3.到着!辺境の地
――ようやく辿り着いた辺境の空は呪われていた。
茫然と立ち尽くし、呪われた空を声もなく見上げていると、アレクシス様が私の肩を不機嫌に叩いた。
「縁起でもないことを言うな。呪われてなどいない、単に今日は少し曇っているだけだ」
「あ、そうなんですか? な~んだっ」
たちまち私は元気を取り戻す。
いやだって、あまりにどんよりしているものだから。
青というより紫色に見える空を、ぶ厚い雲が陰鬱に覆っている。事前に聞いたところによれば、あの向こうには魔界があるって話だし。
「はっはっはベルさん、魔界は資源の宝庫なのですよ。我ら辺境の民にとっては宝の山なのですよ。多少空が呪われてるぐらいでめげちゃあいけません」
「やっぱり呪われてるんじゃないですかぁっ!」
にこにこする御者さんに、私は盛大に突っ込んでしまった。
彼の名はピエールさん。
長旅でたった一人きり交代要員もなく、私とアレクシス様の乗る馬車をえんえんと御してくれた御者さんだ。にも関わらず疲れた顔など一切見せない、無尽蔵の体力を誇るタフなおじ様なのである。
辺境伯の屋敷に着いて早々、ピエールさんは機敏に動いて馬車からひょいひょい荷物を運び出していく。
鼻歌交じりで働くピエールさんに、アレクシス様が渋い顔を向けた。
「ピエール。改めて言うまでもないが、ベルがマリアベルでないことはくれぐれも口外せぬように。今この時より、彼女のことは『マリアベル様』と呼」
「――お帰りなさいませ、旦那様」
不意に、ギィッと重々しい音を立てて扉が開く。
静かな声音に振り向けば、カツカツとヒールの音を立てて目が覚めるような美女が現れた。つややかな銀髪は肩の上でぱっつりと切り揃えられ、青灰色の瞳は長いまつ毛に縁取られている。
「……ソニア」
こんなとんでもない美女を目の前にして、なぜかアレクシス様が苦虫を噛み潰したような顔になる。
私を隠すように前に立つと、「ただいま戻った」と平坦な声で告げた。
「こちらが我が妻となるマリアベル嬢だ。……長旅で疲れているだろうから、今日は屋敷の者に紹介するのはやめにして早々に休ませるつもりだ」
さあ、と腕を引かれ、私はひとまず大人しくアレクシス様に従うことにした。
疲れきっているのは本当で、今はとにかくお嬢様演技をするのが面倒くさい。
ピエールさんは気さくなおじさんで私のこともあっさり受け入れてくれたが、ソニアさんは見るからに厳しそうな女の人だ。
「お、お邪魔しまぁす」
首をすくめてソニアさんの横を通り過ぎれば、彼女の目がキラリと光った。
「――お待ちなさい」
「……っ、ソニア!」
アレクシス様が慌てた声を上げるより先に、ソニアさんの顔がもう私の目の前にあった。
今にも触れ合いそうなほどに距離が近い。思わず息を呑む私に、ソニアさんはすんなりと長い指を伸ばした。
「随分とすべらかな頬、ね……。先に言っておくけれど、しらばっくれたところで無駄。わたしの審美眼はごまかせない」
「うひゃっ?」
ソニアさんの指で頬をなぞられ、くすぐったさに私は身をよじって笑ってしまう。
しかし、ソニアさんは全く笑っていなかった。
「推定年齢――十代前半。どれだけ多く見積もったとしても、せいぜい十三といったところ。ただし、誤差はマイナス三まで認めることとする」
「…………」
はい?
私の目が点になる。
困ってアレクシス様を振り向けば、アレクシス様は遠い目で天を仰いでいた。
「えっと……?」
「事前情報によれば、マリアベル・ゲイツ伯爵令嬢は十八歳になったばかりのはず。けれどあなたは十三歳。髪の色は……ええ、こちらは情報通りの淡い金髪ね。でも瞳の色が違う。マリアベル嬢なら青色のはずなのに、あなたのは深い緑色」
「あ、えと」
「旦那様は二十四歳。十以上の開きがある。ましてあなたは未成年。……旦那様、いえ、この嘆かわしきロリコン変態野郎めが」
ソニアさんの美しい瞳が、たちまち凍えそうなほどに冷たくなっていく。
私を押しのけてアレクシス様に歩み寄ると、白魚のような指を彼の眉間にピタリと突きつけた。
「状況証拠より下されるは――圧倒的有罪判決。今すぐ丸腰で魔界に乗り込んでこい。そしてそのまま爆ぜろ。跡形もなく爆発四散しろ」
「落ち着け。誤解だ」
「変態に貸す耳は無い」
「――アレクシス様ッ!?」
思わず私は悲鳴を上げてしまった。
細身のぴったりしたドレスから、ソニアさんの激しい足蹴りが繰り出されたのだ。アレクシス様は横っ飛びに跳んで機敏に避けたが、私は矢も楯もたまらず彼らに駆け寄った。
「っベル、来るな!」
「だって! このままじゃソニアさんがっ!」
泣き出しそうになりながらソニアさんの様子を確認すれば、彼女のタイトなスカートには深いスリットが入っていた。どうやら今の蹴りで破れたわけではなく、元々こういうデザインだったようだ。
そっとドレスを押さえて立つ彼女の姿は、ほんの少しの乱れもなくて美しい。
「なぁんだ、よかった~。てっきりドレスが大惨事になったかと思っちゃった」
安堵して笑みをこぼす私を見て、ソニアさんの瞳がまたたいた。
氷みたく冷たかった青灰色の瞳まで温度を取り戻したように、先ほどまでの無表情がゆるんでいく。
「心配してくれたのね。優しい子」
「えへへ、女同士ですから」
「……礼として、ロリコン変態野郎は今すぐこの場でわたしが屠ってみせましょう。大船に乗ったつもりで待っていなさい」
ソニアさんは跡形もなく笑みを消すと、ザッと足を開いた。戦闘態勢を整え、アレクシス様に再び蹴りかかっていく。
「はいっ、頑張ってください~っ」
「おい待てベル!! 夫を売るな!!」
「旦那様ぁ、荷物は全て運び終わりましたんでこれにて失礼いたしますー」
「あ、お疲れ様でしたピエールさんっ」
空っぽの馬車を引く馬たちを引き連れ、ピエールさんが笑顔で去っていった。




