1.魂の入れ替え
気がつけば学校の屋上に立っていた。フェンスの外側、コンクリートの足場は五十センチあるかないかだ。
あまりに突然過ぎる光景に驚き、体勢を崩してしまう。そこへ強い風が吹き体がよろめき、足場を踏み外してしまう。
「うわっ」
ふわりと浮くように体が傾き落下していく。
咄嗟に腕をぐんと伸ばして、フェンスを掴んだ。ガクンと腕に全体重がのしかかる。
「んぐぐぐっ」
腕と足を使って力を入れて、なんとかコンクリートの足場の上に這い上がることができた。しかし、
「なに、これ? どうしたんだ? 何が起こったんだ?」
下を見ると、四階建ての高さだった。眼下に広がるミニチュアと化した建物や車。
こんな危険極まりない場所にいるなど、自殺行為だ。今、まさに転落して死ぬところだった。
すぐさまフェンスを乗り越え安全な柵の内側へと移動する。そしてバクバク暴れている心臓と呼吸が整うのを待ち、この状況下に置かれた経緯を冷静に思い出していく。
――ほんの数分前。
大場はじめは、横たわったまま白い天井を見るともなしに視界に入れていた。
『余命一ヶ月です』
いつもは優しい主治医の、それを告げる無機質な声とトーンがやけに頭にこびりついた。感情を表に出さず押し殺して告げたのだろう。
親からは一切何も教えてもらう事ができなかったため、自ら頼み込み直接聞かされた事実だった。
覚悟は十分にしていた。なので冷静にそれを受け止めたつもりだった。が、しばらくの虚無感の後、体中の慢性化した強い痛みと共に、目頭が熱くなっていく。顔面が歪んで崩壊していった。
「――っ、何で、何でだよっ」
珍しい病気じゃない。誰もがかかりうる病だ。――それが、まさか自分だとは思いもしなかった。この考えは甘かったとでもいうのか。ただ、ごく普通の高校生として毎日を送り生きていただけだ。
夢も希望もたくさんあった。受験して、大学へ行って、今よりもっと世界を広げていくんだと、そう思えば受験勉強なんて苦にもならなかった。
いつも前向きなのが取り柄だった。
そんな自分が顔を涙で溢れさせている。まさかこんな日が来るとは。家族や友人がこの姿を見れば、驚きで信じられないかもしれない。そのくらい顔をしわくちゃに濡らしていた。
「死にたくない……!」
嗚咽に混じって叫ぶ。そこへだった。
「あらあら、大変ねぇ」
どこからか声がした。てっきり看護師さんかと思ったはじめは、見られても別に構わないと、顔を上げた。
そこには、見知らぬ女性が一人――宙に浮いていた。
いや、涙で視界がぼやけているせだと、ベッドサイドに引っ掛けてあったタオルで涙を拭く。だが、だいぶ泣きはらした後で涙は枯れ果て、それほど濡れてはいなかった。そして、よくよく声の主を見た。
艶のある漆黒の長い髪をサイドで一つに結っている。切れ長の瞳に、口元には赤い口紅を塗っていて、妖艶なオーラを漂わせていた。身に纏っているいるのは白い着物――まるで死に装束のような。
「……あぁ、お迎えが来たのか」
はじめはポツリと。すると、
「いやいや、勘違いしないでちょうだい。って言っても、しちゃうわよねぇ。幽霊と間違えて騒がないだけ、いい子ね」
謎のセクシーな美女は見かけとは違って、喋ると気さくで、親しみを感じさせるだろう。無論、まだ全然親しみを感じる段階ではなかったが。
「……幽霊じゃないのか?」
脚を折り曲げ椅子に座っているような体勢で宙に浮いている女性――足こそあるものの……じゃあ、何だ? と、はじめの疑問を分かり切った風に女性は話し出す。
「幽霊とは少し違うわ。そうねぇ、あの世の使者とでも言っておこうかしら。あとは秘密よ。あ、でもスリーサイズは教えても恥ずかしくないくらい自信あったりして、ふふふ」
どうやら、喋らすと残念なタイプのようだ。が、今のはじめにとってはどうでもいいことだった。
「いまいち理解が追いつかないけど、あの世の使者さんてことで。それで、何の御用ですか?」
「あら、白々しい物言いね。とりあえず、あの世の使者さんなんて、この先ずっと呼びづらいでしょ? 私の名は御加世よ。ちゃん付けでも様付けでも好きに読んでちょうだい。君は大馬はじめちゃんよね。高校二年生の十七歳。セブンティーン! 今が旬ね」
旬って、得体の知れないお姉さんに食べられるのかと、それ以前に何故自分の名前と年齢を知っているのか、はじめは警戒して後退る。
「あぁ、そんな変な人を見る目でドン引きした顔しないでよ。――何で私が君の名前や年齢を知ってるのかって? あの世では、この世に生きる人々のデータが管理されてるのよ。だから、調べさせてもらったわ」
「勝手に? そのデータには、オレがいつ何日に死ぬとか書かれてるのか?」
「勝手ではなく部署にきちんと許可を得ているわ。誰でも見れるように開示はされてないの。……あなたがいつ死ぬかだけど、それはこの世の人には極秘内容で教えられないわ。でも、大体はもう分かってるんじゃないの? 自分の余命。それで、あんなに泣いてたんでしょう? そして――死にたくないって。そう、さっき言ったわよね? そう思ってるのよね?」
「思わないヤツがいんの? 余命宣告されて、喜ぶヤツなんて、オレには想像もつかない」
病院に通っている時点で、病で死にたくないからだ。何を分かり切ったバカな質問をしてくるのかと、はじめはため息をつく。たったそれだけで、この身体はとても疲弊してしまう。もちろん、泣いていたせいもある。泣くのって、こんなにも体力を使うものなのかと、はじめは初めて知る。
「……そう。でもね、この世には病気でもないのに自ら命を絶って死にたいって思う人もいるのよね。――自殺ってやつ。ほら、これを見て」
と、病室内がフッと暗くなったかと思えば、スクリーンのような物が突如現れ、明々とライトで照らし出した。そして、何かの映像が映し出される。
それは、どこかの学校の屋上で、制服を着た少女が一人立っていた。
「この子、今から飛び降り自殺をするところよ」
「え? 飛び降り自殺って……この映像、本物?」
「もちろん、リアルタイムよ。あ、フェンスを飛び越えたわね」
「おい、のん気なこと言ってないで助けなきゃ! これ見てヘーキなのか、あんた? 早くどうにかしなきゃいけないだろっ」
はじめはベッドの上に置いてあるスマホを探して通報しようとする。
「あれ? スマホ、どこいった? くそっ。そこって、どこの建物?」
「助けるって、本気で言ってるの? もう時間が足りないわよ。この子の意志はもう固く決まっているから。ほら、手すり壁から手を離したわ」
「マジっ? どーすんだよっ」
ただ黙って指をくわえ、見ているだけしかできないのか。というか、そんな瞬間なんて直視できない。はじめの顔がサッと青くなっていく。本当に、この少女は本気だ。
「じゃあ、あなたが助けてあげる?」
「は?」
「あなたと、この子の魂を入れ替えましょう。そうすれば、あの子の命は助かるわ」
一体何を言っているのか理解ができなかったが、
「何言ってんのかさっぱりだけど、早くこの子、助けないと。オレにそれができるんなら、する!」
今は考えている間はない、一刻を争う。はじめは何が何だか分からないまま、承諾してしまった。
「――では」
御加世は大きく両手を広げたかと思えば、
「ソウル・チェンジ!」
腕をクロスさせて唱えた。




