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アスカ  作者: hitoshi_tanabe
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19/19

アスカ

水曜日ではなかった。


沙織は、いつもの店のカウンター席に、一人で座っていた。仕事帰りだった。


本を、開いていた。だが、文字は、頭に入ってこなかった。


コーヒーは、半分残っていた。冷めかけていた。


ふと、思い出した。


アスカは、中学のとき、隣の席だった。


      *


中学二年の春、新しいクラスで、沙織は窓側の前から二番目に座った。隣の席に、アスカが座った。


「沙織って、なんて読むの?」


アスカが聞いた。


「さおり」


「綺麗な字だね」


それだけだった。


その日から、何となく、一緒に帰るようになった。


      *


高校も同じだった。クラスは違ったが、毎日のように、一緒に帰った。


アスカは、本を読む人だった。沙織もそうだった。本の話を、よくした。


「私、大人になっても、こうしてたいな」


アスカが言った。


「うん」


沙織は答えた。


その「こうしてたい」が、何を指していたのか、沙織は今でも、分からない。


      *


大学で離れた。アスカは、東京の私立大学に行った。沙織は、関西の国立大学だった。


会う頻度が、少しずつ減っていった。


最初の年は、月に一度くらい、帰省したときに会っていた。次の年は、季節に一度。それから、年に一度。


連絡だけが、続いた。


      *


二十代の半ばのある日、アスカからメッセージが届いた。


「結婚することになった」


それだけだった。


沙織は「おめでとう」と返した。


それから、半年後、「子どもが生まれた」と、写真が届いた。


「おめでとう」


沙織は返した。


      *


それから、メッセージは、来なくなった。


沙織も、送らなくなった。


最後にいつ、メッセージを送ったのか、沙織は思い出せなかった。


      *


沙織は、本を、また開いた。


ページの上に、文字が並んでいた。


「アスカ」という名前は、目の前には、なかった。


だが、その音は、ずっと、沙織の中にあった。


      *


ドアベルが鳴った。


新しい客が入ってきた。沙織は、顔を上げなかった。


ただ、本のページに、目を落としていた。

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