第七章(2)
からりと晴れた夏の空。雲一つない青空の下で、ひしめき合う白い猫たち。人の海、と称していいくらいに混雑した商店街の大通りで、わたしはツインテールのカツラを被ったエプロンドレスの女の子と二人、お揃いの格好で街を歩いていた。
わたしの手にはミルク味のアイスキャンディが握られている。
「まさか本当に、カノン様とデートできるなんて思っていませんでした」
ククルは快活にそう笑うと、ミントの葉で飾られた青いアイスキャンディに豪快にかぶりつく。
「うーん、まあまあですね! でも一シウスだから、この値段にしては美味しいかな~」
「本当によく食べるのね、ククル」
わたしが今日持ってきた小銭は、銀貨十枚、銅貨二十枚。すでに銅貨は無くなってしまって、軽くなった革袋は頼りなさげな音を奏でていた。
「え~? まだまだこれからですよ? まだ甘いものしか食べてないじゃないですか!」
「…………」
わたしは絶句する。ほんの小一時間でククルは、ドーナツ、クリームタルト、フルーツ、アイスクリームをお腹に収めていた。彼女の半分の量しか食べていないのに、わたしはすでに気持ちが悪くなっている。
「もうわたしはいらないから、ククル、好きなものを食べて……お金は払うから」
「本当ですか? やったー! じゃあ、あれにしましょう、あのおまんじゅう」
ククルはわたしから銀貨を受け取り、まんじゅうを二つも買って満面の笑みで戻ってくる。そして再び人の流れに沿って歩き始めると、彼女は今日何度目になるか分からない言葉を口にした。
「まさか本当に、カノン様とデートできるなんて……」
「もしかして嫌だった? わたしが誘ってしまったの」
あまりにもしつこいものだから、わたしはついひねくれた言葉を返してしまう。
「そんなわけないじゃないですか! 憧れのカノン様とエリスフェスタを回れるなんて、私、一生藍猫さまにおまんじゅうを捧げたい気分ですよ!」
よくわからない例えだ。藍猫さまに捧げたいなんて、そんなにそのおまんじゅうは美味しいのかしら。わたしはつい気になって、ククルから半分分けてもらうことにした。
「おいしい! お腹いっぱいでも食べられちゃうわ」
「そうでしょう! このおまんじゅうは私が最もオススメする商品です! 今のところアピスヘイルでナンバーワンのおまんじゅうです!」
一つと半分を綺麗に平らげて、ククルは今度はフルーツジュースのお店に目を付ける。
「飲み物ならまだ入るんじゃないですか? あそこのミックスジュースは、わたしの最もオススメする商品の一つ! アピスヘイルでナンバーワンのミックスジュースです!」
「そ、そうね……ちょっとだけ分けてくれればいいわ」
ククルは軽やかに走って行って、大きなカップを持って帰ってきた。
「あちらで座って飲みましょう! ほら、二人で飲めるようにストローを二本挿してもらいました!」
「……それって、恋人が飲む用じゃないの? まあいいや……」
通りの端にある、休憩用に作られたスペースで、わたしたちはジュースをいただく。青と白の縞模様に染められた天幕が目に涼しく、ほどよく日が遮られて快適だった。
周りにはわたしたちと同じように、銀髪のカツラに白い猫耳、フェイスペイントをした市民がひしめいていたけど、みんな飲食やおしゃべりに夢中で、白子のわたしが傍にいることなんて誰も気がついていない。
「いやぁ、本当に、カノン様とデートできるなんて夢みたいです!」
ククルがしつこく口にするその言葉。何か含みでもあるのかしら? 気になったわたしは少し強い口調で尋ねてみた。
「どうしてそんなことを言うの? そんなにわたしがあなたを誘うのって変だった?」
「いいえ! そうではなくて、ちょっぴり意外だっただけです」
ククルはジュースを美味しそうに啜り、初めに買った量り売りのドーナツの残りを紙袋から出して机に並べる。
「意外?」
「はい! カノンさまは私じゃなくて、どなたか別の人とお出かけしたいんじゃないかなって思っていましたから」
「別の人?」
わたしがそう問いかけると、急にククルの目つきが変わった。目を細めた彼女は、いたずらっぽい笑みを湛えて口を開く。
「カノン様、最近いい人ができたんじゃないかって噂になっていますよ」
「いい人?」
「やだぁ、とぼけちゃって。恋人ですよ、コイビト!」
「なっ!!」
まるで火でも付いたように、わたしの顔が熱くなった。
「ななな、何を言っているのククル! わたしは白子で清廉潔白で、そんなはしたないことは」
「やだもう。カノン様ってば。隠さなくってもいいんですよ~こう見えて、私口が堅いですから」
にやにや笑いながら、彼女はわたしの耳元でこう囁く。
「カノン様がお付き合いしているのは、羊角のテオドア様なんじゃないですか?」
「な、何てことを言うの!」
わたしは気が動転して、思わず大きな声を出してしまう。大きく机が揺れ、綺麗に並んだドーナツがコロコロと地面に転がり落ちた。
ああ、もったいない。わたしが嘆くより前に、横を通った白猫の集団がそれを踏みつけていき、さらには飛んできた数羽の鳩が地面に張り付いたそれを奪い合うようにつつき始めた。集まった鳩を蹴とばすように白猫の子供たちが駆けていき、その親たちが怒鳴り声をあげている。
わたしの大声はまるで無かったかのように周りの喧騒に吸い込まれて消えていき、誰一人の耳にも届いた様子がない。
「図星ですか? 図星ですよね?」
「そんなわけないじゃない。やだもう、ククルったら」
わたしはバクバク鳴っている心臓を落ち着かせるため、手元のジュースを喉に流し込んだ。さわやかな酸味が頭を突き抜け、幸福感がじわりと湧き上がる。
「おいしいわ。さすがククルのオススメね」
「はぐらかさないでくださいよ、カノン様!」
彼女はそう言って、わたしの手からジュースをむしり取った。そして探るような目でじっとわたしの顔を見る。
「……どうしてそんなことを思うの?」
その目と沈黙に耐えられず、わたしは口を開いた。何でもかんでも"乙女病"にしたいだけのリリムならともかく、頭の切れるククルにはなにか明確な根拠があるのではないかと思ったからだ。
その懸念は当たっていたようで、ククルは再びニヤリと笑ってこう囁く。
「だって、以前カノン様、私から男物の服を借りて羊角の方へ行ったでしょう? あれって、テオドア様に扮してあちらの教会に忍び込んだんじゃないですか?」
ああ、そうか。ククルはそのことを知っていたんだ。わたしはがっくりと肩を落とした。ククルになら少しくらいバレてもいいかと思って、何の言い訳もしなかったのはまずかったかな。
「そう思われても仕方がないけど、だからと言ってどうしてテオドアさんとわたしがお付き合いをしていることになるの? わたしがククルに服を借りたのはその一度きりよね」
ククルは、にこりと微笑んだ。にこにこと笑って、サラリとこう言ってのける。
「私の単なる希望です」
「希望って……」
「願望です。そうだったらいいな〜って」
どうやらククルはあの時のこと以外の情報を掴んでいるわけではないようで、わたしはほっとした。
でも、願望? わたしは首を捻る。どうしてわたしとテオドアがお付き合いをすることが、ククルの願望になるのかしら。
わたしが怪訝な顔をしているのが面白いらしい。ククルは再びいじわるな笑みを湛えてこう言った。
「私だけじゃなくて、みんなが言っていますよ。カノン様はお年頃なのに、決まった相手もいらっしゃらなくて可哀想だって。私もずっとそう思っていました。いくら白子が"転生した魂"だと言っても、カノン様は一見ただの十四歳の女の子じゃないですか!」
「はぁ……」
「清く正しい白子でいるのもいいですけど、もっとこう、一般庶民の感情とか、価値観とかを知っていただいたうえで神官になっていただいた方がいいんじゃないかと思うんです。でも普通の男の子とじゃ悲恋になってしまうから、お似合いの人となるとやっぱりテオドア様しかいないかな~って」
うーん、よくわからないけど、これはお節介というものなのかしら。ククルに借りた恋愛小説にはよくこんなことを言うおばさまが出現する。
恋愛小説の主人公は、お姫さまだったり、旅の踊り子だったり、普通の人とはちょっと違う女の子が多いけど、彼女らは白子じゃない。自由な恋愛を神さまに禁止されているわけじゃないから、そういうおばさまが出てきても別におかしくはないと思う。
だけど、わたしは白子なのよ? まさかそんな不謹慎なことを言う人が居るなんて、考えたこともなかった。
「…………」
彼女の期待に満ち溢れた瞳に、わたしの心の堤防がボロボロと崩れていく。ククルと"普通の女の子"の話がしたい。恋の話をしてみたい。強い誘惑に駆られ、ついに抗えなくなってしまった。
後になって考えると、ククルがわたしの誘いに乗ったのは、わたしからこの話を聞き出すためだったのかもしれない……。
「その、実は、ククルにだけ話すんだけど……」
「はい! なんでしょう!」
「声が大きいわ!」
わたしはククルと額が付くくらいに顔を近づけて、ごくごく小さな声で悩みを打ち明ける。
「あのね、ククルの言った通り、本当はお祭りに一緒に行きたい人がいたの。でも、テオドアさんではないわよ? 主に誓って、他の人よ。誰なのかは絶対に言えないわ」
「やっぱりそうだったんですね~、私のカンに狂いはなかったです」
ククルは大丈夫、絶対に他言はしませんから! と鼻息を荒くして、話の続きを促した。
「その人とは最近仲良くなったばかりで、まだまだお付き合いとかそんな関係ではないの。ただの知り合いってところよ。でもわたしには同じ年頃の異性の知り合いなんてひとりもいなかったから、少し気になってしまって」
「わかりますよ! うん、よくわかります。私の貴族の友人もよくそんなことを言っていましたから」
ククルは平民と貴族のちょうど間くらいの身分なので、どちらの階層にも知り合いがいるらしい。図書館という準公的施設の関係者ということも相まって、非常に顔が広く友人も多い。
羨ましいと思う気持ちと共に、わたしみたいな人間と一緒に居てもつまらないんじゃないかしらと卑屈の念に苛まされたけれど、今はそんな感情に構っている暇はない。
わたしは夢中で話を続ける。
「それでね、今年は姉さまも修道院の友人もみんな婚約者とお祭りに行くと聞いたものだから、わたし、羨ましくなってきて。わたしもその人と一緒にお祭りに行けたら、現世でのいい思い出になるんじゃないかって思ったのだけど……」
「カノン様の誘いを断ったんですね! なんてひどい男なんでしょう」
「いいえ、違うの、ククル。わたし、勇気がなくて誘うことができなかったのよ」
早とちりして息巻くククルに、わたしは慌てて言った。
「誰ともお祭りに行けなくて寂しく思っていることを伝えたら、もしかしたら誘ってくれるんじゃないかと思ったの。でも、彼は全然そんなそぶりも見せてくれなくて……」
ルカさんの塩対応を思い出し、わたしは悲しい気分になる。顔を伏せたわたしに、今度はククルの方からずいずいと、額が付きそうなまでに顔を近づけてきた。
爛々と輝く瞳が目の前にある。ククルはわたしの肩を掴み、力強くこう言った。
「駄目ですよそれじゃあ!」
「え? 駄目って……」
ククルの剣幕に、わたしは圧倒される。彼女はわたしを揺さぶりながら、さらに声高に主張した。
「どうしてちゃんと誘わないんですか! 駄目ですよ! 男は鈍感なんですから!」
続いてククルはわたしをイスに深く座らせ、姿勢を正させる。そして自身のイスを引きずりわたしの膝の前に膝を突き合わせて座り、くどくどと講釈を垂れ始めた。
「いいですか、男というものはですね……」
彼女が言うには。男というのは、硬派な男ほど鈍感である。察してほしいと思えば思うほど、何も察してもらえずにガッカリしてしまうのである。逆に察してほしいときに察してくれるような男は軟派者なので、要注意である。真面目で優しい男をその気にさせるためには、面倒くさがらず、してほしいことを言葉でしっかり告げて、相手を動かさなければならない。
「カノン様のお相手の男の子は、きっと硬派な方なんですね。だから一緒にお祭りに行きたいなら、ちゃんと誘わないと駄目ですよ」
「え~。わたし、そんな恥ずかしいことできないよ……」
「駄目です! デートしたくないんですか? したいんでしょ? じゃあちゃんと誘うんです。そうしたらきっと答えてくれますよ」
「そうかなぁ……」
「そうですよ」
ククルの言っていることは、一般論でしょう? 普通の平民の男の子、ううん、貴族の男の子でもそんなに変わらないのかもしれないけど、普通の男の子のことなんでしょう?
わたしはルカさんの顔を思い浮かべる。あのルカさんに同じ話が適用できるのかしら。どう考えてもあの人、普通の人じゃないわよ。
頭に浮かんだ微かな逡巡もククルの強い言葉に押し流されて、わたしはどんどんと逃げ道をなくしていった。
「絶対に誘ってください。これからすぐにその人のところに行って、約束を取り付けるんです! 明日! 明日は絶対にその人とお祭りを回ってくださいね!」
「でも……」
「でもじゃない!」
「うー、わかった。わかったけど、ククル。もしそれでも断られてしまったら、どうしよう」
「そうですね、そしたらまた私と食べ歩きをしましょう。私は明日もお休みをもらっているんです」
「わかったわ。じゃあ明日も予定を空けておいてね、絶対だからね!」
相手の家まで一緒に行ってあげるというククルの申し出を断り、わたしは大教会に帰ってきた。一人で出歩けないわたしがどうやって相手のところまで行くのか、彼女は酷く心配していたけど、大丈夫だと押し切ってわたしは一人で部屋に戻った。
部屋の窓から、アピスヘイルの街並みを見渡す。教会区の塀の向こうに広がる貴族区、その貴族区の麓にある平民区の中の商店街には、白いカツラの人々がひしめいている。
わたしはさっきまであそこにいたのねと思うと不思議な気持ちになった。
祭りの主な会場となっているのは商店街と公共広場で、貴族区と王城、そして最も山側にある生産区にはあまり人の姿は見えない。王城の大きな前庭の一部が一般都民に公開されているらしく、その中のごく一部だけはたくさんの人だかりがみられた。
たぶんあそこはマーリン自慢の薔薇園。国一番の庭師の作品だから人が集まるのは当然よね。
「まだお昼か。ルカさんは今、何をしているのかな……」
机の上にある懐中時計は、お昼の二時を指していた。日没の六時まではまだまだ時間がある。わたしは暇を持て余し、ベッドにごろりと転がった。
「お昼間に押しかけたら、迷惑よね」
ルカさんとは、正礼拝を除けば深夜にしか会ったことがない。昼に何をしているのか訊いたことはないけど、ずっとあの懲罰房に入っているわけではなさそうだった。食事だってしなきゃならないし、お日さまにも当たらないと体を壊してしまう。まあ、ルカさんは食べなくても死にそうにないし、病気にも罹りそうにはないけれど。
少なくともランディスさまがお部屋の掃除に来ていることが想定されるから、いつもの時間以外にあちらを訪ねるのはリスクが高い。どうせ夜にしか会えないのならもう少しククルと遊んでいたかったけど、それだと夜に抜けだしていることがバレてしまう。
少しだけ眠ろうと目を閉じたら、日ごろの睡眠不足も相まって、しっかりと熟睡してしまった。起きたときには部屋は真っ暗で、慌てて飛び起き広間に降りると、ばあやがカンカンに怒っていた。
「祭りの日には普段よりも厳格に、お時間を守って生活してくださらないと。人攫いにあったのではないかとばあやは心配してしまいます!」
わたしは素直に謝って、部屋で寝ていたことを告げると、ばあやは呆れかえってため息を吐いた。
「お祭りの日に、お部屋でお眠りになるなんてもったいない……」
「いいじゃない。まだ五日もあるんだから」
わたしはそう言い放って、用意された席に着く。驚くべきことに、今日のメニューはいつもと違った。誕生日すら欠かさず毎日出されていた豆のスープと黒いパンはそこにはなく、目映いばかりの華やかな料理が目の前に並ぶ。
前菜は色とりどりの野菜と新鮮なお魚。青カブと白カブで猫の模様を浮き出させたスープに続いて、メインにお魚とお肉の二品が出てきた。
「本日のメインは、幼獣のソテー、アリアドル風です。葡萄酒と共にお召し上がりください」
「わあ、美味しそう!」
どういう風の吹きまわしかは分からないけど、ばあやは何も言わずにじっとわたしを見ている。わたしはどんどん運ばれる料理を心行くまま堪能した。
もしかしたらばあやも、ククルに感化されたのかしら? ここ十数年ですっかり贅沢になったらしい平民の"平均的な生活"に合わせ、わたしも豪華な食事を取るべきだと思ったのかもしれない。
当然よね。普段はどうか知らないけど、エリスフェスタでの平民たちはみんなあり得ないほどの贅沢をしているのよ。なのにわたしだけ豆のスープと黒いパン。ずっとおかしいと思っていたのよ。
わたしでも飲めるように工夫された葡萄酒は、仄かにアルコールの香りが残っていて、ふわふわと幸せな気持ちになれる。お料理もおいしいけど、テーブルの端に積まれている焼き立てのパンも、びっくりするくらい美味しい。噛みしめるたびに複雑な塩味を感じられて、八切れもお腹に収まってしまった。
「このバゲット、少しだけお夜食に持ち帰ってもいいかしら?」
「はい、もちろんです。お包みしてお持ちしますね」
おしゃれなおひげをたくわえた料理人さんは、デザートをわたしの前に置いてから、軽やかに一礼をして去っていった。部屋の隅に佇んでいたばあやが、一言だけ苦言を述べる。
「カノン様。お部屋でのご飲食はお控えくださいますよう……」
「いいじゃない。お願いばあや、今日だけよ、今日だけ!」
「……エリスフェスタですから、ばあやもそこまで小言は言いません。カノン様のご良識にお任せいたします」
「ありがとう、ばあや!」
今日はなんて素敵な日なんだろう。妙に優しいばあやにすっかり気分が良くなり、デザートまでペロリと平らげたわたしは、茶紙に包んでもらったバゲットを手にルンルン気分で階段を上る。
バゲットはわたしが食べるのではない。後でルカさんに持って行ってあげようと思っている。これなら甘くないしきっと食べてくれるわ。パンを嫌う人なんて見たことないもの。




