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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
上巻
16/125

第三章(4)

 結局わたしは、姉さまに見てきたこと全てを話すことにした。何かしら報告しないと姉さまは納得しないだろうし、何も成果がなかったなどと嘘を吐くのも、ただ問題を先送りにするだけだと思ったからだ。

 けれど、わたしのその判断は間違っていたのかもしれない。

「なにそれ。カノン、そういうお話でも書くの?」

 わたしの話を聞いた彼女の第一声は、それだった。

「あなた物書きになりたいと言っていたこともあったよね。でもそんな奇天烈なお話、ローディア様くらいしか面白いとは言わないわよ」

「姉さま、信じて。作り話なんかじゃないわ、本当のことなのよ」

 すぐに信じられないのも無理はない。わたしだって、自分の目で見なかったらこんな話信じられなかっただろう。

 自分の目で見たはずなのに、あれは夢だったんじゃないかと疑い、今朝ククルに確認したのだ。昨日わたしはあなたに服を借りたよね? と。

「そんなの信じられないわ。おかしいわよ、そんなことが起こっていて、お父さまがなにも仰らないなんて」

「わたしだって信じられなかったけど、この目で見たの。主教さまはご存知なのかどうかわからない。ランディスさまはご存知でないはずはないけれど、何も仰らないのはなにか事情があるのかもしれないわ」

「事情って何よ。藍猫さまの大切な御子をすり替えるなんて、どんな事情があっても許されることではないわ。そんなことが本当に起こっていたら、当然藍猫さまがお怒りになるはずよ。大災害が起こっているはずよ」

「確かに、そうなんだけど……。でも、現実に起こっていて……」

「不謹慎だから、そんな創作はやめてよね。衰退の節に入ってからみんなピリピリしているの。毎日雨ばかりで、本当にこの雨が止むのか不安になっている人もたくさんいるるんだから」

「…………」

 どうしたんだろう。こんなに話の通じない姉さまは初めてで、わたしは戸惑った。確かに突飛な話ではあるけれど、今まで姉さまはわたしのどんな話でも親身になって聞いてくれていたのに。

「姉さま、あのね、信じられないのはわかるけど、それじゃあなにも解決しないわ。わたしは次にどうしたらいいのかを相談したくて、姉さまにこの話をしたの」

 わたしは語調を強めて訴える。

「藍猫さまがお怒りになっていなくても、主教さまが何も仰らなくても、おかしなことが起きているのが現実なのよ。このまま見て見ぬふりをすることはできるけど、それじゃあいつまで経っても姉さまに手紙の返事は来ないわ。姉さまがそれでもいいのなら、わたしは今後このことには触れずに、何もかも忘れて普通の生活に戻るけど、姉さまはそれでもいいの? 良くないんでしょう?」

 姉さまはようやく薄笑いをやめてわたしを見た。良かった、やっと真剣になってくれた。わたしはほっと息を付いて、再び口を開こうとしたのだけど……。

「姉さま?」

 なんだか姉さまの様子が変だ。彼女は大きな藍色の目を見開いて、肩を小刻みに震わせている。

「どうしたの、姉さま?」

 姉さまはまるで恐ろしいものでも見たかのような顔をして、震える声でこう言った。

「ねえ、カノン。冗談なんでしょう? 冗談だって言ってよ。だって、ここのところお父さまのご機嫌は麗しいし、お天気だって大したことのない小雨ばかり。何もおかしなことは起きていないはずよ」

 一体どうしたんだろう。さっきまでの姉さまとは全く違う。わたしは彼女の変わりように驚き、かける言葉を見失った。

「テオさまが居なくなったなんて、もし本当にそんなことがあったなら、みんなが普通に生活しているのは変だもの。だから何も起こっていない、何も起こっていないのよ」

 姉さまは焦点の合っていない目で足元を見つめ、ひたすらにそう呟いた。その言葉はわたしに聞かせたいんじゃない、自分に言い聞かせていることは明らかだった。

 もしかして姉さまは、わたしの報告を信じていなかったわけじゃなく、信じたくなかっただけなの? わたしがそう理解しかけた時、急に彼女は顔を上げてわたしを見た。

「だから、カノン。さっきの話は全部、冗談なのよね? 私を驚かそうとしているだけなのよね? そうよね?」

「…………」

「やだ、カノン。私、そういうの騙されやすいんだから、やめてよね。冗談なんだよね? 冗談だって言ってよ」

 姉さまは一転、わたしの腕にすがってそう懇願し始める。わたしはどうしたら良いか分からず、ただ沈黙した。

 今ここで、冗談だと嘘を吐くことは簡単だけれど……。その後、どうするの? 嘘を吐くことで、今後姉さまが大人しく手紙が来るのを待っていてくれるのなら、喜んで嘘を吐くけど、多分そうはならないよね……。

「ねえ、カノン。どうして黙っているの。ねえ、答えてよ」

「…………」

 いつまでも黙っているわけにはいかない。わたしはしばらく逡巡したのち、意を決して重い口を開いた。

「……姉さま、冗談なんかじゃないわ。テオドアさんは部屋にはいなかった。そして冬と春の正礼拝には違う人が来ていた。少なくとも彼は冬季の正礼拝の頃から、表舞台に出てきていないのよ」

「でも、でも、部屋に居なくて、神事に顔を出していないだけなのよね? 単にどこかで療養しているだけではないかしら? とても具合が悪そうだったもの……。医務院は調べた? 隣町で療養なさっているなんて話は?」

「ごめん、それはまだ調べていない」

「ほら! まだなにも分かっていないだけじゃない。きっとそうよ、そうなのよ。すぐに調べましょう!」

「ね、姉さま! ちょっと待って、落ち着いてよ」

 姉さまはわたしの手を取ってどこかに向かおうとしたので、わたしは慌てて彼女の肩を抑えて座らせた。

「どうやって調べるつもりなの? 医務院は用もなく入れるようなところではないし、隣町だってそんなに簡単に行けるようなところではないよね。少なくとも今の時間からできることは何もないよ」

「アイリスに頼むわ。確か医務院の今の院長はオルカ家の人よ。そうだ、カーミィならコンタクトが取れるかも。あの人はオルカ家本家の長女なんだから……」

「駄目よ。カーミィになんて説明するの? わたし以外の人にこの話はしちゃ駄目よ。すぐに都中に広がってしまうわ」

「じゃあどうすればいいの? このままテオさまを放っておく気? 大変なことになっているかもしれないのに!」

「だから、これからどうするかを一緒に考えようと言っているの」

 姉さまは完全に冷静さを失っていた。

 わたしは酷く後悔した。こんなことになるのなら、正直に話すんじゃなかった。

 でももはや後の祭り。せめて姉さまを安心させる方向に話を持っていこう。わたしは少し思案した後、姉さまにぴたりと寄り添ってこう言った。

「そんなに焦らなくても大丈夫よ、姉さま。姉さまが言うように、彼がどこかで療養しているというのなら慌てて探す必要なんてないわ。そう、そうだわ、あまりにおかしなことが起こっていたから、わたしもちょっとびっくりしちゃったけど、もしかしてそんなにおかしなことじゃないのかもしれない」

「…………」

「よく考えたら、もし白子が病にかかったとして、国民に正直に報告できるかと言ったら、そんなの無理よね? わたしたちがいい例よ。パニックを起こす人が現れてもおかしくない。だからランディスさまはこっそりと療養させるしかなくて、仕方なくこんなことになっているんだわ。だとすると、主教さまや王さまは裏で報告を受けていて、とっくにご存知なのかも。だから誰もおかしいと声を上げないのかも……」

 わたしの口からすらすらと話されるこの新説。さっき思いついたばかりの苦し紛れの説だけど、なかなかいい線行っているんじゃない? わたしは心の内で自画自賛した。

 色々と目を瞑っていることはあるけど、ひどく矛盾しているところもない。もしかして、本当にそうなのかも? これは、存外大した事件じゃないのかもしれない。

 わたしはそう思い始め、だんだんと目の前が明るくなっていくような心持ちになった。

「ご病気なのなら、じたばたしてもしょうがないわ。お医者さまに任せるしかない。医務院のお医者さまは国で一番のお医者さまだから、きっと大丈夫よ。彼らに任せましょう? そういえば隣町の別荘地には冬の間だけ、旅のお医者さまが駐留なさっているのよね? もし国のお医者さまが頼りにならなくても、そのお医者がいらっしゃるわ。もう春だけど、もしテオドアさんのお加減が悪いようなら、治るまで町に留まっていてくださるでしょう」

 だんだんと楽観的になっていくわたしとは裏腹に、姉さまの表情は晴れない。顔を伏せたままぼそりと呟く。

「……お医者さま……いくら腕が良くても、普通のお医者さまよね。……普通のお医者さまに治せるかしら」

「治せるわよ。白子だって普通の人間よ? 姉さまはよくわかっているよね?」

「うん。だけど……白子は普通の人じゃないわ。白子にしかかからない病気もあるでしょう」

「どうしたの姉さま。白子は特別なんかじゃないって、いつも言ってくれているのに」

「違う、そういう意味じゃなくて。白子は普通の人間じゃ……ううん、そういうことじゃなくて、とにかく、違うの……」

 姉さまは緩くかぶりを振りながら、違う違うと繰り返す。

 姉さまは可哀想なくらい混乱していて、見ていられなくなったわたしは、彼女を修道院の寄宿舎に帰すことにした。

「今後のことはわたしが考えておくから、姉さまはあまり心配しないで。今更遅いかもしれないけど、今日のことは忘れて」

「…………」

「じゃあね、姉さま。また来週ね」

 姉さまはわたしの言葉に反応を見せず、なにか物思いに耽りながら、ふらつく足取りで寄宿舎の入り口へと消えていった。

 わたしはそれを見送ったあと、長い息を吐く。まさか姉さまが、あんなに取り乱すなんて。

 姉さまはいつも優しくて頼りがいがあって、わたしなんかより全然大人で、今回のことも姉さまに相談すればなにか良い案が浮かぶと思っていたのに、こんな結果になってしまった。

 これからどうしよう。わたしは少し道を外れて、雨避けのケープを被り、園庭へと足を踏み出す。しとしとと雨の音を聞きながら、白いロサの花が咲く展望台に登り、眼下に広がる白っぽい建物を見下ろした。

 医務院。真っ白な煉瓦壁の殺風景な建物がそれだ。この位置からは薄ベージュに色付いた瓦屋根しか見えない。

 周りは高い塀に囲まれているから、貴族区に下りても中を覗き込むことは出来ないだろう。わたしはそもそも許可なく教会区からは出られないから、ここから眺めるしかできないのだけど。

 医務院は、基本的には外来診療を行っていない。すべての患者は入院患者だと聞く。面会時間は限られていて、昼餉が終わる頃から、ティータイムの前までの数時間。それ以外の時間に入れるのは、急患の患者さんや医務院の関係者くらいのもの。

 面会希望者も、建物のどこかにある受付で面会許可証を提出しないと中には入れないと聞いている。面会できる人は貴族以上の身分で、親戚または友人や同僚など関係者であることを公的に認められた人に限られる。

 姉さまはオルカ家の権力でなんとかしようとしていたけど、医務院は無理だと思う。アリアトとアルベルトの境がない稀有な場所だからこそ、関係者たちは厳しい守秘義務が課せられている。

 テオドアが入院しているなら尚更、それはアルベルト派の最重要機密だろうから、簡単に情報がこぼれてくるわけがないわ。

 もうひとつの可能性、隣町リデルはというと。そちらも簡単には行かないだろう。

 リデルには貴族が所有する別荘地がある。そこは主に越冬や避暑、療養の目的で使用されているのだけど、わたしは行ったことがない。何故なら白子はこの都から絶対に出てはいけない決まりになっているからだ。この決まりは教典にも記されている。

『白子は神の都へ向かうそのときまで、アピスヘイルの地で暮らさなければならない』

 リデルにテオドアが居るということになると教典に反していることになるから、ランディスさまは発覚しないように何重にも警備を付けていることだろう。もしランディスさまの所有するお屋敷が、季節外れのこの時期にそのようなことになっていたなら、そこにテオドアが居る可能性は高いことは高いのだけど……。わたしがリデルへ足を伸ばすのは不可能だ。現地へ赴いて調べることはできない。

 お手上げ状態とはこのことね。わたしは部屋に帰り、ベッドに転がる。

 あの調子では、姉さまはしばらく塞ぎ込むだろう。テオドアの元気な姿を見せるか、彼の健在を知らせる手紙を受け取ってくるかしなければ、彼女はずっと元気にならないかもしれない。

 だけど、どうしたらいいのだろう。ばあやや他の使用人に相談するなんて論外。誰が主教さまに密告するかなんてわからないもの。主教さまの耳に入りかねない危険な言動は絶対に避けなければならない。

 もう一度あちらに乗り込む? 乗り込んでどうするの。多分この件はトップシークレット。その辺りにいる使用人が立ち話しているような内容ではないし、かといってランディスさまの会話を盗み聞くなんて絶対に無理。何度も乗り込めるほど強運は続かないだろうし、あちらに乗り込むのは最後の手段にしておいたほうがいいよね。

 市民区に降りるくらいなら、誰か従者がいれば……そうね、ククル辺りに付いてきてもらえばなんとか許可をもらえるかもしれないけど、市民区に何か有益な情報があるかしら? なんの手がかりもなく町中を捜索するのもただ時間を浪費するだけだし、図書館の文献に何かヒントがあるかというと……。

「……文献?」

 わたしはむくりと起き上がる。

 窓のそばにある本棚に向かい、背表紙を眺める。無駄に広い部屋には無駄に大きな本棚があって、そのごく一部をわたしの蔵書が占めている。修道院で配布された教本や、ばあやが用意してくれた参考書、ククルがこっそり貸してくれた恋愛小説などが並ぶ他は、この本棚には何もない。

 わたしは壊れかけの本棚の底板をまさぐる。えっと、この辺りだっけ。転がっている釘を手に取り、その頭を底板の隙間にねじ込む。そこを起点にグイッと底板を持ち上げると、底板はいとも簡単に外れた。

 あった。これだわ。記憶通りのものを見つけて、わたしはほくそ笑む。そこに隠されていた一冊の本。黄ばんだ羊皮紙を重ね、ひもで結んだだけの簡素な本なのだけど、わたしは長らく大切にそれを保管していた。何故なら――。

『備忘録――大切なものなので、捨てないこと!』

 少し癖のある筆跡で、そう書きなぐられていたからだ。

 そして右隅に小さく、この本の作者と思われる名前が綴られている。

『サリー=サナトリム』

 この人物が何者なのか、わたしは知らない。ただ幼い頃、この部屋に残された筆記具などいくつかの小物にこの名前が刻まれているのを見つけた。文字を習い、それが読めるようになってから、わたしは主教さまに尋ねた。

「サリーという方をご存知ですか? 女性の名前ですよね」

 もしかして、以前この部屋に住んでいた白子の名前? そう思いつつも、口にはしなかった。

 すると主教さまは顔色を変えて、『どこでその名を知ったのですか』とわたしを問いただした。残された筆記具に書いてあったと告げると、その日のうちにこの部屋から筆記具が無くなってしまった。

 聞いてはならないことだったのだ。そう気が付いたわたしは以降その名を口にすることをやめ、唯一手元に残ったサリーの持ち物であるこの本を厳重に隠した。主教さまに見つかれば、捨てられてしまうと悟ったからだ。

「思えば、この国には聞いてはならないことが多すぎるのよね」

 あれも禁忌、これも禁忌。主教さまがわたしたちに隠し事をしているなんて言われたところで、今更狼狽えるような話でもない気がしてきたわ。

「旧約の書だって、ローダさまの仰る通りなんでしょうね。本当のことだから隠すんでしょう」

 三人目の白子がいるというのも、そのうち噂になるのかもしれないわ。そしたら主教さまが慌てて禁忌のお触れを出して、みんなの口を封じてしまうのよ。



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