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セカンドハネムーン 後編

 シーズンオフの浜通りは寂れている。建物としては小さな土産物屋が立ち並んではいるのだが、その大半は看板を下ろして空き家のような風情である。

 それでも何軒かは土産と食事処を兼ねた店が開いていて、ヤヲとミョネはそのうちの一軒にふらりと立ち寄った。

 店の奥からは、ひどく愛想のいい馬魚ケルピーのおばさんが出てくる。

「いらっしゃい、お食事ですか?」

「ええ、少し小腹を満たすものを……」

「じゃあ、こちらへどうぞ」

 通された食事スペースは、粗末な木の机といすが並べられただけの簡易なもので、もちろん、ほかに客はいなかった。だが、窓から見えるシーサイドビューだけは見事なものである。

「こうやって見ると、冬の海っていうのも風情がありますね」

 誰もいない、ただ白いだけの砂浜が眼前に長々と横たわる。その向こうにはさらに広く水平線が横たわり、冬空の灰色に染まった海をきっちりと抑え込んでいる。そんな風景の端に薄墨で描きこんだように遠く、海に張り出した崖とその上に生えるさみしそうな松影が見えるのもまた風情。

 水墨画のような光景に二人が見とれていると、ケルピーがお茶とおしぼりを乗せた盆を持ってやってきた。

「さて、ご注文はどうします? と言ってもねえ、この季節じゃあ、大したものは置いてませんけどね」

 壁を見れば、シーズン中であればすべて表を向いて下がっているであろう木札のお品書きのほとんどが裏返されている。

 ヤヲは困り切っておばちゃんに尋ねた。

「逆に、何ならあるんですか?」

「そうだねえ、焼きそばと、ラムネと……あ、今日は水揚げされたばかりのニウィがあるよ、冬のニウィは身が締まってて、良ければ鍋にして出してあげるよ」

「それ、良いですね、いかにも海っぽい」

「ニウィはこの辺じゃあ子授けの魚だと言われててねえ……今夜、子作りハッスルしちゃうんだろう?食べておくといいよ」

「こっ! 子作りなんて!」

 今日は一番忘れようとしている言葉だ。

 ヤヲは妻のことを真実愛しているからこそ、子供などできなくても構わないと思っている。それはまあ、欲しくないわけではないが……それでミョネが悲しい顔をするくらいなら、子供ができるのできないのといった話題など忌避したいと思っているのだ。

 案の定、ミョネが少し沈んだ声でつぶやいた。

「子授け……」

 ヤヲが慌てて立ち上がる。

「ああっと! そういえば宿で食事が用意されるの、忘れていました! おばさん、ごめんなさい」

 ミョネの手を引いて売店へ向かう。さすがに何も食べず、何も買わずでは申し訳ないと思ったわけだ。

 ところが、売店に並んだものを見て、ヤヲは驚きの声をあげた。

「な、なんじゃこりゃあああああああ!」

 売店にずらっと並んだのは透明な袋をかけた棒付きの飴である。それだけならば町の菓子屋にでもあるようなものだが、何しろこの飴、男性のナニの形をしている上に、袋にはでかでかと『子授け飴』の文字が。

 ふと、博識なスライムの声が、ヤヲの脳裏に響いた。


 ――いいか、ヤヲ、男のナニってのは民間信仰の中じゃ多産とか五穀豊穣のシンボルとして使われることが多い。だって考えても見ろよ、こう、タネをまくわけで……


「そういうことじゃないですぅ!」

 ヤヲはさらに入り口に向かってミョネの手を引く。

「お守りとか、キーホルダーにしましょう。海沿いだから、きっと貝殻のキーホルダーとか……」

 もちろん、あった。壁の一角に吊るされて、そこを埋め尽くすほどぎっしりと。

 ヤヲは二枚貝に穴をあけて作ったかわいらしいモノを一つ手にとる。と、これにも小さな『子授け祈願』の札が下がっていて……

「なんでなんですかっ!」


 ――そりゃあ、貝ってさ、女のアレの隠語じゃねえか……


「そうじゃなくて、なんで子授け推しなんですか!」

 これに答えたのは幻聴の中のスライムではなく、店主のケルピーだった。

「そりゃああんた、『子授けさま』があるからさ」

「子授けさま?」

「ああ、あそこの崖の上に大昔から立ってる小さな祠があってね、夫婦和合と子授けに効果があるっていうんで、けっこうお参りに来る人も多いんだよ」

「私は、そういう迷信の類は嫌いですけどね!」

 しかし、ミョネはそうではないようだ。

「子授けさま……?」

「ああ、特に夜遅く、夫婦そろってお参りするのが効果的だよ。つまり、ナニをする前さね」

「ナニ……?」

 ヤヲが大きい声でそれを遮る。

「いいから! そういうのいいですから! おばさん、お話聞かせてもらったので、チップです。ね、これで」

 ミョネの手を取ったヤヲは、ケルピーの前にいくばくかの小銭を置くと、その店を後にしたのだった。


 さて、宿で二人を出迎えたのは、ロビーに置かれた大きな『子授けさま』の像だった。これはシヤジンの観光課が町おこしのために作ったゆるキャラで、可愛らしい子供の姿をしているのだが……その手にしっかり『子授け飴』を握っている。

「これ! これ、いいんですか、モザイクとかかけないで!」

 フロント係の男が笑う。

「別にナニを握ってるわけじゃなくて、飴を握ってるだけだからいいでしょう」

「そういう問題……」

「おっと、お客さん、それより、うちの温泉の効能はご存じで? うちは海に近いから程よく海のミネラルを含んで温熱効果が高いんですよ。ですから、あったまりすぎないのがおすすめですよ、なにしろ、アレの最中にのぼせちゃあ、ねえ……」

 意味ありげな含み笑いを見て、ヤヲは激高した。

「帰る! 帰りましょう、ミョネ! どいつもこいつもバカみたいに子作り子作りって……」

「ヤヲ、ねえ、ヤヲ」

「子供ができないことのどこが悪いっていうんですか! 子供がいなくったって、私たちは十分幸せだし……」

「ヤヲ!」

 大声で叫んで、ミョネはヤヲの手を強く引く。

「とりあえず、部屋へ行こう、話はそれから」

「でも……」

「でもじゃないよ、フロントさんが困ってるじゃないか」

 ハッと振り向いてみれば、男はぽかんと口を開けて立ち尽くしてしまっている。ヤヲはバツが悪いような気分になって、フロントの男から鍵をひったくるようにして部屋へと向かったのであった。


 部屋のドアを閉めるとまず、ミョネが静かにヤヲに身を摺り寄せた。

「どうだい、落ち着いた?」

「ええ、少し……」

「ねえ、ヤヲはいつもボクのことを気遣ってばっかりだけどさあ、子供の話をするとき、自分がどんな顔してるか、気づいてないの?」

「私の顔ですか……?」

 ヤヲは戸惑って自分の顔を撫でまわす。眉間を触った指の先に、深い皺を感じた。

「私は……」

 本音を言えば、ヤヲだって子供は欲しい。血のつながった妹たちの世話をして、そのうえ主であるユリまで本当の妹のようにかわいがって育ててきた彼は、生粋の子供好きであるのだから。自分の庇護を受けていた小さな存在が、やがて自分の手元を旅立てるようになるまで、それまでの成長を見守る喜びを、ヤヲは誰よりも良く知っている。だからこそ、それが我が子であればどれほど愛しいだろうかと、狂おしいほどに願っているのはヤヲの方なのだ。

 だから、その気持ちがポロリとこぼれた。

「子供……欲しいです」

 ミョネは優しく微笑んだ。

「うん、ボクも欲しい」

「でも、それを言うと、あなたは悲しい顔をするでしょう?」

「ああ、うん、そこはボクも反省するべきなんだろうけど……」

 ミョネはすっと身を起こし、窓辺に歩み寄った。窓からは遠くまで広がる海の光景と、そこに『子授けさま』の立つ崖が見える。

 呼吸が窓を白く曇らせるほど深いため息をついて、ミョネはつぶやいた。

「ボクが本当に悲しくなるのは、ヤヲがそういう顔をするから、なんだよ」

「そういう?」

「ボクの気持ちばっかり優先にして、本音を飲み込んだ苦しそうな顔」

「そんな顔、してましたか?」

「うん、してた」

「そうですか、していましたか」

 ヤヲも、ミョネの隣に並び立つ。片手はそっと妻の肩に添えて。

「きれいな海ですね」

「うん、すごくきれい」

 潮騒だけが響く部屋の中で、二人は黙って海を眺めていた。

 やがて、ヤヲが口を開く。

「私は、あなたとケンカにならないように、そればっかり考えていた気がします」

 ミョネが、ふっと肩を落として答える。

「ボクも」

「私たちは、少しケンカをした方がいいのかもしれませんね」

「うん、ケンカするほど仲がいいっていう、あれだね」

「ああ、でも、これだけは言えます。私は……どれほどケンカしようとも、絶対にあなたのことを嫌いになったりなどできない」

「奇遇だね、ボクもだよ」

 二人、顔を見合わせてふふっと笑いをかわす。

「さて、最初のケンカなんですが、私はあの『子授けさま』にお参りして来ようかと思うのですが」

「ああ、じゃあ、ケンカにならないや。ボクもちょうど今、それを言おうと思ってたんだよ」

「なんの、私なんか、さっきのお土産屋さんに行って、子授けのお守りまで買っちゃおうと思ってるんですからね!」

「へえ、じゃあボクは、子授け飴を買っちゃうね!」

 言い争いながら、二人はそっと身を寄せ合う。その両手はそっと重なり、そして、お互いを求めるように指先が絡んだ。


 セカンドハネムーン――きっと二人の、本当の夫婦生活はここから始まる……。




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