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10再起

 館が占拠されるのにそれほど時間は要さなかった。

 魔術師はベッドの上。仮面を被った使用人たちは無我に己の業務を繰り返し続けるだけ。先生もメイドさんもコックさんも、魔術師の父親も母親も、意思疎通の取れる人たちは皆いなくなったから、誰も、彼らを止められない。

 ルズベリー伯爵と娘ローザ。彼らが率いる伯爵家の人間たちは、館の全てを掌握すべく日夜物色に励んでいた。


 誰も踏み入ることのなかった館が、彼らの無作法な捜索によって荒らされていく。

 施錠されている三階の部屋と、どう足掻いても開くことのない地下室以外、彼らは我が物顔で闊歩している。

 その有り様を、私は、見ていた。

 庭の草花を踏み倒し、研究室や書庫の戸棚をひっくり返し、作業場で魔道具の試作品をゴミと認識して放り出す様を、目に映すだけだった。

 彼らの誰も、私を「任務を邪魔し支障をもたらす敵」と認識することはなく、縄すらかけられることはなかった。

 ずっとそうであったように、遠巻きにされた。


 私にできるのは、ただ、感情を消すことだけ。自我を潰し、何を見ようが心を動かすことはなく、ひっそりと息をするだけ。そうでなければならなかった。

 そうでなければ、彼は、こんなことにならずに済んだかもしれないのに。


 魔術師は、虚空を見つめている。一切笑うことも話すこともなく、ベッドの上に横たわっている。あんなに表情豊かでお喋りだった人が、動かなくなっている。

 私が喜び、幸福を感じた反動が、彼を襲っている。

 こんなのあんまりだ。ごめんなさい、ごめんなさいと泣いて喚きたいのを、ひたすらに堪えて彼を見守っている。

 ぎゅっと懐のお守りを握り締め続けている。私の掌に収まる大きさで、どれだけ力を込めても潰れたり壊れたりすることはない。記憶が朧げな頃からあった、お守り。母がくれた絵本と合わせて、ずっと私を支えてくれたもの。


 このお守りが、変形し、巨人になったことがあった。あの時は先生がすぐに止めてくれたから、何事もなかった。けれど、もし、私が願えば、あの巨人は全てを破壊する兵器になったのだろうか。

 ここに巣食う人たちを、全部追い出してくれるのだろうか。


 余計な思考を振り払うように頭を振る。これ以上感情を乱して状況が悪化したらと思うとたまらない。

 こういう雑念を仕舞い込める石があると、そういえば魔術師は言っていた。その時プレゼントを何が何でも受け取っていたら、私の感情を抜き取っていたら、きっとこの状況は違っていたのだろう。

 先生が私に早く館を出ていくよう言っていた。その忠告に従っていれば、少なくとも魔術師は今も健在だったに違いない。

 …何か考えると、必ずそこに収束する。


 ベッドの上の魔術師は、白く波打つ髪を枕に広げ、茶色い瞳をぼんやりと開いて、時折瞬きをして、どことも分からない箇所を見つめている。いくら話しかけようが、答えが返ってくることはない。


 教えて欲しい。どうか、どうか。

 私はどうすればいいのか、どうすれば魔術師を助けられるのか。もしできるなら、何を捧げても構わないのに。

 涙が滲みそうになって、ぎゅっと瞼を閉ざした。視覚が闇に覆われ、彼の呼吸音が聞こえてきて、それにすら心が揺らいで耳を塞ごうとして。


 不意に、掌が熱くなった。

 正確には、触れているものが。


 耐えきれず懐から取り出す。二つ組み込まれた鏡のような石。それ以外の箇所が、ぐにゃぐにゃと、幼児に遊ばれる粘土のように蠢いていた。

 息を殺してそれを見つめる。やがて一つの形を取った。

 鍵だ。


 この館にある鍵穴。地下室には、鍵穴はない。鋼鉄の扉は、取っ手が付いているだけで、施錠されていないのに絶対に開かない。

 施錠されているのは、別の場所。

 私はベッドの脇にある椅子から立ち上がり、魔術師の寝室を出た。


「あっお姉様いた!もう、広いんだから勝手にどこか行かないでよ。早くこっち来て」

「……」

「何?もしかして魔術師の拷問で耳聞こえなくなったの?しょうがないわね、ほら!」


 妹が強引に腕を取って引っ張ってくる。抵抗しようと力を込めるが、次の言葉で動けなくなった。


「これから公爵様とか上級貴族の方々をお招きするの。せっかくの魔術師の家なんだから、皆に見てもらわないとね!お姉様も準備を手伝うのよ」




 ルズベリー伯爵の娘が魔術師の敷地に迷い込んだのは偶然だった。その賠償として娘の身柄を要求されるのも、想定の範囲外。

 しかし、魔術師の館に「呪物」を送り込み、魔術師がその影響で伏せるのは、想定内だった。


 魔術師は、国の貴族たちにとって、得体の知れない、忌々しい存在だった。大戦の英雄として勲章を授与され、たった一人で魔道具を精製し売り捌き、民の生活の基盤すら握っている、煙たい存在。

 彼が操る魔術は、他の人間では微塵も理解できない。魔道具は無理に分解しようとすれば自壊する上、どれほど優しく解体し構造を調べても、魔術構築の基礎が判明していないから、真似もできない。

 彼がどんな人物なのかすら計り知ることができず、彼の窓口である奇妙な二人組ふうふを通してでしか、干渉に至れない。


 故に伯爵は好機と捉えた。ここで魔術師と関係を築けば、後々他の貴族と連携して引き摺り下ろすことも可能であると。

 送り込んだ娘が魔術師の実験体として気に入られ引き留められれば、準備を整えてから「娘を返して欲しい」と訴えに行ける。

 気に入られず哀れな姿で返却されれば、「娘が非道な扱いを受けた。魔術師は悪魔だ」と周囲に吹聴できる。

 「忌み子」である娘が魔術師を死に至らしめれば、尚良し。


 その経過観察のための帰還命令を、お姉様は無視した。だからこうしてわざわざ出向く羽目になった。しかしそのおかげで魔術師が倒れたことを確認し、こうして皆にお披露目できるのだから、結果的には良い選択だった。


 魔術師があんな様になって、勝手に死ぬのを待つばかりな以上、偽装も容易。

 お姉様は魔術師に気に入られて彼の伴侶になったけど悲しいことに魔術師が病気になって死んだから、その遺産を相続することになった。ルズベリー伯爵家はその後ろ盾として全力で支援する。

 という経緯を周囲に伝えることになる。


 妹は意気揚々と説明し、「お姉様もたまにはやるのね」と肩を叩いてきた。

 悍ましくてたまらず私は身を竦めてそれを逸らした。

 

「公爵様は明日にはやってくる予定で、そのために色々おもてなしするの。その準備があるから、ちゃんと働いてね。私、お父様にまだ公開されていない魔道具のお披露目役を任されたのよ。魔術師は死んだけど、私たちがしっかり使い方を理解して、研究を引き継いでいくからご心配なく、ってアピールするの。せっかく一番乗りで魔術師の館に来れたんだもの。家中探せば説明書があるはずだから、これからは魔道具を私たちが取り扱って売っていくんだって。これで魔術師も安らかに逝けるわね」


 聞くに耐えない。妹は私の顔色など微塵も気にすることなく語り続ける。


「それで、明日に相応しい魔道具を探してるんだけど、なんかよくわかんないものばっかりで気が滅入っちゃうのよね。お姉様詳しいでしょ、良さそうな魔道具ちょうだいよ。明日会の前に渡してくれればいいから」


 好き勝手言って、妹は「じゃあ私外で遊んでくるから」と手を振って立ち去る。

 彼女が背を向けるより早く、私もその場を去るべく足を運んでいた。




 三階の角部屋。さっき作り出されたばかりの鍵を手の上に乗せ、私は一呼吸してから、声をかけた。


「…今から、この扉を開けます。あなたに最初に頼まれた通り、ここから助けます。だから、どうか…助けてください」

「別にいいけど。説明くらいしてくれるかな。地下室を開けるって話のはずが、どうしてこうも騒がしいのか。誰が来たのかくらい共有してよ」


 私は順を追って説明する。魔術師が先生を地下室に閉じ込め自由になったこと。一緒に過ごしていたが、魔術師が体を悪くして動けなくなってしまったこと。そこにルズベリー伯爵家の者たちがやってきて館を占拠したこと。彼らは魔術師を亡き者と隠蔽し、魔道具を自分たちの事業としようとしていること。明日、上級貴族たちがやってきてそのお披露目をする予定であること。

 少年は黙って聞いていたが、やがてため息を吐いた。


「面倒なことになってるな。僕寝てていいかな、勝手にやっててよ」

「そ、そんな、困ります!」

「そう。まあいいか。助けてくれるからには助けるべきだろうから」


 あっさりと撤回し、声は「じゃあ早く鍵を開けてよ」と急かしてくる。深呼吸し、お守りの変容した姿であるそれを鍵穴に差し込んだ。


「一応言っておくけど。君は、一人でも彼らを撃退できる能があると思うよ」


 その声が届くのと、鍵が回ってカチッという音がするのは、ほとんど同時だった。

 錠前が落ちて勝手に扉が開く。

 強風が吹いてきて咄嗟に手で防御してから、恐る恐る目を開く。


「…え?」


 中は、空室だった。

 家具もなく、誰もいない。ただ、床に透明な石の欠片が散らばっている以外、何もなかった。


「ど、どこに…どこに行ってしまったんですか!?」


 叫びながら探す。物がないから影もない。見渡す限り何もない。ただただ平凡な、何もない部屋。

 奇妙なことに気づく。部屋に窓がない。密閉された空間だった。それなのに、さっき風が吹き抜けていった。それだけを頼りに、何か、他に変わったことは起きてないかと館を捜索する。伯爵家の人間に呼び止められても無視して、駆け巡る。

 何もなかった。

 あの少年は、どこにもいなかった。どこかへ、消えてしまった。まるで最初から存在していなかったかのように。




 もう、頼れるものはない。

 地下室は、私がどれだけ体当たりしても、杖を用いて魔術をぶつけても、開かない。


 もう、他に、頼りはない。

 魔術師のいる部屋に戻ってきて、彼のベッドの端に突っ伏した。


「…ごめんなさい…」


 一度言ってしまうと、堰を切ったように溢れ出してくる。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


「ここに来てごめんなさいあなたと出会ってしまってごめんなさい綺麗な服を着てごめんなさい美味しいご飯を食べてごめんなさい魔術を教わって楽しくてごめんなさいあなたを好きになってごめんなさい幸せになってごめんなさい」


「生まれてきてごめんなさい」


 頬に何かが触れた。

 顔を上げる。

 力のこもっていない指が、添えられていた。

 目が、合った。


「…青か」


 声がした。


「綺麗だけど、嫌いな色だ」


 彼の目は、虚ではなかった。けれど、明確に、異なっていた。

 声は、決定的に、彼の明朗さをどこかへ失っていた。

 言葉のない私から視線を逸らして、魔術師は再び天井を向く。そうして目を閉じた。

 呆気に取られて動けない私の耳に、規則正しい呼吸音が聞こえてくる。

 彼は、寝てしまった、のか?

 これまでずっと、虚空を無表情で見つめるだけだった彼が、眠りについた。

 震える手を伸ばせば、温かさが伝わってくる。あらゆる魔術で構築された高性能な体は人間と見分けがつかないと彼は笑って誇っていた。

 どうしてか分からないけど、今、彼は眠ってしまった。けれどそれは少なくとも、事切れたわけではない。

 反応があった。目が合った。声が聞けた。


『一応言っておくけど。君は、一人でも彼らを撃退できる能があると思うよ』


 少年の声が、脳内に響く。 


 伯爵たちは、このまま事態が思い通りに進めば、魔術師をバラバラに解体して存在を抹消することに躊躇いはしないだろう。


 他に頼りはいない。


 私が。

 私が、やるしかない。


 だって。

 目が合って、声が聞けて、触れられた。

 それだけで、こんなにも幸福になってしまったのだから。


 もう、どうしようもない。どう足掻いても私は、幸せになってしまう。彼が生きている、それだけで、もう、私は不幸をばら撒き続ける。

 だったら、もう、やるしかない。

 彼が不幸に陥る度に、それに抵抗する。状況を打破するために動き続ける。何度だって何回だって、何が起きようと隣で抗い続ける。

 そうする以外に、考えられない。

 もう、戻ることは不可能だった。

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