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アイドルシグナル  作者: ぽんず
もう一度だけ
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13/24

名前のない帰り道

ライブ終わりの外は、昼間の雨が嘘みたいに静かだった。


濡れたアスファルトが街灯を反射して、夜の街をぼんやり光らせている。


俺はライブハウス裏の自販機にもたれながら、冷たい缶コーヒーを開けた。


禁煙四日目。


ここまで来ると逆に身体がおかしくなる。


煙草を吸わない生活に少し慣れてきたはずなのに、ふとした瞬間に猛烈に吸いたくなる。ライブ後なんか特に最悪だった。


達成感。

疲労感。

高揚感。


その全部と煙草が結びついている。


だから今も、指先が無意識にポケットを探ってしまう。


「まだ吸ってないんですか?」


後ろから声。


振り返ると、湊がコンビニ袋をぶら下げながら立っていた。


「……急に出てくんな」


「神代さんが怖い顔してたんで」


「元からだろ」


「今日は特にです」


湊は笑いながら隣へ来る。


それから俺の缶コーヒーを見て、少し目を細めた。


「最近コーヒー増えましたよね」


「口寂しいから」


「禁煙あるあるだ」


知ったような口をきく。


俺は缶を傾けながら、ぼんやりライブハウスの入口を見る。


今日のライブはかなり人が多かった。


物販も途切れなかった。


特に湊。


初見の女が何人も列へ並んでいた。


「……お前今日、新規かなり増えてたな」


ぽつりと言う。


湊がきょとんとした顔をした。


「え、そうでした?」


「気づいてねぇのかよ」


「いや、でも神代さんの方が歓声大きかったですよ?」


「はいはい」


適当に流す。


実際、歓声が増えてる感覚はあった。


名前を呼ばれる回数も。


でも、それが少し怖かった。


期待される感覚を、まだ完全に信じられない。


「神代さん」


湊が急に真面目な声を出す。


「今日の最後の曲、やばかったです」


「何が」


「めっちゃ感情乗ってました」


胸が少しだけざわつく。


ライブ中のことを思い出す。


最後のサビ。


客席を見た瞬間、ペンライトが揺れていた。


自分たちの名前を呼ぶ声が聞こえた。


あの瞬間、昔の感覚が少し戻った気がした。


「……別に普通だろ」


誤魔化すように言う。


湊は首を横に振った。


「違います」


真っ直ぐな目。


逃げ場がない。


「なんか、“届けよう”って感じしました」


その言葉に、思わず黙る。


昔はずっとそうだった。


誰かへ届くように歌っていた。


でも、裏切られてからは変わった。


どうせ信じても無駄だと思った。


だから最近は、“上手く歌う”ことばかり考えていた気がする。


「……お前さ」


「はい?」


「ほんと変なとこ見てるよな」


そう言うと、湊は少し笑った。


「神代さんばっか見てるんで」


さらっと言うな。


本当に。


俺は視線を逸らしながら缶コーヒーを飲み干す。


その時、ライブハウスの入口から数人のファンが出てきた。


「あっ……!」


若い女の子がこっちを見て立ち止まる。


湊がすぐ笑顔になる。


「ありがとうございました!」


その一言だけで、女の子の顔が一気に明るくなる。


「今日めっちゃ楽しかったです!」


「ほんとですか!? また来てください!」


楽しそうに話す湊の横で、俺は軽く頭を下げる。


すると、その女の子が少し緊張した顔で俺を見た。


「あの……」


「?」


「神代さんの歌、すごく好きです」


一瞬、言葉が止まる。


昔なら慣れていた。


毎日のように言われていた言葉。


でも今は違う。


地下の小さなライブハウス。


数十人の客。


その中の一人が、ちゃんと俺を見てくれていた。


「……ありがと」


自然に声が出た。


女の子は少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。


「また行きます!」


去っていく背中を見送りながら、胸の奥が少し熱くなる。


隣を見ると、湊がにやにやしていた。


「……何」


「今ちゃんと笑いましたね」


「笑ってねぇ」


「いや絶対笑いました!」


うるさい。


でも否定しきれなかった。


湊は楽しそうに笑いながら歩き出す。


「帰りましょう、神代さん」


その背中を見ながら、俺は小さく息を吐く。


煙は出ない。


でも不思議と、前みたいな物足りなさは少し減っていた。

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