前は」
「間違えてるのは、俺のほうだからな」
束の間の会話劇の終幕を感じた。
もう、語る事は失った。
言葉による理解は出来なかった。互いの譲歩は叶わなかった。言葉を介さず意思の疎通が出来るのは邪族であり、言葉に頼り過ぎた人間は、それ以外のコミュニケーション能力を失ったのかもしれない。
言葉が無ければ、後は刃を交える他に無い。
「間違えているのなら、正す他あるまい」
バルドもそれを理解したらしい、掲げた斧は天高く、陽光を反射して輝く。
「ああ、そうしてくれ」
きっと、これで最後だ。
バルドは、トリノとの戦闘で最早立っているのもやっとの状態だ。
これでおそらく、俺と五分。
次の一撃で、決着する。
沈黙が見守る中、心地好い風が吹いた。
それを合図に、俺は駆け出す。このタイミングで、バルドも出るだろう。何故かそう思ったから。
バルドもきっと、そう思った事だろう。スタートは同時だった。
皮肉だ。
こんな近くに、言葉を介さない意思の疎通があったのだから。
交えた刃は、決別を告げるように、俺の脇差を砕いた。




