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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
中巻

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第十三章(2)

「こんにちは、アイシャ。ウィスは帰って来ているかい?」

「は、はい。昨日の早朝に到着しました」

 漏れ聞こえてくる声に、血相を変えて駆け出すウィスさん。

「スイさま! お帰りなさい!」

「ただいまウィス。頼んだ通りにやってくれたみたいだね」

「もちろんです。おふたりともご無事ですよ」

「それは良かった。ありがとう」

 ウィスさんはニコニコしながらダイニングに戻ってくる。彼に続いて現れた姿に、わたしは身を凍らせた。

「や。久しぶり」

「久しぶり、じゃねーよ! 今までどこ行ってたんだよ!」

 相手の顔が見えた途端に食って掛かるルカさん。ひどく立腹しているらしいルカさんは、橙の都からここに来るまでに遭った散々なことについて口汚く文句を並べ立てたけど、スイさんは全く意に介していない様子だった。

「結果的に、無事にたどり着けたんだからいいじゃないか」

「良くねぇよ!」

「私としても、全力を尽くした結果だったんだ」

「どういう全力を尽くしてああなったのか、一から十まで順番に説明してみやがれ」

「そんなことをしたら君はまた怒るだろう」

「やっぱりロクなことしてねーんじゃねえか!」

 スイさんはやれやれと首を振る。

「カノンはともかく、君のほうはまだ怒っていると思っていたんだ。だからしばらくゆっくりしてもらおうと思ったんだけど……」

「どうかしたんですか?」

 ウィスさんの問いかけに、スイさんはひょいと肩を竦めて答えた。

「王さまがね、お怒りなんだよ。あんなに怒るとは思っていなかったからちょっと困っているんだ」

「虎白さまが? どうしてそんな……」

「さてね。やっぱり急すぎたかな。どうもハルムが文句を言っているようなんだ。あんなにすぐにハルムヘイルが崩壊するなんて私も思っていなかったから……」

 え? スイさん、今なんて言ったの? わたしは聞くのが怖くなって、何も言わずに身を縮める。

「正確に言えば、ハルムはこっちに文句を言ってきてはいない。あそこはそれどころじゃないからね。問題はハルムじゃなくてクラウディアとイグニアなんだよ。あの二国はハルムと活発な国交があって、ハルムから色々と情報を集めているみたいだ。その結果、彼らがフリンジとハクトにいい思いを抱いていないみたいで……」

「それは僕がフリンジ兵を使ったからですか?」

「いや、あれはうまくやったと思う。ハクト兵を使うよりも良かった。ただね、思ったよりもハルムもアピスも壊れちゃったから、だんまりしているだけで怪しまれちゃうのさ」

「それは困りましたね……」

 わたしはスイさんの話が聞きたくなくて、つい椅子から立ち上がってしまった。ガタンと鳴った大きな音は彼らの話を中断したけど、その代わりにみんなから注目を受けてしまう。

「わ、わたし、追い出されちゃうんでしょうか……それ、わたしのせいですよね……わたしが白子のままだから、アピスもハルムもおかしくなって……」

 わたしはみんなの視線を避けて、テーブルをじっと見つめながらそう聞いた。

 夢にまで見た穏やかな暮らしが目の前まで来ていたのに、やっぱりわたしはそれを掴むことが出来ないの? わたしの目に涙は浮かばない。涙が出るよりも深い深い絶望が心臓のあたりに穴を空けていたから。

「この国に迷惑をかけているならわたし……すぐに出ていきますから……」

「大丈夫だカノン。そんなことはさせねぇよ」

「でも……ルカさん……」

 ルカさんにはどうすることもできないでしょう? ついひねくれた考えが浮かんでしまう。わたしたちは一瞬微妙な空気を醸し出したのだけど、それを吹き飛ばすようにスイさんは笑った。

「そんなわけないだろう。虎白が君をハクトから追い出すものか」

「え……」

「逆だよカノン。君はしばらくこの国から出られないだろうね」

「そうなんですか?」

 わたしは戸惑ってウィスさんを見る。ウィスさんもニコニコしながら頷いてくれた。

「司彩がひとつ入った時点で君は強いカードに成り得たけど、ふたつ入ったことでさらに強いカードになった。君はもっと自分を誇っていい。今や君が世界の中心なんだ」

「世界の中心……?」

「わざわざ死地を潜りに行った甲斐があったね! 虎白は君の価値を認めざるを得ない。さっきはちょっと怒っていたけど、今頃はすっかり頭が冷えているだろう」

 いつもより妙に楽しげなスイさんは、底意地が悪そうに笑いながらそう語る。

 彼の話は相変わらずわけがわからないけど、ハクトを追い出されないとわかったわたしはホッとしていた。白子が穏やかに暮らせる国は世界中を探してもハクトだけのようだから、ハクトを離れることはもはや恐怖でしかない。

 このままハクトに住まわせてもらえるなら、わたしはなんだってやる。心臓を捧げる以外ならなんだってやってやるわ。わたしは顔を上げ、強い意志を込めた眼差しをスイさんに向けると、彼は大きく頷いて言った。

「その心意気だよカノン。これから王さまに会いに行こう。自信を持って、ちゃんと自分の気持ちを伝えるんだよ?」

「はい! えっと……王さまに会うんですか? これからすぐ……?」

「そうだよ。ふたりを連れてこいと言われたからね。すぐに向かわないと怒られてしまう」

「た、大変です。行きましょう、ルカさん」

「…………」

 すっかり上機嫌のわたしとは対称的に、ルカさんの眉間には深いシワが刻まれている。どうしてよ。ルカさん、落ち着いたら虎白さまに会いに行こうとあなたも言っていたじゃない。ちょっと時期が早まったからって、そんなに警戒しなくても。

 ルカさんの慎重なところは見習わなくてはと思うけど、少し疑り深すぎではないかしら……。ついさっきまでの好感情を翻して、わたしは彼のことをもどかしく思ってしまった。

『あなたが単純すぎるのよカノン。彼の反応のほうが正しいわ』

 再び脳内からマグノリアの声がする。わたしは驚いたけど、彼女に対する怯えはすでに薄れてしまっていた。

『すぐに他人を信用しては駄目よ。それがあなたの良いところなのだけど、今までそのせいで散々な目に遭ってきたのだから、慎重に行きましょうよ』

 あら。随分ルカさんの肩を持つのね。意外だわマグノリア。あなたの恋人のロイに雰囲気が似ているからかしら?

『もう。からかわないで。わたしはあなたを心配しているのよ。あなたの本当の味方は、彼とわたしだけよ。あなたはもう少し慎重になるべきよ。これからはわたしがアドバイスしてあげるから安心して』

 アドバイス……。わたしは辟易としてしまった。これからもこの前世の少女は、わたしの頭の中でお節介なおしゃべりを続けるつもりらしい。

『とにかく、王さまという人に気に入られないとハクトに居づらくなるみたいだから、謁見には行きましょう』

 わかったわよ……。水を差したのはマグノリアのくせに、偉そうに指図しちゃって。

 わたしは心の中で毒づいて、顔を上げた。少しの間黙り込んでしまったからだろうか。わたしの顔を怪訝そうに見つめるルカさんに照れ笑いを送ってから、わたしはスイさんに向けて口を開いた。

「スイさん、お願いします。虎白さまのところに連れていってください」

 スイさんの案内で連れてこられたのは、街の中心部。大通りの先にあるだだっ広い敷地の中だった。

 そこはわたしの身長ほどの低い壁で囲まれていたけど、街の風景と雰囲気はさほど変わらない。可愛らしい白い花がついた低木がポツポツと道沿いに生え、そこが一応整備されたお庭であることはわかったのだけど、アピスヘイルで良く見かけた豪華絢爛な庭園と比べると空き地と言ってもいいくらいの貧相なお庭だった。

 その広い庭の先に、殺風景な建物が建っている。時計塔の他にはほとんど一階部分しかないその真っ白な建物は、平面状に長く広く壁を伸ばしていたけれど、庭と比べたら大した広さはない。たまに橙戌さまのところで見たラージャの駒のような丸みのある屋根がポコポコ生えている以外は何の装飾もなく、なんとも面白味のない場所だなと思った。

「ここはハクテイと呼ばれている。ハクトを動かす偉い人たちが働いている場所だ」

「お城みたいなもの……ですよね?」

「そう。ハクト城と言っても間違いじゃない。誰もそんな呼び方はしないがね」

 あははと笑うスイさん。わたしは改めて周囲を見渡し、ため息をついた。確かに、わたしもここをハクト城とは呼びたくない。

 別に豪華絢爛なお城が好きだったわけではないけど、やっぱり王さまが住んでいる場所はそれなりに立派であって欲しい。なんだかここはアピスヘイルの医務院みたいな印象で、寂しくて冷たくて、とても居心地が悪そうだ。

 こんなところに住む虎白さまとはどんな方なのだろう。わたしは医務院にいるお医者さまのような堅苦しいモノクルをつけたおじさんを想像しながら、多少は立派に見える正面玄関の二本の大きな柱の間を通り抜け、開かれた大扉の先を見据えた。

 驚くべきことに、その扉は謁見の間に直結しているようだった。わたしたちの姿を見つけ、広間に並んで立っていた人たちが一斉に背筋を伸ばす。わたしは彼らの視線を一身に受けながら、ピカピカに磨かれた床をおっかなびっくりと進んだ。

 最奧には白くくすんだガラスがはめられた窓があり、柔らかな光を室内に取り込んでいる。窓の下にはたくさんの本が納められた本棚があり、広々とした机がある。

 その机にはこの建物には不釣り合いなほど立派な椅子があり、背中側をこちらに向けていた。

「ふたりを連れてきたよ、虎白」

 スイさんの言葉を受けて、椅子がユラリと揺れた。そして次の瞬間、大きくぐるりと半回転し、椅子の主が姿を現す。

 わたしはその姿に少し驚いてしまった。想像していたモノクルのおじさんとは全く印象が違っていたからだ。


 

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