良薬は口に甘い
フランソワとアスキスはたちまち表向きは紳士淑女の仮面をかぶった野次馬に囲まれてしまった。
が、フランソワは普段から無駄に令嬢に絡まれてる分動じることなく適当に言葉を交わしながらこの屋敷の主であるマイエンヌ公爵夫妻へ挨拶へと向かう。
「本日はお招きありがとうございます。ご招待賜りましたので、ご記憶には無いかもしれませんが我が妹のアスキスも連れてまいりました 」
フランソワに続きアスキスも言葉を発する。
「バルトリ伯爵が長女アスキスにございます。本日はお招きありがとうございます」
アスキスは笑みを浮かべながら優雅に淑女の礼をとった。
「これはこれは、さすがバルトリ伯爵家の隠れ花と言われるアスキス嬢、なんとお美しい……。よくぞおいでくださいましたな」
マイエンヌ公爵は驚きをにじませながらも二人をあたたかく迎えた。
「まぁなんて麗しいご令嬢かしら。私も色々とふにおちましたわ。久しぶりにお出ましの夜会が我が家主催のもので嬉しいわ。ダンスの合間に召し上がっていただく軽いお食事もいつもより甘い物に力を入れましたのよ。どうぞ楽しんでいらしてね」
マイエンヌ伯爵夫人は朗らかな笑顔ながらあきらかに含みを持たせて言葉をかける。
なんとなく引っ掛かるものを感じつつアスキスはフランソワを見上げるが、フランソワは微動だにせずまたそつなく歩を進めてゆく。
ホールを抜けて奥の軽食がならんでいる部屋に着くとフランソワはほっと一息ついた。
「今はまだ到着したばかりで皆忙しい時間だから一人で休んでいても大丈夫だろう。二三挨拶まわりを済ませてくるからその間おまえの大好物の甘いものでもつまんでいるといいよ。なるべく早く戻ってくるからおとなしくしてるんだよアスキス」
フランソワはまるで幼子に留守番を言いつけるように告げると再びホールへ出ていった。
アスキスはうっとりとテーブルの上を眺めた。
先程の公爵婦人の言葉通りまだ誰も手をつけていない料理の数々がところ狭しとのっている。
オードブルからはじまり小菓子に至るまで全てほんの一口の器に取り分けるか、フィンガーフードに仕立てられている。
公爵婦人の言う通り、スイーツは特に充実している。
何種かのベリー類をたっぷりの生クリームと共に溢れんばかりに挟んであるショートケーキ、
二層に焼き上げ黄金に輝くマーマレードが塗られたチーズケーキ、
一口大に絞られたマロンペーストの上にチョコレートが飾られたモンブラン、
小さな姫りんごに見立てたアップルパイ。
カラフルなマカロン。
可愛らしい小さな器に盛られた色とりどりのゼリー、ドライフルーツのチョコレートがけ、
さまざな形のタルトにクッキーにマドレーヌと焼き菓子も沢山。
アスキスはうっとりと目の前のスイーツを眺めたがすぐに哀れな病人のことを思いだした。
(今ならうまく薬を渡せるかもしれないわ)
アスキスはこの部屋の奥にも中庭にでるガラス戸があるのを見た。
名残惜しげにスイーツから離れガラス戸をそっと開けて中庭へと踏み出した。
広い中庭の左奥に薔薇のアーチが並んでさらに奥には東屋があるようだ。
アスキスはドレスの裾を慎重に持ち上げできるだけ素早く薔薇の中の東屋を目指した。
ノエルはアスキスとフランソワが一瞬で皆の注目を集めたのを潮にさりげなく中庭にでて薔薇のアーチの中へと一人進み今夜の逢瀬が無事果たされ恋の病が完治することを願っていた。
月の光に照らされた東屋は大小の薔薇の花が咲き乱れかぐわしい香りで満ちている。
その中に背を向けて立つ一人の青年。
黒髪を後ろに撫で付け隙なく夜会服を着こなす姿はどう見ても上位の貴族だ。
アスキスは東屋を覗きこんでかけようとした声を飲み込んだがその男は僅かな気配で振り返った。
「マリー、いやアスキス……やっと逢えたね」
あのノエルが洗練された姿でそこにいた。
「の、ノエル?!あなたどうしてここに?」
ノエルは跪くと目を驚きで見開くアスキスに告げた。
「アスキス嬢、私はノエル・ド・ラ・ロシュジャクラン。貴女がデビューした日に貴女に心を奪われた。それ以来貴女を思う度に胸がキリキリと軋むように痛み夜も眠れない有り様だ。私を助けてはもらえないだろうか?私の伴侶となってほしい」
紫がかった瞳がアスキスに真っ直ぐ向けられ、
自然と手をとられる。
「ノエル!いえ、で、殿下ひどいわ私を騙していたの?薬なんていらないじゃない」
アスキスは後ろに下がろうとするがノエルが手を離さない。
「薬は貴女だアスキス。貴女に会えないと私はどうかなってしまいそうだ。立派な病気なんだ。君に会うためにあらゆる手段を使って雑貨屋のノエルになったんだ。だけどもう雑貨屋で会える三十分じゃとても足りない。君はこの哀れな患者を見捨てるの?君はノエルを嫌いだった?ノエルに会えなくなっても?」
「ノエルは好きよ!……あ、あの飾らないノエルなら好きだわ」
ノエルの真剣な告白にアスキスは本人も無自覚だったノエルへの気持ちを口にしてしまった。
「私の本質はどこにいても変わらないよ。雑貨屋にいても王宮にいても同じノエルだ。私なら君の薬の研究を後押しできるし、君の為にケーキも焼くよ」
「本当?」
「誓うよ」
言うが早いかノエルは立ち上がりアスキスを抱きしめた。
抗議の声をあげようとしたアスキスの口にはチョコレートが一粒差し入れられ、ノエルの唇で閉じられた。