地球転生編 2-78 タチアナの帰還
タチアナの帰還
遂にこの日がやって来た。8月1日の今日、タチアナ・エグリスコバことセラスティナが惑星サモナルドの故郷ロムリアに帰還する。そのための準備は全て終えた。タチアナに心残りが無くはないが、それ以上に早く故郷に帰りたい、その一心だった。思えば、タチアナは自分が地球に転移して何年になるのかをはっきりとは覚えていない。確か最後まで数えてたのは地球に来てから10年位経った時までだったか。あの時、「あれから10年経ったのか」などと考えた途端に胸が苦しくなり、誰かにともなく「早く故郷に帰してよ!!」と胸が張り裂けんばかりに泣き叫んだ苦い記憶がふと蘇った。そんな辛く悲しい思いをしても、その後に故郷に戻ることが適うわけではなく、最後には自分はこの星に骨を埋めるのだろうと諦めと共に己の運命を覚悟をした。それでも何となくではあるが、20年近くは地球に居たのかと考えた時、サモナルドだったら10年か、それでもやはり長いよな、と感慨に耽ったりする。だがそこには、昔のように絶望で打ちひしがれる状況には最早なく、それよりも懐かしい昔を思い出すような心の余裕がそこにはあった。なぜなら、今日でその絶望と悲嘆に明け暮れた日々が全て終わる。夢に見ては涙をのんだあの風景へ、ついに自分の足で帰れる日が来たのだと思うと、胸の奥がきしむように熱くなった。
さて、タチアナの帰還方法は既に確定済みである。降霊転移門で霊界に行った時、最神玲から紹介してもらった円空に霊界に設置する降霊転移門の場所を教えてもらった。勿論、自分の寿命1年分と引き換えに。そして、意外にもタチアナの別荘地内から最短で行くことが出来ることも分かった。これだと、同胞以外の誰にも知られずに帰還できる。それに、この別荘地は最神玲が管理してくれるため、彼女としてはベストな選定地であった。その後、サモナルド人のコミュニティサイト、サモンパラダイス、通称サモパラを通じて地球に住む全サモナルド人に対して、ロムリアへ帰還する時の集合場所と時間を連絡した。
ところでタチアナは、ロムリアのどこに転移することにしたのか?実はこの問題は結構重要である。時間については残念ながら指定できないが、場所については探せば幾らでも候補地を見つけられた。だが、タチアナは既に帰還するならあそこしかない、と考えていた。しかしそこがベストかと言われると、正直自信がない。そこで自分が知っていそうな場所を霊界から降霊転移門を通じて探していたのだが、例えばロムリアの街中にした場合、その場所が果たして自分の知っているロムリアなのかどうか、残念ながらその確信が持てなかった。勿論、自分の記憶はサモナルドでも10年以上経過しているため、外観や風景などが変わっている可能性は十分ある。だがそれだけではなく、ひょっとしたら違う世界のロムリアではないか、と一抹の不安を覚えたりする。なんなら、一度外に出て確認してから再び戻れば良いのではと考えなくもないが、何だか一度外に出ると二度と戻ってこれない、そんな別の不安に襲われてしてしまい、結局二の足を踏んで外に出られなかった。そのため、慎重に幾つかの転移先候補地を見て回ったが、その結論が漸く出たのが1カ月前であった。やはり、あそこしかない。そこは、自分が地球に転移する前まで居た場所、あそこであれば夢の中にまで出てくる位に細部までよく覚えている。そして実際に霊界から降霊転移門を通じてその場所を確認したとき、まさにそれがそのまま残されていた。残念ながら、歳月の影響か天候の影響か、かなり傷みが酷いことはこの目でも見て取れた。それでもタチアナはその光景を目にした時、言い知れぬ感情が心の底から湧き上がるのを感じた。そして、彼女の胸に込み上げてくるのは喜びよりも、張り詰めた糸が切れるような安堵と、二十年分の悲しみだった。
帰還当日の朝、タチアナは自分の別荘のキッチンに立って料理を作っている。実は自炊らしい自炊を殆どしたことがない彼女にしては珍しいのだが、もし彼女が地球に別れを告げる時が来たら、最後はこの料理でお別れしたいと願っていた。それは、フランス名物、ブイヤベース。ブイヤベースは地中海沿いのマルセイユの名物料理だが、フランスに来て初めて誰だったかに連れて行ってもらったのが、ブイヤベースの専門店だった。残念ながらその店がどこのどういう名前かは覚えていないが、あの時食べた味は今も忘れられないまま、記憶の中に残されていた。これを最後はここに集まるサモナルド人全員で食べよう、と思って昨日の晩から準備に勤しんでいた。そんな時に、「タチアナさん」と声を掛けられた。この声は、と嬉しさの余りに振り向くとそこには、最神玲と物部かすみの二人が立っていた。
「いよいよ、今日ですね」
と玲がタチアナに声を掛けた。本当はもう少し何か話すべきなのだろうが、これ以上のことが思い浮かばない。
「レイ君、カスミさん、ありがとうね。
あなた達に出会えたことが、
私にとっては一番の幸運だったということね」
「そんな、私なんか何もお役に立ってませんよ」
と謙遜しながら答えるかすみである。だが、タチアナも玲も、かすみの閃きと言うかアドバイスがあったればこそ、降霊転移門を使いこなせるようになったのは事実である。それをタチアナはかすみに語った。すると、かすみは恥ずかしさで顔を赤くしたかと思ったら、感極まって泣いてしまった。そんなかすみを見てタチアナも、目に涙を浮かべながらかすみを抱きしめた。
午前9時を少し回るころには、30名のサモナルド人がタチアナの別荘に集まった。勿論全員、転移してやって来た。残念ながら、地球に居るサモナルド人全員ではなく、例えばタチアナにサモナルド語のウェブサイトの開設や、彼女の資金洗浄を手伝ったチーターは、この集まりには来ていない。そして、17名のサモナルド人がタチアナと共に故郷のロムリアへ帰還する。帰還する者の中には玲とかすみが黒魔術の件でお世話になったホアン・ヴァン・コアがいた。あるいは、玲が初めてサモパラに参加したときに色々と話した、ハードボイルドな夫婦レオニードとエカテリーナ、彼らも帰還することになった。本来なら彼ら夫婦には息子が一人いたが、ある事情で亡くしてしまい、失意のうちにあったところ、タチアナからの帰還希望に関するメールが届いたことで、彼らはロムリアに帰還することを決めたのだった。実は昨年末に世界ではある出来事で大騒ぎとなっていたが、その出来事の中心にいたのが、この夫婦だったことは誰も知らない。いや、今この世界でそれを知るのはタチアナと最神玲だけである。尤も、玲とかすみの生活に何か影響があるかと言うと殆ど、というか全くないと思われたので、彼らはさほど興味を持つことはなかったのだが。何れ機会があれば、この話は別の所でするとして。
ところで、帰還組の者達は全員腕にある物をぶら提げている。それは防寒具。8月のフランスのパリでは、この時期の気温は、日本とは異なり30℃を越えることはなく、20℃から25℃が平均気温である。南部の地中海に臨む地域だと30℃を越えることがあるが、タチアナの別荘のある中部でも、やはり30℃を越えることはない。ではなぜ防寒具が必要なのか?それはこれから彼らが転移する場所に必要なためである。タチアナが選んだ転移場所、それは玲ことカーンフェルトもよく知るネオエベレスト山の山頂である。なぜそこが選ばれたのかと言うと、タチアナことセラスティナが地球に転移する直前まで住んでいた場所、と言うかある実験をするために滞在していた場所が、ネオエベレスト山の山頂だからである。そしてセラスティナが滞在していた実験施設が実は山頂に残されていることを確認しており、そこが唯一確かに自分がそこに居た証になる、と言うことでその場所を選んだという。なお、今のサモナルドの季節が何時なのかが転移門からは確認できず、場合によっては真冬の山頂に転移する可能性も考えたため、帰還者全員に防寒具の持参をお願いした。そして、帰還組の中にはかなり奇抜と言うか特殊なデザインの衣装を身にまとう者もいて、これには現在ファッションを勉強中のかすみは興味津々となっていた。実はその衣装はロムリアの一般的な衣装だという。ロムリアの衣装は、カーンが住んでいたケンタリアの衣装とも全く異なっており、どちらかと言うと、地球のSF映画に出てくる体にピッタリ合った宇宙服というか、そんなイメージを抱かせる。ただし、色はカラフルである。そして、それを聞いたかすみは、「私もファッションの勉強のためにロムリアに行ってみたい」などと真剣な表情で玲に訴えたりした。いやいや、その前にこちらで勉強を進めるべきではないかと思うし、場合によっては残留組の人達に教えてもらえば、と言うことをかすみに伝え、渋々受け入れたようだ。
さて、帰還組と残留組の全員が揃ったところで、タチアナは用意していた料理を彼らに振る舞った。帰還組からすると、もしかしてこれが地球で食べる最後の地球食になるかと思うと、自然と涙が零れだす人が何人かいた。また、食事中は、帰還組と残留組がお互いどこか遠慮がちに健康と幸運を祈り、肩をたたき合ったり労ったりして、何とか和気あいあいな雰囲気で進められた。そして食事も終わりいよいよ出発するというとき、タチアナから残留組に対しある提案をした。それは、地球の1年後、つまり来年の今日、ここにいる最神玲をロムリアに召喚するということである。この話を聞いた残留組だけでなく帰還組も、最初タチアナさんは何を言ってるんだ、と不思議な表情に包まれていた。しかし話が進むにつれて、残留組の人達は驚きと共に玲をじっと見つめ続けることになった。まさか、彼が本当にロムリアに召喚されるのか?と言う疑念と共に。だが、タチアナからの詳細な説明では、既に召喚術師を契約召喚する方法を見出しており、後は実際にロムリアから召喚出来るかを試すだけだという。これに関しては、残念ながら地球での確認は不可能なため、後はぶっつけ本番に頼ることになると付け加えた。そして、残留組にはロムリアに居る自分の家族や友人に向けてのメッセージを玲に託して欲しいとお願いした。残留組の中には、やはり故郷に残している自分の家族の安否はどうしても気になるが、それ以上にこちらでできた今の家族がより大切なため、泣く泣く帰還を諦めた人達がかなりいることは分かっていた。そしてそのような残留組の人達へのタチアナからの最後のプレゼントが、玲によって残留組の人達のメッセージを故郷に届けてくれるということ。これこそ、まさにサプライズですよ、と誰かが叫んだが、まさにその通りであろう。なお、詳細については、後程彼から説明があるので、それに従って欲しいと伝え、タチアナからの話は終わった。この話には、残留組だけでなく帰還組も心の底から大いに喜んだ。とにかく自分たちは帰還できるものの、やはり残留組の中には仲のいい友人もいたりして、彼らのことを思うと大っぴらに喜ぶことをこれまで控えていたりした。それも、タチアナからのサプライズで、もう遠慮せずに歓喜の声を上げてもいいんだ、という安心感から、彼らも大いに喜んだのであった。
本来しんみりとした送別になると思われたが、最後は全員が喜びあうことで、タチアナの心にあった不安は全て吹き飛んだ。これも全ては最神玲の発案があってである。やはり彼に師事しようかとこの時もふとその考えが浮かびそうになったが、直ぐに心の奥底に消えていった。その時、玲とかすみがタチアナの元にやってきた。そして、玲は自分の血液を入れた小瓶を彼女に渡した。かすみは何やらノートのようなものをタチアナに渡した。実はそれはアルバムであり、それを開けると、中にはタチアナ、玲、かすみの3人が映された写真が何枚か張られていた。かすみはタチアナへのプレゼントを何にしようか考えていた時期があり、やはり一番思い出に残るものをと考えた時にアルバムを贈ろうと決めたのだった。アルバムの写真には、パリでの3人の他に、ちょくちょく玲とかすみの住む家に遊びに来た時に撮った写真などが張られており、それを見ただけで、タチアナは彼らと過ごした楽しい日々を思い出し、また涙するのであった。
「カスミさん、こんな素敵なプレゼント
有難うね。大事にするわ」
と言って、タチアナはかすみを抱きしめた。かすみも、目に涙を溜めながらタチアナに「私、何時もタチアナさんから貰ってばかりだったから」と馴れない英語で何とか思いを伝えた。そして玲はタチアナに向けて、
「これからタチアナさんに頼れなくなるから、
どうしようかと心配なんですが」
と胸の内を吐露した。それに対しタチアナは、
「あら、レイ君、ここに素敵な人がいるじゃない。
これからは彼女に頼ればいいのよ」
とかすみの肩に手を置いた。
「あー、確かに、これでも少しは
役に立つのかな。はは」
と自虐を込めた笑いを誘ったが、これにかすみは何やらカチンときたようで、
「はー?なんなん、玲、その上から目線は?
あんたの世話をしているのが誰か
分かってますか?」
と何時ものかすみに戻って玲の頬を抓りだした。この光景を見慣れているタチアナは、また始まったわね、とコロコロと笑い声をあげた。もうこの二人のこの姿は見納めかと思うと、笑いの中の目に涙が溜まってきた。
「ほらほら、2人共、そこまでにしてね。
そうしないと、私たち出発できないからね」
と泣き笑いの状態でタチアナは玲とかすみを諭すのだった。
そしていよいよ、出発の時間になった。一同は、タチアナが設置した庭園に隣接する森の中の降霊転移門に向けて歩き出した。帰還組の中には手提げカバンだけの人もいれば、大きなスーツケースを持った人まで、様々な出で立ちで降霊転移門に進んでいく。また、残留組との最後の別れまで話が弾む人もいれば、全く無言のまま歩く人もいたりした。それぞれが、今までの長い年月を噛みしめながら、門に向かって進んでいく。やがて、
「では、皆さん、ここでお別れになります。
長い間お世話になりまして、
有難うございました」
とタチアナがサモナルド流の別れの姿勢で残留組に向けて最後の挨拶をした。帰還組は全員タチアナに倣って同じ恰好で別れを伝えた。そして、先ずタチアナが先頭で降霊転移門に入り、その後帰還組が次々と門の中に入って行った。そして最後の帰還組が入った時、玲は「ちょっと、向こうへ見送りに行ってくるよ」とかすみと残留組に向けて伝えて、彼もそのまま入って行った。その後すぐに、玲が何時もの如く頭だけ出したので、かすみも何時もの如く一発お見舞いした。それから10分程してから、玲はこちらに戻って来た。
「全員、無事にロムリアの
ネオエベレストに降り立ちました」
と玲が残留組に伝えると、全員が一斉に、「よかった」と大声で叫んだ。やはり帰還組がどうなるか心配だったのだろう。その後、玲は残留組に対して、今後の予定と自分が召喚される時に持参するであろうメッセージをどのような形で持っていくかについての話し合いをタチアナの別荘内で行った。ただし、正式な決定には時間がかかりそうなので、この日は簡単に何を持って行けそうかの意見集約だけにして、解散となった。その後、玲はパリ滞在中にお世話になったゲラルド・エクセルガーとロムリアの新社長であるエレナ・ニールバウムと、この別荘のことで話し合いをした。その結果、玲はここの地下室のみを所有することにし、建物と別荘地はロムリアの保養施設として使ってもらうことで合意した。ちなみに、保養施設となると一般人に地下室の存在がバレてしまうと思われるが、それは絶対にない。なぜなら、地下室に行く階段やエレベーターの類が存在せず、完全に地中内で孤立しているからである。タチアナは普段からそこへは転移して向かうため、階段がなくても不便は全くない。玲もしかり。なので、玲としては地下室だけあれば十分なのだった。
タチアナの帰還を無事に見送って、玲とかすみは自宅のある日本に転移していった。こうして、彼らにとってはタチアナのいない日常をこれから送ることになる。
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あるバーで男とマスターが会話をしていた。店内には彼ら以外誰もいない。
「マスター、セラスティナの一行が
先ほどロムリアに帰還しました」
「そうか、監視ご苦労。
これで厄介な存在がいなくなり、
我々の計画も順調に進みそうだな。
ところで、あいつも一緒か?」
「はい」
「しかし、あの男もまさか帰還するとはな。
スパイが居なくなるのは残念だが、
もうその必要もないか」
「はい、確かに。しかし、マスター、
もう一人厄介なのが残っていますが」
「あー、あの日本人か。あの男については、
日本の支部に面倒を見てもらえばいい。
それ位はあいつらでもできるだろう」
「では、そのように伝えておきます」
男はカウンターの上に金を置いて、そのまま立ち去った。




