消えた記憶と愛する人の嘘 10
誰かと話したい――
たったそれだけのことが、今は叶わないほど遠いものに思えた。
孤独感が、静かに胸の奥で広がっていく。
時間がしばらく経ち、病室の扉が静かに開いた。
入ってきたのは担当医だった。
「高木さん、調子はどうですか?」
「……まあ、特に変わりはないです。」
医師はベッド脇のモニターを確認しながら、淡々とした口調で頷いた。
「そうですね。検査結果も安定していますし、身体の回復自体は順調ですよ。」
「そうですか……」
当たり障りのない会話。
だが、それだけでは済ませたくなかった。
「先生……退院って、早めることはできませんか?」
思い切って尋ねてみた。
この何もすることのない、ただ時間が過ぎるのを待つだけの状況に、俺はすでに耐えられそうになかった。
だが――
「申し訳ありませんが、あと一週間はこのまま入院していただきます。」
淡々とした声で、医師は告げた。
「今はまだ経過観察が必要ですし、記憶の回復にも時間がかかる可能性があります。焦る気持ちは分かりますが、今は安静にすることが大切です。」
「……そう、ですよね。」
期待はしていなかった。
それでも、少しは希望を持っていたのかもしれない。
結果は分かっていたのに、やはり答えを聞いた途端に肩が重くなる。
あと一週間、この病室の中で、何も思い出せないまま過ごさなければならない。
何をして過ごせばいいのか。
何を考えればいいのか。
この曖昧で、どこにも繋がらない時間を、どうやって耐えればいいのか。
「……はぁ。」
小さく息を吐くと、担当医は少し申し訳なさそうに表情を和らげた。
「焦らずにいきましょう。記憶の回復は人それぞれです。急に思い出すこともあれば、少しずつ戻ることもありますから。」
「……はい。」
そう返すしかなかった。
医師は軽く頷くと、ナースと数点の確認を終え、病室を後にした。
また静寂が戻る。