第十三章(3)
大きい。
わたしが抱いた第一印象は、それだった。
体が大きいという意味もあるけれど、それ以上に――存在そのものが大きかった。
彼は、いわゆる『カミノタミ風』と呼ばれる真っ黒で簡素な衣装を身にまとい、少し襟足の長い銀髪を、ざんばらのまま背に流している。建物と同じく、まったく着飾っていない。それなのに、立ち上る威圧感は異様なほどだった。
体よりも一回り大きな椅子に、ふんぞり返るように腰を下ろす姿。その様子には、思わず平伏したくなるような、不思議な魅力があった。
寂しくてつまらないと感じていたこの建物も、彼がそこにいるだけで、どんな城よりも威厳のある場所に見えてくるから不思議だ。
もしアピスヘイルの国王をこの椅子に座らせたとしても、きっとこうはならない。
他の誰が座っても、同じことだろう。
――これが、ハクトの王。
わたしは自然と背筋を伸ばし、アピス式の最敬礼で挨拶をした。
「お初にお目にかかります。アピスヘイルの白子、カノンと申します」
虎白さまは、数段高い位置にある椅子からわたしを見下ろし、次にルカさんへと視線を移す。
わたしが慌てて彼を小突くと、ルカさんは短く名前だけを名乗った。
「お前たちのことは聞いている。――そこのスイとかいう、ペテン師にな」
肘掛けに体を預けたまま、虎白さまは低く重みのある声でそう言った。
よく通る、威圧感のある声だ。
『ペテン師』と呼ばれたスイさんは、ひょいと肩をすくめ、心外だと言いたげな態度を取る。
「起きてしまったことは仕方ない。俺はお前たちを責める気はない。ここに呼んだのは、ただ建設的な話がしたかったからだ」
「建設的な話……?」
「これからどうするかの話だ。だが、その前に確認しておきたいことがある」
虎白さまは左右に並ぶ人々へと視線を向けた。
そこに立っていたのは、真っ白な眉毛と髭を蓄えた、マーリンみたいなおじいさんばかりだった。
白から灰色まで、微妙に色合いの異なる衣装。虎白さまと同じ『カミノタミ風』の、胸元で交差する緩やかな服装だ。
皆が皆、似たような姿で並んでいるせいか、人形みたいだ、と思ってしまう。
その中の一人が前に出て、わたしたちに向かって左側の通路を示した。
「虎白さまは、お一人ずつ話を聞きたいとのことです。ほかの方は、あちらの控え室でお待ちください」
わたしとルカさんは顔を見合わせた。
ひとりずつだなんて、時間がもったいない気がするけど。どうしてそんなことをするのだろう。
先でも後でも構わなかったけれど、ポンとわたしの肩を叩いて、ルカさんが先に歩き出したので、わたしはその場に残ることになった。
ひとり取り残され、わたしは改めて虎白さまに向き直る。
「お前は……カノンと言ったな」
「はい。そうです」
「アピスヘイルの白子、と言っていたが。今でもそうか」
「え……はい。そのつもり、ですけど……」
答えながら、わたしははっとした。
――そうだ。わたしには、藍猫さまと橙戌さまが憑いている。
もう『アピスヘイルの白子』と名乗るのは、おかしいんじゃないか。
言い直そうか迷ったけれど、虎白さまは特に気にした様子もなく、次の問いを投げかけた。
「アピスヘイルを旅立ってから、ここに至るまでのことを話せ。覚えていることを、正確にな」
「えっと……全部、ですか?」
「全部だ。お前が見たことを、お前の口から聞きたい」
「は、はい……」
戸惑いながらも、わたしは記憶を掘り起こし、話し始めた。
「わたしとルカさんは、アピスヘイルの白子として船に乗せられました。たくさんの貢ぎ物と一緒に、外なる海へ流されて……海流に乗って、藍の都に辿り着きました」
虎白さまは静かに頷いている。
「そこでは、エリファレットと名乗る女性と、ラウドと呼ばれる男性に迎えられました」
これでいいのかしら、と不安になりながらも、言葉を続ける。
「エリファレットさまとは、いろいろなお話をしました。アピスヘイルのことや、歌のこと……。歌のテストを受けましたが、合格だったのかはわかりません」
そして、息を整えて続けた。
「そのあと『白子の審判』をすることになり、樹の根元へ向かいました。藍の都に生えていた、巨大な樹の――」
「楔樹だろう。知っている」
「す、すみません……」
わたしは小さく頭を下げた。
「その樹の根元には、広い空間がありました。そこには……たくさんの人形が……いえ、多分、亡くなった白子の体が安置されていて……」
その先を言おうとした瞬間、ふいに言葉が詰まる。
――あれ?
記憶を辿るその道筋に、突然、濃い霧がかかった。
頭がぼんやりとして、うまく思い出せない。
「どうした」
「い、いえ……なんでもありません」
わたしは頭を振り、無理やり言葉を続けようとする。
大丈夫。
覚えているはずだ。
つい先日の出来事じゃない――。
「エリファレットさまから、ナイフを渡されました。それで、心臓を突けと言われたんです。わたしが躊躇していると……エリファレットさまが、誰かに襲われました」
「藍猫が襲われた?」
「はい。誰かが、彼女の後ろから……心臓を刺して……」
「誰が刺した」
「えっと……顔は見えませんでした。ただ、なんとなく少年だったような気がして……いえ、女性の声だったような気も……。ごめんなさい、あまりよく覚えていません」
虎白さまは顎に手を当て、思案するように目を伏せた。
「髪の色か、瞳の色は見たか」
「色……」
そう問われて、わたしは霧に包まれた記憶を、手探りで辿る。
――見たはずだ。
確か、顔にはマスクをしていた。でも、髪の毛はちらりと見えた。
何色だった? 髪の色は――。
『青色だったわ、カノン』
脳裏に、マグノリアの声が響いた。
『青色よ。キラキラと輝く、青銀の髪の毛。カノン、忘れてしまったの? エリファレットさまと同じ、とても綺麗な色だったわ』
「……青色でした。青銀の髪の毛です」
「青銀か」
虎白さまは納得したように小さく頷き、ぼそりと呟いた。
「四肢の反乱か。ありがちな話だな」
『四肢の反乱』。
意味はよくわからない。でも、虎白さまは、わたしの話で何かを理解したらしい。
続きを話すよう促され、わたしは言葉を継いだ。不思議と、胸の奥に安堵が広がっていく。
「エリファレットさまの体から青い煙が立ち上って……藍猫さまの形になり、わたしのほうへ向かってきました。その後は、しばらく記憶がありません。気が付いたときには、藍の都には何も残っていませんでした」
それからスイさんと会い、橙戌さまのもとへ向かったこと。
橙の都で起きた出来事も、簡単に話した。
再び頭がぼんやりとしたけれど、藍の都のときほど酷くはない。
ゲームをしていた最中、突然スイさんが橙戌さまを刺し、再び煙がわたしの体に入ってきた――そのことを、要点だけ伝えた。
「随分、あっさり殺せたものだな。橙戌は何かに気を取られていたのか?」
「さあ……随分とゲームに集中していたみたいでしたけど」
「……そうか」
一瞬、腑に落ちない表情を浮かべた虎白さまだったけど、すぐに切り替え、続きを促す。
「その後は?」
「気が付いたらハルム兵に捕まっていて……ウィスさんに助けてもらいました。それで、ハクトに連れてきてもらって、今に至ります」
「覚えているのは、それだけか」
「はい。大体は説明できたと思います」
「では、次に――お前自身のことを聞こう」
わたし自身のこと。
何を聞かれるのかと身構えたけれど、虎白さまの問いは拍子抜けするほど簡単だった。
「その体で生まれてから、何年経っている」
「えっと……年齢のことでしたら、今は十四歳です」
「カノンという名は、その体の名前か」
「はい。そうです」
「前世のことを思い出したのは、いつだ」
「……すみません。前世のことを思い出したのは、ほんの最近で……」
「最近?」
「藍猫さまが体に入ってから、初めて前世らしき夢を見ました。それまでは、一度も見たことがありません」
「前世を思い出していない状態で、司彩に乗り移られたのか?」
「……そうです」
その答えに、周囲に控えていた老人たちがどよめいた。
何かおかしなことを言ったのだろうか。不安になるわたしに、虎白さまは畳みかけるように質問を続ける。
「前世の夢は、何度見た」
「確か……二度ほどです」
「他人の記憶と、自分の記憶が混同することはあるか」
「えっと……その質問の意味が、よく……」
「自分が思うはずのないことを、思ったり。喋ったりすることはあるか」
「あ……それなら……何度かあった気がします」
わたしはポケットから懐中時計を取り出し、記憶を探る。
「この時計を、わたしは特別大切だと思っていません。でも……何故だか、大切なものだと口走ったことがあって……。自分でも、どうしてそんなことを言ったのかわからなくて……今でも、気持ちが悪いです」
「他にもあるか」
「何度か……あったような……。でも、よく思い出せません」
「なるほど」
虎白さまは短く頷いた。
「よくわかった」
何が『わかった』のかは、説明されなかった。
虎白さまはわたしに下がるよう合図し、代わりにルカさんを呼び寄せた。
わたしは彼と入れ替わるようにして、控え室へ向かった。
控え室には、スイさんが待っていた。
「お疲れさま」
「はい……ありがとうございます」
彼に迎えられて、わたしはベンチに腰を下ろす。
「どんなことを聞かれた?」
「ここまでの経緯と、わたしのことです」
スイさんはクスリと笑う。
「ああ、虎白は私の証言を信用していないんだね」
「そうなんですか?」
「だから、ひとりひとりから話を聞いているのさ。私が嘘をついていないか確認するためにね」
なるほど……。わたしは妙に納得してしまい、スイさんの苦笑を買う。
「ひどい話だ。私がいつ嘘をついたのか」
「まあ、嘘はついていないかもしれないですが……」
わたしはスイさんに返事をしながら、なぜか視線が部屋の隅へ引っ張られた。
控え室には、スイさんとは別に、もうひとりの人がいることに気が付いたからだ。
黒い髪の、変わった服装の女の子。
誰かしら。スイさんの知り合いかしら。
わたしはにこりと微笑んで、軽い挨拶をした。
「こんにちは」
わたしが声をかけた瞬間、スイさんが驚いたように、はっとそちらを振り返る。
……え?
その反応にわたしはビックリした。
スイさん、気づいていなかったの? ずっと同じ部屋にいたのに。
彼女は、薄く笑いながらこちらを見ている。
黒い髪と黒い瞳。黒い髪と言うのは、珍しい。
わたしが今まで生きてきた中で、ここまで「真っ黒」と言える濃さの髪の色を見たことがない。
吸い込まれるようにその色を見ていると、彼女が口を開く。
「こんにちは、カノンとスイ」
ただ挨拶をしただけなのに、スイさんは明らかに警戒した様子で、数歩後ずさった。
「何者かな……? いつからそこにいた?」
「ずっといたわ。私はノギス。よろしくね」
…………。
長い沈黙が流れる。
そのやり取りを見て、わたしの背筋に冷たいものが走った。
あのスイさんが、いつも飄々としているスイさんが、こんなにも露骨に顔を強ばらせている。
この少女は、普通の女の子じゃない。
だけど――
髪の色と服装は変わっているけど、その他はどう見ても普通の、華奢な少女だ。
どうしてスイさんは、そんなにも警戒しているのかしら。
ノギスと名乗った少女は、薄く微笑んだまま静かに言った。
「そんなに怖がらないで。私はあなたたちに何もしない。ただ、質問がしたいだけ」
「質問?」
「私が探している人を、見ていないかなって」
探している人?
どうして、わたしたちにそんなことを聞くのだろう。
人探しなら、虎白さまに聞いたほうが早いだろうに。
虎白さまに謁見するために、この部屋にいるんじゃないの?
その疑問を見透かしたように、ノギスは呟いた。
「虎白は何も知らないわ。でも、硬直した世界を動かしたあなたたちなら、見たかもしれないと思ったの……」
その瞬間、彼女の目が大きく見開かれる。
真っ黒な瞳が、わたしとスイさんを交互に射抜いた。
視線が重なった途端、わたしの脳裏に映像が流れ込んでくる。
――ひとりの男の人。
金色の髪。
成人前くらいの年齢。
平凡な顔立ちなのに、この年頃にしてはひどく疲れた表情をしていて……。
そして、真っ赤な瞳。
金髪で、赤い瞳……?
わたしは小さな引っかかりを覚えたけれど、深く考える前に、映像はぷつりと途切れた。
「良い子ね。正直にありがとう」
くすりと笑うノギスに、スイさんが舌打ちをする。
わたしは、何が起きたのか理解できないまま、二人の様子を見守っていた。
「スイ。あなたを邪魔する気はないわ。ただ私は、私の目的を果たすだけ」
ノギスはそう言い残し、「じゃあね」と囁く。
次の瞬間、彼女の姿は暗がりに溶けるように消えた。
そこには扉も、窓もないはずなのに。
わたしは慌てて部屋の隅へ駆け寄り、壁に触れる。
何の変哲もない、ただの壁だ。
本当に、消えてしまった。
「……なんだったんでしょう、あの女の子」
わたしが呟くと、スイさんは大きなため息をついた。
「わからない。わからないものは、たまにいるものだよ、カノン」
「スイさんにも、わからないものがあるんですか?」
驚いて問うと、彼は即座に答えた。
「あるさ」
そして、乾いた笑いを浮かべて続ける。
「君にもそのうちわかるよ。私たちが、いかにちっぽけな存在かってことがね」
わたしがちっぽけな存在だという自覚は、もうあった。
けれど、スイさんまでもがそう思っているとは、考えたことがなかった。
全身が、じわりと冷えていく感覚がする。
わたしはスイさんと並んで、ノギスが消えた暗がりを見つめ続けた。
そのとき、部屋の外から声がかかる。
ルカさんの話が、終わったらしい。
わたしたちは再び、虎白さまの前に、三人並んで立つことになった。




