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第十三話:孤独な盾と、赤い瞳の少女

 貸し与えられた空き家は、長らく人が住んでいなかったせいか、ひんやりとした静寂と埃の匂いに包まれていた。ユウマは慣れた手つきで、背負っていたルネを唯一の寝台へと横たえる。

 道中の無理が祟った彼女は、深い眠りの中にいた。だが、その顔色は川辺で休んでいた時よりも幾分か赤みが差し、呼吸も穏やかになっている。

「……リリィ、ルネのことは頼めるかい? 僕は少し、外の様子を見てきたいんだ」

「わかったのぉ。ルネちゃんにはぁ、リリィがついてるから安心してねぇ。ユウマさまもぉ、無理しちゃダメだよぉ?」

 リリィはユウマの腕にそっと手を添え、労るように微笑んだ。ユウマは一度頷くと、ボロボロになったスーツの襟を正し、独り外へと足を踏み出した。

 村の夜は早い。夕闇が迫る中、猫娘族の里には、狼男族の襲撃を恐れる特有の重苦しい空気が漂っていた。家々の窓は固く閉ざされ、時折すれ違う村人たちも、ユウマという「異物」を気にする余裕さえないようだった。

 広場の方へ歩いていくと、そこには古びた遊具やベンチが置かれた、小さな公園のような場所があった。

 そこでユウマは、**「それ」**を初めて見かけた。

 広場の隅、大きな樫の木の影。一人、ポツンと俯いて座っている少女がいた。

 燃えるような赤髪を高い位置でポニーテールにまとめ、傍らには自分の背丈を優に超えるほど巨大で、無骨な盾が立てかけられている。その重厚な盾は、彼女の華奢な身体に比べてあまりにも巨大で、まるで彼女自身を世間から隔絶する壁のように見えた。

 ふと、近くの家から猫娘の子供たちが数人、ボールのようなものを持って飛び出してきた。楽しげな笑い声が広場に響く。赤髪の少女は、その声に誘われるように顔を上げた。

「……あ、あの……よかったら、いっしょに……」

 少女が立ち上がり、消え入りそうな声で一歩だけ子供たちの輪に近づこうとした。

 その瞬間、子供たちの顔から笑顔が消えた。

「ひっ……!」

「逃げろ! 赤い目の化け物だ! 食べられちゃうぞ!」

 子供たちは本能的な恐怖に顔を歪め、脱兎のごとく逃げ出していった。

 後に残されたのは、差し出した手を空中で止めたまま、悲しげに瞳を伏せる赤髪の少女だけだった。彼女はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて力なく手を下ろし、また木の陰のベンチへと戻っていった。

 翌日。

 窓から差し込む眩しい光で、ユウマは目を覚ました。ルネの熱はすっかり下がり、リリィと二人で最後のお芋を分け合っている。

「おはよう、ユウマさまぁ! ルネちゃん、もう元気になったのよぉ」

「……ユウマさま、おはようなのですぅ。……ごめんなさい、お待たせしたですぅ」

 朝食を済ませた後、ユウマは一人、再び村の様子を確認するために外へ出た。

 昨夜の広場。昼間の光の下で見ると、そこには昨日の少女がまた一人で座っていた。彼女は自分の指先をじっと見つめたり、時折、遠くで談笑する同族の女性たちを羨ましそうに眺めては、すぐに「自分には関係のないことだ」と言い聞かせるように首を振っている。

 ユウマは、導かれるように彼女の方へと歩き出した。

 彼女との距離が数メートルに縮まった時、彼女がピクリと耳を動かし、驚いたように顔を上げた。

「……あの、私に何か、ご用でしょうか。……あまり近づくと、あなたも怖くなってしまいますよ?」

 鈴を転がすような、清涼感のある丁寧な声。近くで見ると、彼女は驚くほど童顔で、あどけなさが残る美少女だった。スリムな体格をしているが、胸元はリリィに負けず劣らず豊かで、防具の隙間からその曲線が覗いている。

「あ……いや、怪しい者じゃないんだ。昨日、この村に辿り着いたばかりの旅人でね。……君が、あまりに寂しそうな顔をしていたから」

 ユウマが努めて穏やかに話しかけると、彼女は少しだけ悲しそうに、はにかむような微笑を浮かべた。

「寂しい……。そう見えましたか。ふふ、恥ずかしいところをお見せしましたね。……私の名はティオナ。ティオナ・レオグレイズと申します」

 彼女は自分の燃えるような赤い瞳を、隠すように少しだけ伏せた。

「この瞳は、猫娘族にとっては『天敵』の色なのです。私が近づくだけで、皆さんの心臓は早鐘を打ち、本能が『逃げろ』と叫ぶのだそうです。……だから、こうして一歩引いているのが、お互いのための正解なのですよ」

 彼女は淡々と語るが、その声は微かに震えていた。誰よりもこの村を愛し、守りたいと願っているのに、その存在自体が愛する人々を怯えさせてしまう。その矛盾に、彼女はたった一人で耐え続けてきたのだ。

「……村の食事も、いつも皆さんが終わった後に一人でいただくのです。お祭りの輪にも入れませんが、遠くで聞こえる太鼓の音を聞いているだけで、私は十分幸せなのですよ。……本当です」

 自分に言い聞かせるような「幸せ」という言葉。それがどれほどの孤独の上に成り立っているのか、ユウマには痛いほど伝わってきた。ユウマは、無意識に脳内の『天秤』を起動させていた。

(……なっ……!?)

 浮かび上がった数値に、ユウマは絶句した。『防御』『反射』『筋力』――そのすべての項目が、限界値を示すゲージを突き抜け、真っ赤に点滅している。

(……化け物じみている。だが、この圧倒的な力こそが、彼女を孤独に追いやっている元凶なのか……)

 ユウマが何かを言おうとしたその時。不意に、背後から駆け寄る足音が聞こえた。

「ユウマさまぁ! 大変なのぉ!」

「ユウマさま……見えてしまった、ですぅ……っ。警戒してたら、裏手の崖から……狼男族の本隊が、もうそこまで……来てるですぅ……っ!」

 ルネの悲痛な叫び。それを聞き、ユウマがハッとして隣を見ると、つい数秒前までそこにいたはずのティオナの姿は既になかった。

 ただ、彼女が立てかけていた、彼女の身長よりも遥かに大きな盾が持ち去られた痕跡だけが残っている。

「案内は不要です、風の匂いで分かります」

 風に乗って、凛とした彼女の声だけが届いた。

「待ってくれ、ティオナ!」

 ユウマの叫びも届かぬ速さで、少女は一人、絶望的な戦場へと駆け抜けていった。守りたい人々に背を向けられながら、それでもその人々を守るために、身の丈を超える盾を携えて。その背中は、悲しいほどに孤高だった。

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