第九章(1)
エリスフェスタ五日目の朝。約束どおり、ベテラン侍女のリンカがわたしの身支度を手伝ってくれた。彼女はいくつか地味めなロングドレスを用意してくれて、わたしに最終決定を委ねた。
わたしはぼんやりとしながらも、白と紺色のバイカラーのワンピースを選び、着せてもらった。髪は丹念に櫛でとかされ、いつものように結わず、腰まで流した。
「お綺麗ですよ、カノン様」
「ありがとう、リンカ」
わたしはテーブルに置いていたパルフィートを首にかけ、お支度室の窓から外を見た。使いの人に迎えに来させると仰っていたけれど、さすがにまだやってきてはいないだろう。お昼の二時頃と言っていたのだから。
その後、昼餉を済ませたわたしは、そわそわと聖堂で使いの人を待っていた。
誰が来るのだろう。八歳までしかいなかったのだから、生家の使用人の名前なんて覚えていない。もし『お久しぶりです』などと言われたらどうしよう。期待に応えることはできないわ、と狼狽えていたのだけれど、その心配をよそに、わたしを迎えに来たのは見慣れた顔のばあやだった。
「カノン様。お迎えに上がりました」
「どうしたの、ばあや! 数日ぶりよね?」
わたしの目の前に現れたばあやは、侍女のエプロンではなく、真っ黒なロングドレスを着て優雅に会釈をした。わたしの笑顔に微妙な苦笑を返すと、事務的な所作でわたしを聖堂の外へと連れ出した。
聖堂の前には、一人乗りの小さな車があった。レグ車と呼ばれる、馬よりも小さなレグという動物に引かせた一人乗りの車だ。車上の籠には黒い布がかけられ、中がまったく見えないようにされている。
「どうしたの? これ。別に歩いて行けるのに」
「お乗りくださいませ」
「…………」
有無を言わせない雰囲気のばあやに、わたしは黙って籠に乗った。
レグは体を大きく揺らして歩くから、その背に人は乗れない。ばあやはレグを引いて歩くことになるわけで、それなら一緒に歩いて行っても同じことだ。
この妙な出で立ちの籠には、何の意味があるのだろう。
真っ暗な籠の中には、お香が焚かれていた。少し嫌な感じのする香りで、猫除けに使う匂いに少し似ていた。
「申し訳ありません。エリスフェスタの最中に馬車を出すのは、手続きがいろいろと面倒でして」
「別に狭いのはいいんだけど、なぁに、この匂い」
「申し訳ございません。用心のためでございます」
用心のための匂い? 何に対する用心なのかしら。
疑問には思ったけれど、なんだか聞いてはいけない雰囲気で、わたしは大人しくレグ車に揺られた。
外が見えないので、今どこを通っているのかわからない。歓声が聞こえたのを考えるに、広場を抜けて貴族区へと入ったのだと思う。
沈黙のまましばらく揺られて、レグ車が止まる。ばあやが暗幕を押し上げ、わたしを籠から降ろした。
燦々と降り注ぐ太陽の光の下、見覚えのある光景がわたしの目の前に広がる。
白いレンガでできた塀と、芝で覆われた庭。蓮が浮かぶ小さな池に、噴水がきらきらと水を散らしている。その周りには黄色とオレンジを基調とした小さな花々が咲き乱れ、同じ色をした蝶々がひらひらと飛び回っていた。
白い石畳の小道を進んでいくと、大きな樫の木の麓に円形の階段が見える。よくここで姉さまと飛び跳ねて遊んでいたな、と懐かしい記憶があふれ出してきた。
玄関の外で待機してくれていた使用人が、深々と礼をして扉を開く。広々としたエントランスに、鎮座する大階段。手すりには、丸々と太った猫が二匹、寝そべってあくびをしていた。
「もしかして、リズとルーシーかしら?」
「その通りです。覚えていらっしゃいましたか」
「覚えているわよ。この二匹は、わたしが選んで連れてきたんだから」
確か、近所でたくさんの子猫が生まれたと聞いて、姉さまとふたりでもらいに行ったのだ。多分、わたしが六歳くらいの頃のこと。わたしが選んだのは、イエロータビーのリズと、三毛のルーシー。姉さまはブラウンのラングというオス猫を選んだのだけれど、その子は体が弱くて、すぐに死んでしまった。
「今はあと三匹のお猫様がいらっしゃいます。レムとロミ、そしてロッテです……今は外出しているようですね」
ばあやはぐるりとエントランスを見回して、残念そうにつぶやく。
「別にわたし、猫を見に来たわけじゃないわ」
「そうですね」
ばあやは使用人に下がるよう合図をして、わたしを連れて階段を上った。二階の角部屋へとわたしを誘導すると、ノックをするよう手で示す。
この中に母さまがいらっしゃるのね。
そう察したわたしは、一気に汗ばんだ手を、猫形のノッカーに伸ばした。
コン、コン。小気味のいい音が廊下に響く。すぐさま中から「どうぞ」という声がした。
ばあやに視線を送る。彼女はドアノブを指し示した。わたしが開けてもいいということだろう。わたしはゴクリと喉を鳴らし、ひんやり冷たいドアノブをゆっくりと回す。
扉の隙間から、例の猫除けの香りが噴き出してきた。後ろでリズが、ギャッと悲鳴を上げるのが聞こえたけれど、わたしは振り返らない。振り返らずに、扉の向こうの光景を凝視した。
さわやかな風が、レースのカーテンを揺らしている。開いた窓のそばで、揺り椅子を揺らす女性の姿がある。
「いらっしゃい、カノン」
豊かな栗色の髪をなびかせた女性は、泣きたくなるほど懐かしい声で、わたしにそう声を掛けた。
わたしの足は震えていた。六年ものあいだ、会いたいと願ってきた女性が目の前にいる。わたしがすぐには動けないでいると、ドアを閉めたばあやが短く悲鳴を上げ、どたばたと部屋を横断していった。
「駄目ですよ! イリア。どうして窓を開けたのです」
ばあやは狼狽えながら、開いた窓を一つ一つ閉めていく。
「だって、お母さま。においが酷すぎるんですもの」
「我慢なさい。こうしないと、カノン様にお会いすることはできなかったんですよ?」
「オズワルドもそう言うけど、本当なのかしら……」
母さまは不満げにぼやいてから、再びわたしに笑顔を向けた。
「会いたかったわ、カノン。さあ、こっちにいらっしゃい」
母さまは立ち上がり、こちらに向けて腕を広げた。夢にまで見たその姿に、わたしの中に渦巻いていた不安や悩みのすべてが、一瞬にして吹き飛んだ。
わたしは夢中で駆け出し、思い切りその胸に飛び込む。そして柔らかいレースのブラウスに顔をうずめて、わんわんと泣いた。
猫除けの香りの中に、懐かしい母さまの香りを感じる。母さまは黙ってわたしの頭を撫でてくれ、ゆっくりとソファへと誘ってくれた。
「ごめんなさいね、カノン。今まで随分寂しかったでしょう。ごめんなさいね……」
わたしの嗚咽が小さくなったころ、母さまはそう呟いてわたしの体を起こす。
「よく顔を見せてちょうだい。大きくなったわね。とても可愛らしい顔だわ。噂通り、シノンにそっくりね」
「……姉さまに似ていては駄目でしょう。わたしは藍猫さまの娘なんだから」
「ああ、そうね。そうだったわね」
鼻をすすりながらわたしが皮肉を口にすると、母さまはまるで今思い出したかのように、そっけなく答えてみせた。
後ろでばあやが何やら慌てた声を上げているけれど、全然頭に入ってこない。わたしは母さまが「母さま」であることを確信して、喜びに打ち震えていた。
「母さま、母さま、わたしね、たくさん話したいことがあるの。聞いてくださる?」
「ええ。何でも聞くわ。話してちょうだい」
「イリア。あまり悠長にしていては……」
「少しくらいいいじゃない。ねえ、カノン。気にしないで良いのよ」
苦言を呈そうとしたばあやを一言で黙らせて、母さまはわたしの話を促した。
柔らかい笑顔の母さまは、本当にわたしの記憶どおりの母さまで、本当に夢のようだ。わたしは喜び勇んで、思いつくままに口を開く。
母さまと離れて暮らすようになってから、とても寂しかったこと。姉さまが一生懸命わたしを慰めてくれていたこと。初めは嫌だった教会の暮らしも、今ではすっかり慣れてしまったこと。近頃は侍女とも仲良くなって、とても楽しいこと。ばあやは怖くて厳しいけれど、なんだかんだ言って一番頼りになるということ。
ばあやが後ろで聞いていたから、うっかり禁忌に触れるようなことを喋らないように気を付けた。母さまはにこやかに、時折相槌を打ちながら聞いてくれる。
「毎年エリスフェスタは姉さまと行っていたの。だけど今年は姉さまがイザクさまと行かれると聞いたから、他のお友達と行ったのよ。そうしたらね、覚えているかしら、わたしがひよこさんの笛を買ってもらったこと」
「ええ。覚えているわ。あなた、五歳だったわよね。よく覚えていたわね、そんな昔のこと」
「思い出したの。たまたま同じ笛を売っているお店を見つけたから。外国に生えている高価な木を使った工芸品なのね。お値段が高くてびっくりしたわ」
「そうなのよ。あのひよこ、意外と結構なお値段だったの。なのに、すぐ壊れてしまったのよね」
ちゃちに見えたあの子供用の笛。ぶら下がった値札には三グリスと書かれていた。ククルおすすめのおまんじゅうが十五個も買えてしまうくらいの、びっくりする値段だ。そんなものを買わせていたなんて、五歳のわたしはまったく気が付いていなかった。
「さすがにひよこは買わなかったんだけど、代わりにこの笛を買ったのよ。ご存知かしら。パルフィートという笛で、とてもいい音がするの」
わたしは首に下げていた笛を見せる。何気なく口に運び、澄んだ音色を響かせた。
「まあ、綺麗な音!」
瞳を輝かせる母さまを見て、今ならいけると思った。わたしは何度も練習したフレーズを奏でる。初めは不思議そうにしていた母さまだけれど、すぐ理解したように微笑み、目を閉じた。
「どうかな? わたしの演奏」
「上手だわ」
わたしがもう一度初めから音を出すと、母さまが唄を口ずさんでくれた。
ゆりかごのうた あなたがねむるまで うたうわ
しとしとふるあめ あたたかなだんろ
こねこがまるまり ねんね あなたもゆらゆら ねんねこよ
ゆりかごのうた あなたがなきやむよう うたうわ
おなかがすいたの ミルクをのんだら
おなかがいっぱい ねんね ゆりかごゆらゆら ねんねこよ
パルフィートではいくつかの低音が出せなかったけど、母さまは気にせず歌ってくれた。ああ、そんな歌詞だった、と思い出す。懐かしさに感極まり、わたしは再び泣いてしまった。
わたしの肩に、母さまの手が触れる。鼻をすする音が聞こえて、わたしはふと横を見た。母さまも泣いている。肩を震わせ、目の端からぽろぽろと涙をこぼしている。
「母さま……」
わたしは肩に置かれた彼女の手を取り、その掌に指を這わせた。母さまは驚いたようにわたしを見て、さらに顔をくしゃくしゃにする。
彼女はわたしを抱きしめて、わんわんと泣いた。そして嗚咽を交えながら、悲痛にこう叫んだ。
「駄目よ、お母さま。この子はカノンよ。あの時から何も変わっていない。わたしの娘のカノンだわ!」
「何を言っているのです、イリア。このお方は白子様です。藍猫さまに選ばれた魂なのですよ」
「違うわ! この子はカノンよ。前世のことなんて思い出していないわ。何かの間違いじゃないの?」
「いいえ。もう思い出されていますよ。すぐに白子としての自覚にお目覚めなさいます」
「そんなことないわ。まだこの子は十四歳よ? 幼すぎるわ。何かの間違いよ」
「間違いだとしても、決定は覆りません。イリア、あなたは自分の義務を果たすのです。もう時間がありません」
わたしは母さまの腕の中でもがいて、ばあやに視線を向ける。ばあやは懐から取り出した懐中時計を見て、苛立った顔を母さまに向けた。
「オズワルド様に念を押されておりましたよね。余計なことは言わないようにと。イリア、あなたはカノン様に言わなければならないことがあるでしょう? 早くなさい。早くしないと、日が沈んでしまいます」
「いやよ。わたしにはできないわ。どうしてこんな可愛いカノンに、そのような恐ろしいことが言えるでしょう」
「あなたは、サリー様のご遺志をないがしろになさるのですか? アリアト派に多大な繁栄をもたらしてくれた、サリー様の立派なご遺志を!」
「サリーは、サリーでしょう。サリーは前世を思い出す前から、途方もなく立派な女の子だったわ。でもカノンは違う。カノンは優しくてか弱い、ちっぽけなわたしの娘なの」
「それでも、あなたは言わねばなりません。それがアリアト派で下された決断です」
「だめ、できないわ。お願いお母さま、あの人を――オズワルドを呼んできて!」
ふたりは、何を話しているの? 戸惑うわたしをよそに、母さまは叫び、それを聞いたばあやは部屋を飛び出していった。
「母さま。どうしたの? わたし、前世のことなんて思い出していないわ。ばあやはどうしちゃったの?」
「そうよね、カノン。わかっているわ。でも許して。母さまにはどうすることもできないの……」
程なくして、バタバタと慌ただしい足音が響く。申し訳ありません、と平謝りするばあやの声が聞こえてきた。
ノックもなく、勢いよく扉が開く。すぐに閉じられた扉の前には、いつもより険しい顔をした主教さまが立っていた。
「イリア。どういうことですか」
「ごめんなさい、あなた。わたしにはどうしても言えなくて……」
わたしからするりと手を離し、母さまは顔を覆う。再び泣き崩れる母さまに、主教さまが歩み寄った。
「イリア。これは私たちの使命だと言いましたね」
「はい」
「サリー様のご遺志を継ぐために、絶対に必要なことです」
「はい」
「あなたから伝えるのが一番良いのだと、何度も言いましたよね?」
「でも……」
「でもじゃありません。返事は『はい』です」
「…………」
母さまの両肩に置かれた主教さまの手に、力がこもっていく。苛立つ主教さまに対して、母さまはただ怯えるしかない様子だった。ついに声が出せなくなった母さまに、主教さまは大きなため息を漏らす。
「では、下がりなさい。私から言います」
主教さまはそう告げて、母さまを無理やり立たせ、窓の方へ追いやった。
「すみません、カノン。見苦しいところをお見せしました」
主教さまは取り繕うようにわたしに微笑みかけて、ゆっくりと隣に座る。膝の上に組まれた両手に、インクの染みが見えた。つい先ほどまで書斎で仕事をしていたのだろう。その染みを親指で擦りながら、主教さまは淡々と話をはじめる。
「カノンには、八歳の頃から白子の部屋に入ってもらいました。この六年間、色々と寂しい思いもしたでしょう。ですが、私たちなりに、あなたに不自由のない生活をさせてきたつもりです。あなたも八戒を守り、良い子に育ってくれました」
いったい何の話だろう。なぜだか思い出に浸るようなまなざしの彼に、わたしはただ戸惑う。
「私は八戒を守るように言いました。そして細々とした規則をあなたに課しました。あなたは真面目に従ってくれていたようですね。予想以上に、あなたは真面目でした」
彼の言い方は、どこか皮肉めいていた。規則を守っていたわたしを、まるであざ笑っているかのような口ぶりに、わたしは少しむっとする。
わたしの感情に気が付いているのかいないのか、主教さまはくすりと笑って話を続けた。
「真面目なのは良いことです。あまりに奔放に育ちすぎると、大教会側は対処に人手を取られます。あなたのような真面目で素直な子は、私たちとしては非常に理想的で、ありがたかった」
どうして過去形なのだろう。わたしは嫌な予感がする。主教さまの表情は、穏やかな笑顔のまま変わらない。それが不気味で仕方なかった。
つい身構えるわたしに、彼は優しく肩を撫でて緊張を解そうとした。その手がとても冷たくて、わたしの背筋はさらに凍りつく。
「ですが、私たちの理想は藍猫さまの理想とは違うかもしれません。あなたは素直で優しすぎる。もし藍猫さまのお眼鏡にかなったとしても、あなたのような子は、藍猫さまの元へたどり着く前に闇に葬られてしまうかもしれない。それが私たちの最も恐れることであり、手を打っておかなければならないことです」
主教さまは母さまに目配せし、彼女から何かを受け取った。母さまは体を震わせ、その場にしゃがみ込む。すぐにばあやが駆け寄って彼女を支え、揺り椅子に座らせた。
「カノン。これを受け取りなさい」
主教さまに差し出されたそれを、わたしはまじまじと見つめる。革のベルトに、盾のような形の飾りがついている。その盾には細長い棒状の膨らみがあり、その先端は十字の形になっていた。
「これは、なんでしょう」
わたしが問うと、主教さまは十字の部分に手を伸ばす。それをつまんで上に引くと、ぎらりと金属質の光がわたしの目を刺した。
「……!」
わたしは短く悲鳴を上げた。それはナイフだった。掌よりも短い、ちっぽけなナイフ。その切っ先は不自然に黒ずんでいて、何か粘性の液体がへばりついているのが見て取れた。
「この切っ先には毒が塗られています。どんな巨大な獣でも一撃で仕留めてしまうほどの猛毒です。あなたの先代、白子サリーが遠い国から取り寄せました」
サリーが? 主教さまの口から飛び出た名前に、わたしの心臓が跳ねる。
だけど、サリーが毒を? どうして?
疑念に満ちたわたしのまなざしに、主教さまは薄く微笑んで答えた。
「サリー様は懸念されていました。自分は藍猫さまに選ばれないかもしれない。アルベルトに負けてしまうかもしれない。より確実にアリアトに勝利をもたらすために、サリー様はこれを用意したのです。そして次なる審判の時に備えて、私たちにこれを遺してくれたのです」
主教さまは鞘にナイフを納める。カチリと音が鳴り、それはただの飾りに戻った。
「わかりません。主教さま。あなたは何を言われているのですか?」
わたしはたまらずそう尋ねる。主教さまはばあやを振り返り、
「どこまで話しました?」
と問いかけた。ばあやがぶんぶんと首を横に振ると、主教さまは大きくため息をついて、こちらに視線を戻す。
「時間がありませんので、端的に言います。カノン、あなたはこのエリスフェスタが終わったら、藍猫さまの元へ旅立つのです。そして『白子の審判』を受けるのです」
「白子の……審判?」
「『白子の審判』とは、アリアト派とアルベルト派の白子のどちらを藍猫さまが重用されるか、『重臣』を決める審判です。あなたはそれに勝たなければならない。なぜなら――」
主教さまは一度言葉を切った。もったいぶるように唇を結んでから、次の言葉を口にした。
それは衝撃的な内容で、わたしは自分の耳を疑ってしまうほどだった。
「『白子の審判』に打ち勝ったほうに、藍猫さまは恵みをお与えになります。それは『王権の許可』にもつながります。白子の審判に勝った教会には導きの泉が湧き上がり、敗れた方の泉は枯れます。
もしアリアト派のあなたが敗れれば、王権はアルベルトに譲渡され、アリアトの血筋の多くは都を追われることになるでしょう」
部屋に静寂が訪れる。猫除けの香りがつんと鼻を突くだけで、他の何もわたしに届かない。静寂の中で、主教さまの言葉が頭の中をぐるぐる回っていた。
白子の審判? 旅立つ? お祭りが終わったら? 重臣を選ぶ? 王権? 泉が枯れる?
わたしはパニックになりかけて、後ろによろめく。ソファの肘掛けが背中に当たり、それ以上の後退を阻んだ。
静寂を破って、主教さまが口を開く。
「幼いあなたにアリアト派のすべてを委ねることは心苦しい。ですが、もう衰退の節に入りました。すでに導きの泉は枯れ始めている。天候も芳しくない。藍猫さまは白子の審判の日を心待ちにしておられるのです。もう猶予はほとんどありません」
「…………」
「あなたは気が付いたのでしょう。宣誓の詞の意味に。神さまの言葉を少しずつ理解できるようになっているのでしょう? それはあなたが神官へのステージに上ったということ。今のあなたなら、白子の審判を受けることができる。国を救うことができるのです」
嗚咽が聞こえた。母さまが声をあげて泣いている。
「あなたが旅立たねば、泉は枯れます。そして雨は止むことがなくなり、この都は終末を――『最期の審判』を迎えてしまうでしょう。
白子の審判は絶対です。アピスは十八年に一度、二人の白子を藍都に送ることを条件に、藍猫さまから惜しみない加護を受けている。あなたの小さな肩に、アピス国民すべての命が乗っているのです」
主教さまはわたしの手を取り、盾を握らせた。猛毒の入ったナイフの鞘をしっかりと握らせて、主教さまは言う。
「あなたは、サリー様のように。この十八年、私たちに栄光と繁栄をもたらしてくれた、気高き魂を持つサリー様のように。私たちに勝利をもたらしてください。そのために、このナイフを使うのです。あなたは旅立ちの後、藍猫さまの元に辿り着く前に、そのナイフで彼を――」
アルベルト派の白子を、殺しなさい。




