愛の鉄槌 ――「至宝」を磨き上げる三人の守護者――
朝陽が差し込む公爵邸のサロン。そこには、普段のエレーナを全力で甘やかす三人の大人が、今まで見せたことのない厳粛な面持ちで並んでいました。
「エレーナ、おいで」
リサーナが優しく、しかし抗いがたい威厳を持って手招きします。
「おばあ様……マギー、クラウス……。みんな、どうしてそんなに怖い顔してるの?」
エレーナが不安げに立ち止まると、クラウスが一歩前に出ました。ヴィンセントに内緒で特製のアイスを運んでくれる、誰よりも優しい「おじいちゃん」のような存在です。
しかし、今日の彼は、震えるほど深く、厳かに一礼しました。
「……お嬢様。本当は、私もこのような真似はしたくないのですが……。貴女様を傷つけるようなことは、万死に値するとすら思っております。……ですが、どうか覚悟してくださいませ。 貴女様がいつか大空へ羽ばたく時、その翼が折れぬよう、今日ばかりはこのクラウス、鬼となって貴女様を磨き上げさせていただきます」
「クラウス……」
隣では、いつもエレーナの泥だらけの服を「元気な証拠ですわ」と笑って洗ってくれるマギーが、コルセットを手に静かに頷きました。
「お嬢様。貴女様のその野生の強さは、私共の誇り。ですが、それを『気品』という鞘に収める術を、どうか今日一日で学んでいただきたいのです。……さあ、痛くはしませんから、背中をお貸しなさいな」
特訓は、マギーによる着付けから始まりました。
「う、苦しい……マギー、ちょっとだけ緩めて?」
「……いけません、お嬢様」
マギーは胸が締め付けられる思いを堪え、心を無にしてコルセットの紐を引きました。
(ああ、お嬢様の柔らかなお体に、このような硬いものを強いるなんて……!)と心の中で泣きながらも、指先は決して緩みません。
リサーナも、扇子で顔を隠しながら、心の中で必死にエレーナを応援していました。
(頑張って、エレーナ! 貴女ならできるわ! でも、そんなに苦しそうな顔をされると、おばあ様まで泣けてきちゃう……!)
クラウスによる歩行の訓練が始まりました。
「お嬢様。……歩くときは、心に一輪の百合を咲かせるのです。戦場を駆ける風ではなく、春の陽光を運ぶそよ風のように」
エレーナは必死に歩きます。しかし、一歩踏み出すごとに、かつてフェイたちと戦った記憶が体を動かしてしまいます。
「……お嬢様。今、左側にいたバッシュ殿の気配に反応して、肩がわずかに上がりましたね」
クラウスの指摘は鋭いものでした。
「だって、バッシュがそこで石を投げる構えをしてる気がしたんだもん!」
「……ええ、わかっております。貴女様がどれほど努力して、その鋭敏な感覚を身につけたかを。ですが、今はその力を、すべて『優雅さ』という名の内側に閉じ込めるのです」
クラウスは、エレーナの額に滲む汗をハンカチで優しく拭いながら、囁きました。
「貴女様なら、この程度の『呪縛』、遊びのように乗り越えられるはず。……そうでございましょう?」
その言葉に、エレーナの瞳に「戦士」としての負けん気が宿りました。
「……うん。わかった。私、やるよ!」
午後のカーテシー(会釈)の練習。
疲れが見え始めたエレーナに対し、リサーナがそっと声をかけました。
「エレーナ。……貴女のその強い体は、皆に守られるためのものではなく、貴女自身が誇り高く立つためのものよ。おばあ様はね、貴女がドレスを翻して戦場を舞う姿すら、本当は美しいと思っているわ。でも……」
リサーナはエレーナの頬を撫でました。
「敵を倒す力だけではなく、敵を『魅了し、ひれ伏させる』気品を身につけなさい。そうすれば、世界中の誰もお前に指一本触れることなどできないわ」
その言葉を受けたエレーナが、ゆっくりと膝を折りました。
庭から響くジュリアン兄様の剣撃音。反射的に筋肉が強張ろうとするのを、エレーナは「愛する人たちを安心させるため」の意志でねじ伏せました。
ふわり。
ドレスが円を描いて広がり、エレーナの首筋が白鳥のようにしなやかに曲がりました。
殺気も、警戒も、すべてを飲み込んだ、静かな、しかし圧倒的な「気品」。
「…………素晴らしい」
クラウスの声が、わずかに震えました。マギーはハンカチで目元を拭い、リサーナは満面の笑みで拍手を送りました。
夕暮れ時。特訓を終え、疲れ果ててソファに倒れ込んだエレーナ。
そこには、もう「処刑人」の姿はありませんでした。
「お嬢様。よく頑張られましたね。今夜は、ヴィンセント様に内緒で、とびきり甘いココアを用意いたしましたよ」
クラウスが、かつてのように慈愛に満ちた笑顔でカップを運びます。
「エレーナ。明日はもう少し、おばあ様と楽しくお喋りしましょうね。今日の貴女は、世界で一番綺麗なロズレイドの至宝だったわ」
リサーナがエレーナの髪を撫で、マギーはエレーナの足を優しくマッサージしながら、「明日はもっと楽なコルセットにしましょうね」と微笑みました。
ロズレイド公爵邸。
厳しさの裏にある無償の愛に包まれて、エレーナは少しずつ、しかし確実に「最強の淑女」へと進化していくのでした。




