第十五章(2)
ファイさんのレッスンは相変わらずの発声練習で、わたしはすっかり飽きてきていたわけだけど、初めよりは正確な音を出せるようにはなってきていた。
「カノンさん。次は倍音を出す練習をしてみましょう」
「倍音?」
「階層が上の音を出すことです。例えばダェグだと基音はこちらですが、倍音はこちらです」
ファイさんはわたしの前に、白い石を三つ並べる。ひとつめは普通の石だったけど、他の石には変な模様が刻み込まれていた。
ファイさんがハンマーで順番に石を叩くと、ひとつめはいつも通りのダーの音を出し、ふたつめとみっつめは砕けながらいつもよりかなり高い音を出した。
「これはダェグの基音、三倍音、五倍音です。高い音であればあるほど強い彩謌となります」
「なるほど……」
「司彩は十倍音まで出せるのを観測していますが、我々は七倍音程度までしか安定的に出せません」
「十倍?! それってもう聞こえない音なんじゃ……」
「並大抵の耳では聞こえませんし、判別もできません。だからこそ、十倍音を聞き取れるだけでかなりの戦力になりますね。どんな彩謌が飛んでくるか予測が出来るわけですから」
「…………」
なんだかすごい次元の話だわ。とりあえずわたしには五倍音を聞き取れる耳がありそうだとわかり、ファイさんは喜んでいた。
自分が石を砕くのはもったいないからと言って、ファイさんはルカさんに砕き方を教え始める。ルカさんが石を砕く練習をするのと、わたしが聞き取り練習をするのをワンサイクルで行うつもりのようだ。
「石の砕け方で出る音が変わります。甘く砕ければ低い音に終わります。完全な砕け方をすればするほど高い音が出ますから、頑張ってください」
ファイさんはルカさんに変わったデザインの手袋を渡す。その手袋は手のひらと人差し指、中指、薬指に金属のトゲが付いていて、片手で握るだけで石が砕けるような仕組みになっているようだった。
「今のは三倍ですね。駄目です。このガイドをよく見て、石の溝に金具を合わせて、一気に握ってください」
「何倍くらいが出れば合格なんだ?」
「この純度の石では期待値が五・二、最高値は七です」
「…………」
「せめて五は出していただかないと」
なんだか気の遠くなる話だわ……とぼんやりしていると、ファイさんがわたしに顔を向ける。
「カノンさん。怠けていないで、まずは音当てからです。カノンさんは聞き分けで七倍を目指しましょう。喉でも五倍くらいは出せるようにしたいですね。期限は一週間です」
「は、はい~!」
この一週間のレッスンは過酷を極めた。わたしたちは毎晩くたくたになるまで練習をさせられて、お昼間はほとんど屍のようになっていた。
「ガイドに合わせろというが、石によって合わせるところが全然違うんだよな……」
「五倍を越えるとほとんどどの音階かわからないんですよね……ダーなのかフェーなのか……一瞬しか鳴らないし」
「本番は三つ同時に聞き分けろとか言ってたな」
「無理ですよね。ひとつでもわからないのに……」
「そのうちガイドがない石でもできるようにしろとか言ってたな……」
「そんなこと可能なんですかね?」
そんな感じで一週間は家事どころではなく、ソフィアと遊ぶこともできず、わたしたちは愚痴と復習にまみれた生活をしていた。
それでもなんとかかんとか、ファイさんの要求するレベルの少し下くらいまでできるようになり、次の段階に進みますというファイさんの宣言を受けることができた。
「実地訓練の許可が下りましたので、今夜は訓練場に向かいます」
「訓練場?」
「街から少し離れた広野にあります」
そう言われてもこの辺りの地理はよくわからない。わたしたちは言われるままに馬車に乗り込み、現地へと輸送される。
ハクトの周りにはほとんど何もない。草がちらほらと生えた赤茶色の固そうな地面が広がるばかりだ。あまり農業は盛んではないのか、耕しても作物が出来ないのかはわからないけど、ハクトの人たちは主に船で海や川に出ているようで、陸地はほとんど手付かずのように思えた。
そんな荒れた土地がしばらく続いた後、パッと明るい閃光が目に入る。光は一瞬だけ空を照らし、嘘のように消えていった。
わたしは驚きと共に光が発生した方向を見ていると、今度は何かが崩れるような爆音と共に辺りが昼間のように明るくなる。
「彩謌隊の実地訓練場です。かなり危険なので注意してください」
「一体何が起こっているんですか?」
「彩謌を虎白さまの指示通りに発動させているのです。あの部隊は精鋭中の精鋭ですよ」
再び嘘のように光は消え、広野は暗闇に閉ざされる。それが何度も何度も繰り返された。わたしたちの乗る馬車は、突如現れた高い木の柵に沿って走り、たくさんの馬車が停められた区画で緩やかに停車する。
ファイさんは先に馬車を降り、近寄ってきたふたりの人物に話し掛けてからこちらに戻ってきた。
「ここではあのふたりの指示に従ってください。あなた達の先輩です。私は別の場所に行きます」
ファイさんはわたしたちを下車させたあと、その馬車で来た道を走り去ってしまう。虎白さまといいファイさんといい、どうしてハクテイの人は慌ただしいのかしら。彼らは一日中動き回れるから、時間はたっぷりあるだろうに。少し不満に感じながらも、わたしは目の前のふたりに挨拶をした。
「あの。カノンといいます。よろしくお願いします」
「はい。ふたりのことは聞いています。一緒に頑張りましょうね!」
にこやかに挨拶を返してくれたふたりは、二十歳そこそこの若い女の人だった。長い銀髪を頭の左右にお団子に結った女性はリンと名乗り、ベリーショートの銀髪で背が高い女性はニトと名乗った。ふたりともフードが付いたお揃いの白いローブを身に付けている。多分サイグラム風の制服のようなものだろう。胸元に付けられた金色の留め具が可愛くてちょっと羨ましいと思った。
「お二人は彩謌を発動させるのは初めてなんですよね? 基礎の基礎からご説明しますね!」
ハキハキと説明してくれるのは童顔のリンさんのほうで、ニトさんは一歩下がった位置からニコニコと眺めている。
リンさんの話によると。彩謌は三つから五つくらいの音を同時に出すことで発動する。どの組み合わせの音かで発動する奇跡が決まっている。声量の大きさで発動する距離や範囲が変わる。音の高さで発動する威力や効果が変わる。彩謌発動中に″ルオン″を唱えると奇跡の内容が微妙に変化する。
「とりあえずふたりに挑戦してもらいたいのは、ハクト軍彩謌隊・超初級術『上昇』です!」
「上昇……」
「効果範囲にある物を上に動かす彩謌です。この彩謌のコードは『オス・ティール・イアー』です」
「『オー・ティー・イー』……」
「練習用の重たい岩があちらに置いています! 私たちで頑張ってあれを動かしましょう!」
リンさんが指差した先には、一定間隔に置かれた大きな岩がある。わたしの身長くらいありそうな重そうな岩だ。
「一番手前の岩を動かしてみましょう。カノンさん、『イアー』の担当をお願いします」
「は、はい」
「ルカさんはそこで見ていてくださいね」
リンさんはわたしの手を引き、彼女の左側に立たせる。リンさんの右側にニトさんが立ち、三人で前方の岩を見据える。
「じゃあ行きますよ! 私が『"上昇"、前方五』と言いましたらカノンさんは『イアー』の基音をください。言葉は何でもいいです。"あー"でも"わー"でも。音量はこのくらいでお願いします」
リンさんは正確なイアーの基音を、わずかに聞こえるくらいの音量で発声した。
「行きます! 『"上昇"、前方五』!」
わたしは言われた通りの音を、イーと言いながら発声する。
リンさんの『オス』とニトさんの『ティール』の音とが混じり合い、わたしの耳に届くと共に前方の空間がブルリと震えた。
ゆっくりと岩が持ち上がり、すぐにドスンと落下する。後ろで見ていたルカさんが一言、すげえと言うのが聞こえた。
「わあ、一発で成功しました。カノンさん、なかなかやりますね。では次に、そのひとつ奥の岩を動かしましょう」
「奥の岩……二番目の岩ですか?」
「はい。あの岩は大体ここから腕十本くらいの位置にあります。なので次に私は『"上昇"、前方十』と言いますので、このくらいの声量でイアーをください」
リンさんは今度は、普通に会話するくらいの声でイアーの音を出した。
「じゃあ行きますよ! 『"上昇"、前方十』!」
先ほどと同様に目の前の空気が震え、二つ目の岩が持ち上がっていく。ひとつ手前の岩は微動だにせず、奥の岩だけが持ち上がっているのがなんとも不思議な光景だった。
「きゃっ、すごいです。二つ目も成功しました。ではその奥に行きましょう。段々と難しくなりますよ!」
同様にして、少し大きい声量で三つ目、四つ目を成功させたわたしたちは、五つ目の岩『前方二十五』でしばらくの苦戦を強いられた後にこれも無事制すことができた。
「実戦では大体この二十五くらいまで五刻みで、あとは五十、百と大体の距離で命令が下ります。多分私たち女性には五十が限界だと思います。五十以上を言われたらとりあえず最大声量で叫んでください」
「わかりました」
「じゃあ次に倍音彩謌の練習をします。カノンさん、倍音はどのくらい出せますか?」
「えっと、多分五倍くらいです……」
「すごいですね! 喉で五倍を出せる白子はなかなかいませんよ」
そうなんだ。ファイさんは五倍くらい初歩の初歩という感じで言ってくるので、わたしは全然駄目なのだと思っていた。
「倍音は喉よりも石の方が出しやすいんですよ。なのでここでルカさんに入ってもらいます」
リンさんはニトさんに中央の位置を譲り、ルカさんをその右側に連れてくる。
「石は音が小さいので距離が出せません。なので主に近場に発動させる彩謌のときか、喉の彩謌の威力を底上げする場合にサポートとして入ってもらいます」
「どうすればいいんだ?」
「ルカさんは『ティール』の石を砕いてください。五倍を出せるように頑張って!」
ルカさんはリンさんからランプを受け取り、ファイさんに渡されていた袋から緑色の石を選んで取り出した。親指の爪ほどの小さな石で、ガイドはついていなさそうだ。
「私が『"上昇"、倍音五、前方五』と言いましたら、ルカさんは石を砕いて、カノンさんは五倍音のイアーを小声でください」
リンさんは行きますよ、の後に号令を出す。わたしは全力で喉を締めて五倍音のイアーを出した。五倍音は人の声と言うよりは鳥のさえずりのような音で、わたしの耳元で混じりあった三つの超高音は先ほどよりもはるかに大きな空気の揺らぎを生じさせた。
目の前で勢い良く跳ね上がる岩に、わたしは思わず尻餅を付く。ニトさんは慌ててわたしとルカさんを引きずって後方に避難させた。岩ははるか空高く上ったあと、自由落下して地面にぶつかり大きな亀裂を作る。
「お見事です! 凄いですよ、ふたりとも。ちゃんと五倍音が出ていました」
「ありがとうございます」
「では今日はこれくらいにして、明日は違う彩謌をやりましょうね」
リンさんのレッスンはファイさんと同じくらいに厳しいものだったけど、今までの地味な発声練習とは違って目に見えた変化が味わえて楽しかった。
わたしたちは翌日とその翌日に、『恒常』と『散乱』という彩謌を習った。『恒常』は、外環境の変化から体を守るというものらしく、敵の彩謌攻撃から防御する目的で発動させるらしい。『散乱』は、光を散乱させて弱い彩謌攻撃の進行方向を曲げたり、敵からこちらの姿を見えないようにする効果があるらしい。
他の彩謌隊の練習に混ぜてもらったりして、色々な彩謌を見せてもらった。
先ほど空がピカピカ光っていたのは攻撃系の彩謌で、『発電』や『発雷』と言われるものらしい。ハクトの彩謌は光や雷に関するものが多いようで、藍の都で見たような水を操るものやスイさんが使っていた風を操るようなものはあまり使わないようだった。
″コード″と呼ばれる、彩謌を発現させるための三~五つの音を覚えさせられて、命令が下ったときにどの音を担当するかのルールを習った。
先頭に立つ人が一番低い音を奏で、その右隣が次の音、左隣が三つ目の音を奏でる。四つ目五つ目の音が必要な場合は、後ろに控えた二人が発声するらしい。
基本的には五人のチームで動き、五人全員が発声できることが好ましいけど、人員が足りない場合一人か二人石の音を出す人を加える。疲労具合によって順番を入れ換えたりする。
一番低い音を出した人のエネルギーを主に使って彩謌は発動するらしく、先頭にいわゆる"エネルギータンクが大きい人"を置くというのが基本のようだ。
ルオンを唱えると、彩謌の持続時間が延びたり若干の操作ができるようになったりするらしいのだけど、それは一番低い音を出した人が唱えることでしか効果を発揮しないらしい。
つまりは、彩謌小隊の先頭に立てる人というのは"喉"、"舌"、"血液"を併せ持つ人であって、彩謌隊の中でもエリート中のエリートというわけだ。
「いえいえ、一番のエリートは"耳"が良い人なんですよ」
わたしがそう理解しかけたところに、リンさんが得意気に語る。
「耳が良い人は指揮官になれます。敵がどこからどの彩謌を撃ってくるかがわかるわけでして、的確に応戦できるのですね。指揮官は緊急時には虎白さまの指示なしで軍を指揮することを許されています」
「なるほど……」
「まあ、今のところ、虎白さま以外の指揮官が必要となるほどの大きな戦は起こったことがありませんが……」
「もしかしてリンさんって指揮官なんですか?」
わたしがそう問うと、彼女は得意気な笑顔を浮かべて胸を張った。
「そうなのです! このハクト彩謌隊、虎白さまとファイさまの次に優れた耳を持っているのはこのリンさんなのですよ!」
隣でニトさんが優しく拍手をしてあげている。よくわからないけど、リンさんは見た目以上に偉い立場の人のようだ。
ハクテイの人たちは見た目では年齢がわからない。神樹の実を定期的に摂取している人はほとんど歳を取らないからだ。多分リンさんもニトさんも、見た目は若いけど長い間彩謌隊で活躍しているのだと思う。




