第八話 二つ目の鍵
認定式から半年後、青鈴草薬店の裏戸は、施療院へ続く薬草園の門になっていた。
朝の土は白く乾き、靴底で軽い音を立てる。その土に並ぶうねの間を、クララは発送用の木箱を抱えて歩いていた。
箱の中には、熱さまし、咳止め、子供用の苦みを抑えた胃薬が、村ごとの数に分けて納められている。包みの表に刷られたのは、青鈴草薬店と、クラ・エーレンの名。
三日後には北の山村へ、七日後には川沿いの町へ届く。土地の水に合わせた飲み方と、買い続けられる価格も添えた。
名の入った薬が、クララの知らない景色の中で誰かの熱を下げる。それは責任であり、他人の人生へ踏み込まずに渡せる親切でもあった。
「エーレン店主、荷票の確認をお願いします」
施療院の若い薬師が、筆記板を持って駆けてくる。
クララは箱を作業台へ下ろし、荷票を一枚ずつ見た。薬の数、価格、配送路。最後に自分の名を読んで、羽ペンを握る。
「問題ありません。こちらは山村の便に載せてください」
署名した紙を返すと、若い薬師は箱の持ち手を取った。クララはまかせ、次の仕事へ向かう。一人ですべてを支えなくても、店と薬草園は動いていく。
店へ戻ると、帳場の木皿に手紙が一通置かれていた。
見覚えのない茶色の封筒で、封蝋に家紋はない。表には、歌声を教える小さな学校の住所と、リヴィアの名があった。
クララは封を開く。
紙の冒頭に、返事は要りませんと書かれていた。
リヴィアは薬師組合だけでなく、かつて虚言を伝えたすべての人へ訂正文を送ったという。今は少女たちに声楽を教え、一時間ごとに自分の技術で報酬を得ている。
あなたを負かすことで、私は選ばれた人間になれると思っていました。
その一文の後に、ただ、間違っていましたと続いている。
許してほしいとも、会ってほしいとも書かれていなかった。紙の最後にあるのは、傷つけたことへの謝罪と、二度とクララの名を自分の価値のために使わないという約束だけだった。
クララはその手紙を二度読まず、店の記録箱に収めた。訂正が完了したことは記録する。けれど、リヴィアがこれから選ぶ暮らしは、クララが見届けるものではない。
返事を書かないことも、相手の求めを守る一つの受け取り方だった。
昼前、薬師組合の使いが公報を届けた。
薬草の輸送路に関わる領主の確認欄に、ギルベルト・アウスターの署名があった。彼は家督を保ち、領地の仕事を続けている。祝宴で名を傷つけた人々とは、仲介を立てずに自分で面会し、謝罪と賠償を進めていると注記されていた。
クララが知ったのは、それだけである。
夜の食卓が満たされているか、謝罪を受け入れる人がいたか、孤独に何を思うか。それらは公報に書かれず、クララも尋ねない。
彼の寂しさは、もうクララの夜を使う理由ではなかった。自分の名で行ったことを、自分の名で引き受けている。その事実だけで十分だった。
公報を畳んだ頃、開け放した裏戸からフェリクスが顔を出した。
「クラさん、青鈴草の診察をお願いします」
「病人ですか」
「水を欲しがらない患者です。私としては、あまりに健康なので困っています」
クララは彼と並んで薬草園へ出た。
青鈴草は、乾いたうねのあちこちに群れている。どこも花盛りである。紫青の小さな花が、朝の乾いた風に揺れた。店先の小さな鉢に一株だけあった時より、葉は厚く、茎はしなやかである。
水を与えすぎれば、根が呼吸できなくなる。薬店と施療院の両方から人が来る薬草園だからこそ、水やりの日を分け、与えない日を守っていた。
その距離が、一株ではなく、一面の花を育てている。
クララは土へ指を差し入れた。表面は乾いているが、指一節ほどの深さには、植物が必要とする湿り気が残っている。
「問題ありません。今日も水は与えないでください」
「薬師の診断に従います」
フェリクスはその場にしゃがまず、花に触れもしなかった。植え替える時でさえ、彼はクララに根へ触れてよいかと尋ねる。
店の奥と他人の人生は、入るべきだと思った人が勝手に入ってよい場所ではない。彼の親切は、その境界の前でいつも足を止めた。
二人は園の中央まで歩いた。左に行けば薬店、右に行けば施療院。真ん中の小道は、古い空き家の前へ続いている。
空き家は大きくない。台所と食堂のほかに、日が入る二つの作業室がある。裏口から薬草園へ出られる家だった。
半年間、フェリクスはその家を話題にしなかった。建物の持ち主と薬草園の土地を借りる話をした時も、空き家を二人の未来と結びつけてはいない。
その日、彼は初めて閉じた雨戸へ目を向けた。
「土地を共に育てることができたので、次は家のことをお尋ねしてもいいでしょうか」
「はい」
クララはすぐに答えた。許可を尋ねられた後で、「どちらでも」と逃げる必要はなかった。
フェリクスは一度息を吸い、三つの道を指で示す。
「隣に住む、別々に暮らす、同じ家へ帰る。クララさんが選ぶまで、どれも同じだけ大切にします」
一つ目は、空き家の隣にある小屋を住まいにする案。二つ目は、今のそれぞれの部屋から薬草園へ通う案。三つ目が、空き家の同じ扉を開けて帰る案だった。
道は三つ。どれを選んでも、フェリクスは自分の愛情の量を変えないという。
クララは空き家の窓を見た。
一つの作業室には、薬草の標本棚を置ける。もう一つには、フェリクスが夜に読む医書と、彼が自分で整理する記録を置く。台所の薬缶と茶葉は分け、食堂のテーブルは一つでよい。
フェリクスが辛いものを食べたい日、クララは自分のスープまで同じ味にしなくていい。クララが静かにしたい夜、彼はその沈黙を不安の穴埋めに使わない。
弱音を言う夜があっても、二人は相手に答えを作らせない。ただ聞いてほしいのか、手を借りたいのか、一人にしてほしいのかを言葉にする。
そんな暮らしを、クララはすでに思い描けていた。
それは薬草園で植え方を選ぶような、安全な想像だった。根が広がる場所を予め決めず、芽が向く光を見て、必要な広さを残す。
答えを保留しても、彼は待つだろう。クララはそれを知っている。
だからこそ、待てる人に甘えて、自分の望みを隠すことはしなかった。
クララは手袋を外した。土の粒がついた指を、フェリクスのほうへ差し出す。
彼はすぐに取らず、クララの顔を見た。手に触れてもいいのか、それさえ確かめている。
クララがうなずくと、フェリクスはその手を両手で包んだ。
「今度は、私があなたと帰る家を選びたいのです」
フェリクスは、すぐに笑わなかった。クララの言葉を聞き間違えないように、一度目を閉じる。
それから、彼は薬草園の朝よりも柔らかい顔になった。
「はい。私も、クラさんとその家へ帰りたい」
二人は手をつないだまま、空き家の前まで歩いた。
雨戸の間から細い光が入り、二つの作業室を分ける壁を照らしている。玄関の鍵はまだ建物の持ち主が持っており、二人は勝手に中へ入らない。
「手続きが済んだら、家の鍵を渡してくれるそうです」
フェリクスの説明に、クララは首を横に振った。
「その鍵は、家の中に保管しましょう」
「では、普段使う分は」
「私が注文します」
その返事を口にした時、クララの掌に、三年前の冷たい鍵の感触が戻った。
あの鍵は、当主の妻として家を守るために渡されたものだった。クララの望みを尋ねる前に掌へ置かれ、三年前、その義務とともに返している。
今度の鍵は、誰かが決めた役目の証ではない。クララが帰りたい家のために、クララの意思で作るものだ。
店の昼休みになると、二人は町の鍵屋へ向かった。
鍵屋の店先には、大きさも飾りも異なる見本が並んでいた。クララは華やかな紋様のものではなく、指が冷えた朝でも握りやすい、丸い持ち手の鍵を選んだ。
「この形でしたら、今日中に二本作れます」
店主の言葉に、フェリクスはクララを見る。その視線は、最後の確認をするように静かだった。
クララは自分の財布を開き、二本分の代金を数えた。
一本は自分が持つ。もう一本は、フェリクスが仕事から帰る時に使う。どちらが家を守る鍵でも、どちらが予備でもない。同じ扉を、それぞれの手で開けるための鍵だった。
青鈴草の香りを含んだ風が、開いた店戸から入ってくる。クララは注文書の依頼人欄に、ゆっくりと自分の名を書いた。
クララは新しい家の鍵を、自分の手で二つ注文した。




