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交渉 (中編)

 

「なんだ、ひとりなのか」


 突然の訪問だったからか、話がちゃんと伝わっていなかったらしい。待たされたわりに杜撰な報告だったことを知りガッカリするが、いきなり捕えようとするバカではないようなので、多少は話し合いの時間が貰えそうだ。

 通された応接室では、入口正面のお誕生日席に四五十代の男性が座り、隣に立つ秘書らしい二十代の男性が次々と書類を渡している。突然の来客に対応する時間すら惜しいらしい。

 窓際に護衛の近衛が二人立っているが、私の腰のムチは回収されなかったし、明らかに守るべき宰相との間にはカワウソのおじさんしかいない。

 制服らしい濃紺のジャケットに眩しいくらい真っ白のスキニーパンツ、膝下までのロングブーツまでは同じだが、マントの長さと銀糸で縁取られた模様が、明らかにカワウソのおじさんが着ているものの方が立派だ。剣帯も既製品には見えないから、高い地位に就いているのだろう。


「ふむ」


 宰相が手元の書類から視線をこちらに向けると、私の頭からつま先までを二往復してから考え込む素振りをする。

 こちらはゆったりとした柔らかそうなシャツで、臙脂のベストには金糸で植物が刺繍されていた。ジャケットは着ておらず、かなりリラックスした格好だが、宰相がこれで良いのだろうか?


「その美しさと緑の髪に紅い瞳はレンオアム公爵家特有の色彩と聞く。伝え聞く話から、貴方は妖精姫(フェリン)と謳われる公爵家の姫でしょうな。帝国の神竜を祀る神子がなぜこの国へ?」

「その名は役目を終え、いまはルーと名乗っておる故、そう呼ぶことを許す。こちらの用件は既に伝えておるはずだが、異国人の姿は見えぬな」

「では、ルー殿とお呼びしましょう。そちらへどうぞ。わたしのことはランゲでも宰相でも、そちらの大男は近衛の隊長ですが、ヴォルフとお呼びください」


 促されたから座るけど、ルーは流れるように菓子を食べようのするんじゃないよ。ここまでおとなしく待っていたんだから、本番で自宅のように寛ぐのはやめてくれ。話しにくいから口の中に残るアメは禁止でお願いしたい。

 それにしても、ルーの美しさは隣国にも知れ渡っていたんだね。龍なのに、神竜の神子ってことになっていたのは面白いけど、今後帝国は神子が不在でどうするんだろう。


「それで、ルー殿はその者の話はどこから聞きましたか? わたしどもが見つけて事情を聞き取り調べを始めて、まだ一時間と経ってはいないのですがね」


 暗に、用件は言っておいたんだから日本人を同席させとけやという意味を示しているのだが、さすがは一国の宰相だけあってスルーされたらしい。

 だが、日本人はこの城の中に召喚されて、すでに確保されていることがわかった。待遇がどうかは知らないが宰相の態度から、痛めつけたり拷問したりと、命にかかわることはしていないのだろう。


『百年毎に同じ話を説明するのも大変だよ。宰相さんには、百年後に備えて忘れずに書き残してもらわないと。ルーが覚えていてくれたら良いんだけど、忘れられて不当な扱いをされないとは言い切れないでしょう』『我が忘れるとは思えぬが、些末事など優先せぬからな』『これは最優先事項でしょうよ!』『チカが忘れねば良いではないか』


 それができたらルーに頼まないよ。私の人種は体の寿命が八十年前後だったけど、精神の方はどうだろうなあ。若年でも認知症になる人がいたし、物忘れ程度なら三、四十代から起きるよね。だけど、いまの私には脳があるわけじゃないから、問題は霊体の寿命がどれくらいあるのかだろう。


『ウサギのことは話したらダメなの?』『我らが話さずとも、アレがこの国の神官にでも伝えるであろう』『縄張りがあるの? じゃあ、問題がないならここにいる精霊に、相手は龍だと伝えても良いって言ったら?』『それが早いか』


 この場にいる人たちには精霊がいるみたいだけど、カワウソ以外は怖がっているのか顔すら出さない。宰相の精霊はボルゾイに似た犬の姿らしいのだが、ソファの背もたれの後に隠れている。


「主に話して構わぬ。此度はこの国を潰す気がない故、警戒は不要である」

「ルー、()()()は余計だと思うよ」


 次は滅ぼすって言ってるようなものじゃない? 百年後にこの国が存在していなかったら、困るのは召喚された日本人なんだけど。

 プログラムの修正は百年で一つだけだったから、召喚場所を変えるとなると言葉の事前習得を諦めるしかない。


「人にしか見えないが、精霊が嘘をつくなど前例がないな」

「本性はこの部屋に収まらぬ故、これでどうか?」


 宰相の疑問に応えルーは自身の認識阻害を緩めたのか、手の甲にうろこが浮かびあがる。首筋から頬までを撫でると、流れるようなうろこに触れることができた。

 普段はまったく指摘されないので、うろこを意識したのは久しぶりな気がする。


「おっと!」


 そんなことを考えていたからか、目線が急に高くなったことに声が出てしまう。鏡がないから確認しようもないが、これがレンオアム公爵の姿なのだろう。ふりっふりの襟にはふわっふわのクラバットが結われ、よくわからないがバカ高そうな宝石のピンで留めららている。前立ても袖もひらひらのレースで嫌味なくらい飾りたてられているし、素材はたぶんクラーケンの投網だと思う。

 ベストもジャケットも光沢のある銀色だが、ルーの顔が乗っかっているなら、この衣装に負けることはないだろう。


「本当に精霊ではないのか? この国にいる|精霊たちの美しさはどのような素晴らしい芸術家でも表せないが、貴方はそれ以上だな」


 いまのルーの姿は四十代のはずだから、どんなに美しくても二人の成人した子どもがいるおじさんである。おじさんがおじさんに美貌を褒められても、なんだか苦いものがこみ上げてくるだけで嬉しくはない。

 それこそ帝国では毎日のように褒め称えられていたルーは、聞き飽きているのか完全にスルーしている。


「それで、異国人は連れてくるのか? それとも我が探しても良いのか?」

「神官に神託がなかったか確認の上、陛下にも同席して頂きましょう。これは私ひとりで判断すべきことでは無いのでね」

「さらに待たされるのか。とりあえず安全なのか確認したい。見知らぬ土地で言葉もわからず、不安に思っているはずだから」


 宰相はこちらの言い分に納得したのか、場を整える時間で面会を許可してくれた。まあ、近衛隊長がもれなくついてくるんだけどな。

 日本人が王宮のどこに現れたのかは聞いていないが、歩いている場所は王城の一番外側のようだ。

 壁の近くを見張りと一緒に歩くのは病院の回診のようだが、周りがデカい筋肉の壁なので、ルーは背が高いだけの優男にしか見えない。貧弱とまでは言わないが、女性のような華奢さが目立つ。


『だが、我が一番強い』『そりゃあ人外だし』


 悪口のつもりはなかったんだけど、貧弱に近いと言ったようなものか。細いから弱いとは限らないんだけど、そんなニュアンスが含まれていると感じたのかも知れないな。

 ルーが頑丈なことは神様っぽいウサギとの闘いでよく理解しているので、念を押されなくても大丈夫である。


『私たちって、召喚された人から受け入れられることを当然と思ってるけど、よくよく考えたらもう見た目は日本人じゃないもんね』『それが如何したのだ?』『私って日本語を話してるのかな?』


 自分では日本語を話しているつもりだけど、いままでどの国の誰と話しても不都合がなかった。

 豆太と初めて会ったとき、『上位精霊(マニェータ)』と言われたのを『豆太』と聞き間違えたから、豆太はこちらの言葉を話していたのだと思う。だけど他の部分は日本語にしか聞こえなかった。


『あのウサギも、召喚者がこちらの言葉を理解できるようにしようとは考えてなかったよね』


 それは、私が初めから意思疎通に困らなかったからだ。いま、こちらの言葉がわからない日本人に話しかけて、ルーの口から出る言葉は日本語なのだろうか?


『問題無かろう』『本当に?』『すぐにわかることよ』『だから焦ってるんだけど』


 ルーと脳内会議をしているうちに、目的地に着いたようだ。

 正面が南を向く城の南南東あたりから出発し、しばらく歩いて到着したのは北北東にある細く高い塔だった。


「ここで保護しているが、話す言葉は誰にもわからず、城の高位精霊(マジェマージヌ)ても意志を伝えることはかなわなかったのだ」

「精霊も?」


 それは不思議だな。うちの拠点でも言葉が通じないってわりと普通だけど、精霊が話したり身振り手振りでやりとりしてるんだけどね。子どもたちも気にせず一緒に遊んてるし。


『ルー、なんで精霊にもわからなかったの?』『精霊らは界にて交流するものもおる故、言葉はその場で共有するのであろうな』


 あ~。この世界には日本語で話す種族はまだいないから、接触したことがない精霊が覚えているはずがないってことか。


「魔素を暴走されると危険だから、この塔に入れるほか対処ができなかったのだ」

「ふうん?」

「だが、それほど多くの魔素を有していないことがわかっている。魔術師長が言うには、産まれたばかりの赤子よりも魔素に接触していないらしいのだ」


 それは実際、この世界に誕生したばかりだからだろうな。赤子ですら母親の体の中に数か月間いたんだから、召喚された人が魔素に馴染んでいないのは当然だろう。


「この中にはひとりでいるんですか?」

「いや、いまのところ身の回りの世話をする者と、護衛が二人付き添っている」


 護衛ねぇ? それは世話人のってことだよね。それに見張りって言わないけど、実際はそういうことでしょう。牢屋に繋がれていないだけマシかも知れないけど、こんな片すみの塔の中って、状況がわからなければ閉じ込められていると思うよなぁ。


「変わりはないか?」

「ありません!」

「宰相の許可を得ている。扉を開けてくれ」


 入り口にも見張りかぁ。塔を見上げれば、上の方の窓はただの小さな穴だし、低い位置の窓には鉄格子がはまっている。


『ウサギは子どもは知識が足りなくて却下って言ってたし、亡くなってないと対象外って言ってたよね』『左様』『だとしたらさ、中にいるのはご老体の可能性もあるよね? 多分だけど、ルーが望むお菓子は素人はあんまり作れないと思うよ』


 私はデザートは買う派だ。妹が作るからそれを食べるけど、作ってまで食べようとは思わない。作る過程も片づけも、できれば人に任せたい。

 市井家で菓子作りに目覚めたのは妹ひとりで、祖母も母も凝った料理は作るが、菓子は専門外だ。


「さあ、どうぞルー殿」


 近衛隊長の後に続いて扉をくぐると、中は思ったよりも明るい。だが扉の両脇には警備兵が立ち、ワンピースにエプロンの女性が壁際の椅子に座っている。彼らは隊長に立ち上がって礼をとると、ソファにちょこんと座る女性に視線を戻した。

 その先にいたのは途方に暮れて泣き疲れたような表情の二十代半ばくらいの女性で、ラウンドネックのストレートワンピースは膝下までしか丈が無いため、膝に布が掛けられていた。パフスリーブの袖から出ている色白の腕は、その布を握りしめる指先まで細かく震えているのがわかる。

 また誰かが入ってきたと震える唇を引き結び、あげた顔には見覚えがあった。


「はぁ!? なんで(こと)ちゃんがここにいるの?」


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