第十五章(3)
その翌日、わたしたちはついに精鋭部隊と呼ばれる人たちの訓練場に入ることを許された。
「危険ですから、絶対に私のそばを離れないでくださいね」
リンさんにそう念を押されたので、わたしは体を縮めてリンさんの背中に隠れるようにして足を進める。その場所は他の訓練場よりも高い木柵に囲まれていて、至るところに『危険、関係者以外立入禁止』と書いた札が下げてあった。
入り口を抜けてしばらく歩くと、篝火の下に人が集まっているのが見えてくる。全部で数十人くらいかな。リンさんが教えてくれた彩謌の隊列を組んだ五人組が三組ずつ向かい合って立っている。
その三組の先頭にそれぞれひとりの騎兵が立っている。暗くてよくわからなかったけど、リンさんがあれは虎白さまとファイさまだと教えてくれた。
「ここのところ、毎晩のように実戦演習をしています」
「実戦演習……ですか」
「彩謌を撃ち合うんですよ。本当に危ないのでこれ以上近付かないでくださいね」
わたしたちは見学スペースのようなところから彩謌隊を眺める。見学者にはカミノタミ風の制服の人とサイグラム風の制服の人が半々くらいいて、その中に怪我をしているらしい人が数人いた。
「実戦演習に怪我人はつきものです。大丈夫ですよ、みんな神樹の実をガブガブ食べてますから、すぐに治ります」
「そ、そうなんですね……」
なんか右腕が真っ黒に焦げている人がいるんだけど、あんな状態でも誰も驚かないのね。
確かにルカさんも大教会の塔のてっぺんから飛び降りて大丈夫だったらしいし、ハクテイではこれが常識ということなんだろう。
「でも、怪我をすると治癒の分エネルギーを無駄に使用しますから、怪我をしないのが一番ですね。痛いですし」
「は、はい。気を付けます……」
そんな会話をしながら少し目を離していた間に、演習が始まったらしい。辺りがやにわに騒がしくなる。空気の振動のようなものを頬に感じ、わたしが彩謌隊に目を向けると、目が眩むほどの激しい光に襲われた。
続いて起こったのは爆音と爆風。わたしが顔を庇っていると、耳元でリンさんが囁いた。
「カノンさん。指令の声はここまでは届かないですが、彩謌は聞き取れるでしょう? 音当てをしましょう。次は何のコードが聞こえますか」
「コード……ですか」
「はい。ほら、今鳴りましたね。何の音ですか?」
わたしは耳を澄ます。微弱なものだけど、規則正しい空気の揺れを感じる。
「ティール、イアー、オス、ゲル、ベオーク、ですか?」
「その通りです。流石ですね! 何倍音かわかりますか?」
「三倍です」
「正解です。今のは『発雷』、倍音三です。あ、次が来ましたよ。今のは何ですか?」
「えっと……」
リンさんもせっかちだよなぁ。普通の人はそんなにすぐに頭が切り替わらないわ。わたしは眉を寄せつつも耳に全神経を集中する。
「ティール、イアー、オス、ゲル、ラグ、三倍音でしょうか」
「そうです。今のは『発電』、倍音三です。聞こえませんが恐らくルオンを使用しています」
「ルオンを?」
「ええ。空から光のエネルギーを落とす『発雷』と違い、『発電』は光のエネルギーを前方空間に発生させます。ルオンを使用すると発生範囲がルオン使用者を中心としたドーム状になり、『発雷』のエネルギーを防いでくれるのです」
「はぁ……」
「防ぐのに失敗すると死ぬ可能性がありますので、みんな必死です」
「…………」
他にもいくつか彩謌の応酬が続き、わたしは合計二十回の音当てをさせられた。
「カノンさん、凄いですね。今の聞き取りを全問正解できる人はカミノタミ派の方でもそんなにいませんよ」
「ありがとうございます」
「あとはコードと術名の紐付けを頑張るだけですね」
「紐付け?」
「コードを聴いただけでどんな効果の彩謌が撃たれるか瞬時に理解することです」
リンさんは、次はコードでなく彩謌の術名で答えてくださいと無茶なことを言い出す。彩謌隊は小休憩と人員の交代を経た後に演習を再開した。
コードはわかるものの術名がわからず、今度はほとんど正解することができなかった。
「あとでコードと術名を書いたメモを渡しますから、明日までに覚えてきてくださいね。ルカさんもですよ」
「はい……」
「最終的におふたりも、虎白さまの指示で彩謌を撃てるようにならないといけないんですから。頑張ってください」
わたしは意気消沈しつつも、近くで苦しげな声をあげる黒こげの白子さんを見て気を引き締める。
ハクテイの人たちは、生きるか死ぬかのところで頑張っているのだ。わたしも彼らのように、失敗したら死ぬくらいの覚悟でやらないと駄目だ。
次の日も、また次の日もわたしは演習を見学しながら音当てに勤しむ。ルカさんはニトさんと組んで、石選びの訓練をしていた。ニトさんが術名を言い、ルカさんがコード通りに石を並べる。暗がりで石を選ぶのは大変そうだと思ったけど、わたしに人のことを気にしている余裕はなかった。
苦労して八割がた正解を言い当てられるようになったところで、わたしはリンさんに尋ねる。ずっと気になっていたのだけど、なかなか言い出せなかったことをやっと聞いてみる気になったのだ。
「すみません。この演習って、何のためにやっているんでしょう」
明らかに司彩との戦闘を意識した演習。虎白さまは本当に司彩たちを"皆殺し"にするつもりなんだろうか。わたしがハクトに来たことが原因で、司彩と戦わざるを得ない状況になってしまった。だからみんな頑張って戦争の準備をしているんだろうか。
今日も怪我をして苦しんでいる兵士さんがいる。わたしのせいなのかもしれないと思うと、胸が苦しくなってくる。わたしはある程度怖い話をされるのを覚悟をして訊いたので、リンさんのあっさりとした答えに驚いた。
「さあ。わかりません」
「わ、わかりませんって……」
「虎白さまのお考えは私にはわかりません。しかし、わからなくていいのですよ。みんな虎白さまの決定に従うだけですから」
閃光に照らされるリンさんの横顔は冷めていた。彼女は特になんの感情も持っていなさそうにこう続けた。
「ハクテイの大半の白子はそうですよ。特にサイグラム派の白子はそうです。私たちは虎白さまの作られたハクトこそこの世の楽園であると確信していますし、虎白さまこそが天子であると信じています。だから虎白さまがやれと言えばその通りにやる。それだけです」
「虎白さまは近いうちに司彩と戦われるつもりなんでしょうか」
「そうでしょうね。ここまでやるからには、念頭にはあると思いますよ」
リンさんの表情は変わらない。もしこれから司彩と戦うと言われても、きっと彼女の表情は変わらないんだろうなと思う。
わたしはモヤモヤした。リンさんのどこか他人事のような態度に不安感を覚えた。それはまるで藍の都に旅立つ前のわたしを見ているようで、ただ現実を受け止められていないだけのような気がしたからだ。
「これで大丈夫なんでしょうか。確かにこの演習は凄いですが、これでは司彩は倒せません。虎白さまは本当に司彩を倒そうとしているんでしょうか」
「これでは倒せない、というと?」
「司彩は魂だけの存在ですから、体を倒しても他の白子に乗り移るだけです」
ああ、とリンさんはまるで今思い出したかのような相槌を打った。
「アシュリー軍はそれで負けたと聞いたことがありますね。頭を倒したものの、藍猫はアシュリー軍の指揮をしていたエリファレット王女に取り憑いてしまったと」
「えっ! エリファレットさまはアシュリー国の王女だったんですか」
「はい、そう聞いています。当時アシュリー軍に配属していた白子が何人かハクトに逃げてきましたので、詳細な記録が残っているんですよ」
リンさんはわたしが興味津々なことを察して、アシュリー国の顛末を語ってくれた。
百年前のアシュリー国はとても豊かな国だった。アシュリー国にはたくさんの白子がいて、エリファレット王女を中心に白子の軍隊を組織していた。今のハクト軍くらいの彩謌隊を作り上げていたアシュリー国は、藍猫による度重なる攻撃にも抵抗し続けることができた。
白子を生け贄に差し出せば藍猫とも上手く付き合っていけたのだけど、当時のアシュリー王は白子に友好的だった。彩謌隊に絶大な信頼を寄せていたアシュリー王は生け贄を捧げることを拒絶し、白子と共に藍猫を伐つことを決意する。彼らは藍の都に進軍して藍猫を撃ち取ったけど、藍猫はエリファレット王女に乗り移ってしまい結局軍は壊滅した。
アシュリーは降伏し、王は処刑され、藍猫はエリファレット王女のふたりの兄、アリアトとアルベルトに交互に王政を担わせるシステムを作り、現在のアピス国が出来上がった。
白子たちは戦争でほとんどが亡くなったけど、何人かがハクトに逃げてきて、アシュリー軍の知識をハクテイに残したのだという。
「百年以上昔、サイグラムの人々はもっと自立していたんです。天子に代わり世界を支配しようとする司彩に抗い、白子を中心として懸命に戦っていた。しかし一国敗れ、二国敗れ、最後まで抗っていたアシュリー国が敗れ、今ではクラフティで司彩に対抗しようとする国はなくなってしまいました」
「そうだったんですね……知りませんでした」
「ある意味平和な世の中になったんです。白子以外にとっては。だから有色の人たちは仕都を受け入れ、司彩を崇め、白子を差し出しているのです」
それは、わたしたち白子が犠牲になることで得られる平和。わたしたちさえ抗わなければ、永遠に続くかもしれない平和。
アピス国の人たちは、わたしを犠牲にして平和を保つつもりだったけど、わたしのせいで駄目になってしまった。わたしはそのことを気に病んで、なんとか元に戻そうとしているけど、ルカさんや虎白さまはそんなことをしなくても良いと言ってくれている。スイさんは千年問題を提示して、そもそもこの平和はあと数十年しか持たないなんて言ってくる。
色々なことを教わりすぎて、わたしは訳がわからなくなっていた。自分がどう行動すべきなのか良くわからなくなっていた。
わたしがアピスヘイルを救って欲しいと言ったことで、ハクトの人たちを危険にさらすことになれば、ハクトのみんなはわたしを恨むようになるんじゃないかしら。わたしは他の選択肢を選んだ方が良かったんじゃないかしら。
わたしの中で色々な考えがぐるぐると回って消える。
わたしはこのまま虎白さまたちに甘えていても良いの? リンさんように、ただひたすらに虎白さまを信じていても良いのかしら。もう少しちゃんとした選択肢を、自分の頭で考えないといけないんじゃないかしら。




