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第5話

中央平原五大国の一角、プリムラ王国。


その国境付近には、数万の兵がひしめく巨大な軍営が築かれていた。


「・・・・あと一度」


プリムラ王国軍を率いる総大将が、低い声で呟いた。


「あと一度、フェレティア将軍に突撃を仕掛けられれば、我が軍は耐えられんだろうな」


軍議の場に集まった幕僚たちの表情は暗かった。


誰一人として反論しない。


数か月前。


エケベリア帝国は、それまで周辺の小国へ向けていた牙を、ついに中央平原五大国へ向けた。


プリムラ王国へ差し向けられたのは、帝国三軍神の一人。


「剛力無双」のフェレティア将軍。


たかが一人の将軍。


そう侮る者は、今のプリムラ王国軍には一人もいなかった。


国の総力を挙げて集めた軍勢でさえ、フェレティア率いる軍の猛攻を防ぐだけで精一杯だったからである。


「数日前の突撃だけでも、こちらは相当な被害を受けている」


総大将が戦場図を見つめる。


少し前。


フェレティアが一時的に軍を離れたという情報を得たプリムラ王国軍は、好機と判断して攻勢に出た。


実際、それは正しい判断だった。


フェレティア不在の帝国軍は明らかに勢いを失い、あと一歩で陣を崩せるところまで追い詰めた。


だが、その直前、フェレティアが帰還した。


ただ一人の将軍が戻った。


それだけで、帝国軍の空気が一変した。


兵士たちの士気が跳ね上がり、崩れかけていた陣が立て直された。


そして、フェレティア自身を先頭に、凄まじい突撃が始まった。


「・・・・銀の暴風」


幕僚の一人が呟いた。


フェレティアが戦場でそう呼ばれている理由を、プリムラ王国軍は身をもって知った。


銀色の髪をなびかせながら、敵陣を真正面から食い破る。


防陣を厚くしても、兵を重ねても止まらない。


最初は誇張された武勇伝だと思っていた。


だが、違った。


「むしろウワサの方が控えめではないか」


総大将は苦々しく呟いた。


幕僚たちが何も言えず俯く。


もはや勝利を考えている者はいない。


どうやって被害を最小限に抑え、国へ兵を帰還させるか。


軍議の目的は、そこまで後退していた。


「余力のある部隊から順次撤退させよ」


「はっ」


「殿軍は交代制とする。一部隊へ負担を集中させるな」


「承知しました」


総大将は目を閉じた。


悔しい。


何十年と戦場に身を置いてきた。


数え切れないほどの将軍とも戦った。


それでも、目の前のフェレティアという将軍だけは、どうにもならない。


個人の武力。


軍を率いる統率力。


兵士からの信頼。


どれをとっても異常だった。


そして、その怪物じみた将軍を手に入れたエケベリア帝国。


「・・・・運のいい国だ」


そのときだった。


「将軍!!」


軍議用の天幕へ、伝令兵が飛び込んできた。


「緊急の報告です!」


「何事だ!」


幕僚の一人が怒鳴る。


「軍議中であるぞ!」


だが伝令兵は、そんな叱責を気にしている余裕もないらしい。


顔色を変え、肩で息をしている。


総大将の脳裏に嫌な予感が走った。


「まさか、夜襲か?」


フェレティアならやりかねない。


いや、彼女は正面突破を好むと聞いているが、この状況で奇襲を選ばない保証などない。


「違います!」


「では何だ!」


伝令兵は一度息を整えた。


そして、信じがたい報告を口にした。


「敵軍が・・・・撤退を始めています!」


「何?」


「撤退そのものは秩序立っております。ですが、軍全体がひどく動揺しているようで・・・・」


「どういうことだ?」


「指揮官たちは兵をまとめています。しかし、兵士たちが・・・・」


伝令兵自身、信じられないという顔をしていた。


「フェレティア将軍が、突然いなくなったかのような騒ぎになっています」


軍議の場が静まり返った。


「バカな」


総大将は立ち上がる。


「フェレティア将軍に限って、軍を放置するなどあり得ん」


すぐに幕僚たちを連れ、前線が見渡せる場所へ向かった。


そして、自分の目で確かめる。


確かにおかしい。


敵軍は撤退している。


だが、崩れてはいない。


部隊ごとにまとまり、指揮官たちの命令に従って後退している。


撤退命令そのものは、きちんと出されているのだろう。


それなのに明らかに兵士たちが動揺していた。


何度も後ろを振り返る者。


指揮官へ詰め寄る者。


中には泣いている兵士までいる。


「・・・・フェレティア将軍がいないのか?」


総大将が呟いた。


誰も答えられなかった。


実は、少し前に、ベロア公爵領から、一つの知らせがフェレティアのもとへ届いていた。


イエローがベロア公爵家から除籍され、領地を追われた。


その知らせを受けたフェレティアは、すぐに副将へ軍の指揮を引き継いだ。


そして、プリムラ王国への攻勢を中止し、全軍へ撤退を命じた。


そこまでを済ませたうえで、フェレティア自身は、ただ一人、帝都へ向かったのである。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


エケベリア帝国首都。


皇帝のもとへ、緊急の報告が入った。


「報告いたします!」


玉座の前へ駆け込んできた役人が深く頭を下げる。


「フェレティア将軍閣下が、緊急の謁見を希望しております!」


「フェレティアが?」


皇帝が眉をひそめた。


「プリムラ王国との戦場にいるはずではないのか?」


「それが・・・・戦場より急ぎ戻られたとのことで」


嫌な予感がした。


だが断る理由もない。


「通せ」


「はっ!」


ほどなくして大扉が開いた。


フェレティアが入ってくる。


戦場から直接来たのだろう。


鎧を身につけたまま、髪にも土埃が残っている。


それでも姿勢は崩れていない。


ただ、普段の彼女を知る者ならわかった。


怒っている。


かなり。


「皇帝陛下」


フェレティアは礼を取った。


「戦場より直接参りましたこと、お許しくださいませ」


「構わぬ。それほど急ぎの用なのだろう?」


「はい」


「申せ」


フェレティアは顔を上げた。


「私がこのエケベリア王国、のちの帝国へ仕えるようになり、数十年が経ちました」


「・・・・うむ」


「長らくお世話になりました」


皇帝の眉が動く。


「どういう意味だ?」


「本日をもちまして、エケベリア帝国並びにベロア公爵家への奉公を終わらせていただきます」


「・・・・」


皇帝。


宰相。


側近。


その場にいた全員が固まった。


「・・・・何?」


皇帝が聞き返した。


フェレティアは淡々としている。


「ベロア家と結んだ契約では、私たちはいつでも奉公を終えることが認められております」


「それは・・・・」


「契約上、皇帝陛下へ許可をいただく必要もございません」


「待て」


「ですが」


フェレティアが言葉を続ける。


「数十年もの間、お世話になった国へ何の挨拶もなく去るのは、不義理と考えました」


丁寧に頭を下げる。


「これまで、本当にありがとうございました。それでは」


「待て、フェレティア!」


フェレティアは踵を返した。


最後まで礼儀正しく。


「ごきげんよう、皇帝陛下」


謁見の間を出ていった。


「・・・・」


誰も動かなかった。


一瞬。


二瞬。


三瞬。


やがて皇帝が叫んだ。


「どういうことだああああああ!!」


謁見の間が震えた。


「ベロア公爵を呼べ!!今すぐだ!!」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


それから、ほどなくしてベロア公爵が帝都へ到着した。


ほとんど眠っていないのだろう。


目の下には濃い隈。


頬もやつれている。


皇帝や宰相たちも似たようなものだった。



フェレティアが帝国を離れると宣言してから、ほどなくして今度はミレイラが現れた。


彼女のもとにも、イエローがベロア公爵家を追われたという知らせが届いていた。


ミレイラもまた、率いていた軍を副将へ預け、攻勢を中止。


撤退の指示を出したうえで帝都へ戻ってきたのである。


そして、フェレティアとほとんど同じことを告げた。


『長らくお世話になりました』


『本日をもって、ベロア公爵家並びにエケベリア帝国を離れます』


『それでは、ごきげんよう』


それだけだった。


引き止める間すらなかった。


帝国三軍神のうち。


二人が短期間のうちに消えた。


当然、両将軍が率いていた軍は大混乱に陥った。


プリムラ王国方面。


アルメリア王国方面。


両軍とも指揮権そのものは副将へ引き継がれていた。


それでも、軍の中核であり、兵士たちから絶大な信頼を寄せられていた二人が同時に去った影響は大きすぎた。


攻勢どころではない。


両方面とも撤退を余儀なくされた。


エケベリア帝国が進めていた中央平原統一計画は、事実上破綻した。


皇帝は玉座からベロア公爵を睨んだ。


「説明してもらおうか」


「陛下・・・・」


「なぜフェレティアとミレイラが帝国を捨てた?」


「わ、私にも皆目見当がつかないのでございます」


「本当だろうな?」


「はい・・・・」


少なくとも、ベロア公爵がわざと二人を手放したわけではなさそうだった。


そんなことをすれば、最も損をするのはベロア家自身だからだ。


「二人は何と言っていた?」


「契約に従い、ベロア家を離れると・・・・」


「その契約とは何だ?」


皇帝は以前から気になっていた。


フェレティアやミレイラほどの人物が、なぜベロア家に仕え続けるのか。


爵位を与えると言っても断る。


領地を与えると言っても断る。


皇帝直属の家臣になることさえ拒否した。


そこには何か理由があるはずだった。


ベロア公爵が口を開く。


「祖父がまだ伯爵だった頃の話でございます」


「うむ」


「フェレティア将軍たちが、我が家へ仕官を申し出てきました」


「向こうから?」


「はい」


「その代わり、いくつか条件を求められたそうです」


「条件とは?」


「まず、家臣として従うのは軍務、護衛など一定の範囲に限ること」


皇帝は黙って聞く。


「そして」


ベロア公爵の声が小さくなった。


「いつでもベロア家を離れることを認めること」


「・・・・」


「さらに」


「仕える主についても、本人たちの意思で選ぶことを認めること」


「待て」


皇帝が身を乗り出した。


「主を選ぶ?」


「はい」


「ベロア家当主に仕える契約ではないのか?」


「軍務などについては我が家へ仕えることになっております。しかし、誰を自らの主とするかについては、二人の意思に任せる契約でして」


皇帝の顔が険しくなる。


「そして?」


「・・・・十数年前」


ベロア公爵の額に汗が浮かぶ。


「二人より、主を変更する旨を告げられておりました」


「誰にだ」


「それが・・・・」


「誰だと聞いている!」


「イエローという、我が末子にございます!」


「・・・・末子?」


「正妻の子ではございません。庶子・・・・いえ、その・・・・実際には私の血を引いていない可能性もある者でして」


「それで?」


皇帝は嫌な予感を覚えた。


「そのイエローとやらは今どこにいる?」


ベロア公爵が黙った。


「公爵」


「・・・・先日」


「うむ」


「ベロア家より除籍いたしました」


「・・・・」


「そして、領地より追放を・・・・」


しばらく、謁見の間には何の音もしなかった。


皇帝はゆっくりと立ち上がった。


「確認するぞ」


「は、はい」


「フェレティアとミレイラは、そのイエローという少年を自分たちの主としていた」


「はい」


「それを、そなたは知っていた」


「・・・・はい」


「そのうえで」


皇帝の声が低くなる。


「イエローをベロア家から追放したのだな?」


「・・・・はい」


「なぜだ」


「それは、その・・・・」


ベロア公爵は必死に説明した。


イエローは自分の血を引いていない可能性が高い。


母親自身もそう主張していた。


フェレティアたちがイエローを主とする理由は、ベロア家の人間だからだと思った。


ならば、イエローを除籍すれば、二人は再び、ベロア家当主を主とする。


そう考えたのだという。


皇帝は最後まで聞いた。


「・・・・そなた」


「はい」


「自分の家から一人の少年を追い出したつもりだったのであろうな」


「・・・・」


「実際には」


皇帝の目が鋭くなる。


「帝国三軍神のうち二人を、まとめて追い出したのだぞ」


ベロア公爵の顔から血の気が消えた。


「しかも、二人がその少年を主と定めていると知ったうえでだ」


「陛下・・・・」


「よくその判断ができたものだ」


怒鳴られているわけではない。


だからこそ怖かった。


「フェレティアもミレイラも、イエローがベロア家の血を引いているから仕えていたのではない」


今となっては明白だった。


「二人はイエローという少年そのものを選んでいたのだ」


ベロア公爵は俯いた。


何も言えない。


皇帝も深く椅子へ座り込んだ。


終わった。


中央平原統一。


五大国の頂点。


帝国のさらなる拡大。


それらすべてが、一人の少年を追い出したことで、崩れた。


いや、問題はそれだけではない。


これまでエケベリア帝国に屈服させられてきた国々が、この機会を逃すはずがない。


今度は帝国が狙われる側になる。


そのとき。


「陛下」


ベロア公爵が顔を上げた。


なぜか、少しだけ表情が明るくなっている。


「ご安心くださいませ」


「何?」


「確かにフェレティア将軍、ミレイラ将軍は去りました」


「それがどうした」


「ですが」


ベロア公爵が笑った。


「帝国三軍神は、二人ではございません」


皇帝が目を見開いた。


「あっ」


そうだった。


あまりの衝撃に忘れていた。


もう一人まだいる。


帝国三軍神最後の一人。


しかも、フェレティアとミレイラとは違う。


一つの戦場を任される将軍ではない。


帝国軍全体の戦略を担当し、軍の総司令官まで務めている存在。


「剣姫」アマリリス将軍。


現在は、スパティフィラム公国との国境情勢が不穏になったため、現地で砦建設と防衛線の構築を指揮している。


「そうだ・・・・」


皇帝の顔に、わずかに希望が戻った。


「アマリリスがいる」


フェレティアとミレイラの二人を失ったのは痛いが、アマリリスがいれば、帝国そのものを守ることはできる。


まず呼び戻そう。


そして、拡大路線を捨て、防衛中心の戦略へ切り替える。


そうすれば、まだ間に合う。


「すぐにアマリリスへ使者を――」


そのとき。


「報告いたします!!」


謁見の間の扉が勢いよく開いた。


皇帝の身体がびくりと跳ねた。


伝令兵が駆け込んでくる。


「何事だ!」


「アマリリス将軍閣下が、ただいま帝都へご帰還されました!」


「・・・・」


皇帝。


宰相。


ベロア公爵。


三人が固まった。


帰還?


このタイミングで?


「ま、まさか・・・・」


皇帝の顔が引きつった。


嫌な予感しかしない。


いや考えるな。


たまたまだ、きっと。


たまたま帰ってきただけだ。


「至急、皇帝陛下へお目通りを願いたいとのことです!」


「・・・・」


ベロア公爵も青ざめている。


皇帝は天井を見上げた。


そして小さく呟いた。


「同じ理由ではないだろうな?」


帝国三軍神、最後の一人。


「剣姫」アマリリス。


その帰還が、エケベリア帝国にさらなる衝撃をもたらそうとしていた。



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