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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
中巻

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第十四章(4)

 そこにあったのは、光輝く巨大な物体だった。高い天井にへばり付くように、光る白いガラスが無数に張り巡らされていて、それがポコポコといくつかの丸っぽい形を作っている。丸い形のひとつひとつには太い縄状のものが付き出しており、真中で束になりぐるぐると螺線を描きながら床に向かって伸びている。

 その全貌はさながら大樹のようだった。葉の部分が光る巨大な樹のようで、神々しいというよりは禍々しく威圧感のあるものだった。

「なんですか、この光るものは」

「電灯だ。ハクテイの全ての部屋の光源になっている」

「電灯をどうやって作ったんだ? 電気はどうやって起こしてるんだ?」

「それはそのうちわかる。今はそんなことを説明している暇がない」

 虎白さまは樹の幹のほうにスタスタと進み、ひとつの階段を選んで上る。樹を囲うようにしていくつか階段があり、階上にはポツポツと扉のようなものが見えていた。

 虎白さまは迷いなくひとつの扉の前に行き、ノブに手を掛け押し開ける。部屋の中は長机と棚が敷き詰められており、何やら変わった色彩の石や金属、ハンマーなどの道具がそこかしこに転がっていた。

 虎白さまは、奥のほうに佇んでいた二人の人物のうちのひとりに話しかける。

「ファイ。昼間に話した件だ。お前にこの二人を任せたい」

 ファイと呼ばれた人は、真っ白なカミノタミ風の衣装を着たおじいちゃんだった。彼の顔を真正面から見て、わたしはあっと声を上げる。

「どうかしたか?」

「いえ、なんでも……」

 わたしは内心穏やかではなかった。失礼だとは思いつつ、何度も何度もファイさんの顔を見てしまう。ファイさんはわたしの視線を感じて首を傾げながらも、しわがれた声でこう言った。

「アピスヘイルから来た白子ですね。わかりました、私が適性を見ておきましょう」

「一月で仕上げろ。使えそうなら連れていく」

「わかりました」

 虎白さまは彼に短い指示をしてから、すぐに部屋を出ていってしまう。あまりにも慌ただしい退場に、ルカさんですら一言も文句を挟めなかったのだけど、わたしの頭の中はそれどころではなく、目の前の二人についてどう処理していいものか悩んでいた。

「こんばんは。カノンさんとルカさん。私はファイと申します」

「こんばんは……」

「私の顔に何か付いていますか?」

「いえ、その、違います。ちょっと知り合いに似ている気がしたので……」

「カノンさんのお知り合いですか?」

「いえ、知り合いってほどでもなくて。すみません、忘れてください」

 わたしの目の前にいるおじいちゃん、ファイさんは、アピスヘイルのお城の庭師マーリンと瓜二つだった。他のカミノタミ風の老人たちもマーリンに雰囲気が似ていたけれど、それは単にお髭や眉毛が真っ白で、パッと見た感じが似ているというだけだった。

 だけどこのファイさんは、わたしの記憶の中のマーリンに白い衣装を着せたそのままの姿で、思わずマーリンと呼び掛けてしまいそうなほどのそっくり加減だ。

 でも、マーリンのはずがないわよね。マーリンは今や脱出することすら叶わないアピスヘイルにいるはずなのだから。

「また会ったね、カノン」

「こんばんは、ノギス……だったかな」

「覚えていてくれてありがとう」

 ファイさんの隣にいたもうひとりの人物は、そっくりさんではなかったらしい。ニコリと笑顔を返してくれた彼女は、先日謁見の間の控え室で会った女の子本人のようだった。

 ノギスはハクテイにお勤めしている子だったのね。スイさんはまだ会ったことがなかったのかしら。わたしがそんなことを考えていると、ファイさんとルカさんがきょとんとした顔でこちらを見つめてくる。

「誰と話してるんだ?」

「え? そこにいる女の子ですよ」

「どこにいるんだよ」

「あれ……」

 わたしが目を逸らしたのは一瞬だったのに、視線を戻した時にはノギスの姿は消えてしまっていた。

 不思議な子だ。もしかして、司彩に憑かれているわたしとスイさんにしか感知できない存在なのかもしれないわ。橙戌との会話をルカさんが聞けなかったこともあったし、そういう存在もいるのかもしれない。色々なことが起こりすぎて、わたしはビックリすることに疲れてしまった。

「ごめんなさい。わたしの見間違いです」

「何と見間違えたんだよ……大丈夫か?」

「忘れてください、ごめんなさい」

 わたしが繰り返し謝ると、ふたりは怪訝な顔をしながらも追及を止める。ファイさんは気を取り直したように一息つき、本題に戻った。

「おふたりには、これから毎晩レッスンを受けていただきます。毎晩日が暮れたらこの部屋に来てください」

「はい……わかりました」

「そして毎日レッスンの前にこれを飲んでいただきます」

「……?」

 何を飲むのだろう。ファイさんの手元に注目していると、彼は足元の戸棚から真っ黒な瓶を取り出した。机の上にカップをふたつ並べ、そこに瓶の中身を注ぎはじめる。

 もう驚かないぞと思っていたのに、わたしはまた度肝を抜かれてしまった。カップに注がれた液体は、眩い光を放っていたのだ。

「な、なんだこれ……」

「神樹の実を絞ったものです。飲みやすいように薄めてあります」

 さあ、どうぞと言われてわたしたちはひとつずつカップを受けとる。

「初めは飲めないかもしれません。飲める分だけで良いので、頑張って飲んでください」

 わたしたちは顔を見合わせた。ウィスさんの話によると神樹の実と言うのは、普通の白子を特殊な体質に変えてしまうらしいけど、どうしてわたしたちがこれを飲む必要があるのだろう。

「あの、ファイさん。わたしたち、もともと夜は眠たくなりません。あえてこれを飲まなくてもレッスンには来れますよ」

「カノンさん。神樹の実というのは、眠たくならないだけの薬ではありません。神樹の実というのは、純粋なエネルギー源です。司彩の楔樹を介していない、純粋な神のエネルギーです。あなたのような方ほど飲むべきなのですよ」

「えっと。どういう意味でしょう……?」

「司彩は楔樹を介して神の力を吸い上げることができます。あなたが司彩と同化すれば、真水の底から直接エネルギーを吸収し、奇跡を起こすことができます。しかしそれは司彩の色に染まった力。使えば使うほど司彩の魂と同化してしまうでしょう」

「はあ……」

「神樹の実のエネルギーを口から取り込み、体内に貯蔵しておけば、自前の力で奇跡を起こすことができます。それは司彩に侵食されない、司彩に対抗できる唯一の方法なのです」

「…………」

 よくわからないけど、これを飲めば白子でも司彩に対抗できるようになるってことかしら。司彩に憑かれるのと、神樹の実を摂取するので得られる力は厳密には違うということ? 疑問でぐるぐると目を回していたわたしに、ファイさんはこう言った。

「この実の力を我々に教えてくれたのは、先代の狐翠です。狐翠のことはあなたがたも多少は知っていると思いますが、白子の自我を保っている変わり者です。狐翠は代々神樹の実を食べ続けているようです。そのせいか翠の都フロイトの楔樹は小さいですが、他の司彩に対抗できるほどの力を保持しています」

「スイさんもこれを飲んでいるんですか?」

「彼はこんな薄めたものでなく、実のまま摂取できますよ。さあさ、カノンさんたちも頑張ってください」

 わたしはファイさんに促されて、再びカップの中の液体を見下ろした。光を溶かしたようなその液体は、かつてアピスヘイルの地下で見た導きの水の源泉よりも眩い光を放っている。

 隣で思い切りむせる音が聞こえた。ルカさんが口に含んでみたらしい。あまりにも苦しそうに咳き込んでいるので、わたしはカップを持ったまま硬直してしまった。

「おい、これ、……ガソリンじゃねぇか!」

「ガソリン?」

「こんなの飲めるわけねーだろ!」

 ルカさんはガハガハとひどい咳をしながらカップを机に乱暴に置いた。そんなにひどい味なのか……と怯えながらも、わたしはカップを口に近づける。なんでもすると言ったのはわたしなんだから、ルカさんよりもやる気を見せなきゃ。

 だけども、わたしはすぐにカップを離してしまった。鼻を近づけただけなのに、鼻がひん曲がるほどの刺激臭がしたからだ。

「す、すごい臭いがしますね」

「飲んだらもっと凄いぞ。喉と鼻が焼ける」

「えぇ……」

 わたしはすっかり怖くなってしまって、カップを口に近づけることすらできなくなってしまう。半泣きでファイさんを見ると、彼はゆるゆると首を横に振った。

「すぐに飲めるようにはなりませんから、明日また頑張りましょう。時間がないので、そろそろレッスンを始めます」

 ファイさんはわたしからカップを取り上げて、黒い瓶に中身を戻す。元通りコルクの栓をして、足元の戸棚に戻した。

「レッスンって何をするんだ?」

「ちょっとした発声練習です」

「発声練習?」

「おふたりとも、音学は修めていますか」

 音学? 音術のことかしら。わたしはこくりと頷いて答える。

「アピスヘイルの修道院で、音術の授業を受けました。大体はわかると思います」

「そうですか。しかし、アピスヘイルの音術はきっと、藍猫式の音階なのでしょう。ハクトの音学とは少しずれているかもしれません」

 ファイさんは棚から木箱を抜き出して、机に置いた。木箱は仕切り板で十二の区画に分けられていて、各区画には色んな色彩の石がひとつ入っている。

 ファイさんは、近くに置いてあった小さなハンマーで石を叩いた。カーン、と音が鳴る。

「この音は、『ダェグ』です」

 次に隣の石を叩いて、別の音を鳴らす。

「この音は、『フェオ』です」

 順番に『オス』、『ケン』、『ニィド』……と続き、十二の最後の音『イア』で全ての石を叩き終えた。

「どうです。カノンさん。なにか気が付くことはありましたか」

「ええと。音階を示す言葉が、アピスヘイルと違いますね。アピスヘイルは『ダー』、『フェー』、『オー』……と言います」

「頭文字だけを取っているのですね」

「この音階は、クラフティの創世記の章の名前と同じなんですか?」

「そうです。よくご存じですね」

 誉められて少し気分が良くなる。わたしはもうひとつ気が付いたことも口にすることにした。

「いくつか音がずれている気がしました。本当にわずかな違いですが」

「具体的にはどれですか」

「フェーと、オーとケー、二ー、シー、ティー、ベーです」

「素晴らしいです。カノンさん、あなたの耳は正確ですね」

 ファイさんは棚からもうひとつ同じような木箱を取り出して、同じように石を叩く。

「カノンさん。あなたの覚えているその七音は、こちらの音ではありませんか?」

「そうです。その音です」

 ファイさんが叩いたその木箱の石の音は、わたしの中にスッキリと染み込む音だった。毎日大教会のオルガンで聞いていた十二音。懐かしい響きだと思った。

「ルカさんは、どうですか? なにか感じましたか?」

「…………」

「どうしました?」

 ファイさんに問われて、ルカさんは眉根を寄せる。その顔のままわたしを見て、ファイさんを見て、石の入ったふたつの木箱を見て、もう一度ファイさんに視線を戻して言った。

「何を言ってるのかわからない……」

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