第十五章(4)
わたしが今の状況に不安を抱き始めた数日後のことだった。
いつものように神樹の実のエキスを飲み、訓練場行きの馬車に乗る順番を待っていたとき、背後から声を掛けられる。
振り向くと、そこにいたのはスイさんだった。どこか懐かしいその顔に、わたしは少しだけ気持ちが和らいだ。
「どうしたんですか?」
「これから公聴会があるらしいから、君たちも来た方がいい」
「公聴会、ですか?」
「この先どうするのかを話し合うんだ。話し合うというか、好き勝手に話させるというか」
「?」
「まあ、とにかく一緒に行こう。どうせ今日はたいした演習はできないんだから」
わたしはルカさんと顔を見合わせる。リンさんに断りを入れなくてもいいのか悩んだけど、その公聴会に虎白さまとファイさんも参加するらしい。
それなら大丈夫かな。
スイさんの後についていくと、謁見の間に辿り着く。そこには見慣れない長机が出されていて、半分くらいの席が埋まっていた。
大半の人がカミノタミ風の服を着たおじいちゃんだったけど、サイグラム風の服のひとも何人かいたし、明らかに平民の服を着た有色の髪のおじさんやおばさんもいた。
どういう取り合わせのメンバーなのか謎だったのだけど、とりあえずわたしたちは並んで席に座った。そこは入口寄りの、虎白さまの席からかなり遠い場所だった。虎白さまはいつも通りの壇上の席に座り、分厚い本を読んでいる。
しばらく待っていると、ばらばらと人が集まっていき、やがて長机は全て埋まった。座れなかった人たちが壁際に立ち、総勢百人くらいが集まったところで虎白さまが本を置いてこちらを向く。
「定刻になったので早速始める。前置きはいらんな? 皆、忌憚のない発言を宜しく頼む」
その言葉を皮切りに、勢いよく参加者の手が上がる。ファイさんが一人の平民らしきおじさんを指名し、その人が大声で話し始めた。
「虎白さま! 我々一般の有色たちは狼狽えています。いきなりドンパチと彩謌演習をはじめるし、白子だけでなく有色からも有志の兵を募っているとか。やっと司彩から目をつけられなくなってきたのに、どうしてまたこんな派手なことをなさるのですか?! 我らはただ平和に平凡に暮らしたいだけなのです。こんなことは即刻やめてください」
その言葉が終わるか終わらないかのところで反論の声が上がる。それはサイグラム風の服を着た平民の白子だった。
「それは何かが起こったときでも、白子を司彩に献上して機嫌を取ればいいという発想ですか?! わかっているでしょう、今はアピスとハルムの情勢が不安定で、司彩がどんな行動を取るのかがわからない。我々は防衛の準備をしておくに越したことはないんです!」
「それが司彩を刺激すると言っているんです! 何もしなければ相手は何もしてきませんよ!」
「その姿勢で一体何国が滅んだと思っているのですか! 歴史の勉強をしてから発言してください!」
ワイワイ、ガヤガヤと周りからも色んな野次が飛ぶ。騒がしくなった場内をファイさんが静める。
「発言はお一人ずつお願いします。一度にたくさん喋ると、いくら虎白さまでも聞き取れませんから」
しんと静まる中、再びたくさんの手が上がった。
次に指名されたのは、ハクテイのサイグラム派らしき若い白子の女性だった。
「私も防衛の準備をしておくことには賛成です。司彩がもしハクトを害しようとするならば、私たちは全力でハクトを守らねばなりません。しかし、司彩が何もしてこないなら私たちは司彩を刺激するべきではありません。だから彩謌の演習は防御術に専念するべきではないかと思います」
「防御一辺倒で防衛などできるものか! 有色の軍隊が攻めてきたらどうする。こちらも有色の軍隊で撃退するのか?」
「有色の軍隊には有色の軍隊で立ち向かいましょう。彩謌を使えない白子もいますし、彩謌隊以外の兵も充実させるべきです」
「訓練ばかりしていたら生産力が落ちる。生産力が落ちれば国力が弱まる!」
「今は有事です。労働時間を増やしましょう。私たちハクテイのものは二十四時間働いています」
「有色には無理だ! そもそも白子全員を賄えるほど神樹の実の蓄えもないだろう!」
ワイワイ、ガヤガヤ。またも場内が混沌としてきた。ファイさんが注意して皆が平静を取り戻す。
再び手が上がる中、今度はカミノタミ派のおじいさんが指名を勝ち取った。
「皆さん。落ち着いてください。創世記の千年問題を今一度思い出してください。我々はこのままで本当に良いのでしょうか。フレジエは本当に今のまま存続するのでしょうか? 私はそうは思いません。天子が再来しないことには、あと数十年で世界は滅びます。我々は天子を再来させねばなりません」
「天子はここにおられるじゃないか! 虎白さまこそが天子だ!」
「虎白さまは確かに天子に最も近い存在ですが、本当に今のハクトが楽園になると思いますか? 司彩の一息で飛んでしまいそうなハクトが楽園になりますか?」
「何が言いたいんですか! はっきり言ってください」
「天子は神の力を持つ存在です。現在神の力は六分割されて司彩に受け継がれています。天子をこの地に再来させるためには司彩の力を集めなければなりません」
「それはあなた方の妄想でしょう! 集めるとは具体的にどうするんですか!」
ワイワイ、ガヤガヤ……。
その後も、場が混沌とするたびにファイさんが宥め、挙手した者から一人ずつ指名する――その繰り返しが続いた。
指名される人は、どうやら司彩派・サイグラム派・カミノタミ派から順番に選ばれているらしく、意見は大きく三種類に分かれたまま、ぐるぐると回り続ける。
細かな違いはあっても、要旨はおおよそ次の通りだった。
司彩派は軍事訓練に不満を持っている。司彩を恐れており、目立つ行動は避けるべきだと主張する。生産力を高め献上品を作り、司彩の機嫌を取るべきだと提案していた。
サイグラム派は世界の不安定さに焦りを感じているけども、司彩を刺激することは望んでいない。防衛力強化を第一とし、軍事訓練には概ね賛成の立場だ。
カミノタミ派は千年問題を危惧している。現在の不安よりも数十年後の危機を重視し、その解決のため司彩へ何らかの行動を起こす必要があると考えていた。
「この国には既に三柱の司彩が揃っています。ご存じない方もおられるかもしれませんが、狐翠、藍猫、橙戌はハクトに味方しているのです。我々はあと三柱を揃えればいいだけなのです」
「揃えるとは一体どうするんですか! 引っ張って連れてくるんですか? 土下座して頼み込むんですか?」
「最近の研究で、ひとりの白子に複数の司彩を憑かせることができると判明したそうです。司彩を制御できる白子に集めれば安全に司彩を運べるかもしれません」
「それなら、司彩を殺して狐翠に入れましょう。狐翠の頭は長らく狐翠を制御しているらしいですよね。彼は白子を襲わないそうです」
「それがいいかもしれません。一番安全だ。是非そうしましょう」
議論がそんな方向に進んだとき、隣でスイさんが肩をすくめた。
みんな、わたしたちがその“司彩を宿した白子”だと知らないのかしら。
わたしはともかく、スイさんがいる前でこんな話をするなんて――驚きだった。
それでも誰もこちらに注意を向けず、好き勝手な議論は続く。
数時間が過ぎ、集まった百人のほとんどが言いたいことを言い切ったのか、段々と手が上がらなくなってきた。
静まり返った場で、全員の視線が虎白さまへ向く。
虎白さまは場内を見渡し、口を開いた。
「皆の考えはよく分かった。ハクトの行く先は俺が責任を持って決めよう」
参加者たちは静かに頷く。
不満の声は一つも上がらない。
皆が虎白さまを信頼しているのが、肌で感じられた。
「司彩を刺激すべきでないことも、防衛が重要なことも理解した。しかし真に平和を望むなら、千年問題も念頭に置かねばならん」
低く、ゆっくりと続ける。
「真偽はさておき、本当であれば最も危険なのがそれだ。世界が崩壊すれば、俺はハクトを守れん。それは避けねばならん」
みんなが頷く。千年問題などまやかしだと言っていた平民のおじさんも頷いている。
虎白さまの言葉には皆を納得させる力があった。わたしも自然と聞き入っていた。
「千年問題を解決する方法はまだわからん。ただ、『司彩を集める』という話は予てよりカミノタミ派から提案されてきた。
――カミノタミ派の多くの者たちは、長らくハクトに仕えてくれている。長い者で数百年だ。彼らの意見を軽く扱うわけにはいかん。俺は何か行動すべきだと感じている」
カミノタミ派の人たちは嬉しそうに頷いている。
だけどすぐに風向きが変わった。虎白さまは、急に視線を上に向けて難しい顔をした。
「しかし、俺にはよくわからんのだ。千年問題というのは創世記の預言に基づいている。創世記というものは、創造神の言葉を最も忠実に書き残したものであるとされているが……俺たちは本当にその通りに生きるべきなのだろうかと」
場内にわずかな困惑が広がる。
誰もが戸惑っていた。
虎白さまの演説でこんな空気になるのは初めてなのだろう。
皆、自分が戸惑っていることに戸惑っているようだった。
「子を持つ者は分かるだろう。親は子に自立を望む。頼らず生きる力を望む。
我らが創造神の子であるなら――神が真に望むのは、創世記に従い続けることなのか?」
誰に問いかけるでもなく呟き、再び視線を戻す。
迷いを見せた虎白さまに、多くの者が狼狽していた。
皆、緊張した面持ちで次の言葉を待つ。
「……分からぬことは、あえて考えん。今は最適と思う行動を取る」
いつもの自信ある表情に戻り、彼は宣言した。
「軍事訓練は、もしものときの選択肢を増やすためにしている。司彩を刺激すると危惧するものがいるようだが、これから司彩に会いに行くから心配は無用だ。
俺は金凰と話をつけるつもりだ。金凰との対立はもはや避けられん。出来るだけ早期に決着をつけよう。皆の者、何が起こっても良いように心構えをしておけ」
――俺の意見は以上だ。
その宣言で公聴会はお開きになり、バラバラと帰路に着く人々。まだ夜明けには時間があるようだけど、これから訓練場に行くには少し遅いように思える。
片付けられていく机と椅子を眺めながらわたしたちがボンヤリとしていると、向こうから虎白さまが近付いてくるのが見えた。
「カノンとルカも来ていたのか。ちょうど良かった」
「こんばんは、虎白さま。なにかご用ですか……?」
「いや、大した用ではないんだが。ルカに確認したいことがある」
ルカさんは突然指名されたことにたじろいで、疑り深そうな視線を彼に向ける。
「大した話ではない。あっちで少し話をさせてもらって良いか?」
あっちというのは虎白さまの机のことのようで、それなら本当に大した話じゃなさそうだなと思った。
「わたしはここで待っていますから、どうぞ行ってきてください」
ルカさんの視線が少し恨めしそうに見えたけど、あえて気付かない振りをして二人に手を振る。
実のところ、ちょっとだけスイさんと話がしたかったのだ。わたしはスイさんに向き直り、小声で話を切り出した。
「あの……スイさん。もしかしてですけど、虎白さまはわたしを庇ってくださっているのでしょうか」
「どうしてそう思うんだい?」
「だって……その」
わたしは先ほどの白熱した議論を思い出す。
彼らはギリギリのところで節度を守っていたけど、かなり激しい物言いで各自の見解をぶつけていた。
でも――
「集まった人たちは、わたしに見向きもしませんでした。この国は機密などなさそうだし、わたしが緊張の原因であることを知っている人もいますよね。なのに誰もその話をしない……なんだか不思議だなと思って」
わたしのことが国民に伝わっていたなら、全員とは言わないけど、わたし個人に向けてきつい意見を言う人もいたと思う。
でもそんな発言はひとつもなく、わたしは最後まで他人事のように話を聞いていられた。
それは恐らく虎白さまが、わたしに批判が向かないように国民を上手く操縦しているからに違いなく、そこにわたしは心からの配慮を感じとることが出来たのだ。
「虎白さまはわたしをハクトの一国民として迎えてくれるつもりなんでしょうか。これからのハクトでの暮らしを、少しでも過ごしやすいと思えるようにしてくれているんでしょうか」
そこまでわたしのために苦心してくださっているなんて知らずに、勝手に疑念を抱き不安になっていたわたしは恩知らずだ。
これからはもっと彼を信頼して、リンさん達のように、何も悩まず言われた通りに動いた方がいいのかもしれない……。
スイさんはわたしの考えを読むことが出来るから、全ての意図が伝わったのだと思う。彼は少し困ったように首を傾げて、言葉を選びながらこう語った。
「さあ。私は虎白の考えていることを全て読めるわけではないから何とも言えないけど……少なくともこれだけは言えるかな」
彼はおどけた様子で二本の指を立てた。こうして結論を小さくまとめてくれるところが、やっぱり頭の良い人だと思う。
「虎白は、いつも第一にハクトのことを考えている。ハクトの最大幸福に向かう選択をしようと努力している。それが彼の大前提だ。ハクトが不利益を被るような選択を彼が取ることは決してない」
それはわかる。わたしの解釈と同じだ。
スイさんはもう一本の指を倒す。
「そしてもうひとつ。君はハクトにとって大きな利益をもたらす存在だ。だから虎白は『ハクトの利益に反しない限りは』君の利益を最大限に守るだろう」
「ということは、つまり……ハクトの障害になるとわかれば、虎白さまはわたしを簡単に切り捨ててしまうんですか」
「さあね。今のところ私も切り離されていないから、"簡単には"切り捨てないんじゃないかな。彼は結構義理堅いから、ハクトに背を向けない者には最大限優しくしてくれるようだよ。ハクトに不利益がないことが大前提だけど」
「ではわたしはやっぱり、虎白さまに頼り続けるのが一番良いのでしょうか」
「そうだね。君の利益を虎白が守ってくれているうちは、頼りきっても大きな損害は受けないと思うよ」
スイさんの立場が、現在わたしの置かれている立場に一番近いことはわたしでもわかる。
司彩であるスイさんがどう扱われているかが、わたしの今後の扱いの参考になる。スイさんが穏やかに暮らしている限りは、わたしも同様に過ごせると期待していいのだろう。
「虎白は複雑なことをやってのける奴だけど、思考回路は非常にわかりやすく単純だ。考えているのは、ハクトにとって何が得で、何が損なのか。
そういうものとして彼を見たら、上手いつきあい方というのが見えてくるだろう」
参考になったかな? と首をひねるスイさんに、わたしは緩くうなずいて見せた。
「はい。なんとなくわかりました……」
「それなら良かった」
スイさんがにこりと笑ったところで、ルカさんがこちらに戻ってくる。彼は不可解そうな面持ちで、眉間にシワを寄せていた。
「どうしたんですか、ルカさん。何を聞かれたんですか?」
「本を読まされただけだった。この本を読めるかって渡されて……」
「どんな本だったんです?」
「カミコトバで書かれた本だ。内容は難しすぎてわからなかった」
神さまの言葉で書かれた本。
もしかして、虎白さまの書棚にある本はほとんどそうなのかしら。フレジエの創世記もそうだったし……。
読まされただけと言うのは確かに不可解だけど、わたしはあまり気にしないことにした。
スイさんの話を聞いて、虎白さまは信頼に足る人物だと信じられるようになってきたからだ。
公聴会を聞く限りは、わたしは今のところ、ハクト国民にとって迷惑な存在ではない。
わたしはハクトの一員として、虎白さまがこれから向かう道を共に歩んでいくべきなんだ。
きっとそれを、ハクトの人たちも望んでくれているんだろう……。




