第十四章(1)
スイさんは言いたいことを言い終えたあと、ゆっくり考えるといいと言い残して家を後にした。小さな家にはわたしとルカさんだけが残されて、静かな空気が流れる。
わたしはダイニングを見回した。二人がけの小さな食卓テーブル、数段階段を挟んで炊事場が見える。ウィスさんの家とほとんど同じだ。この辺りの家は、外国からきた訳ありの移民に与えられている住居なのかもしれない。生活するのに充分な機能が備えられている。今のわたしたちに必要なものかどうかはわからないけれど。
『素敵な家ね。わたし、あちらのほうも見てみたいわ』
周囲を見回すたびに、マグノリアは喜びの感情を放った。わたしは彼女に促されるまま、炊事場の方に下りた。
『竈があるわ。カノンはこれの使い方、わかるの?』
わからないわ。わたしは炊事なんてしたことがないから。
『火の起こし方も知らないの?』
知らないってば。あなたは知っているの? マグノリア。
『もちろん知っているわよ。教えてあげてもいい……』
マグノリアは言葉を切る。隣にルカさんが立つ気配を感じたからだ。彼は炊事場の設備を見回したあと、手際よく竈に火を起こし、小さなポットで湯を沸かし始めた。
ルカさん、料理が得意だと言っていたっけ。彼は棚に並べてあった茶葉入りの瓶を取り、香りを確かめてからポットにスプーンひとすくい入れる。マグカップと小さな金属の網のようなものを取り出し、赤く染まったお茶を注いだ。
「いい香りですね」
ルカさんは頷き、食卓にカップを運ぶ。ダイニングは紅茶の香りに満たされて、わたしの心は数時間ぶりとなる安らかな気持ちに包まれた。
「茶なら飲めるかと思って」
ルカさんは自分の前に置いたカップを手に取り、口元に運ぶ。わたしもそれに倣って紅茶を一口含んでみた。鼻から抜ける芳香はとても気持ちの良いものだったけど、喉を抜けていく熱い液体は妙な刺激を胃に残し、わたしは思わず眉間にシワを寄せてしまった。
「やっぱり駄目か」
「ルカさんもですか?」
「ああ。なんだろうな、胸焼けがするというか、これを飲んだらきっと眠くなるんだろうなという不安感に襲われる」
「わかります……わたしもそんな感じです……」
わたしたちはカップを手放し、ため息の合唱をする。どんどんぬるくなっていく紅茶を見つめながら、わたしたちはぼんやりと時間を過ごした。
「その本、読んでみるか」
「クラフティの創世記ですか?」
ルカさんが机の真ん中に置かれていた本に手を伸ばす。わたしは椅子を彼の横に持っていき、開かれたページを覗き込んだ。相変わらず文章は読めないけど、書かれている文字の形ははっきりと見ることができる。
『わたしが読んであげましょうか?』
ふと、マグノリアがそんな提案をしてきた。
マグノリアはこの文字が読めるの? そう問いかけつつも、ぼんやりと思った。前世の魂と同化をしている白子たちは、神さまの言葉が読めるようになるらしい。ということは、もともと前世は神さまの言葉が読める魂だということなのかもしれない。
マグノリアは否定も肯定もせず、クスクス笑い声をあげてから文章を読み上げ始める。
『第一章。ダェグ、創世。ーー』
初めは、暗闇であった。神は暗闇に降り立ち、光を放たれた。光の名は"白"。神は白に言った。この地は"クラフティ"、お前はわたしの子。白よ、この地に国を建てよ。わたしはお前の国に光の樹を贈り、汝の力となろう。
白が頷くと、白の姿は神と同じものとなる。手足を持った白が光から一歩踏み出すと、大地が現れた。白は足を踏み出し続け、広い大地を作った。白は望んだ。この広い土地にたくさんの民が暮らし、たくさんの笑顔であふれんことを。白は名付けた、その土地の名は"白都"ーー
「ルカさん、これって……」
「アルスの預言書とほとんど同じだな」
「スイさんが言ってましたよね。アピスの教典は神さまの本を真似たものだと」
「ここまでそっくりそのまま真似てたのか。藍猫も適当なヤツだな」
わたしたちは苦笑を浮かべながら続きを読んでいく。その先の文章は最初の部分ほどは教典と似てはいなかったけど、なんとなく構成が似ている気がした。
読み進めていくうちに、ラウドの書との共通点探しよりも気になるところができ、わたしの興味はそのことばかりに向くようになっていく。
「ハクトやハクテイと言うのは、この本から取った名前なんですかね……」
「カミノタミもそうなんだろうな。意識して付けた名前なんだろう」
神さまが作った最初の人間、白。彼は"天子"と呼ばれ、白都の民から愛された。白都にはたくさんの人間が生まれ、彼らの髪の毛は彩り豊かであった。彼らは"彩"と呼ばれ、白のもとで徳を積むことにより段々と銀色の髪に変わっていく。白と同じ白銀の髪になるまで白に仕えた賢者たちは、"上の民"と呼ばれ白の友人として白の住む"白庭"に招かれた。白は上の民の長老である"古白"に全幅の信頼を寄せていた。
「コハクという人もいたんですね」
「字の形が違うようだが」
「そうなんですか?」
「ウィスは"虎に白"だと言っていたよな。こっちの本では"古いに白"なんだよ」
「古白……どうして形を変えたんでしょうね」
上の民は特に白に愛されていたため、白と同様に不死の存在となった。彩たちはどんどん増えていったので、白都で暮らすには狭くなり、やがて海の向こうに創られた新たな土地"彩図"に移り住んだ。白の教えを守り、徳を積んだものが白髪となることは変わらず、白髪となった彩は海を越えて白都に戻ることを許された。
「"サイグラム"というのがこの世界の名前だと思っていました。本来はこちら側の大陸を指す名前だったんですかね」
「白都ってのは内なる海の真ん中にあったみたいだな。白都と彩図をひっくるめた世界をクラフティと呼んでいたのか」
「多分遠くに見えた平らな山のようなもの、あれが白都のあった場所なんじゃないですか?」
「神樹とかいう樹のことか? 確かに光の樹を贈ったとかなんとか書いてあったな」
白都では誰もが平等であったが、彩図では徐々に貧富の差が現れるようになる。貧富の差は彩たちの魂を淀ませ、生まれた穢れはやがて白都をも侵食した。一度上の民になったものでも、穢れに侵食されたものは彩と同じように老いや病に倒れてしまった。
白都に渡っても、白庭に上っても、永遠となれない民を見るのは辛い。白都を目指す全てのものに、正しい道を教えねばならない。白は彩たちを導くために、"白子"を使わした。白子は病に倒れた上の民が彩図に転生した存在であり、生まれながらにして白銀の髪を持つ。
「白子……」
「上の民の生まれ変わり、か」
「確かに、わたしの前世はそんな話をしていました。カミノタミの血筋とかなんとか。白い髪ではなかったですが」
「そうなのか?」
「ルカさんの前世は違うんですか?」
「ああ。全くそんな話は聞かなかったな」
白子は彩図で白の教えを説いた。たくさんの彩を導いた白子は司彩と呼ばれ、崇められた。司彩は彩たちのために書を書き表した。それがこの『クラフティの創生と終末』である。
「この先はまた、アルスの預言書と似たような構成だな。第二章から白の教えとやらが書いてある」
第二章。フェオ、富めるもの。
富めるものになりなさい。心も体も豊かになるために、自分よりも貧しいものに与えることを良しとしなさい。
第三章。オス、聡明なるもの。
聡明なるものになりなさい。白は真理を語るものを好むから、よく世界のことを学び、白を諌めることができるくらいの傑物となりなさい。
第四章。ケン、導くもの。
他者を導くものになりなさい。真理を学ぶだけでなく、迷える彩を教え導きなさい。
第五章。ニィド、義務を果たすもの。
彩はみな上の民になることを目指しなさい。己を磨き、白髪になるまで生き、内なる海を渡って白都を目指しなさい。
第六章。ゲル、希望を持ち続けるもの。
彩はみな白都の民である、希望を持ち続けていればいずれは上の民になれる。白都を目指さなくなった彩はやがて白都の民の血を失い、上の民になれなくなるだろう。
「この先は少し内容が変わるな。世界の解説みたいなのが書いてある」
第七章。シゲル、天上の光。
天上には二つの光がある。太陽と月。太陽はクラフティを暖める白の大いなる微笑みである。月は天上の神の世界に穿たれた穴であり、神がこの窓から世界を覗いているのである。
第八章。ティール、争うもの。
神は争うものが最も嫌いである。天の窓から神は無益な争いが起こらないか常に見ているのである。争いを起こすものは双方が裁かれる。その裁きは神の槌である。白ですら抑えることはできない。
第九章。ベオーク、母なる樹。
白の元には母なる大樹がある。大樹は光輝く実を結び、熟すと内なる海に落ちて彩図へと流れ行く。子を宿した母なる彩が実を食べると胎内の子は白の祝福を受け、白子として生まれ落ちる。
第十章。ラグ、大いなる海。
海は彩に与えられた平等なる白の恵みである。彩はみな自由にこれを使い生活してよい。ただし、内なる海の水は"真なる水"である。真なる水は上の民以外のものには毒であるから注意すべし。
「さらりと過激なことが書かれていますね……本当のことなんでしょうか」
「さあな。そういえば、アピスヘイルの地下に光る実があったが、あれって神樹の実と同じものなのかな」
「そういえばありましたね。まさか、アピスヘイルの白子がきっちり十八年に一度生まれていたのって……」
「お前の母ちゃんたちはあれを食わされたのかもな」
「でも、白子じゃないと食べられないとウィスさん言ってませんでしたか?」
「この実は神樹の実とは違う実なのか? よくわかんねぇな」
考えても仕方がないので、わたしたちは最後の二章を読んでしまうことにした。
第十一章。エゼル、故郷。
天上には神の国がある。神の国では誰も滅びることがなく、永遠が与えられる。白は上の民とともに故郷へ帰るつもりである。神は白にできるだけ多くの民を連れ帰れるように、千年の時を与えた。
第十二章。イア、終末。
白は千年の後に故郷へ帰る。彩図に希望がなくなったとき、千年を待たずに白は天上に帰る。クラフティは白を失ったとき、滅びを迎える。白はけして滅びない。彩図が希望を失わない限り、何度でも甦る。白がクラフティで微笑み続ける限り、千年の間、クラフティの生命は回帰する。
「スイさんが言っていたところですね」
「千年問題ってやつか」
「本当にあと数十年で世界は滅びるんでしょうか」
「さあな。スイは信じているみたいだったが」
「スイさんが信じているのなら、なにか根拠がありそうですけど……」
わたしたちは沈黙してしまう。何度か本を読み返してみたけど、結局それ以上の情報は得られなかった。
この本を読んでわかったことは、ハクトという国がこの本を元に建国されたのだろうという予測と、白子がやはり特別な存在であるということ、白子の出生をある程度操作できるのだということ。そのくらいかなと思う。




