ファン第一号
まだ、何者でもなかった頃の話だ。
高校帰り、俺はいつものように駅前のライブハウスへ向かっていた。
雨上がりの夜だった。
濡れた道路がネオンを反射して、街全体がぼんやり光って見える。
イヤホンから流れるアイドルソングを聞きながら、地下へ続く階段を降りる。
あの頃の俺は、毎日が必死だった。
正式デビュー前。
バックダンサー。
小さいイベント。
先輩グループの前座。
そんな仕事ばかりだったけど、それでも楽しかった。
ステージへ立てるだけで嬉しかったから。
「蓮!」
階段を降りた瞬間、聞き慣れた声が飛んできた。
振り返ると、女が手を振っている。
昔から変わらない顔。
少し明るい髪。
人懐っこい笑い方。
「……なんでいるんだよ」
そう言うと、女は呆れたように笑った。
「何その反応」
「来るって聞いてねぇ」
「だってサプライズだもん」
そう言いながら自然に隣へ来る。
その距離感が当たり前だった。
こいつとは幼馴染だった。
小さい頃からずっと一緒。
家も近くて、家族同士も仲が良かった。
向こうの家で晩飯を食べることもあったし、逆にこっちへ泊まりに来ることもあった。
母親同士も仲が良くて、周りからは「兄妹みたい」って言われていたくらいだ。
だから、俺の中でこいつは特別だった。
恋愛とかじゃない。
もっと手前。
家族に近い感覚。
裏切るなんて発想すら浮かばないくらい、当たり前に信じていた。
「今日もバック?」
「まあ」
「絶対そのうち前立つよ、蓮」
女は迷いなくそう言う。
その言葉が嬉しかった。
あの頃の俺にとって、“信じてもらえる”ってかなり大きかったから。
アイドルになるなんて、周りからしたら夢みたいな話だ。
実際、笑われることも多かった。
でも、こいつだけは昔から当たり前みたいに「蓮ならいける」って言っていた。
だから俺も、自分を信じられた。
ライブ後。
狭い物販スペースには、まだ人も少なかった。
有名グループなら列ができる場所も、俺たちみたいな下積みには関係ない。
それでも、女は毎回当たり前みたいに来ていた。
「お疲れ」
そう言いながらペットボトルを渡してくる。
「……ありがと」
「今日よかったじゃん」
「バックだけどな」
「でも目立ってた」
さらっと言う。
俺は苦笑しながら水を開けた。
こういう何気ない会話が、昔から変わらなかった。
学校帰りも。
コンビニ前も。
ライブ後も。
ずっと。
「てかさー」
女がスマホを見ながら口を開く。
「今日来てた○○くん、やばくなかった?」
先輩グループの人気メンバーの名前。
俺は少し笑う。
「お前ほんとアイドル好きだな」
「だってかっこいいじゃん」
「ミーハー」
「えー。でも蓮もそのうち人気出るって」
そう言って笑う。
その時の俺は、本当に疑わなかった。
こいつは俺の味方なんだと思っていた。
ライブへ来てくれるのも。
SNSを拡散してくれるのも。
“ファン一号”って笑うのも。
全部。
だから俺も頑張れた。
もっと上へ行きたいと思えた。
帰り道。
コンビニ前で二人並んでジュースを飲む。
夜風が少し冷たかった。
「蓮」
「ん?」
「絶対有名になってよ」
女が笑いながら言う。
「そしたら自慢できるし」
「何それ」
「幼馴染なんですーって」
ふざけた調子。
でも、俺は少し笑ってしまう。
昔からそうだった。
こいつがいると、自然と肩の力が抜けた。
家族みたいな存在だった。
だから。
疑うことなんて、一度もなかった。
この頃の俺はまだ知らなかった。
アイドルという職業の残酷さを。




