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アスカ  作者: hitoshi_tanabe
3/3

沙織

水曜日の十七時を過ぎていた。沙織は編集部の自分のデスクで、ゲラのページに目を通していた。


午後の校了が一段落したところだった。来週の予定を、頭の中で並べ替えていた。


「沙織さん、お疲れさま」


隣の島から、先輩編集者が声をかけた。


沙織は、一拍置いてから顔を上げた。


「お疲れさまです」


答えた声は、自分のものとして自然だった。


パソコンの電源を落とし、椅子の背にかけたコートを羽織った。首から下げたネックストラップが、コートの襟元に隠れた。社員証は、そのままぶら下がっていた。


エレベーターを降り、通用口を抜けて、街路樹の下を歩いた。


十月の夕方は、もう暗くなりかけていた。街灯が一つ、一つ、点り始めていた。


駅まで歩き、電車に乗った。三駅で降りた。


商店街を抜けて、いつもの通りに入った。


ドアを押した。ドアベルが鳴った。


店主が顔を上げて、頷いた。沙織も頷いた。


カウンター席に座った。コートを背もたれにかけた。鞄から本を取り出し、開いた。


「いつもの」


沙織は短く言った。


店主は黙ってコーヒーを淹れ始めた。コーヒー豆を挽く音、湯を沸かす音。沙織はそれを背景に、本のページに目を落とした。


時計の秒針の音が、ラジオの低い男の声に混じって聞こえた。


コーヒーが出てきた。沙織はカップの取手の向きを、わずかに右に動かした。


店内に客は数人だった。奥のテーブル席は、今日は空いていた。窓際のテーブルに高齢の女性が一人。本を読んでいた。


沙織は本に視線を戻した。


同じ行を、二度、目で追った。一度ページを戻して、もう一度、上から読んだ。


鞄の中で、スマートフォンが振動した。


沙織は鞄を膝に引き寄せ、画面に目を落とした。表示されている名前を、しばらく、見ていた。


それから、スマートフォンを鞄の奥に押し込んだ。指の側面で、もう一度、奥へ。


振動が、鞄の内側で続いた。やがて止まった。


ページをめくる音が、いつもより少なかった。


---


時間が経った。


沙織は本を閉じて鞄に入れた。コーヒーカップの底に、最後の一口が残っていた。


会計を済ませて、店を出た。ドアベルが鳴った。


夜の住宅街を、沙織は歩いた。コンビニの明かりが歩道に落ちていた。沙織はそこに寄らず、通り過ぎた。


アパートの玄関を開けて、靴を脱いだ。電気をつけた。台所の流しに、朝のコーヒーカップがそのままになっていた。


沙織はコートを脱がずに、しばらくそこに立っていた。


それから、コートを脱いで、椅子の背にかけた。社員証のついたストラップが、襟元から垂れた。


冷蔵庫を開けた。中は、ほとんど何もなかった。


ドアを閉めた。流しのカップは、そのままだった。


電気を消した。


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