表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
衰退世界の人形劇  作者: 小柚
上巻
44/125

第九章(2)

 思えば初めから、おかしかったのよね。何年も会わせてくれなかった母さまに会わせてくれるなんて、おかしいと思わなきゃいけなかった。

 日没とともに戻った部屋の中で、わたしは窓から夜祭を見下ろした。 今日も変わらず、楽しげな音楽と笑い声、無数の明かりがキラキラと闇夜を明るく照らし上げている。

 主教さまは言った。アピスヘイルのこの繁栄は、白子の審判により成り立っているものだと。今日のこの日も、何の不安もなく当然のことのように贅沢を享受している国民たちだけど、その資本である導きの泉は既に枯れかけている。

 非常に危うい日常を、彼らは生きているのである。

 わたしは主教さまに手渡されたものを顧みた。それは部屋の入口の小さなテーブルの上に投げ置かれている。

 わたしは主教さまに言われた言葉を反芻した。それは非常に鋭く冷たい言葉で、何度も何度もわたしを震え上がらせるのだった。

『アルベルト派の白子を 殺しなさい。』

 殺すって何? わたしがルカさんを殺すの? わたしは震えながらも、無理矢理口の端を上げた。

「ルカさんが死ぬわけないじゃない。こんなチャチな毒なんかで」

 そういうことじゃないの。殺せるとか殺せないとかいう話じゃないの。わたしがショックを受けているのは。

「……神官になるもの同士、わたしたちはお友達になれるんじゃなかったの?」

 神官になるときは、誰も付いて来てくれない。姉さまもばあやも、ククルもブレンダもマーサも、付いてきてくれない。

 一緒に行けるのは、アルベルト派の白子だけ。それはテオドアかルカさんか、どちらになるかはわからなかったけど、なんにせよわたしは一人ぼっちにはならないのだと信じていた。

 なのに。主教さまから告げられたのは、恐ろしい言葉。

″アリアト派の繁栄のために、アルベルト派の白子を殺せ″。 しかもそれが、先代のサリーが望んだことだという。

 この宣告の後、主教さまはなにやら呟いていた。頭が痺れてしまってあまり記憶に残ってないけど、確かこんなことを言っていた。

「この数か月で、アルベルト派は白子を変えてきたようです。どういうつもりかは知りませんが。テオドアでは勝てないと踏んだのでしょうか? まあ、どうでもいいんです。どんな白子をぶつけてこようと、藍猫さまの元に辿り着く前に、『事故』に遭ってしまえばいい。不幸にも、事故に遭ったアルベルト派の白子は、藍猫さまにお目にかかることなく青の道へ沈むのです」

 含み笑いをする主教さまは、およそ聖職者とは思えないような醜悪な顔をしていた。

 主教さまはルカさんのことを知っていたわけではない。初めから、アルベルト派の白子に興味がなかったんだ。痺れた頭でぼんやりとそう思った。

 こんなことも言っていた。

「シノンが昨日からわけのわからないことを喚いていました。カノンも何か聞いていますか? テオドアが消えたとか、どこかに隠されたとか、興奮しながら言うんです。羊角のことに首を突っ込むなといつも言っているのに。どうしてシノンがそんなことを知っているのでしょうね。

 騒ぎが大きくなると面倒なので、旅立ちの儀が終わるまで、部屋で謹慎させています。あなたの旅立ちには立ち会えませんが、仕方がないですね」

 面倒。面倒って何よ。あなたがサリーを慕っていたように、姉さまもテオドアを慕っていたのよ? どうしてそれがわからないの。

 怒りの気持ちが湧いてくるほど、わたしに気力は残されていなかった。わたしはいつもの隠し場所から、サリーの手記を取り出した。今ならわかる、彼女が書き残したことのほとんどが、彼女の気持ちがよくわかる。

『懲罰房に入るような不信心者でないと、詮索しようなんて思わないでしょう。よくもこんなものを作ったわね、どういうおつもりなのかしら、ラウドさま?

 地下の真実に首を突っ込む愚者。そして賢者は暢気にお日様に焼かれるの。あっちの洟垂れは何も知らないんでしょうね。本当にご聡明であらせられますわ、お坊ちゃま。

 逃げることもできるけど、わたしは八戒に殉じましょう。アピスの民と、オズアルド君のために。

 あれを読めたのはわたしだけだったから、少し嘘を吐いてしまったわ。真実を曝け出せば、彼は泣いてしまうでしょう? 泣き虫で愚図のオズアルド君。サリーは、彼のことちょっぴり気に入ってたみたい。

 わたしが重臣に選ばれれば、いずれ彼のお兄さまが国王になるんでしょう? おかしいわよね、全然想像できないわ!

 勝つのはわたし。わたしが負けたら、次の人、よろしくね。

 アリアトよ、永遠なれ!』

 サリーはとても意志の強い女性だったようだ。アリアト派を勝利に導くために手段を選ばなかった。彼女はどこからか毒物を手に入れ、それを隠し持ち、藍の都へと旅立った。

 彼女に『洟垂れ』と言われた羊角の白子は、哀れにも凶刃に倒れ、藍の都に辿り着く前に青の道の底に沈んでしまった。

 すべては、アリアト派のために。″ちょっぴり気に入っていた″オズアルド君のために。彼女はそれをやり遂げたのだ。

「サリー。あなたは立派だったわ。でも、十二章は守られていないわよ」

 わたしは苦笑しながら、その本を破り捨てた。びりびりに破いて、窓の外に放る。

「『白子は八戒を遵守し、一人の平均的な子供として育てよ。けして特定の神民との縁を結ぶなかれ』」

 多分、今でも主教さまはサリーを愛している。きっとばあやも同じだ。

 二人はサリーを愛するあまり、彼女の遺したこのナイフに執着している。彼女のように、わたしが羊角の白子を殺し、再びアリアトに繁栄をもたらすことを望んでいる。

 全てはサリーのため。彼らは未だサリーと共に生きているのだ。教典の教えを犯してまで、サリーのことを思っている。

 わたしの胸は嫉妬に焼かれていた。粉になるまで本を破り、力任せに外へ投げつける。

 わたしにはそんな人はいない。わたしを気にかけてくれる母さまは、彼らの手によってわたしから遠ざけられた。

 姉さまはテオドアに熱を上げていて、わたしのことなんか忘れている。

 修道院の友達は、お祭りにすら誘ってくれなかったし、ククルもブレンダも、わたしとは距離を置いている。

 ローダさまはわたしじゃなく、白子というわたしの立場が好きなだけ。

 わたしの傍にいてくれるのはルカさんだけだったのに、ばあやと主教さまはサリーを愛するあまり、わたしからルカさんまで奪おうとしている!

 今頃ルカさんにも、旅立ちの宣告がされているかもしれない。ルカさんはランディスさまに、同じようなことを言われていないかしら。アルベルトに栄光をもたらすためにわたしを殺せと、そう言われていないかしら。

「ルカさん……ルカさんは、そんなことしないわよね?」

 ルカさんはわたしと違って、アルベルトの人たちになんの恩義もない。喋ったこともないような人たちのために、ここ数か月行動を共にしたわたしを殺そうとするかしら。

 わたしの頭の中で、ルカさんは笑う。

『別に、俺は気にしねぇよ』

 ルカさんならそう言ってくれるような気がした。

 でも、ルカさんは理解できない行動もする。果たして全面的に彼を信用しても良いものか。だけどわたしには、もはやルカさんしか頼れる人がいなかった。

 今からルカさんのところへ行って、提案してみたらどうだろう。テオドアが通った抜け道を通って、二人で逃げてしまわないか。お祭り二日目の晩餐で、料理人さんが言っていた。世界はすごく広くって、獣人のような変わった種族の人もいるって。髪の毛の白いわたしたちを変に思わない国も、きっとどこかにあるでしょう?

 だけどわたしの頭に、主教さまの言葉が蘇る。

『あなたが旅立たねば、泉は枯れます。そして雨はやむことが無くなり、この都は『最期の審判』を迎えてしまうでしょう。――あなたの小さな肩に、アピス国民すべての命が乗っているのです』

 わたしの脳裏に、楽しかった日々が浮かんできた。リリムが冗談を言い、カーミィが眉を顰める。アイリスが悲鳴を上げ、姉さまが笑う。ローダさまが楽しそうに妄想を語る。ククルがおまんじゅうを頬張って、幸せそうな顔をする。マーサは恋人と幸せそうに暮らして、ブレンダは実家の手伝いに精を出す。ばあやはみんなを怒鳴りながら教会の掃除をし、フランシスカ先生はどもりながら聖書を朗読する。ケインさんやリンゼイさんが早起きして朝の礼拝に並ぶ。

 そして来年も、そのまた来年も、エリスフェスタが開かれて、子供たちが舞い踊る。キャンドルナイトで恋人たちが、川の光の途切れる時を待つ。

 そしてとあるお屋敷の窓際で、母さまが、母さまが、揺り椅子に体を預けて、微笑んでいる。リズとルーシーが、その膝の上でにゃあと鳴くの。

 もしわたしが、ルカさんと一緒に逃げてしまったら。彼らはどう思うだろうか。もし捕まって、都に連れ戻された時、彼らはわたしに微笑むだろうか。わたしに石を投げ、罵声を浴びせるのではないか。もし醜く生き延びることができたとしても、わたしは二度と彼らと語らうことはできなくなってしまう。一生恨まれて、蔑まれて生きていかなければならない。

 わたしは、愛されたい。みんなから愛されたいの。

 そして暖かい部屋で眠り、お腹一杯ご飯を食べるの。

 ゆりかごの歌のように。安らかに。ゆらゆらと、誰かに守られて。

 誰からも憎まれず、平和に、安寧に暮らしたいの。

 わたしの心は、とっくの昔に決まっていた。あの時ルカさんに、偉そうに言ったじゃない。忘れたとは言わせない。

「死ぬより怖いことって、たくさんあるのよ、カノン」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ