15.ほっと解けて、また一悶着
「オレ、もう帰るね。今日は休日だけど今から騎士団の詰所に顔を出して、そのままベルちゃんのダメダメ夫を飲みに連れ出してくるわ」
喝を入れてやらないとな、なんて謎のつぶやきを残すと、コンラートは足早に去っていった。
私はなんだか気が抜けてしまって、一度外したエプロンをぐずぐすと付け直す。そうしたら、厨房のみんなから「奥様も休んでください」と強引に追い出されてしまった。
……まあね、今日もミスばっかりだったからね。アレクシス様がダメダメ夫なら、私だってダメダメ妻だ。
「ああもう、無限に落ち込んじゃう。まだ休むには早いけど、ふて寝でもしちゃおっかなぁ」
なんて言いつつ、足は勝手に執務室へ。
休んでなんかしまったら、またぐるぐる思考の渦に沈んでしまいそうなのだ。
とはいえ、注意力散漫で今日は執務室から追い出されたという前科持ち。ためらいながら扉をノックして、そっと覗き込めばすぐにソニアさんが顔を上げた。
「ベルさん。ちょうどよかった。今呼びにやらせようかと思っていたところなの」
その様子を見るに、どうやら怒ってはいないらしい。
私はほっとして執務室へと足を踏み入れた。机の上に山と積まれた書類を見下ろしつつ、控えめに申し出てみる。
「何かお手伝いできることはありますか?」
「今日のところは気持ちだけもらっておく。……それより、ベルさん宛の手紙が屋敷に届いているの。どうぞ、今すぐ確認してちょうだい」
差し出された封筒を、内心首をひねりながら受け取った。
私に手紙をくれるひとの心当たりなんて全くない。封筒の表書きに目を走らせれば、「親愛なるマリアベル・ゲイツ様」とあった。……げっ。
「こ、これって私じゃなくてお嬢様宛じゃないですかっ」
慌てる私に、ソニアさんは無表情に首を横に振る。
「差出人を見てみて。ゲイツ伯爵――……マリアベル嬢のお父様からよ」
「旦那様?」
言われるがまま封筒を裏返せば、確かに旦那様の名が記されている。
ソニアさんがペーパーナイフを渡してくれたので、手紙を開封して文面にすばやく目を走らせた。
「…………」
「何て書いてある? まさか、帰ってくるように要求された? 辺境まで迎えを寄越そう、だなんて言い出してないでしょうね?」
ソニアさんにしては珍しく、険のある声音で畳みかけてくる。
私は茫然と彼女を見返して、ゆるゆると首を横に振った。ちょっと予想外の内容すぎて、思考がうまくまとまらない。
混乱したまま、私はソニアさんに手紙を差し出した。
「読んでいいの?」
ソニアさんは束の間ためらったが、すぐに意を決したように手紙を読み始める。
決然とした表情は、みるみるうちにぽかんしたものへと変わっていった。
「あはは……びっくり、ですよね?」
私は力なく笑う。
固まるソニアさんの頭越しに、もう一度手紙の文面を覗き込んだ。
――どうやらマリアベルが、辺境へと向かったらしい
旦那様の動揺を表すように、手紙には乱れた筆致でそう記されていた。
◇
「はあ? 本物のマリアベル・ゲイツがか?」
「そうなんですよぅ~……」
夜半を回ったころ、ようやくアレクシス様が屋敷に帰宅した。
ベッドに入る気になれず起きていた私は、いつも通りアレクシス様を出迎えた。自室で騎士服を脱ぐ彼に手を貸せば、遅くまで飲んでいたわりにお酒の匂いはほとんどしない。
「今までコンラートと飲んでたんですよね?」
「あっああ、だが俺は酒を飲む気になれなかったというか、ただひたすら己の阿呆さ加減に打ちひしがれていただけというか。耳に痛い説教に耐えるだけで精一杯だったというか……」
アレクシス様が情けなそうに眉を下げる。
しどろもどろで挙動不審だし、何を言っているのか少しもわからないが、ここ最近の顔色の悪さが消えていた。むしろ、まるで憑き物が落ちたかのようにさっぱりした顔をしている。
(……よかった。すごく久しぶりに、まともに会話できた気がする)
胸がじんわり温もって、私は衝動的に手を伸ばしてアレクシス様の頭を撫でた。
アレクシス様は一瞬驚いたみたいに目をみはって、それから嬉しそうに頬を赤らめる。
「な、なんだ妻よ。夫をねぎらいたいのか?」
「うん、まあそうですね。だってあんまりお酒は飲まなかったんでしょう? 健康のために我慢できた夫えらい。ボーナスほっぺ、特別にジュウあげちゃいます」
なるべく軽く聞こえるよう、朗らかに言い切った。
……大丈夫かな。いつも通りにできたかな。声、震えてなかったかな?
緊張で心臓はバクバクしていたが、表面上は必死で平静を装った。
アレクシス様はじっと私を見つめ、やがてふわりと優しく微笑う。
「……やったぞ。では、早速今から使っても構わないか?」
「! は、はいっ。もちろんですっ!」
どうしてだろう、涙がこぼれそうになる。
アレクシス様にバレないように、顔を背けたまま彼の手を引いた。
二人並んでソファに腰掛けて、私はアレクシス様の手を取って自分の頬に当てる。視界が滲んでアレクシス様の顔が見えないし、唇だって震えてる。
それでも、アレクシス様は気づかないふりをしてくれた。
いつも通り楽しそうに私のほっぺをつねり、幸せそうな笑みをこぼす。
アレクシス様の手はとっても温かい。不思議と体の芯まで温もって、私はほうっと息を吐いた。
「……それで、マリアベルお嬢様に話を戻しますけど」
「え? 戻すのか? 俺は今それどころではないのだが」
「…………」
両手を駆使して私の頬をむにむにしていた夫が、不満げな声を上げる。ってこらこら、自分の本当の妻……になるはずだった相手の話でしょう?
「そんな不誠実な夫にはマイナスほっぺを食らわせますよ?」
「ぐはっ!? か、勘弁してくれ。今お前から『不誠実』と言われると、心臓にナイフを突き立てられたような気分になる……!」
「? どゆこと?」
本当に今日のアレクシス様は何を言っているのかさっぱりわからない。
首を傾げていたら、アレクシス様は私から手を放して大きく咳払いした。
「すまん、こちらの話だ。……コンラートのお陰でやっと現状把握ができたばかりなのに、また衝動のままに突っ走って同じ失敗を繰り返すわけにはいかんからな。立案・検討を慎重に重ねた上で、後日改めて仕切り直しをする所存だ」
「いやもう、本当に意味不明。端的に言ってどゆこと?」
「……俺に少し時間をくれ。ベルに、俺を待っていてほしい」
アレクシス様は少しだけ考え込んでから、ささやくように告げる。
その真剣な表情にどきりとした。
あのときと同じように視線に熱がこもっていて、どうしてか私は恥ずかしくなって慌ててうつむいた。くくっ、とアレクシス様が小さく笑う。
「耳まで真っ赤だぞ」
「うるさいなぁ! もうっよくわかんないけど、ちゃんと待っててあげますから話を戻しますよっ。マリアベルお嬢様のことなんですけど!」
近すぎるアレクシス様の体を押しのけてから、私は鼻息荒く旦那様の手紙を手渡した。
アレクシス様もようやく笑みを消すと、無言で手紙に目を落とした。そうして、あからさまに嫌そうな顔になる。
「……つまりまとめると、マリアベル・ゲイツはお前を救い出すために、辺境に乗り込んでくるというわけか?」
「わけです!」
そう。
『マリアベル・ゲイツ』がセルヴァ辺境伯に嫁入りした――との情報を、お嬢様と執事デズモンドは風の噂で聞いてしまったらしい。
そして直情型のお嬢様は義憤にかられ、駆け落ちの真っ最中であるにも関わらず、父であるゲイツ伯爵に怒りの手紙を送りつけてきた。
――お父様の人でなし!
――ベルを身代わりにするなんてとんでもないわ!
――すぐに辺境に向かうわ。愛するデズモンドとともに、このわたくしが『不浄の辺境伯』からベルを助け出してみせるっ!
「……一つだけ、確認したいのだが」
アレクシス様の顔がますます苦いものになっている。
私はもう笑うしかなくて、「どうぞ」と手をひらひらさせてアレクシス様に続きをうながした。
「――真っ先にお前を身代わりにしたのは、他でもないマリアベル・ゲイツだったよな?」
「はい、そうでーす」




