25.「とげとげハリネズミ」
アルバイト先のコンビニから、クラスメイトの岬を連れて家の近くまで向かう。
夜道に恐怖を感じていたのか、岬は俺の傍を離れようとしない。
街灯が道を照らしているとはいえ、大きな街路樹が立ち並ぶ中央通り。
夜9時ともなれば人通りはまばらになる。
いつもは強気な岬の振る舞いからは想像も付かなかった一面に触れ、岬に対する印象も大分変わった。
しばらく歩き、住宅やマンションが立ち並ぶエリアまで着いた。
突然10階を超える大きなマンションの前で岬が立ち止まる。
この近くに岬の家があるのだろうか?
「着いた」
「え?」
「うち、ここだし」
「……こんなに近くだったのかよ」
「だから親がバイトオッケーしたっしょ」
オートロックの高層マンション。
この辺りでは一番の高さをほこる。
俺は岬を家の近くまで送ると言ったが、岬の家まで着いてしまったようだ。
作新高校とは反対にある中央通りの一等地。
こんなバイト先から近所なら、わざわざ送る必要も無いのだが……。
斜め下を向き、視線を逸らす岬。
用事は済んだので、すぐに分かれる事にする。
「余計な事したな俺。じゃあな、みさ……」
「あ……」
「ん?」
「ありがと……送ってくれて……」
「あ、ああ。こんな近く、なんて事無いよ」
彼女の言葉に胸がドキリとする。
いきなり何だ?
とがった口ばかり聞いていた彼女が、唐突にお礼を言ってくる。
岬はすぐに視線を逸らし、マンション1階のエントランスへと消えて行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌日、週末の金曜日。
平日の朝は5時から登校時間までコンビニで3時間ほどの時を過ごす。
昨日は新入アルバイトの岬の指導をした。
早朝は通勤前のビジネスマンたちがこの店をよく利用する。
自由にシフトを入れられるホワイト企業のローソン。
うちの店長が良い人という事もあるが、高校生にも働きやすい職場だと俺は勝手に思ってる。
岬れな……暗い夜道は怖いと言ってたな。
今度クラスで会った時、続けるなら朝のシフト自由に入れられる事を教えてやろう。
アルバイトの面接は店長が働いている夜の時間帯しかやっていない事情があったはず。
昼間は当然学校行ってるし、土日なら日中働けるからわざわざ暗い夜道になる時間帯で働く必要は無い。
(ピコピコ~)
「いらっしゃいませ~」
「いらっしゃいました」
「おはよう成瀬」
「高木君、今日は私が来ても怒らないんだ」
「もう呆れて物も言えないよ」
太陽と成瀬には、俺が働いているコンビニには来ないでくれといつも言っている。
おとといと昨日、野球部の練習がある太陽は当然来れないとして、まだ部活を決めていない成瀬が珍しく店に来なかった。
「野球部に体験入部?」
「うん、お姉ちゃんに誘われてね」
「そうだったのか」
早朝から日によっては夜中まで練習が続く甲子園常連校、作新高校の野球部。
成瀬はここ2日、成瀬の姉さんと一緒に野球部の手伝いをしていたらしい。
総合普通科からも男子の選手が集まるものの、女子のマネージャーとなると事情が少し違うようだ。
グラウンド整備や練習の準備は下級生である2軍以下の男子選手が行う完全縦社会。
女子のマネージャーは現在7名おり、それぞれ学業など個々の事情で時間が許す時に野球部の男子選手に交じって手伝いをしているらしい。
俺の勝手な想像とは違い、時間の制約もそこまで厳しくなく、基本は下級生が動くので長時間拘束される事も無いと言う。
ただ1つだけ、選ばれた女子マネージャーだけが座る事を許される席が存在する。
甲子園の常連校、伝統の作新高校のマネージャーにのみ課せられる悩み。
「甲子園の記録係?」
「うん。去年の夏は地区予選で負けちゃって駄目で、今年の春の甲子園はうちのお姉ちゃんが出たの」
「楓先輩じゃ無かったのか?」
「2人でじゃんけんしたんだって」
「そういうとこユルいよな……」
1年生の時から野球部のマネージャーをやっていた成瀬の姉さんと楓先輩。
今年の3月に甲子園のベンチに座れた成瀬の姉さん。
高校3年生になって近づく最後の夏の甲子園。
上級生の2人の先輩にとって甲子園に行く最後のチャンス。
来年の3月には引退を迎え、下級生のマネージャーにそのチャンスが巡ってくる。
現在唯一の3年生女子マネージャーである成瀬の姉さんと楓先輩。
2人の中で、もし甲子園に行けたら次は楓先輩が甲子園のベンチに座る約束を、今年の春じゃんけんする前に約束していたようだ。
野球部の監督は一体何をしている?
男子に超厳しく、女子に超甘い。
俺は一瞬で野球部内のパワーバランスを察した。
「これお姉ちゃんにしゃべったら絶対怒られるから秘密だよ」
「分かってる。バレたら成瀬の前に俺が処刑されるから」
「ふふ、それもそうだね」
「そうなのかよ」
体育会系の野球部。
今風なのか、男子選手と違って女子の方は監督のお手伝いもしているらしい。
加えて今年は楓先輩の存在が影響しているのかいないのか、1年生の女子マネージャーがまだ誰1人として入部していないらしい。
楓先輩に憧れて入部する女子がいそうなものだが、増えているのは男の子の選手ばかりらしい……そっちは凄くよく分かる。
成瀬の姉さんが妹を誘ったのは、そんな野球部の事情があるようだ。
成瀬と一緒に並んで登校する。
中学校時代を思い出す。
昔はよく成瀬と並んで一緒に登校していた。
太陽は今と同じく野球部の朝練。
「なんか変わらないね私たち」
「だよな」
俺も素直にそう思う。
そんな変わらない日常を続けさせてくれるのは、やはり未来ノートのおかげ。
成瀬の顔を見て安心する。
俺だけ3人のノケ者にならなくて、俺は無意識にホッとしているのかも知れない。
中学時代……成瀬はずっと美術部だったな。
なんで高校でも同じ部活続けないんだ?
「美術部?」
「ああ、3年間ずっとだろ?入らないのか作新で?」
「中学の美術部の子、みんな隣町の公立高校行っちゃって知り合いいなくて」
「お前絵の才能あっただろ?」
「私の絵を馬鹿にした高木君がそれ言う?」
「あれは嘘、勘違いだって」
「私、ちょっとそれまだ根に持ってるんだからね」
中学2年の時。
美術部に所属する成瀬の絵が、県の美術コンクールで佳作を取った。
街の市民ホールに成瀬の絵を見に行った時事件発生。
成瀬の絵を探していた俺は、人ではない2本足で歩く謎の未確認生物の絵に目が止まる。
『イエティ……いや、ビックフッドか?』
『高木君……』
『おう成瀬、お前の絵どこ?』
『それ私の絵なんですけど……』
「成瀬、その話もう時効だって」
「う~」
古い話を成瀬は未だに根に持っている様子。
温厚な成瀬も怒る時にはしっかり怒る。
俺が成瀬を怒らせた翌日、決まって報復に来るのが成瀬の姉さんだった。
そろそろ作新高校に到着する。
成瀬の古傷に触れてしまい、早く教室に逃げ込みたい俺。
視界に入る高校を前に、成瀬は俺に話題を振ってきた。
「神宮司?」
「葵さんと……仲、良いよね」
「そうか?あっ、お前姉さんから話聞いたんだろ絶対」
「それは……そうだけど」
昨日行われたお茶会という名の恥辱の時間。
神宮司が俺の事をお友達だと言いふらしている事を、成瀬にも聞かれたようだ。
「楓先輩、凄く楽しかったみたいです」
「なんで楓先輩がそんな事を……」
「また高木君呼ぶって言ってたよ」
「マジか、困るよそれ。お前も一緒に来てくれるんだろ?」
「私はちょっと……」
「だからなんでだよ」
成瀬は神宮司葵となのか、楓先輩となのか、同席を昨日から極端に避けている。
野球部の手伝いをしているのは、成瀬の姉さんが誘った事が動機である事は間違いない。
正式な入部に踏み切れないのは、今のやりとりと何か関係があるのだろうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おはよ」
「えっ?ああ、おは……よう」
S2クラスの一番後ろ中央の自分の席に座った俺。
不意にされる事がない挨拶をされ、慌てて振り向き挨拶し返す。
視線を合わせる暇も無く、岬れなは窓側の自分の席へと向かって行った。
彼女はこのS2クラスのクラスメイトで、唯一の知り合いと言える存在。
バイト先が同じのクラスメイト。
そう言えば彼女に伝えたい事があった。
朝のホームルームが終了し、声をかける事にする。
「よう」
「なに?キモイんだけど」
昨日の夜の出来事が嘘のような平常運転。
メンタル弱い俺。
クラスメイト女子からのキツイ一言は、さすがの俺も激しく傷つく。
「店長に言えばバイトのシフト、割と自由に選べるぞ」
「……」
「店長夜しかいないから、昨日は面接でそう言われたろ?無理して夜入れずに、俺みたいに朝でも働ける」
「……そう」
「それだけ言いに来た。じゃあな」
挨拶終了。
言いたい事は伝えられた。
近寄ったらトゲがザクザク刺さる。
ハリネズミみたいな女の子だ。
全身を串刺しにされたキモイ俺。
心に重症を負い自分の席に戻る。
この後は小テストが控える。
授業までの短い時間だが、解答・解法を暗記する事に集中する。
教室を移動する。
1限目、化学の授業。
「それでは今日小テストをします」
金曜日の週末。
未来ノートが無ければ暗黒の終末を迎えていたであろう俺も、全力予習のおかげで化学の小テストを何とか突破する。
やはりこのノートの力が無ければ、今朝成瀬と同じ高校に登校する事すら叶わなかった。
模範解答が載っていない未来ノート。
俺は実力テストを満点とった羞恥心にさいなまれ、ワザと1問2問間違える事が頭によぎる。
いざテストが開始して、俺は逆の恐怖におびえる。
俺が調べた答えはおそらく合ってる、間違いなく。
問題を埋めていき、1問2問ワザと空欄のまま次の問題へペンを進めた時、俺にある恐怖心が芽生える。
―――『水平リーベ僕の船……ナ、生ガール…?あれ、合ってるのかこれ?』―――
先ほど飛ばした問題に戻り、思い直して結局元素記号の解答を埋めてしまった……。
なんて心の弱い人間なんだ俺……。
間違える恐怖に屈し、全設問を埋めてテストを終了する。
テスト結果が分かるのは数日後、このタイムラグが俺の精神をむしばむ。
もしかしたら俺、間違って調べてたかも……。
もしかしたら俺、間違って書いたかも……。
テスト結果が分かる数日は、テストの結果がどうだったか正直気になってしょうがない。
未来ノートの問題の答えを、誰かに確認してもらったわけじゃない。
模範解答を調べたのは俺。
そもそも調べた模範解答が間違っていればすべてが無駄な作業。
今後現代文の筆記問題や、英語の長文問題など、事前の調べでは対応しきれない、満点を確保する事が難しい問題は間違いなく出題されるはず。
1年生の今だからこそ、俺の付け焼刃的な学習スタイルが通用している。
ここは県下随一の進学校、作新高校の特別進学部。
2年生、3年生と学年が上がり、問題が分かっていたところで点数を取れない問題は今後発生する事は十分予想される。
俺が風邪でもひいて、予習できずにテストを迎える事態もあり得る。
―――出来るうちに出来る限りの事をやっておきたい―――
テストをこなす俺に襲い掛かる、テストが出来ない事への恐怖。
その恐怖を振り払うには、俺はテストで良い点数を取り続けるしかない。
全力予習、手を抜けばすぐに転落する。
累積方式で無いにせよ、降格ラインとも言うべき赤点をテストで取った時、ワザと問題を間違える下手な小細工をしていた過去の自分に俺はきっと後悔する事になるだろう。
テストが終了し、今日もお昼休憩の時間を迎える。
いつものようにS2クラスの生徒たちのほとんどが、学食に向かって一斉に教室を出て行く。
一部の生徒は教室に残り、持参したお弁当や購買で購入したパンを食べ始める。
教室の窓側で1人食事を始める岬れなもその1人。
ほどなくして2人の生徒が俺のいるS2クラスに入ってくる。
SAクラスの朝日太陽、S1クラスの成瀬結衣だ。




