交渉 (後編)
いや、琴ちゃんに似ているけれど少し違う気もするなぁ。
私の記憶では彼女の髪はグレージュに染められ、インナーカラーはモーヴーピンクだったはずだ。長さだって肩甲骨の下まであって、いまのように肩より上のショートボブではなかったし、髪色もおとなしめの栗色でもなかったと思う。なにより亜麻色のワンピースからして、濃い色が好きな彼女らしくない気がする。
彼女にお姉さんはいなかったはずだが、親戚だろうか? いや、それにしては似すぎているから、かなり近い血縁関係者だと思うがどうなんだろう。
琴ちゃんが弟と映画を見に行った話を、なのちゃんから聞いたことがあったような気もするが、姉の話は覚えがないんだけど。
「失礼ですが、いまあたしの名前を呼びましたか? それも日本語で」
日本語! 良かった、通じたみたいだ。それに琴音ちゃん本人で間違いないらしい。
「琴ちゃんなんだよね? 怪我はない? 酷いことはされなかった?」
「あなたは誰ですか? ここは何処なのかわかりますか? どうしてあたしは連れてこられたんでしょうか?」
ん?
「ルー殿は彼女の言葉がわかるのか? 近隣国のどの言語にも当てはまらないと学者たちが頭を抱え、解決の糸口すら見つからなかったのだが」
ん?
「もう、頭がおかしくなりそう。突然外国にいて、英語も全然通じないし! ここはどこの国なのよ〜」
琴ちゃんはテーブルに突っ伏して泣き出してしまう。すると、控えていた女性がハンカチらしき布を、琴ちゃんが座る目の前のテーブルに置いた。
「あ゛りがと。でもハンカチじゃ鼻はかめ゛ないの。できればティッシュをもらえ゛ませんか? 箱だとなお良しなんだけど、ム゛リだよね」
バッグを紛失してポケットティッシュが手元にないと、グズグズしながら訴えているが、聞き取れた人間は私だけだろう。なので通訳らしく、女性には感謝を述べている旨を伝えておいた。近衛隊長にも、彼女とは言葉が通じるし何なら知人であると教える。
「ごめん琴ちゃん。ここで箱ティッシュは見たことないや。トイレットペーパーがあるから優しくかんで。勢いをつけると破けるから」
トイレットペーパーは柔らかいから鼻にも優しい。だけどスッキリするようにかむのは止めた方が良いと、私は知っているのだ。チーンとかむと、勢いで千切れた紙が胸もとに散らばるからね。
「日本語がお上手ですね。日本には長くお住まいなんですか? あれっ? でもなんであたしの名前を知ってんの? えっ、怖っ」
忠告どおり鼻を押さえるように拭いながら、琴ちゃんはひとり言のように呟いた。
『チカよ』『んん?』『チカは我らの姿が年上の異性であると忘れてはおらぬか?』『はっ!?』
そうだった。さっき男性体に変わったんだ。つまり、やたらと綺麗な顔の見知らぬおじさんから、馴れ馴れしく話しかけられた上、断りもなく愛称で呼ばれちゃったのね。それは確かに恐怖しかないや。
「断っとくけど、私はストーカーじゃないからね!」
「…………はあ」
琴ちゃんの顔! 全っ然、信用も納得もしてないじゃん。かと言って、名乗ったところで理解してくれるのかどうか……。下手すると頭のおかしい人だと思われちゃうよね。
「琴ちゃんさぁ、高校生の頃は恋愛ドラマにハマってたけど、ファンタジーは嗜める人だっけ?」
「魔法学校に通う眼鏡の男の子の映画はコンプリートしてます。それに原作も読んでますよ、けっこう昔ですけど」
琴ちゃんはそこまで答えてから、なにかおかしいとこちらに視線を向けてくる。
魔法と架空生物の世界に耐性があるなら、ギリギリなんとかなるのかな?
「田中琴音さん。私、こんな姿だけど市井七叶の姉です」
「………………えええっ! 央さんなんですか〜?」
目玉が落ちそうなくらい驚くって、こんな顔のことを指すんだろうな。
「そうだよ」
「面影が一ミリも残ってないです」
「まあね」
だってこの体の中の私の成分は、あやしい魔術で紛れ込んじゃった霊魂だけだもの。
琴ちゃんはルーの顔をマジマジと観察してから、目線を徐々に下へと移動させた。
「央さんのアイスクリームが氷菓になってます!」
おい! それは乳脂肪分がほぼゼロって言いたいんだな。
琴ちゃんは妹の同級生で親友とも呼べる女性なので、私とも何度も会っている。なのちゃんが中学時代はどうだったのか覚えていないけど、高校生の妹と琴ちゃんを連れて遊びに出掛けたものだ。
なのちゃんとは二桁ほど歳が離れていて、私はすでに社会人で車も持っていたから、お出かけ時にはとても頼りにされたのである。
そのような思い出話で本人であることを証明し、ようやく琴ちゃんは私だと認めてくれた。
「央さんが急に亡くなって、なのはしばらく塞ぎ込んでました」
まあ、シスコン気味に育てた自覚はあるよ。
「大学も留年しかけてたし」
それは大変だ。でも、セーフだったってことだよね。
「必死に慰めて支えてくれた男性と、春に結婚したばかりで」
「結婚! おめでとう! でもどこの馬の骨と? あ゛あ゛あ゛、父さんじゃ、相手がロクデナシだったときに追い払えないよ」
あの人、本当に押しに弱いから! なのちゃんのお願いに、駄目って言ったためしがない。
それに、母さんは完全におしかけ女房ってやつだもんね。
「いえいえ、なのがちゃんと選んだ人って感じで、誠実だし優しいし頼りになるって言ってました」
「そっか、琴ちゃんがそう言うなら大丈夫か。なのちゃんが弱ってるとこにつけ込んだカスなら、局部を潰してやったんだけどね」
「央さんも相変わらずのシスコンですね」
「そうかなぁ? でも学生結婚なんて苦労しそう。お姉ちゃんはすごく心配だよ」
「えっ? あ、そうか! 央さんが亡くなってから四年経ってるんです。だからなのと私は二十五歳になってます。なのの旦那さんはイケメンじゃないけど、会社では有望株だから経済面での心配は無いと思いますよ」
四年? いや、けっこうすぐに目覚めたと思うけど。でもルーが眠ってから半年経ってたもんな。
私は死んでから四年も、どこをほっつき歩いてたんだろう。
「会社でモテたらダメじゃん! 稼ぐ男なら、多少顔が好みじゃなくても気にしないって女はゼロじゃないよ! むしろ結婚相手には最適じゃん」
容姿重視な若い子は対象外だろうから、モテまくる人より浮気の心配がないもんね。
「央さんが思ってるほどブサイクじゃないですよ? ちょっとデカくて厳ついから、初めて会う人からは怖い人なのかなって思われちゃうだけで」
ほら、そこの人みたいな感じで、と指をさされた近衛隊長を思わず睨む。お前が大事な妹を! と思いかけて冷静になる。琴ちゃんは、あんなタイプの旦那さんですと言ったにすぎない。
「央さんも、生まれ変わって成長するには早過ぎません? 四年でオジサンだなんて。この世界って、一年で十歳分成長するんですか?」
「うまく説明できないんだけど、私って本体は無いんだよね」
いままでの出来事をかいつまんで説明し、琴ちゃんの状況も包み隠さず話した。これから王族に会うんだから、自分の置かれている立場を間違えるとロクな事にならないと思ったからだ。
琴ちゃんは取り乱すこともなく暫く考え込んでいたが、一度深く息を吐いてからは、いま感じている疑問を解決しようと私を質問攻めにした。
「陛下がお待ちになっておりますので、ご案内いたします」
そんな言葉がかけられて質問タイムは中断したが、琴ちゃんをこの部屋に置いて行くことには断固として頭を縦には振らなかった。
彼女の身柄を保証するための話し合いなのに、彼女抜きでは話せないと言うと、同席できるかはさておき、隣室までは一緒に行くことになった。
王を待たせたままこの場で問答して、時間を潰すのを避けたのだろう。
「ふぅん? 勢揃いって感じ?」
宰相補の若者が王族たちを紹介する。先王夫妻は国の南にある領地で隠居生活をしているらしく、この場にはいない。
私としては百年後に伝われば良いので、王と王太子がいたら充分なのに、側妃の子どもまで同席しているんだが。余計じゃないかと思ったら、彼は第二王子なので、次期王弟として出席しないといけないらしい。
だが、妊婦である王太子妃やまだ幼い子どもを出席させるくらいなら、大臣を二、三人追加した方が有益だと思う。安静にしているべき妃をこんな場に引っ張り出した奴は、一体どういうつもりなんだろうな。
「妊婦を同席させるなら、柔らかなクッションとひざ掛けを準備しなさい。それで神託は?」
「王家の皆様にはすでに報告いたしました」
白に紺、そして金が入った聖衣に身を包む神官長と、補佐の神官がひとりに今回神託が降りた女神官がひとり、この場に呼び寄せられたようだ。
神官長は七、八十代の老婦人で、柔和な笑みを浮かべているが声に張りがあり、矍鑠としている。手に持つ錫杖も杖がわりに使っている様子はなく、背筋を伸ばして立っていた。
そして、今後百年おきに異世界人をこの地に降ろすことは、神官長によって王家に伝えられたと言う。
「話が長引くのならば、全員に椅子を。そして話の内容を間違いなく伝えるために、書記を同席させてください」
玉座の後ろにいる妃のひとりから刺すような視線が向けられているが、面倒なので無視を決め込む。
結局、謁見室に全員分の椅子を運び込むことは出来ず、順番に近くの会議室へと案内された。この時点で王太子の子どもふたりが、女官や護衛たちに連れられて行く。やはり子どもにはまだ早かったか。
「それでは百年後のきょう、異世界より来たる賢者を迎えるべく、我が国では彼らが暮らす宮を建て、石碑を残すことで良いか?」
ニ時間ほど話し合っただろうか。四、五十代とみられる国王が、財務大臣たちの同意を求めて発言し、どうやら可決されそうだ。
その間も、三妃の視線は私と琴ちゃんを行き来している。
「央さん、あたしめっちゃ見られてません?」
「うん、なんかねっとりしててキモいよね」
二妃にはふたりの王女がいたが、すでに国内の貴族と婚姻関係にあるため、後宮で気ままに暮らしているらしい。三妃もだいたい同じ立場なのだが、王子を出産しているため、正妃と同列であると考えているような言動が目立った。
その第二王子は成人後なので後宮から出て王子宮で生活していて、母親の毒牙からは逃れているようだ。
「お前、その服をワタクシに献上しなさい」
「えっ? イヤですけど」
やっと終わったと思ったら、ねっちょり視線の三妃が琴ちゃんからワンピースを奪おうとする。事ちゃんにとって、唯一と言って過言ではない故郷の品を、三妃ごときが献上しろとはふざけてるね。
王も三妃の不作法をまったく窘める気がないとは、この国は終わっている。
「ねえ、側妃といえども自分の妻でしょう? 税金で養ってんならマトモな人間を選びなよ」
「無礼者め! お前は見た目が良いから、ワタクシが取り立ててあげましょうと考えていましたのに、しばらく牢で悔いるが良いわ」
「なに? バカなの? 会話もまともに出来ないならサッサと退室してくれない? 邪魔にしかならないからさぁ」
やたらとこっちを見てたのは、ルーの顔に見惚れてたってこと? オバサンの浮気相手にされそうだったなんて、想像しただけでもキモいし最悪だ。
側妃って王の子を産んでもらうか、王妃の補佐を見込まれたんじゃないの? 妻の一族が実権を握るためなら、もっとヘマをしないタイプの女性じゃないと、せっかくの王家との繋がりもムダにしかねないと思うけど。
「三妃を連れてゆけ」
三妃が近衛たちに向かって、私たちを牢へ入れろと命令した途端、王が感情も見せずに短く命じる。
んん? もしかして、こうなることがわかってた?
壁際に控えていた近衛たちが戸惑うことなく三妃を取り囲み、部屋の外へ連行していった。
これってさぁ、無理やり娶らされた別陣営の令嬢だったとかで、制裁する機会を得るために出席させたんじゃないの?
「あ、国の内情とかはどうでも良いんで」
宰相が説明しようと口を開く前に、それは不要と断っておく。
内乱が起きて国が滅びるなら、精霊にも影響があるのでルーが気づくと思うし、三妃がどうなろうと私には関係がない。
それより琴ちゃんの待遇だが、やはり言葉が通じないうちはこの城に置いては行けない。だが、私の拠点で独占してもいけないらしいので、通いのアドバイザーとして働くことになった。面倒だけど、琴ちゃんは月に数回王城に顔を出し、日本で得た知識をこの国に伝える代わりに、この国の言葉や常識を学ぶのだ。
「すべて解決できるとは考えていないけど、精一杯努めさせていただきます」
頭を下げて挨拶する琴ちゃんに、妹ももう社会人なのだと思うと感慨深いものがある。
最初の相談というかちょっとした愚痴は、王太子妃のお腹の子の名付けに母方の親族が口を出している問題だった。北方出身の王太子妃の実家は、広大な穀倉地帯を領地にしているため、王城でも発言力が大きいらしい。
すでに王太子とはふたりの子どもをもうけているが、三人目の名付けは自分がと言って聞かず、かといって無碍にもできないため困っているそうだ。
「ファーストネームはいままで通り王家で決めて、セカンドネームを母方が付けたら良いんじゃないですか?」
琴ちゃんはいろいろあってお疲れ気味で、わりと投げやりに助言していたが、今後シュパンヘルケル王国では、この形式で名付けられる王侯貴族のご子息、ご息女が増加していくことになる。




