15.「楓と葵」
早く図書館で全力予習を始めたい俺。
それを全力で邪魔してくる成瀬。
この子と同じ高校に通い続けたいから頑張っているのだか、肝心の彼女の存在が最大の障壁となって俺の進行を阻む。
「あ……」
「どうした成瀬?」
「高木君……楓先輩とまで知り合いだったなんて……」
「楓先輩?俺はそんな知り合いなんていな……」
「お初にお目にかかります。成瀬さん、ごきげんよう」
「楓先輩、ご無沙汰してます。それに……葵さんも」
成瀬が話している方を振り向く。
成瀬が葵と言った女の子は、S1クラスにいるあの『源氏物語』大好き美少女。
その子がここにいる事にも驚いたが……。
―――その隣に立つ女性を見て絶句する。
―――この大人びた美人の女性は誰だ?
―――言葉の一言一言が別の世界の人だと感じさせる気品溢れる雰囲気を醸し出す。
―――突然現れた大和撫子。同世代の女の子に見えない大人の女性。
―――会釈されただけで俺の体に旋律が走る。こんな美しい女性に、俺は今まで会った事が無い。
―――大きな瞳に直視されるだけですべてを見透かされているような気持ちになる。
「葵ちゃん、この方がお友達?」
「うん……そう……」
「失礼ですが、あなたのお名前は?」
「お、俺?」
状況がまったく掴めず、戸惑う俺。
教室のすぐ外の廊下。
辺りにいるクラスメイトや隣のクラスの連中も、間違いなくこの信じられないような美人女子生徒の登場に視線を注いでいる。
みんなも、成瀬もこの人を知っている様子。
知らない人から名前をなぜ聞かれる必要がある?
「ちょっと高木君、楓先輩が聞いてるからちゃんと答えて」
「成瀬、楓先輩ってこの人の事か?」
「も~いい!楓先輩、すいません。この子、私の幼なじみで高木守道君って言います」
「そうですか成瀬さん、ありがとうございます。ちゃんと聞いた葵ちゃん?」
「うん……お姉ちゃん」
源氏の女の子が、隣にいる楓先輩をお姉ちゃんと言っている。
確かに2人……似てる。
いくつ歳が離れてるんだ?
後何年もしたらこっちの女の子が、隣にいるお姉ちゃんみたいな大人びた女性に成長するのか?
成瀬の楓先輩に対する態度がおかしい。
まるで昔から知っているような話しぶりだ。
「勝手に紹介するなって成瀬。お前は俺の母さんかよ」
「ちょっと高木君、私が恥ずかしいからもう少しちゃんとお話ししてよ!」
「ふふ、ふふふ」
「え?」
「楓先輩?」
「ふふふ、もうおかしくって。ごめんなさいね、真弓が言ってた通りだったんですもの」
真弓?
俺はその名を何処かで聞いた事がある
突然、楓先輩が俺の前に歩み寄る。
俺より長身の先輩の雰囲気に圧倒される。
「高木君でしたよね?」
「はい」
「今日は高木君に2人で謝りにきました」
「はい?」
そういうと楓先輩が、自分の妹の手を引いて俺の前に連れてくる。
「ほら葵ちゃん」
「だって……」
「ちゃんとお話しするって約束したでしょ?」
「でも……」
俺は早く図書館に行って予習を始めたいのに、次から次に変な人たちが俺の前に立ちふさがる。
肝心の妹が話を躊躇している。
早くこの場から去りたい。
「あのすいません。僕ちょっと用事あるんで」
「こら高木君、待ってなきゃダメだよ!」
「早く図書館行きたいんだよ成瀬」
「もう少しだから、待ってあげて」
「……分かった」
成瀬に呼び止められ、妹な方が話し始めるのをひたすら待つ。
何をモジモジしてるんだ?
こういうところは成瀬に似ている。
しびれを切らしたのか、先に話し始めたのは楓先輩だった。
「高木君にうちの子が粗相をしてしまい、姉として大変申し訳なく思っております」
「粗相?それって『源氏物語』の事ですか?」
「はい」
確かに昨日この女の子に、『源氏物語』の早読み競争をさせられた。
タイマー片手によーいどん。
お姉ちゃんに話して怒られたのかこの子?
「昨日の件ならもう気にしないで良いですよ先輩」
「いえ、そうは参りません。謝りに行く前に、重ね重ねお心を害されるような事を……」
「それって……僕の家の事を言ってます?」
「はい。お気持ちを傷つけるような事を聞いてしまい、大変申し訳ありませんでした」
……大体察しはついた。
それにしても違和感この上ない。
「この子『源氏物語』が大好きでして」
「知ってます」
「はい。一緒に読んでるお友達を見つけて、嬉しそうに話すものですから」
何でお姉ちゃんばっかり話してる?
なぜ肝心のこの子は黙ってる?
「何と申しますか……この子……」
「あのお姉さん、ちょっと良いですか」
「はい」
「ちょっと高木君」
「成瀬はちょっと黙ってて」
ここまで一言も話さない妹の方を見てイライラしてきた。
別にこの子の行動には……正直悪意しか感じなかったが、俺の母さんの事は別にこの子のせいじゃない。
母親の事は俺が勝手に話した事であって、別に俺は何も思っちゃいない。
腹を立てているのはそんな事じゃ無い。
俺は楓先輩を無視して、妹の前に歩み寄る。
「ちょっといいか?」
「……うん」
怯えるウサギのように震える妹。
片手でお姉ちゃんの袖を掴む。
俺はお構いなしに話を続ける。
「俺の母さんの事を話したのは俺だ。それについて別に俺は何も思ってない」
「うん……」
「俺は今怒ってる。なんでだか分かるか?」
妹は首をブルブルと無言で左右に振る。
やっぱり何も分かっていないようだ。
「ちょっと高木君」
「成瀬、お前も気づいてるだろ?おかしいだろこれ」
「でも……」
俺は妹の前に再び顔を向ける。
俺はついに。
言いたい事を全部言ってしまった。
「お前……なに姉ちゃんに謝らせてんだよ」
「えっ?」
「昨日のあれ、『源氏物語』の第3巻。お前俺が見たいって言った時、意地悪しただろ?」
「……うん」
「本当にそう思ってるのか?」
「うん、うん」
「本気で悪いと思ってるなら、姉ちゃんに謝らせてないで自分で謝れって言ってるんだよ!」
教室の外の廊下で旋律が走る。
周囲で見守る生徒たちが絶句し、辺りはシーンと静まり返る。
俺も場の空気にさすがに言い過ぎたと悟るが時すでに遅し。
僅かな沈黙の後、妹の目から、大粒の涙がこぼれ落ちてきた。
―――「ごめんなさい」―――
昨日の成瀬に続き。
2日連続でS1クラスの女子を廊下で泣かせた大罪人。
俺と知り合いになる女の子が次々と涙を流していく。
泣き崩れた妹。
静まり返る廊下とクラスメイトたち。
姉が優しく抱擁する姿を、俺は黙って目の前で、見続ける事しか出来なかった。




