20 ライバル
翌日からは803号室での暇つぶしをやめて、いつ来るやもしれぬ侵入者を待ち構えることにした。
夕方になり、桃子はシンさんと再放送のドラマを観に、803号室へ行ってしまった。
ソファで横になったり歌ったりして過ごし、手持ち無沙汰にも限界を感じはじめた頃、ようやく外が暗くなりはじめた。
八時を過ぎた。
いつもなら麗奈は帰っているころだが、麗奈だけではなく、桃子やシンさんも戻ってこない。
暗く静かな部屋の中、突然、世界から切り離されたような感覚に襲われ、たまらず外廊下へ出た。
エレベーターに顔を向けると、ちょうどサラリーマンが飛び降りるところに鉢合わせた。
何度見ても見慣れることはなく、毎度、肩が縮みあがる。
一分もしないうちにエレベーターの音がして耳を澄ましていると、8階で止まった。自殺男があがってきたのだろうと予想していたが、姿を現したのは麗奈だった。
急いでいるのか、肩を上下させ、息を荒くしている。
麗奈の後ろに、誰かがいるのが見えて、肩越しに後ろをのぞいた。
自殺男だった。
男はなぜか飛び降りずに、麗奈の後をついて歩いている。
麗奈は、バッグに手を入れて、せわしなく中を探っていた。
落ち着かない様子で鍵を取り出し、一度鍵穴に入れ損ねて床に落とした。顔色が悪く、汗ばんでいる。
具合が悪そうだ。
拾いあげた鍵で開錠し、慌てて中に入っていった。
すると、男も麗奈の背中にピタりと身体をつけて、一緒に入った。
その時、はじめて男の後ろ姿が見えた。
後頭部に、中身をくりぬかれたような大きな穴が開いている。背面は、頭から足まで全て赤黒く染まっていた。
足が竦んで数秒間動けなかったが、中で男と二人きりの麗奈が心配になり、扉を突き破る勢いで中に入った。
麗奈はキッチンにいた。
冷蔵庫を開けたまま、水の入った2リットルのペットボトルに直接口をつけて、喉をごくごくと鳴らしている。
ペットボトルを口から離して激しく咳き込んだ。
その後、一分ほどシンクのヘリに手をついて荒い息をつき、最後に大きく息を吐いた後キッチンを出た。
リビングに入り、リモコンでクーラーをつけ、白シャツのボタンを外しはじめる。
反射的に麗奈の胸元から目をそらしたが、抗えず、視線はすぐに胸元へと引き戻された。
上半身ブラジャーだけになった麗奈は、背中のホックを外しながら洗面所へ移動した。高志は操られるように麗奈の後ろを歩きながら、ふと、先ほどの自殺男を思い出した。
そういえば、あいつはどこにいった?
急いでリビングに戻り、辺りを見渡したが、何かがいる気配はない。出て行ったのだろうか。
それとも、まさか!
一糸まとわぬ姿の麗奈を思い、一目散に洗面所へと走った。
洗面所の扉から顔をのぞかせると、裸の麗奈が髪の毛を頭の上で束ねている最中だった。
「おっと、ごめん」
謝りつつ、裸を二度見してから、再び男を探した。
洗面所と浴室を素早く見回したが、どこにもいない。
浴槽のフタに顔を突っ込んで中を見たが、誰もいない。
どこに消えた?
そもそもあいつは、なぜこの部屋に入った?
男の不可解な行動を疑問に思いながら、もう一度だけ麗奈の裸に目をやり、洗面所を後にした。
シャワー音を背にして、洗面所の前で見張っていると、インターホンが鳴った。
誰だろう。
今は、八時半を回った頃か。
高志は玄関に行き、扉から顔をだした。そこには、細身のスーツを着た男が、扉に耳を当てて立っていた。
なにこいつ。
男には見覚えがあり、数秒後、不動産屋の江崎だと気がついた。
突然、上方から、ゴーっというガス給湯器の運転音が聞こえた。
麗奈はシャワーを浴びていて、おそらくインターホンには気づいていない。江崎も同じことを思ったのか、扉の左上を見上げている。
すると江崎はポケットに手を入れ、抜き出した手でドアノブに触れた。そして、ゾッとする音がした。
ガッ……チャ。
マスターキーだとピンときた。
シャワー中に侵入するつもりか? 職権乱用もいいとこだ。怒りが込み上げ、江崎の耳もとに怒鳴りつけた。
「おまえ、何してるんだよ!」
当然、動きは止まらない。
江崎は、静かに扉を引いて玄関に入り、下駄箱の上に手を伸ばした。
障子を開けたような短い音がして、その後、コトン、と音がした。
後ろから覗き込んだが、下駄箱の上には特に何も見当たらない。三段ボックスに何かを入れたらしい。
江崎は立ったまま、スーツの胸ポケットに手を入れた。
抜き出した手にはスマホがあり、江崎と共にディスプレイを覗き見ると「かっぱ」の着信表示が見えた。
江崎は、麗奈のいる洗面所を一瞥してから外廊下に戻り、スマホを耳に当てた。
「部長、お疲れ様です。そのクレームの件は大家さんに連絡しました。はい、社に戻ってからご報告しようと思っていたのですが」
電話口に手をそえて、小声で話している。
「えっ、すみません。 すぐに戻ります。はい、承知しました」
どこか慌てた様子で応えながら、エレベーターへと走りだした。
「おいっ! 鍵しめてけ」
追いかけて声を掛けたが、江崎は行ってしまった。
以前、麗奈は江崎のことを「部屋探しが切っ掛けで知り合った」と言っていた。元々の友人関係ではない。
部屋の空き情報を優先的に得る為、初見からお色気攻撃で迫ったであろうことは想像に難くない。
そうした態度が誘惑と勘違いされることもあるだろう。
だとしても、一人暮らしの女の部屋に勝手に入るなんて異常だ。
タオルを巻いただけの麗奈と鉢合わせしていたらと思うとぞっとする。
それだけではない。
江崎は、玄関に何かを忍ばせた。
何を置いたのか考えた瞬間、トイレの小型カメラが浮かんだ。
奴が――盗撮魔か。
マスターキーを自由に使えるあいつなら、カメラの設置など造作もない。
いてもたってもいられず、倫太郎の部屋に急いだ。
飛び込んだ部屋は、もぬけの空だった。
夜行性のひきこもりやろう。夜な夜などこをほっつき歩いていやがる。
無人の部屋に、強く息を吐いた。
江崎の電話応対からして、すぐにこの場に戻ってはこないだろと推測できる。
だが、再訪問の危険を考えて、麗奈にドアチェーンをかけてもらいたい。
倫太郎にピンポンダッシュでもしてもらえば、気味悪がってチェーンをかけるはずだ。
真っ暗な部屋の中央に胡坐で座り、膝を上下に揺らして倫太郎の帰りを待った。




