表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイドルシグナル  作者: ぽんず
もう一度だけ
20/24

アイドルの休日

地下アイドルに“休日”なんてものはあまりない。


ライブ。

レッスン。

配信。

打ち合わせ。


予定が空いていても、結局SNSを更新したり、振り入れを確認したりして終わることが多い。


だから今日みたいに、本当に何も予定がない日は珍しかった。


昼過ぎ。


俺は家でぼんやりソファに寝転がりながら、天井を見ていた。


静かだった。


煙草をやめてから、こういう時間が少し増えた気がする。


前なら暇さえあれば外へ出て煙草を吸っていたから、部屋で何もしない時間にまだ慣れない。


その時、スマホが震えた。


《湊》


嫌な予感。


開く。


『今日ほんとにオフですよね!?』


何だその確認。


『そうだけど』


既読。


数秒後。


『じゃあ出かけません!?』


意味が分からない。


『何で』


『せっかくですし!』


理由になってない。


俺は少し考えてから返信する。


『だるい』


すると即座に返ってきた。


『今スタンプ押そうとしましたよね』


何で分かるんだ。


『一時間後、駅集合で!』


『行くって言ってねぇ』


『待ってます!』


強制かよ。


俺はスマホを見つめながら小さくため息を吐いた。


……本当に自由だな、こいつ。


結局。


一時間後、俺は駅前にいた。


黒いパーカーにキャップ。


完全オフ仕様。


周囲を見渡すと、少し離れた場所で湊がぶんぶん手を振っていた。


目立つ。


「神代さんー!」


「うるせぇ」


近づくと、湊が嬉しそうに笑う。


私服姿の湊は、ステージの時より年相応に見えた。


大きめの白シャツに、ゆるい黒パンツ。


シンプルなのに妙に似合う。


「ちゃんと来てくれましたね」


「お前が勝手に決めたんだろ」


「でも来てくれたじゃないですか」


楽しそうだな。


湊はそのまま歩き出す。


「で、どこ行くんだよ」


聞くと、湊が少し得意げな顔をした。


「水族館です」


「は?」


思わず聞き返す。


「なんで水族館」


「嫌ですか?」


「いや……」


予想外すぎただけだ。


もっとこう、カフェとか買い物とか、その辺だと思っていた。


湊は笑いながら続ける。


「僕、水族館好きなんですよ」


「へぇ」


「あと、神代さん暗い場所好きそうだなって」


「どういう偏見」


でも、少しだけ笑ってしまった。


電車へ乗り込み、二人並んで座る。


休日の昼間ということもあって車内はそこそこ混んでいた。


湊は窓の外を見ながら、やたら楽しそうにしている。


その横顔を見ながら、俺はぼんやり思う。


こうして誰かと普通に休日を過ごすの、かなり久しぶりかもしれない。


昔はグループのメンバーと出かけることもあった。


でも、売れてからはほとんど仕事になった。


写真を撮られて、噂になって、変に勘ぐられて。


気づけばプライベートで誰かと出かけること自体が減っていた。


だから今のこの時間が妙に新鮮だった。


水族館へ着く。


薄暗い館内。


青い光。


静かに揺れる水。


湊は入った瞬間からテンションが高かった。


「あ、見てくださいクラゲ!」


「近い近い」


「めっちゃ綺麗じゃないですか!?」


ガラスへ張りつきそうな勢い。


子どもか。


でも、その横顔は本当に楽しそうだった。


俺も隣へ立って水槽を見る。


青い光の中を、クラゲがゆっくり漂っている。


静かだった。


不思議なくらい落ち着く。


「……悪くねぇな」


ぽつりと呟く。


すると湊がすぐこっちを向いた。


「でしょ!?」


嬉しそうな顔。


その反応が少し面白くて、俺は小さく笑った。


館内を回りながら、湊はずっと喋っていた。


魚の話。


最近のライブの話。


ファンの話。


夢の話。


本当に話題が尽きない。


俺は適当に返しながら歩いていたけど、不思議と嫌じゃなかった。


むしろ、その声を聞いてると落ち着く。


大水槽の前で立ち止まる。


青い水の中を、大きな魚がゆっくり泳いでいた。


周囲の子どもたちが歓声を上げている。


その光景を見ながら、湊がぽつりと言った。


「こういう普通の時間、なんか新鮮ですね」


俺は少しだけ目を細める。


「普通?」


「はい。ライブとかレッスン以外で、神代さんといるの」


確かにそうだった。


最近ずっと一緒にいるのに、そのほとんどが“アイドル”としての時間だった。


でも今日は違う。


ただ、二人で出かけているだけ。


仕事でもない。


ステージでもない。


なのに。


その時間が、思っていたよりずっと心地よかった。


「神代さん」


「何」


「今日、来てくれて嬉しいです」


真っ直ぐな声だった。


俺は少し視線を逸らす。


「……大げさ」


「でもほんとです」


湊は笑う。


青い光がその横顔を照らしていた。


その瞬間、少しだけ思う。


こういう時間が続けばいいのに、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ