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静かな夜は、分かれている― ススキノの小さなバーでの記憶 ―  作者: akira


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第4話 来なかった人

カウンターの上に、四つのグラスが並んでいる。


三つは満たされている。


一つは、空のまま。


誰も触れていないのに、


そこに“いる”と分かる。


三人とも、同じ方向を見ている。


何もないはずの席。


だが、目を逸らせない。


「……思い出した」


女が、静かに言う。


声が、少しだけ震えている。


「来る約束をしてた」


男が続く。


「この店で」


若い男が、ゆっくりと息を吐く。


「……四人で」


その言葉で、形が見える。


ここに座るはずだった。


四人で、同じ夜を過ごすはずだった。


だが——


一人だけ、来なかった。


「……遅れてるんだと思ってた」


女が言う。


「最初は」


グラスを見つめる。


指先が、わずかに震えている。


「でも、来なくて」


男が目を閉じる。


「連絡も、つかなくて」


若い男が、低く言う。


「……そのままになった」


その“そのまま”が、


今ここにある。


終わっていない。


終われていない。


「……誰だった」


口に出る。


三人が、同時にこちらを見る。


その目に、同じ色がある。


知っている。


だが、言えない。


「……名前が」


女が言う。


「出てこない」


男も頷く。


「顔は浮かぶのに」


若い男が、グラスを強く握る。


「……なんでだ」


その問いに、答えはない。


だが、分かる。


一番残るはずのものが、


一番深く沈んでいる。


触れれば壊れる場所に。


「……」


四つ目のグラスを見る。


空のまま。


だが、その空白が、


三人の記憶を引き寄せている。


「……飲め」


小さく言う。


理由は分からない。


だが、分かっている。


このままでは、また終わる。


何も繋がらないまま。


三人が、同時にグラスを持つ。


口をつける。


その瞬間——


空のグラスの中で、


小さく音がする。


カチ、と。


氷が触れたような音。


だが、何も入っていない。


三人の呼吸が揃う。


「……寒い夜だった」


女が言う。


突然、言葉が溢れる。


「雪が降ってて」


男が続く。


「遅れるって、連絡が来た」


若い男が、目を見開く。


「……途中で」


声が止まる。


言えない。


だが、分かる。


三人とも、同じ場所を見ている。


記憶の中の、一点。


「……事故だ」


男が、絞り出すように言う。


静かな店の中に、その言葉が落ちる。


音を立てずに、沈む。


「来られなかったんだ」


女が、小さく言う。


「最初から」


若い男が、顔を覆う。


「……知らなかった」


その一言が、重い。


知らないまま、終わった。


来なかった夜として、閉じてしまった。


「……だから」


ゆっくりと、言葉を選ぶ。


「残った」


三人が、こちらを見る。


「ここに」


グラスを指す。


空の席。


「終わらなかったから」


その説明に、誰も否定しない。


むしろ、静かに受け入れている。


「……会えたんだな」


男が言う。


震える声で。


「今になって」


女が、目を閉じる。


涙は出ない。


だが、その手がわずかに震えている。


若い男が、空のグラスに手を伸ばす。


触れる。


その瞬間——


わずかに、温度が伝わる。


「……いる」


はっきりと言う。


見えないが、確かに。


そこに。


「……遅いよ」


女が、小さく笑う。


「ずっと待ってたのに」


その言葉に、責める色はない。


ただ、時間がそのまま残っている。


男が、グラスを持ち上げる。


「……乾杯しよう」


ぽつりと言う。


誰も反対しない。


三つのグラスが、ゆっくりと上がる。


空のグラスの前で、止まる。


一拍。


それから——


軽く、触れる。


カチ、と音がする。


四つ分の音。


確かに。


静かな店の中で、その音だけが残る。


「……これで」


若い男が言う。


「終わるのか」


誰もすぐには答えない。


だが、分かっている。


これは終わりじゃない。


終わらせるための夜だ。


三人が、同時に飲む。


空のグラスが、わずかに揺れる。


それだけで、十分だった。


カウンターの上の四つの席。


満たされているのは、三つ。


だが——


欠けていた一つは、


もう“空”ではなかった。



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