海賊寓話番外編『狼と冷凍娘』
暗雲の立ち込める航路を引き返す事は出来た。けれど、俺たちはそうはしなかった。困難の先にこそ輝けるお宝がある。人外の強靭さを持つからこそ乗り越えられる窮地がある。我ら銀狼海賊団はどんな困難にも立ち向かう力がある。
獣人のみで構成される銀狼海賊団は、その日嵐に立ち向かっていった。船長である俺、ピエール=カロンはそれが最善の道であると判断した。その心に後悔はなかった。
冷たい海に背を叩き付け、飛びそうになる意識に必死にしがみ付く。打たれ強さだけが取柄の俺がこれしきの事で意識を失ってたまるか!折れたマストの帆船に向けて、一吼えする。
いいか、お前ら。絶対に生きて港へ帰れ。誰もこの結果に後悔するんじゃねぇぞ!
あっと言う間に遠ざかる愛しのグレートヒェン号を見送り、俺は口を開けた波に飲み込まれた。
ゴツン、と船底に何かがぶつかる独特の篭った音が聞こえて、俺は意識を取り戻した。目を開ければ、目の前を塞ぐ船の腹が見えた。どうやら俺の体は漂っていた板材に引っかかって漂流したようだ。獣人の体はこう言う時に頑丈で良い。漂流した果てに停泊中の船に当たったか、とにかく俺は運が良かった。声を上げようにも波に消されるのが関の山と、船の腹に爪を立てる。木片の一部をもぎ取って、力いっぱい船の腹を叩く。程なく、船の上から誰かが覗き込み、救助用にロープが下ろされた。冷え切った体で船の側面を登る事は出来ず、ロープを体に括り付けて引き上げてもらった。
「……助かったぜ」
「貴方は誰?どうしてベルサーヌのお腹を叩いていたりしたの?」
誰よりも先に口を開いたのは少々顔色の悪い若い娘だった。顔色は悪くも、容姿は整っていてむしろ愛らしい顔をしている。その愛らしい顔が何とも不思議そうに俺を見ている。ビショビショの服を脱いで絞りながら、俺はようやく口を開いた。
「ワケは追々話すとして、ちょいと体を拭く布と、毛布を一枚貸してもらえねぇか?寒くて凍え死にそうだ」
「あら、そうね。待ってて、今持って来るわ」
ブルブルと体毛を振り水気を飛ばすと、甲板に集まっていた船員たちが皆一様に飛びのいた。おっとこりゃ失礼。
「アナタ、大きな体ね。この毛布で足りるかしら?」
娘は半ば毛布に埋もれるようにして小さな歩幅でヨタヨタと走って来た。そんな仕草の一つも愛らしい。
ありがとうさん、と礼を述べて、布で頭と体を拭く。ズボンを脱ぎたいからお嬢ちゃんはちょっとあっち向いててくれ、とその不思議そうな視線を払い、俺は服を乾かす為に甲板に広げた。一応体毛があるが、紳士的に体をぬぐった布を腰に巻いて毛布に包まる。ようやく一息吐けそうだ。
「ありがとよ、お嬢ちゃん。あと船員さんたちもな。船長は誰だい」
「船長は船長室に居るの。こっちは甲板長のギャンバー」
これまた顔色の悪い男を甲板長と呼んで娘が紹介した。
「この船は商船か何かかい?」
「そうよ。商船ベルサーヌって言うの」
妙な違和感を感じながらも、ハキハキと言葉を紡ぐ娘のテンポの良さに引きずられる。
「……そうかい。俺は銀狼海賊団の船長ピエール=カロンだ」
「私はアナベルよ。アナタ海賊なのね?」
「元って言った方が良いかもな。俺の愛しのグレートヒェンは嵐でマストを折られちまった。恐らく団は解散するだろう」
「アナタはその嵐から流されてきたの?」
中々物分りの良い娘だ。その通りだと苦笑してやれば、かわいそう、と眉を顰めた。
「商船なら丁度良い、次の中継地まで乗せて行ってくれ。甲板掃除と見張りくらいなら出来る」
「事情は分かったけど、この船ではアナタみたいなのはお客様になるの」
もてなされてね、と笑った娘の愛らしさに、俺は違和感から目を逸らされた。
この船の様子がおかしい、と俺の直感が、野性が訴える。
船に客人として迎え入れられた訳だが、どうにもこの船の船員たちはみな総じて顔色が悪く、生気に欠ける。獣特有の鼻の良さも仇となった。この船からは生きる者の匂いを感じない。
与えられた客室で出された温かいスープを口にしながら、この船には深入りしない方が良いと警鐘を鳴らす本能に対峙していた。
近付く足音と、続いてノックされた扉を開けると、隙間からヌッと長い鳥の嘴が差し込まれた。ギョッと一歩下がって見れば、それが奇妙な形のマスクだと気が付く。
「あぁああー!獣臭い!」
勢い良く開けられた扉から、長い鳥の嘴を模したマスクを付けた男が入って来た。
「スープは美味かったか?残さず食ったな?さあ貴様の服が乾いたぞ!塩まみれだ!だが見ろ!俺様が洗ってやった!見ろ!ピカピカだ!」
うるさい!物静かな船員たちの言葉は、全部この男が食べてしまったのではないかと思うほど、マスクの男は良く喋った。しかしスープは美味かったし服も新調したようにピカピカだ。こればっかりは礼を述べねばなるまい。
「スープは美味かったし、服も助かった。しかしもう少し静かにしちゃあくれないか」
「うるさいと言うか!こんなに獣臭を撒き散らすお前が!ならさっさと立ち去ってやる!早くそのカップを寄越せ!」
スープの入っていたカップを受け取り、やはり騒々しく廊下を闊歩していく男を見送った。彼がビルシュテレン。この船の古参船員のようだ。何とも個性的な船員が揃っている事だ。
服を着替える間も無く、暖まった体が休息を欲して俺はベッドに横になった。船の客間にしては質の良いベッドで夢も見ない程熟睡した。
囁くような声が聞こえて、目を醒ますとすっかり朝になっていた。
綺麗にたたまれた服を広げて身につけ、軽快な足音がする甲板へと出る。娘、アナベルが一人甲板の掃除をしていた。
「おはよう、ピエールさん。良く寝れた?」
「ああ、すっかり体力も戻った。掃除を手伝っても?」
「駄目よ、アナタはお客様だから」
朝ごはんまで待ってね、と言われて手伝う事も出来ず、その掃除の手際を眺めていた。一人で掃除をするには広すぎる甲板を、疲れ知らずで走り回るアナベルは立派だなと思いつつ、他の船員は何をやっているんだと不審に思う。元船長でもある自分から言わせれば、甲板の掃除は船員全員の義務であり仕事でもある。それなのにこんな娘一人に任せて、一体何をやっているんだ。
そう悶々とした不満を抱えつつ、朝の少しひんやりとした潮風に髭を揺らせている事に気付き、己の幸運に感謝した。もう二度と拝む事のないと思った朝日に目を細めながら、愛しのグレートヒェン号と仲間の無事を祈った。
程なく朝の甲板に騒々しいビルシュテレンの声が響き、温かな朝食が振舞われた。昨日飲んだスープと、今日になって焼かれたらしいパンと鯨肉と思われるベーコン。デザートに出されたオレンジが思いの外瑞々しくて喉が鳴った。
「船の上でこんなに美味いオレンジが食えるとは思わなかったぞ」
「そうかそうか!お前には勿体無い代物だぞ?存分に味わって食うんだな!」
相変わらず騒々しい男だ。その横でオレンジを食べるアナベルが、うるさい、と一喝したが、ビルシュテレンの口は止まらなかった。
料理担当の彼の自慢話とも苦労自慢とも付かない話を、船員一同しんと反応もせずに聞いている。やはりこの船はおかしい。
アナベルの食べるオレンジが、微かに涼しげな音を立てた。
仔鰐の骸で作ったパペットだろうか。アナベルは甲板の端に座り込んで人形遊びをしている。この船に乗って既に三日。後二日もすれば港に付くとアナベルから言伝を貰って、そのまま甲板で遊んでいる娘の様子を観察している。時折船員が潮の様子を見たり見張り台に登ったりしているが、何と言う事は無い。風は微風、帆は満帆は行かずも振れる事無く風を受け止めている。この上なく良い航海だ。
なのに、俺の中の不安は時と共に積もっていく。やはりこの船は生気に欠け過ぎている。活気と言うか、生きている者たちが発している力強さが感じられない。獣としての本能が訴えている。
コレは、幽霊船だ、と。
そう短くはない時間を海賊として過ごして来たが、噂には聞いても遭遇した経験はない。けれど、実際にこれだ、と本能が恐れている。
そうだ、この不安は恐怖だ。幽霊船は仲間を求めて彷徨うのだと言う。もしかして俺はあの嵐で既に死んでいて、幽霊船が迎えに来たとでも言うか?港に着いて、お前はもう死んでいるんだと自分の墓に案内でもされるのか?
いいや、そうじゃない。きっとそう言う事ではない。現に俺はこうして生きている。心臓は未だに脈打っているし、この体温を自分で感じる事が出来る。
思い返せばアナベルは言っていた。『アナタみたいなのはお客様になるの』と。俺みたいに、と言う事はつまり俺はまだ生きていて、この船の船員とは違うと言う事だ。つまりこの船の船員は皆死者である、と。
その考えに辿り着いて俺は頭を抱えた。あんなに愛らしい娘が死者だと言うのか。惚れたはれたと言う話ではない。あんなに若い娘が、この先の未来もなく幽霊船に乗っていると言う事だろう?それで良いのか?ただ単純にそれが気がかりだった。
何を切欠に話をして良いか分からない。人形遊びに夢中なアナベルの横に座って、自然と出て来た言葉で問いかけた。
「お嬢ちゃんよ、この船が好きか?」
不思議そうに見上げる大きな瞳が、間違いなくキラキラと輝いていた。
「可笑しな事を聞くのね。好きに決まってるわ。この船も、船長も甲板長も、みんな好きよ」
ビルシュテレンは少しうるさいけどね、と苦笑した少女の笑顔には一点の曇りも嘘偽りもなかった。
「そうか」
ふわりと変わった風向きに、船乗りたちが慌てたように甲板を走り出した。
やがて、風の音に似た声で船乗りたちが歌を歌い出した。かつて活気に湧いた船内で歌われた歌を、まるで風のように船員たちは歌っていた。
「♪船よ往け、波間に見える鯨を越えてけ」
船乗りの唄は沢山知っている。船員たちに合わせ俺が口ずさんだ歌に、アナベルが不思議そうに、そして嬉しそうに歌を口にした。
♪船よ往け、波間に見える鯨を越えてけ、ヨーホーホー
風よ吹け、たっぷりの風を帆に溜めて、ヨーホーホー
♪陸を離れ、東の海へ、南の海へ、往くぞ我らが潮の道
海が呼ぶ、西の海へ、北の海へ、届けろ俺たち船乗りの唄……
「ピエールは歌が上手ね!」
「そうかい?ありがとうさんよ」
いつしか船乗りたちとアナベルと、そして俺の歌声が波音に交ざって響いていた。
二日後。予定通り港に停泊したベルサーヌから降りた。
「またね」
そう言って俺を見送ってくれたアナベルの顔が少し寂しそうに見えたのは俺の勘違いだったのだろうか。
そんなアナベルの横をズカズカと大股でビルシュテレンが闊歩して降りてくる。
「何だその顔は。俺は今からこの街に用があるのだ。さあさあ、ベルサーヌから降りたのだからさっさと何処へなりとでも行くが良いぞ!」
「……ああ、そうだな」
「ちなみにベルサーヌの出航は明日の昼だ」
「そうかい。なら出航のテープでも切りに来てやるよ」
嫌味に嫌味で返す応酬をして、俺は船に背を向けた。
酒場に入ると大柄な獣人は目を引くらしく視線を感じたが気にせず、海軍なんかが発行する賞金首の一覧掲示板に目を通す。
「……やっぱりそうか」
銀狼海賊団解散、と言う小さな一報が張られている。船長は行方不明、船員は散り散りになったと報じてある。そうか、お前ら無事に次の旅路に立ったか。
安堵と共に、自分の進退が宙ぶらりんになっている事実が顔を向けた。
どうしたもんかな、と酒場を出て空を仰ぐ。別に行く場所がなくなった訳ではない。新しく何処かで船を強奪して、適当に船員を集めて銀狼海賊団復活の報を流せば、かつての船員たちは元通り集まってくるだろう。再び海賊家業に励みたいか?違う。そうじゃない。自分の往きたい路は、もう決まっていると言うのに。
燦々と降り注ぐ太陽光を浴びて、体毛がフカフカと熱を集めていく。その熱を胸の内の起爆剤にして、俺は街の雑踏に足を進めた。
間も無く出航する船に向かって走る。足の早さには自身がある。大荷物を抱える腕っ節も体力にも自身があった。
「ピエール!どうしたの?」
図々しく船に乗り込んで来た俺にアナベルが驚きの声を上げた。
「おう。やっぱり俺んところの海賊団は解散してた。行く場所がなくなったからよ。雇ってくれよ、この商船で」
当面必要になりそうな旅支度はして来た、と抱えていた荷物を甲板に下ろせば、アナベルが不思議そうに、そして困ったように言った。
「本当にいいの?どうせアナタは分かっているんでしょう?ベルサーヌに乗るって言う事が、どう言う事かって」
「分かって言ってんだ。こう見えて元海賊船長だ。こう言うのが一頭くらい居ると役に立つぜ」
大きな口でにやりと笑って見せれば、アナベルは仕方ないわね、と苦笑した。
「ベルサーヌの事を色々話さなくちゃ。でも、まずはコレかしら」
そう言ったアナベルは、肩から提げていた箱を開けた。ヒヤリと冷気が溢れ出し、彼女の手が箱の中から果実を取り出した。
「蛇が微笑んだ知恵の実よ、どうぞ食べて」
差し出された真っ赤な林檎。手に取ればどう言う仕掛けか、痛いほどに冷たかった。コレを口にする事が、ベルサーヌへの入船儀式か?俺は一口にその果実を口に入れ、勢い良く噛み砕いた。
甘い蜜の香りと、爽やかな酸味が口に広がり、そしてキーンと奥歯が沁みて痛かった。
おわり




