表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/16

プロローグ:天秤が揺れる、その刹那

 深い夜だった。

 オフィスの窓の外には、都会の神経を逆なでするような冷たい光が、星の代わりに散らばっている。

 カチ、カチ、カチ……。

 部屋に響くのは、使い古された壁掛け時計の音と、ユウマが叩くキーボードの乾いた打鍵音だけだ。

「……よし。これで、明日の会議資料は完了だ」

 マサ・ユウマ、33歳。

 かつては情熱を持って社会に飛び込んだはずの彼は、今や「ブラック企業」という名の巨大な歯車の一部、それも上下から摩擦を受け続ける「中間管理職」というポジションに身を置いていた。

 彼の仕事は、上からの無茶な要求を笑顔で受け流し、下からの不満を酒と謝罪で鎮めることだ。

 本来なら輝くような才能を持っているはずの若手たちが、過酷なノルマに押しつぶされ、瞳から光を失っていく。それを「社会の厳しさだ」という一言で片付けなければならない毎日。

 ユウマは、ふと自分の手元を見た。

 そこにあるのは、プロジェクトの進捗管理表。効率、利益、コスト。数字だけが踊る紙面に、人の心は介在しない。

「……本当なら。あの子はもっと別の部署なら輝けたはずなんだ。あいつの計算能力は、こんな事務作業で使い潰していいものじゃない」

 独り言が、空っぽのフロアに吸い込まれる。

 ユウマには、他人の「本質」が少しだけ見える気がしていた。誰が何に向いていて、どこに置けばその才能が花開くのか。

 だが、今の彼にはそれを叶える権限などない。ただ、適性のない場所に人を放り込み、摩耗していくのを眺めるだけの「無能な管理職」だった。

 不意に、視界がぐらりと揺れた。

 心臓がドクン、と大きく跳ね、冷たい汗が背中を伝う。

 指先が痺れ、キーボードに触れる感覚が消えていく。

(ああ……そうか。僕も、限界だったんだな)

 モニターの白い光が、急速に遠ざかっていく。

 意識の深淵に沈みながら、彼は最後に願った。

 もし、もう一度チャンスがあるのなら。

 今度は数字のためではなく、誰かが「自分らしく」輝ける場所を作ってみたい、と。

 闇の中で、重厚な金属の擦れるような音が響いた。

 ギィィ……と、何かが均衡を保とうとするような、不思議な音。

 ――**『天賦の天秤オーダー・スケール』**、承認。

 無機質な声が脳裏に直接響き、ユウマの意識は完全に途絶えた。

「……っ、げほっ、ごほっ……!」

 喉を焼くような乾燥した空気。

 ユウマは激しく咳き込みながら、地面を強く叩いた。

 指先に触れるのは、冷たいコンクリートではない。湿り気を帯びた土と、硬い石の感触だ。

「ここは……?」

 這いずるようにして上体を起こす。

 まず目に飛び込んできたのは、視界を埋め尽くすような巨大なシダ植物と、天を突くほどに巨大な樹木。

 日本の山林では決して見ることのない、原始的で、暴力的なまでに生命力に満ちた「森」だった。

 ジャリ……と足元の砂利が鳴る。

 ユウマは呆然と立ち上がった。着ているのは、つい先ほどまでオフィスで着ていたはずの、よれよれのビジネススーツ。革靴は泥に汚れ、ネクタイは無様に解けている。

 だが、体の感覚が決定的に違っていた。

 あんなに重かった肩が軽い。鉛のようだった足腰に、信じられないほどの活力がみなぎっている。

「夢……じゃ、ないのか?」

 頬を抓ると、はっきりとした痛みがあった。

 そして、その直後。

 ――ガルルゥ……ッ!

 背後の茂みから、低く、威圧的な唸り声が響いた。

 ユウマの脊髄が凍りつく。

 ゆっくりと振り返ると、そこには体長2メートルはあろうかという、深緑色の体毛に覆われた巨大な狼が、三つの赤い瞳でこちらを射抜いていた。

「なっ……!?」

 本能が叫ぶ。あれは「野生動物」などという生易しいものではない。この世界の食物連鎖の頂点に近い、明確な「怪物」だ。

 ユウマに戦う術はない。武器も、魔法も、勇者としての力も、この瞬間には何も感じられなかった。

 怪物が、地面を蹴る。

 **ドスッ**という重い踏み込みの音と共に、巨大な質量が迫る。

「走れ……走るんだ、ユウマ!」

 彼はなりふり構わず駆け出した。

 革靴が泥に滑り、木の根に足を取られそうになりながら、ただひたすらに森の奥へと突き進む。

 背後からは、**バキバキ**と立ち塞がる小木をなぎ倒しながら、執拗に怪物が追ってくる。

 ハァ、ハァ……と、肺が焼けるような呼吸の音が、静かな森に響き渡る。

 木の枝が肌を掠め、スーツがズタズタに裂けていく。

「どこか……どこか逃げ込める場所は……!」

 必死に目を凝らした先。

 うっそうと茂る蔦のカーテンの向こうに、人工的な石造りの構造物が見えた。

 周囲の森に飲み込まれそうになりながらも、そこだけは奇妙な静寂を保っている。

 崩れかけた石柱、苔むした壁。

「あそこなら……!」

 ユウマは最後の力を振り絞り、その遺跡へと飛び込んだ。

 狭い入口を潜り抜け、奥へと転がり込む。

 追ってきた怪物は、入り口の狭さに阻まれたのか、あるいはこの場所に立ち入ることを忌避したのか。

 **ガリガリ**と外壁を爪で削る音を響かせながら、しばらく吠え続けた後、やがてその気配は遠ざかっていった。

「……助かった、のか」

 ユウマは冷たい石の床に大の字になって倒れ込んだ。

 **ドクンドクン**と、高鳴る鼓動が耳の奥でうるさいほどに響いている。

 しばらくの間、ただ荒い呼吸を整えることに専念した。

 やがて少しずつ冷静さを取り戻し、彼は身を起こして周囲を見渡した。

 そこは、長い年月の果てに忘れ去られた「牢獄」のようだった。

 壁には錆びついた鉄輪が埋め込まれ、天井からは僅かに差し込む光が、空気中を舞う埃をキラキラと照らしている。

 外の狂暴な森とは対照的に、ここは死んだような静けさに支配されていた。

「遺跡……いや、牢屋か」

 なぜ、こんな森の奥深くにこんな施設があるのか。

 考えを巡らせようとした時、不意にユウマの視界に「異変」が起きた。

 何もなかったはずの空間に、薄らと光り輝く「天秤」の幻影が浮かび上がったのだ。

 美しく、そしてどこか冷徹な左右対称の天秤。

「なんだ、これは……?」

 ユウマが手を伸ばそうとすると、その天秤はふわりと揺れ、彼の脳裏に未知の情報を流し込んできた。

> **固有スキル:『天賦の天秤オーダー・スケール』**

> 対象の能力を『現在値』と『潜在値(伸び代)』に分けて可視化する。

> 適切な役割オーダーを与えることで、対象の潜在能力を極限まで引き出し、組織全体の能力を底上げする。

>

「天賦の、天秤……?」

 それは、かつて彼が夢見た「適材適所」を実現するための力そのものだった。

 数字で人を縛るのではなく、その人が持つ真の価値を見抜き、正しい場所へ導くための天秤。

 ユウマは、震える自分の手を見つめた。

 この世界で、自分に何ができるのかはまだ分からない。

 だが、この力があるのなら。

「……まずは、この場所を調べよう。生きていくために」

 彼は立ち上がり、崩れかけた壁を支えに奥へと進み始めた。

 奥へ進むほどに、空気は冷たく、そして甘い花のようなどこか不自然な香りが混じり始める。

 **コツン、コツン**と、汚れた革靴が石床を叩く。

 迷路のように入り組んだ回廊を抜け、一番奥にある巨大な鉄格子の前に辿り着いた時。

 ユウマの足が、止まった。

 格子の向こう側。

 薄暗い独房の中に、一人の少女がいた。

 純白のドレスはボロボロに汚れ、細い手首には重々しい鎖が繋がれている。

 だが、その絶望的な状況にあっても、彼女が放つ存在感は圧倒的だった。

 流れるような銀色の髪が、暗闇の中で月光を湛えたように淡く光っている。

 そして、ユウマの目の前で『天秤』が激しく揺れた。

 彼女の頭上に浮かび上がった数値。

 それは、今までのユウマの常識を遥かに超越した、異常なまでの「伸び代」を示していた。

「……誰、なのぉ?」

 暗闇の中から、とろけるような、甘い声が響いた。

 その声は、絶望の淵にある囚人のものとは思えないほどに穏やかで、どこか蠱惑的ですらあった。

 ユウマは息を呑み、ゆっくりと一歩を踏み出す。

 ここが、彼の「新しい人生」の、本当の始まりだった。

「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!

作者のモチベーションアップに繋がりますm(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ