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毛国王(the prolog version)  作者: 大浜屋左近
第四章 ~継承者の惨苦~
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第110話 カシワデ

 一刻程、形名は壁に寄り掛かって休んで居たが、腹は一向にこなれなかった。余りの腹満に横に成る事すら苦しい形名が、寝たり、座ったり、を繰り返して居る所へ、形名を気遣きづかって部屋を出て居た四人が戻って来た。


「形名様、御腹の具合は如何ですか」


「未だ、こんな状態で」

 形名は大きく張った腹を摩った。


然様さように御座いますか。しかし、これ以上待つ訳にも参りませぬ。早速、狩装束かりしょうぞくに着替えて頂かねば」


 赤猪は、両手で黒の毛皮を持って、形名に示した。長野と秋野は、既に、茶の毛皮を羽織って居た。


「形名様は、この熊の毛皮を羽織って下され。息子等の物は猪に御座います。形名様は王の熊。息子等は侍者の猪。御三方にはこれから獣と成って頂きます。人の気を絶ち、獣に扮する事で、狩は確実なものと成りましょう」


 赤猪は、形名に示した熊の毛皮を、長野に手渡した。


「はい」


 長野と秋野が形名の背後に回って毛皮を広げると、形名はこれに腕を通した。


「大柄な形名様の御身体に、見事に、似合うて居ります。次は、これを顔に塗って下さいませ」


 赤猪は、祭壇に供えられた壺を手に取り、形名に差し出した。


「えっ」


「では、先ず、長野、秋野」


 長野と秋野は、赤猪が持つ壺の中に手を入れ、黒い粉を摘むと、手で伸ばし、自らの顔に塗りたくった。

 手と顔が真黒と成った長野と秋野は、羽織った毛皮と相俟あいまって、あたかも猪の様に成った。


 形名も、長野と秋野に倣って、手と顔を黒に染めた。


「形名様、如何見ても、熊。熊そのものに御座います」


 毛皮を纏った巨躯きょくと、真黒に成った顔と手は、形名を熊にした。


「では、次に獣化の舞。自らを獣と化し、舞い狂って頂きます」


「どうすれば」


「長野、秋野」

 と赤猪が言うと、二人は四肢を地に着け、獣の様に激しく跳ね、気が触れたかの様にじゃれ合った。


「さあ、この様に。形名様」


 形名は、腹が苦しく、動きたくは無かったが、王になる為の儀式。見様見真似で身体を動かした。


 獣化の舞は、半刻程続いた。


「さて、これにて支度は整いました。これより朝まで、獣の皮に身を包んだ儘、祭壇の前で眠って下さいませ。朝に成れば、人の気は失せ、獣の気に包まれて居ります。すれば、狩は確実なものと成りましょう」


 汗だくと成った三人は、獣の様に背を曲げて横に成り、夜を過ごした。


 汗の染みた毛皮からは獣臭が漂い、部屋に充ちた。


 形名は、目を瞑っては居たが、確りと眠る事が出来ず、何度も、何度も、寝返りを打って、時を過ごした。


 れ程、時が経ったのか。形名は、戸の隙間から、外が何と無く白んで居るのに気が付いた。


「長野殿、秋野殿、起きて居られますか」


「はっ、既に」


「吾は全く眠れなかった。御二人は如何でしたか」


「吾も」

 長野と秋野は声を揃えた。


「大丈夫でしょうか」


「心配は無用に御座います。吾等に御任せ下され」


「御二人に、熊狩りの経験は」


「私は三度」

「私は一度」

 長野に続いて、秋野が答えた。


「そうですか、然すれば、安心ですね」


 形名達が話して居ると、

「形名様、失礼致します」

 と赤猪が戸の前で声を掛けた。

「もうしばしで、日が昇ります。既に御来光の儀の支度は整って居りますが故、御外へ」


 形名達は館を出た。


「如何見ても、獣そのものですな」

 陽を望む為に作られた石舞台に立つ石成が、三人を観て何度も頷いた。


「吾は如何すれば」

 形名が問うと、


「吼えて頂きます」

 と赤猪が答えた。


「えっ」


「昇り来たる太陽に向かって、獣の様に吼えて頂きます」


「さあ、形名様、長野殿、秋野殿、こちらへ」

 石成は、三人を石舞台に招くと、自らは舞台を降りた。


「そろそろですな」


 東から次第に暁が空を染めた。黒う嶺を背にして望む布加無曽の里の南には、利根川に向かって注ぎ込む荒砥川、粕川に囲まれた豊かな田園が広がり、闇色の稲穂も順にあかね色と成った。


 五人が、見詰める朝焼けの先に、眩き陽が半球状となって姿を現し、黒う嶺をも赤く照らした。


「さあ、御叫び遊ばせ」

 赤猪が高らかに声を上げた。


 長野と秋野は大きく吼えた。


 形名は戸惑っていた。


「さあ、形名様も」


 促され、形名も習って獣の如く叫んだ。


 三人の声が黒う嶺に響くと、それに応じる様に、黒う嶺の方々より獣達の咆哮が湧き上がった。


 人と獣の奏でる音は、黒う嶺の中で幾重にも反響し、山の隅々へと溶け込んだ。


「さて、これにて御三方からは、完全に、人の気が抜けまして御座ります。人の気が失せ、獣と成らば、獣達に人と悟られる事は無く、結界を越えて深山に入り、自由に動く事が叶いましょう。そして、狩での得物えものはこちらを御使い下され」


 赤猪が、石舞台横の祭壇に供えられた三組の弓矢と短剣を、三人にそれぞれ手渡した。


「形名様、その剣は如何為さる御積りか」


 形名の腰には、毛野の主の証が携えられて居た。


「これを外す訳には参りませぬ。常にこの剣を佩びて居る事が、倭の定めた国造の掟。山にも佩びて参らねば」


「その煌びやかな拵えは、山中では目立ちもしますし、汚れもします。こちらを御使い下され」


 形名は、腰の物に、熊の毛皮で作られた尻鞘しりざやを被せた。


 三人が剣弓を携えると、石成が、柏手かしわでを大きく二つ鳴らし、告げた。

「これにて全ての首尾が整いました。熊狩りが無事に成し遂げられん事を心より願って居ります」


 石成と赤猪は、三人向かって深々と頭を下げた。

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