14大罪人
蛇の仮面を被った少女は、人形劇を終えると、じっと私を見上げた。
「わかったでしょう。もうすぐ物語はおわる。それなのに、あなたが入ってきたせいで、またおかしなことになった。僕が生まれちゃった。もう七人分ぶんれつしてるのに、またふえちゃった。ちなみに生まれて一ヶ月もたってないよ、僕!」
「…あなたも…魔術師様の一部を、閉じ込められているんですか?」
「そうだよ、さっしがいいね天才め!僕はみにくいからせめて女の子の姿にしようってこれになったんだ!」
小さな胸を張って答える。彼女に封じられているのは、どんな要素なのだろう。
魔術師から切り離された、彼の一部。
メイドさんは、私に触れることを求め、「お願い、抱きしめて」と懇願した。
コックさんは、いつもお腹を空かせ、私が一緒に食べないかと言うと大層喜んだ。
父親を模したご主人は、自らを「天才」と称し、相手の意を無視した求婚も厭わなかった。
母親を模した奥方は、「欲しいものはどんな手段を使っても手に入れる」と公言していた。
三階にいた少年は、常に効率を求め、「面倒だ」と無駄なことを嫌っていた。
地下室の、最奥にいるのだろうあの声は、魔術師を断罪し、激しい怒りを滲ませていた。
黒髪の、仮面をつけた先生は、絶対に魔術師を認めることはなかった。
「…あなた達を…皆戻せば、魔術師様は、元に戻るんですか?」
「そうだよ。でもそれはできない!だって鎖をつけたから!作った僕にもやぶれないもの!君がいくら天才でも、やぶれるはずがない!もしやぶれたら、そんなの、おかしい!」
鎖を破る。それをすれば、彼らは解放されて、魔術師は平常に戻る。
メイドさんとコックさんに、頼まれた。どうか壊して欲しいと。エルムにも破れない、だけど、君にならできるかもしれないと、託された。
しかし、その前に。私はやるべきことがある。
最奥に行って、話を聞いてくる。全部を知ってくる。そうして、魔術師の元へ戻り、彼と話をする。私がその時失望していなければ、未来の話ができる。彼との、未来が。
きっとその時には、全ての決着をつけることができるだろう。
「何を考えているの?」
「…私は…先へ、進んでいきます」
「いいせんたくだよ天才め!だってあれを見てきらいにならないはずがない!」
憎らしそうな言い方をしながらも、とても素直に蛇の少女は私の隣についてくる。
少女が「天才なら天才らしくどうぞうでも立てたらいいのに!僕作るよ!」とまるで憎まれ口のような提案をしてくるのに苦笑しながら、二人で暗い空間を進んでいく。既に長らく歩いているが、終わりは確かに近づいていた。
正面に扉が見えた。
何の変哲もない扉。ただ違うのは、いくつも錠前をつけられて封鎖されていることだ。
そして、その前に、黒髪の男性が立ち塞がっていた。
「…入ってきたのは知っていたけど。ここまで来るとは思わなかった」
苦々しく、けれどどこまでも穏やかな声色で、彼は呟く。
「…そこを…通してください」
「駄目だよ。ここには、悍ましいものがいる。君はきっと怒鳴り声が苦手だろう。彼とは、会わせられない」
「どうして!これを見せたら、きらってくれるよ!そうして出ていってくれるよ!いいせんたくだよ!」
「結果的に良くても。彼女の心に傷を残したら何の意味もない」
先生は、相変わらず私に優しい。
彼は一度だって、私を害そうとしたことはない。いつも危険から遠ざけようと、何にも傷つけられないようにと、心を砕いていた。
茶色い目を見つめる。魔術師と同じ、けれどかつての彼のような底抜けの光は宿っていない、落ち着いた瞳。苦渋を奥に押し込めている色。
どこからどう見ても、人間にしか見えない。
けれど、私はもう知っている。
「あなたは…魔術師様の良心で、理想…を反映した人形、なんですよね」
「……何故」
この館を訪れた、その初日に、既に魔術師は口述していた。彼のことを、「僕の良心にして、僕の理想である先生です」と。
妹ローザから”良心”が抜き取られ、叱咤する姿に、既視感を覚えていた。ローザが反抗すると彼女は直通で肉体にダメージを与え、とにかく厳しく管理する姿勢を見せていた。そこに何の容赦も遠慮もなかった。
それは、自分自身に対してだったから。
「……」
苦悩に満ちる先生の顔は、どう見ても人間のそれだ。黒髪は直に見た公爵夫人と同じ色。瞳は公爵と同じ色。どこを見ても、目の前にいる男性が彼らの息子であることに、違和感はない。
対して、今、地下室の扉付近で待っているであろう魔術師は、老人でなければ珍しい、白い髪の毛。瞳は先生と同じ色だけど、そこに最早感情はなく、平坦な眼差しで物事を観察していた。年嵩は明らかに先生より若く、青年の姿。大戦が十年近く前であることを考えれば、信じ難い年齢。
だが、もう、私は知っている。隣にいる少女が見せてくれた人形劇で、とっくに語られていた。
先生は、いつも私を気にかけていた。私が嫌な思いをしていないか…私が魔術師と、人形達に不快感を抱いていないか、まるで恐れるかのように、敏感だった。
「私は、魔術師様のことを知るためにここに来ました。皆さんの話を聞いてきました。もう…後戻りはできません」
「…怖く、ないのかい。君は、エルムを好いているように見えた。けれどそれは、あくまで断片でしかない。好きになったのがただの側面で、本当は全く違う人だったら、好きになったのが幻の姿でしかなかったら…後悔しないと言えるのかい」
「…それは…全部、知ってからでないと、言い切れません」
「…そうだね」
怖がらせたら、ごめんね、と先生は扉を譲る。鍵は外されていた。
先生と少女が見送ってくる。彼らは、一緒には行かない。私一人で進むのだ。
大きく息を吸って、扉をくぐった。
最奥は、小さな部屋だった。
中には、一人以外、何もいない。
その人は、両手を鎖で壁に繋ぎ止められ、項垂れた状態で膝をついていた。
黒い髪が、表情を覆い隠している。
隙間から、ちらりと視線が覗いた。
「…あなたが」
私の声が彼を呼ぶのと、その人が動くのは、同時だった。
ガシャンと、引っ張られた鎖の音が響く。それでもなお前に進もうとして、その人は体を捩らせた。
伏せられていた顔が顕になる。
魔術師には、似ていなかった。
どころか、そこにあったのは、二つの目と、鼻と口…そういう、人間の顔を構成するパーツで、まるで幼子が描いた絵のように、簡単な作りだった。
人間として認識するには、その人は、あまりにも現実離れしていた。
その人は、私に対して、唇のない、線でできた口を開く。
「お前はどうしてここにいる」
「…話を…聞きにきました」
声質は、地下室に踏み込んだ時に聞いたものと同じ。魔術師の声を、少しだけ幼くしたようなもの。
怒鳴り声ではなかった。けれど、今にも荒れ狂いそうなのを、押し留めているように緊張感のある声色だった。
「何の話を聞くと言うんだ」
「魔術師様の…いいえ」
私は、今度こそ、その名前を口に出す。
「…エルム様の、話を」
「聞いてどうする」
大きな眼を向けてくる。鉱石でできているのか、奥が透けていた。
それに気を取られて言葉を紡げずにいると、彼は、押し殺した声を響かせる。
「何故こんなところまで来た、何の関係もない人間が、口出しをしないでくれないか、僕は、大罪人は、死ぬまで償わなければならないんだ、邪魔をしないでくれ」
大罪人。先生も、彼を…自分をそう呼んでいた。
どうしてなのだろう、聞く度に悲しくなるのと同時に…憤りが湧いてくるのは。
「…じゃあ、私にも償わせてください」
「なんだと」
「私だって罪人です。私のせいで母は死にました。祖父は死にました。修道女は腕を切断されました。使用人は骨折しました。庭師が大切に育てていた植物は枯れました。料理人の宝物だった杯は割れました。領民の家は火事に遭いました。…魔術師様は、死にかけました。全部、全部、私のせいですから」
「何を馬鹿なことを言っているんだ」
「私が幸せになれば、他の人を不幸にします。そういう定めの元に生まれてきました。私こそが大罪人です。あなたが大罪人を罰するなら、私のことも、同様に罰してください」
「お前と、僕を、一緒にするなよ、お前がしているのはただの自意識過剰だ、勝手に罪を作り出しているだけだ、僕は違う、僕の作り出したもののせいで、多くの人が死んだ、大地が汚れた、破壊された!確かにそこにある事実だ!!」
血を吐くような叫び。切り離して人形に入れるまで、ずっと、この声と共にあったのだろうか。日夜、追い込まれていたのだろうか。いつも、どこにいても、何をしていても、責められて。
どれだけ時間が経っても、絶え間なく苛まれて。
自分のせいで、不幸になったと、突きつけられて。
「…私は…私は、エルム様に、幸せにしてもらいました」
「…そんなの、君が、勝手にそうなっただけだろう。元々そういう資格があったんだ。僕は違う。僕は、心のない化け物だ」
「化け物じゃ、ありません」
「何を根拠に」
「だってあなたは、ずっと、悲しんでいるじゃないですか」
「…なんだと」
明らかに、声に動揺が乗った。単純に構成されてできた表情は、読み取りにくい。けれど、そこには確かに揺らぐものがあった。
「大切な、人が亡くなって…それが自分のせいだと思わずにはいられなくて。何をしていても、大切の人の笑顔が、優しい声が、手の温もりが、思い出されて。毎夜焦がれるのに、その人はいなくて。自分がいたから、生きられなくて、幸せになれなくて。何度後悔しても足りなくて」
「やめろ」
「ごめんなさいって、何度謝っても、伝わることはなくて。もう手遅れで、取り返しがつかなくて。自分が、憎くて憎くてたまらなくて」
「それは…お前の話だろう!?」
「でも、あなたも、そう思ったことがあるんでしょう?」
今度こそ、彼が言葉を失った。
「…優しくしてくれた人が、死んでしまったこと。優しかった人が、本当は自分を疎んでいたこと。…その人があなたの人形を、無碍に扱ったこと。あなたは人形に幸せになってほしかった。優しい人のところで、大切にされてほしかった。でも、そうはならなかった。だから…幸せにしてあげられなくてごめんなさいって、謝った」
「……誰から…そんな」
「あなたは、とても、優しい人です。皆が幸せになって欲しくて、自分を責めるしかなくて、償いをするのに全てを注いで、でも、辛くて、辛くて…心を切り離すことでしか保てなかった」
心なんて、と言いかけた彼の声を、私は、遮る。
「あなたが、かつて、雑音と切り捨てたもの。それは、紛れもないあなたの心です。あなたは、エルム様の心の一部。あなた以外の人形にも、確かに、心がありました。私はそれを、見てきました」
メイドさんも、コックさんも、あの夫妻の姿をした二人組も、先生も。皆が感情豊かで、私を翻弄し、私に優しくしてくれた。
そして、白髪の魔術師は、私を救ってくれた青年は、間違いなく人間だった。
彼は、押し黙っていた。最初のように顔を俯かせ、じっとしていた。
でも、やがて、ぽつりと呟いた。
「違うんだ」
「僕は本当に、大罪人なんだ」
「だって僕は、そんな大層な気持ちで、作ったわけじゃないんだ」
「これを見たら喜んでくれるかな、って、そんな軽い気持ちで渡しただけだったんだ」
「嫌われてるなんて思ってなかった。人形を売られるなんて思わなかった。そんな使い道があるなんて…違う、彼の言う通り、そんな能があると思っていなかった。見下していたんだ、本当に、無意識に。最低だ」
「彼が言ってくれなければ、自覚もできなかった。僕が作ったものが誰かを苦しめるなんて見通しもしていなかった。僕が殺したんだ。僕は恨まれるべきなんだ」
「あの子達が複製されて兵器に使われるなんて考慮もしなかった。あの子達が誰かから恨まれる存在になるなんて想像できなかった。人の役に立って、人を笑顔にして、人に愛されるものとして作ったのに、僕が愚かだから、叶わなかった」
「作らなければ良かった、って、そう思うのが正しい。だって複製体の彼らはたくさんの人間を傷つけた。殺した。それなのに、僕は、そう思えなかった。再会した時、僕は、あの子達の醜く改造された部位を取り除くことしか頭になかった。死んだ人がいるのに、薄情にも程があるだろう」
「僕の作った人形も、僕と関わった人間も、きっと僕を恨んでいる。だから、魔道具作りに尽力した。償おうなんて綺麗なものじゃない。ただの現実逃避だった。魔術に没頭している間だけは、全部忘れられたから」
「でも、うまくいかなくなった。魔術に触れていても、雑音が…うるさくて、うるさくて、手が何度も止まりそうになった」
「だから切り離したんだ。嫌になったから。魔術だけは、嫌いになりたくなかったから。全部、自分勝手な事情なんだ」
「僕は…その程度の存在なんだよ」
私は、彼の肩に触れた。固くて冷たい。体内を走る魔力は、先生やあの少女よりずっと弱々しく、脆い。
鎖に繋がれている腕の下から手を通して、抱きしめた。強張る体に少しでも伝わるように寄り添う。
「あなたは、優しい人です」
「…何を…」
「どうか、知ってください。ここに、あなたが幸せにしてくれた者がいること。あなたを好きな人間がいること。あなたがどれだけ自分を責めて、疎んでいても…あなたが、私を幸せにしてくれたことは、変わらないんです」
「そんなの、幻想だ」
「いいえ。あなたは、私の最愛の人。だからどうか、あなたがもし、大罪人として償おうと言うなら。あなたの物語を終わらせるために、去るのなら…私も、連れて行ってください」
呆然と、彼は私の顔を見下ろした。透き通る瞳を見上げながら、私は滲む視界を細めて、笑いかけた。
「どうか、どうか。置いていかないでください、エルム様」