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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
上巻

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第三章(4)

 結局わたしは、姉さまに見てきたことをすべて話すことにした。何かしら報告しないと姉さまは納得しないだろうし、何も成果がなかったなどと嘘を吐くのも、ただ問題を先送りにするだけだと思ったからだ。

 けれど、わたしのその判断は間違っていたのかもしれない。

「なにそれ。カノン、そういうお話でも書くの?」

 わたしの話を聞いた彼女の第一声は、それだった。

「あなた、物書きになりたいと言っていたこともあったよね。でもそんな奇天烈なお話、ローディア様くらいしか面白いとは言わないわよ」

「姉さま、信じて。作り話なんかじゃないわ。本当のことなのよ」

 すぐに信じられないのも無理はない。わたしだって、自分の目で見なかったらこんな話、信じられなかっただろう。

 自分の目で見たはずなのに、あれは夢だったんじゃないかと疑い、今朝ククルに確認したのだ。昨日わたしはあなたに服を借りたよね、と。

「そんなの信じられないわ。おかしいわよ、そんなことが起こっていて、お父さまが何も仰らないなんて」

「わたしだって信じられなかったけど、この目で見たの。主教さまはご存知なのかどうかわからない。ランディスさまはご存知でないはずはないけれど、何も仰らないのは何か事情があるのかもしれないわ」

「事情って何よ。藍猫さまの大切な御子をすり替えるなんて、どんな事情があっても許されることではないわ。そんなことが本当に起こっていたら、当然藍猫さまがお怒りになるはずよ。大災害が起こっているはずよ」

「確かに、そうなんだけど……。でも、現実に起こっていて……」

「不謹慎だから、そんな創作はやめてよね。衰退の節に入ってから、みんなピリピリしているの。毎日雨ばかりで、本当にこの雨が止むのか不安になっている人もたくさんいるんだから」

「…………」

 どうしたんだろう。こんなに話の通じない姉さまは初めてで、わたしは戸惑った。確かに突飛な話ではあるけれど、今まで姉さまはわたしのどんな話でも親身になって聞いてくれていたのに。

「姉さま、あのね。信じられないのはわかるけど、それじゃあ何も解決しないわ。わたしは次にどうしたらいいのかを相談したくて、姉さまにこの話をしたの」

 わたしは語調を強めて訴える。

「藍猫さまがお怒りになっていなくても、主教さまが何も仰らなくても、おかしなことが起きているのが現実なのよ。このまま見て見ぬふりをすることはできるけど、それじゃあいつまで経っても姉さまに手紙の返事は来ないわ。姉さまがそれでもいいのなら、わたしは今後このことには触れずに、何もかも忘れて普通の生活に戻るけど、姉さまはそれでもいいの? 良くないんでしょう?」

 姉さまはようやく薄笑いをやめて、わたしを見た。良かった、やっと真剣になってくれた。わたしはほっと息をついて、再び口を開こうとしたのだけど……。

「姉さま?」

 何だか姉さまの様子が変だ。彼女は大きな藍色の目を見開いて、肩を小刻みに震わせている。

「どうしたの、姉さま?」

 姉さまは、まるで恐ろしいものでも見たかのような顔をして、震える声でこう言った。

「ねえ、カノン。冗談なんでしょう? 冗談だって言ってよ。だって、ここのところお父さまのご機嫌は麗しいし、お天気だって大したことのない小雨ばかり。何もおかしなことは起きていないはずよ」

 一体どうしたんだろう。さっきまでの姉さまとはまったく違う。わたしは彼女の変わりように驚き、かける言葉を見失った。

「テオさまが居なくなったなんて、もし本当にそんなことがあったなら、みんなが普通に生活しているのは変だもの。だから何も起こっていない、何も起こっていないのよ」

 姉さまは焦点の合っていない目で足元を見つめ、ひたすらにそう呟いた。その言葉はわたしに聞かせたいんじゃない。自分に言い聞かせていることは明らかだった。

 もしかして姉さまは、わたしの報告を信じていなかったわけじゃなく、信じたくなかっただけなの? わたしがそう理解しかけた時、急に彼女は顔を上げてわたしを見た。

「だから、カノン。さっきの話は全部、冗談なのよね? 私を驚かそうとしているだけなのよね? そうよね?」

「…………」

「やだ、カノン。私、そういうの騙されやすいんだから、やめてよね。冗談なんだよね? 冗談だって言ってよ」

 姉さまは一転、わたしの腕にすがってそう懇願し始める。わたしはどうしたら良いかわからず、ただ沈黙した。

 今ここで、冗談だと嘘を吐くことは簡単だけれど……その後、どうするの?

 嘘を吐くことで、今後姉さまが大人しく手紙が来るのを待っていてくれるのなら、喜んで嘘を吐くけど、多分そうはならないよね……。

「ねえ、カノン。どうして黙っているの。ねえ、答えてよ」

「…………」

 いつまでも黙っているわけにはいかない。わたしはしばらく逡巡したのち、意を決して重い口を開いた。

「……姉さま、冗談なんかじゃないわ。テオドアさんは部屋にはいなかった。そして、冬と春の正礼拝には違う人が来ていた。少なくとも、彼は冬季の正礼拝の頃から表舞台に出ていないのよ」

「でも、でも、部屋に居なくて、神事に顔を出していないだけなのよね? 単にどこかで療養しているだけじゃないかしら? とても具合が悪そうだったもの……。医務院は調べたの? 隣町で療養なさっているなんて話は?」

「ごめん、それはまだ調べていない」

「ほら! まだ何も分かっていないだけじゃない。きっとそうよ、そうなのよ。すぐに調べましょう!」

「ね、姉さま! ちょっと待って、落ち着いてよ」

 姉さまはわたしの手を取ってどこかに向かおうとしたので、わたしは慌てて彼女の肩を抑えて座らせた。

「どうやって調べるつもりなの? 医務院は、用もなく入れるところじゃないし、隣町だって簡単に行ける場所じゃないよね。少なくとも今の時間からできることは何もないよ」

「アイリスに頼むわ。確か医務院の今の院長はオルカ家の人よ。そうだ、カーミィならコンタクトが取れるかも。あの人はオルカ家本家の長女なんだから……」

「駄目よ。カーミィになんて説明するの? わたし以外の人にこの話は絶対にしちゃ駄目よ。すぐに都中に広がってしまうわ」

「じゃあどうすればいいの? このままテオさまを放っておくつもり? 大変なことになっているかもしれないのに!」

「だから、これからどうするかを一緒に考えようと言っているの」

 姉さまは完全に冷静さを失っていた。

 わたしは酷く後悔した。こんなことになるのなら、正直に話すんじゃなかった。

 でも、もはや後の祭り。せめて姉さまを安心させる方向に話を持っていこう。わたしは少し思案した後、姉さまにぴたりと寄り添ってこう言った。

「そんなに焦らなくても大丈夫よ、姉さま。もし彼がどこかで療養しているというのなら、慌てて探す必要なんてないわ。そう、あまりにおかしなことが起こっていたから、わたしもちょっとびっくりしちゃったけど、もしかしてそんなにおかしなことじゃないのかもしれない」

「…………」

「よく考えたら、もし白子が病にかかったとして、国民に正直に報告できるかと言ったら、そんなの無理よね? わたしたちがいい例よ。パニックを起こす人が現れてもおかしくない。だからランディスさまはこっそりと療養させるしかなくて、仕方なくこんなことになっているんだわ。だとすると、主教さまや王さまは裏で報告を受けていて、とっくにご存知なのかも。だから誰もおかしいと声を上げないのかも……」

 わたしの口からすらすらと話されるこの新説。さっき思いついたばかりの苦し紛れの説だけど、なかなかいい線行っているんじゃない? わたしは心の内で自画自賛した。

 色々と目を瞑っていることはあるけど、ひどく矛盾しているところもない。もしかして、本当にそうなのかも? これは、存外大した事件じゃないのかもしれない。

 わたしはそう思い始め、だんだんと目の前が明るくなっていくような心持ちになった。

「ご病気なのなら、じたばたしてもしょうがないわ。お医者さまに任せるしかない。医務院のお医者さまは国で一番のお医者さまだから、きっと大丈夫よ。彼らに任せましょう? そういえば、隣町の別荘地には冬の間だけ旅のお医者さまが駐留なさっているのよね? もし国のお医者さまが頼りにならなくても、そのお医者さまがいらっしゃるわ。もう春だけど、もしテオドアさんのお加減が悪いようなら、治るまで町に留まってくださるでしょう」

 だんだん楽観的になっていくわたしとは裏腹に、姉さまの表情は晴れない。顔を伏せたまま、ぼそりと呟く。

「……お医者さま……いくら腕が良くても、普通のお医者さまよね。……普通のお医者さまに治せるかしら」

「治せるわよ。白子だって普通の人間よ? 姉さまはよくわかっているよね?」

「うん。だけど……白子は普通の人じゃないわ。白子にしかかからない病気もあるでしょう」

「どうしたの姉さま。白子は特別なんかじゃないって、いつも言ってくれているのに」

「違う、そういう意味じゃなくて。白子は普通の人間じゃ……ううん、そういうことじゃなくて、とにかく違うの……」

 姉さまは緩く首を振りながら、違う違うと繰り返す。

 姉さまは可哀想なくらい混乱していて、見ていられなくなったわたしは、彼女を修道院の寄宿舎に帰すことにした。

「今後のことはわたしが考えておくから、姉さまはあまり心配しないで。今更遅いかもしれないけど、今日のことは忘れて」

「…………」

「じゃあね、姉さま。また来週ね」

 姉さまはわたしの言葉に反応を見せず、物思いに耽りながら、ふらつく足取りで寄宿舎の入り口へと消えていった。

 わたしはそれを見送ったあと、長い息を吐く。まさか姉さまが、あんなに取り乱すなんて。

 姉さまはいつも優しくて頼りがいがあって、わたしなんかよりずっと大人で、今回のことも姉さまに相談すれば何か良い案が浮かぶと思っていたのに、こんな結果になってしまった。

 これからどうしよう。わたしは少し道を外れて、雨避けのケープを被り、園庭へと足を踏み出す。しとしとと降る雨の音を聞きながら、白いロサの花が咲く展望台に登り、眼下に広がる白っぽい建物を見下ろした。

 医務院――真っ白な煉瓦壁の、殺風景な建物がそれだ。この位置からは、薄ベージュに色づいた瓦屋根しか見えない。

 周囲は高い塀で囲まれているから、貴族区に下りても中を覗き込むことはできないだろう。そもそもわたしは許可なく教会区から出られないので、ここから眺めるしかない。

 医務院は、基本的に外来診療を行っていない。すべての患者は入院患者だと聞く。面会時間は限られており、昼餉が終わる頃からティータイムの前までの数時間。それ以外の時間に入れるのは、急患や医務院の関係者くらいのものだ。

 面会希望者も、建物内のどこかにある受付で面会許可証を提出しなければ、中には入れないと聞いている。面会できるのは貴族以上の身分で、親戚や友人、同僚など、公的に認められた関係者に限られる。

 姉さまはオルカ家の権力でなんとかしようとしていたけれど、医務院は無理だと思う。アリアトとアルベルトの境がない稀有な場所だからこそ、関係者には厳しい守秘義務が課せられているのだ。

 テオドアが入院しているならなおさら、それはアルベルト派の最重要機密だろう。簡単に情報が漏れるわけがない。

 もうひとつの可能性、隣町リデルは……簡単には行けないだろう。

 リデルには貴族が所有する別荘地がある。主に越冬や避暑、療養のために使用されるのだけど、わたしは行ったことがない。なぜなら、白子はこの都から絶対に出てはいけない決まりになっているからだ。この決まりは教典にも記されている。

 『白子は神の都へ向かうそのときまで、アピスヘイルの地で暮らさなければならない』

 リデルにテオドアが居るとなれば、教典に反することになる。ランディスさまは発覚しないよう、何重にも警備を付けているだろう。季節外れのこの時期に所有するお屋敷でそのようなことが起きていたなら、可能性は高い……けど、わたしがリデルへ足を伸ばすことは不可能だ。現地へ赴いて調べることなどできない。

 お手上げ状態とはこのことね。わたしは部屋に帰り、ベッドに転がった。

 あの調子では、姉さまはしばらく塞ぎ込むだろう。テオドアの元気な姿を見せるか、彼の健在を知らせる手紙を受け取らせない限り、彼女はずっと元気にならないかもしれない。

 だけど、どうしたらいいのだろう。ばあやや他の使用人に相談するなんて論外だ。誰が主教さまに密告するかもわからない。主教さまの耳に入る可能性がある言動は、絶対に避けなければならない。

 もう一度あちらに乗り込む? 乗り込んで何ができるというの。多分この件はトップシークレット。辺りにいる使用人が立ち話しているような内容ではないし、ランディスさまの会話を盗み聞くことも絶対に無理だ。何度も乗り込めるほどの強運は続かないだろう。あちらに行くのは最後の手段にしておくべきだ。

 市民区に降りるくらいなら、誰か従者がいれば……そうね、ククルに付いてきてもらえば許可がもらえるかもしれない。でも、市民区に有益な情報があるかしら? 手がかりもなく町中を捜索するだけでは時間の浪費だし、図書館の文献にヒントがあるかというと……。

「……文献?」

 わたしはむくりと起き上がった。

 窓のそばにある本棚に向かい、背表紙を眺める。無駄に広い部屋には、無駄に大きな本棚があり、そのごく一部をわたしの蔵書が占めている。修道院で配布された教本や、ばあやが用意してくれた参考書、ククルがこっそり貸してくれた恋愛小説などが並ぶ。他は何もない。

 わたしは壊れかけの本棚の底板をまさぐる。えっと、この辺りだっけ。転がっている釘を手に取り、その頭を底板の隙間にねじ込む。そこを起点にグイッと底板を持ち上げると、簡単に外れた。

 あった。記憶通りのものを見つけ、わたしはほくそ笑む。そこに隠されていた一冊の本。黄ばんだ羊皮紙を重ね、ひもで結んだだけの簡素な本だけど、長く大切に保管してきた。何故なら――

 『備忘録――大切なものなので、捨てないこと!』

 少し癖のある筆跡でそう書きなぐられていたのだ。

 そして右隅に小さく、この本の作者と思われる名前が綴られている。

 『サリー=サナトリム』

 この人物が何者なのか、わたしは知らない。ただ幼い頃、この部屋に残された筆記具などにこの名前が刻まれているのを見つけた。文字を習い、読めるようになってから、わたしは主教さまに尋ねた。

「サリーという方をご存知ですか? 女性の名前ですよね」

 もしかして、以前この部屋に住んでいた白子の名前? そう思いつつも、口にはしなかった。

 すると主教さまは顔色を変え、『どこでその名を知ったのですか』と問いただした。残された筆記具に書かれていたと答えると、その日のうちに筆記具はこの部屋から無くなった。

 聞いてはならないことだったのだ。そう気づいたわたしは、それ以降その名を口にせず、唯一手元に残ったサリーの持ち物であるこの本を厳重に隠した。主教さまに見つかれば、捨てられてしまうと悟ったからだ。

「思えば、この国には聞いてはならないことが多すぎるのよね」

 あれも禁忌、これも禁忌。主教さまがわたしたちに隠し事をしていると聞かされても、今更狼狽える話でもない気がしてきた。

「旧約の書だって、ローダさまの仰る通りなんでしょうね。本当のことだから隠すのよね」

 三人目の白子がいるという噂も、いずれ広まるのかもしれない。そうなれば、主教さまは慌てて禁忌のお触れを出し、皆の口を封じてしまうだろう。

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