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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
上巻
13/125

第三章(1)

 四月一日、春季初めのラピス・ユニアンの朝。わたしはオズワルドさまに連れられて、お城の裏にある正教会への道を辿っていた。

 この日のわたしは普段とは違い、ジャラジャラと銀の飾りがぶらさがった藍色の正装をまとっている。道行く人が足を止め、わたしの姿を神妙な表情で見つめていた。

 教会区の正門を出て、大通りの坂道を登り山頂に向かう。幽霊男のベンチに向かう近道は庭師にしか使えないから、通常お城の裏庭にはこの道を通って行く。

 お城の正門で門番さんに頭を下げたあと、裏庭へと向かう道すがら、わたしは主教さまに話しかけた。

「あのう、主教さま」

「なんですか、カノン」

「今日って、テオドアさんはいらっしゃいますよね」

 おずおずと口にした質問に、主教さまは不思議そうな表情を浮かべる。

「正礼拝ですから、来られるでしょう。どうしました?」

「いえ……それなら、いいんです」

 わたしは苦笑を浮かべて誤魔化し、その後は主教さまの背中に隠れて歩くことに専念した。

 先日姉さまにとんでもない事を頼まれたわたし。正装のひらひらしたケープの裏に忍ばせた、桃色の封筒をぎゅっと握りしめる。

 羊角の白子と、禾穂の主教の娘の逢瀬。前代未聞のとんでもない事件に心臓が縮む。

 白子は教典で述べられている通り、神聖で不可侵な存在である。親兄弟や友人のような関係すら公的に認められていないのに、恋人なんて以ての外だ。

 わたしはちらりと主教さまの横顔を伺う。頬がこけ、目の下にはうっすらと隈が浮かんでいる。現在はアリアト派が政権を握っているから、アリアト派の主教であるオズワルドさまのお仕事は相当な激務と聞く。

 オズワルドさまはアドルフ国王陛下の弟君であり、国王陛下から最大の信頼を置かれ、国の重要なお仕事のほとんどを任されているという。

 国王陛下がちょっと……頼りないこともあって、国のリーダーは実質オズワルドさまと左大臣のユジンさまだと言う声も上がっているくらいだ。

 毎日お忙しいオズワルドさまにこんな話を聞かせるわけにはいかない。自慢の娘が神聖な教典の言葉を踏みにじり、皆からの信頼を裏切っているなんて……知ってしまったら、お倒れになってしまうんじゃないかしら。

 わたしは溜息をつく。姉さまがオズワルドさまのことを良く思っていないことは知っている。わたしが白子として扱われはじめたとき、オズワルドさまの強硬姿勢に反発してくれたのは彼女だけなのだ。

 姉さまはオズワルドさまに反発を続け、規則を破ってわたしと会い、わたしのことを妹と呼び続けてくれた。そんな姉さまだから、テオドアに対しても同じような考えに至ったのだろう。"白子だからといって、恋人が作れないのはおかしい"と。

 わたしは姉さまに感謝をしている。もしかしたら姉さまは、わたしと同じように孤独なテオドアを救いたかったのかもしれない。テオドアもそんな姉さまに惹かれているのかも……そう思うとわたしは、彼らのことを応援しなければならないような気がしてくる。

 オズワルドさまにバレないように、上手く彼らの仲を取り持ってあげられるのは、多分わたししかいない。

「禾穂の大教会のオズワルド=アピスリムと白子カノン、到着いたしました」

 主教さまの声に応え、正教会の扉が開いた。アピスヘイルで最も古いと言われている建物だから、その軋み音は修道院の比じゃない。

 窓のない室内は薄暗い。外の光に慣れた目では、中の様子は真っ暗で見えない。次第に目が慣れ、おぼろげながら室内の様子が浮かび上がってくる。

 黒ずんだ木の壁、長椅子、最前列に座る数人の人影。高い天井から吊るされた燭台、質素な教壇。そして最奥にある巨大な猫の像。

 すでに全員がそろっているようだった。教壇のほうから見て、最前列の右側にはアルベルト派が座り、左側にはアリアト派が座る。わたしたちが向かう左側の席には、王様と左大臣の姿があり、神妙な顔で姿勢を正していた。

 わたしは彼らの横の空席に腰掛けながら、そっと反対側に目を向ける。いつも怖い顔のランディスさまと、右大臣のオルドさま。二人に挟まれて、藍色の衣装をまとった細身の少年が見える。

「?」

 あれ? わたしは違和感を覚えて顔を上げた。

「どうしました? カノン」

「いえ……」

 隣に座る主教さまに怪訝な顔をされ、わたしは慌てて前を向く。視界の端でランディスさまの鋭い瞳がこちらを刺したような気がした。

 うう、怖いよぅ。わたしは主教さまの影に入って縮こまる。

「皆様お揃いになりましたので、これより春季の正礼拝を開始いたします……」

 進行は左大臣のユジンさま。彼は姉さまの婚約者イザクさまのお父さまで、姉さまの未来のお義父さまに当たる方である。

 姉さまの一件は、オズワルドさまよりもユジンさまを傷付けてしまうかもしれない。わたしは申し訳ない気持ちで胸が一杯になった。

 ユジンさまのいつもの進行を聞き流しながら、わたしはもう一度テオドアのほうを見る。

 細身の少年は、わたしと同じ素材の衣装を着ていた。男性用のデザインで、ジャラジャラと銀の飾りがついた藍色のケープは同じだけど、その下の銀色のニットが女性のものより少し短く、ボトムスが黒いタイツの代わりに黒いスラックスになっている。

 その衣装はいつもと同じでいいのだけど、わたしが違和感を覚えたのはその着用方法だ。

 ケープにはフードのように大きな襟があり、首元にボリュームがあるデザインなのだけど、彼はそれをフードとして目深にかぶっている。中に着ている銀色のニットも元々ハイネックの形ではあるのだけど、なぜだか口元を隠すようにそれを伸ばして着ている。

 変だ。明らかに、変だ。

 わたしはチラチラと周りを見る。わたしのようにテオドアの様子を窺っている人は誰もいない。何故だろう、こんなに奇妙なのに。

 暗い室内では、ここまで顔を覆われると顔が全く見えない。フードからわずかに覗く銀色の髪だけが、唯一その人物がテオドアであることを予想できる材料だった。

「ーーでは、これより白子の宣誓を……」

 あ。わたしの出番だ。ユジンさまの声に我に返ったわたしが、立ち上がろうとしたそのとき。

「白子の宣誓は、省略させてもらってもよろしいか。テオドアの病気がまだ完治しておりませんゆえ」

 それを牽制するように、野太い男の人の声が響いた。

「ええとーー」

 ユジンさまはその声に動揺し、オズワルドさまに視線を向ける。目を伏せ、ため息をつく主教さま。

「ランディス。白子の宣誓はとても重要な神事です。続けて二度も省略することなどできません」

「しかし、テオドアは重い病で喉が焼けておる。声を出すと病状が悪化する」

「ならば、カノンのみで宣誓を行います。それでよいでしょう?」

「片側の白子を贔屓することは許されぬ」

「ではテオドアくんは、カノンの横で彼女に合わせて口を動かしていればよいのでは」

 ランディスさまは不服そうだったけど、仕方ないと言わんばかりに鼻を鳴らし、テオドアの背中を押して立ち上がった。

 良かった。わたしは安堵の息を漏らす。

 もしテオドアに手紙を渡すとしたら、考えられる最大のチャンスはこの宣誓の瞬間だったからだ。

 正礼拝は厳かな神事だから、わたしたちの行動は一から十まで決まっている。テオドアに話しかける余裕もないし、勝手に近づく事すらできない。

 宣誓の瞬間だけ、わたしたちは教壇の前で横並びになる。わたしたちの両側に両主教さまがきて、彼らからわたしたちの間は死角となる。そして長椅子に座る人たちは、宣誓の間、目を伏せる決まりだ。

 正礼拝が終わればすぐにわたしたちは帰路につかないといけないので、テオドアに手紙を渡す時間などない。

 このときが、手紙を渡す最大で唯一のチャンスなのだ。

 わたしは宣誓の詞が書かれた羊皮紙を懐から取り出す。同時に、仕込んでいた手紙を紙の下に滑り込ませる。

 じわりと汗ばむ手。小刻みに震えるのを抑えるために、ぎゅっと握りしめる。

 教壇を前にしたわたしの左側にテオドアが立つ気配を感じた。怪しまれないために横は見ないけど、十分な近さだ。これなら手が届く。

「宣誓ーー」

 わたしはできるだけ平静を装って、いつもの詞を口にした。

「アピス国の白子、カノンとテオドアは」

 白子の宣誓は、呪文のようなものだった。とても難しい発音で、紙を見ながらでないと発声することができない。

 普段から暗記が得意なわたしだけど、なぜだかこの詞はどれだけ練習しようとも暗唱することができなかった。それを主教さまもわかっていらっしゃるのか、いくつになっても宣誓の詞が書かれたこの紙を取り上げようとはしなかった。

「――――、――――――、――――――――――……」

 書かれている通りに発音しているつもりだけど、合っているか自信がない。しかも、読んだ端から忘れてしまう。何とも不思議な文章だ。

 でも今日は不思議がっている場合じゃない。宣誓が終わり紙を畳む前、その一瞬の隙にわたしは手紙を握った左手を、隣に佇むテオドアのスラックスのポケットに思い切りねじ込んだ。

 やったわ。わたしは素早く手を抜いて、羊皮紙に戻す。驚いたらしいテオドアがこちらに顔を向け、一瞬だけ目が合った。

 あれ……? わたしはそこで、さらなる違和感を覚えた。

 いえ、勘違いよね。わたし、それほどテオドアのことを知らないもの。昔から知っているとはいえ、年に数回しか顔を合わさない。どの神事も自由が効かないから、間近で顔を見たこともない。顔の隅々まで記憶している自信はない。

 わたしは何も気が付かなかった振りをして踵を返し、悠々と自席に戻った。

 やったよ姉さま。カノンは実に有能な妹だわ。わたしの中にだんだんと満足感があふれてきて、その後の礼拝の内容は見事に頭に入ってこなかった。けど何も問題にならなかったから、恙なく進行したのだろう。

「どうしたのですか? なにか良い事でもありましたか?」

「い、いいえ主教さま。今回も宣誓が一度も詰まらずに言えたので、嬉しくて」

「そうですね。上手だったと思いますよ、カノン」

 微笑む主教さま。どうやらさっきのことはバレていないらしい。

 わたしはへらへら笑いながら大教会まで戻り、主教さまと別れて着替えを済ませる。今日は特別な日だから葬儀は開かれないので、一日まるまるお休みだ。

 わたしは急いで例の場所へと向かった。

「やったよ姉さま!」

「え! やってくれたの? 本当?」

 幽霊男のベンチで姉さまと落ち合う。彼女はキラキラした笑顔でわたしを迎えてくれた。

「うん。やっぱりあまり隙がなくて、渡すことしかできなかったけれど。バッチリポケットにねじ込んでおいたから、絶対に大丈夫よ」

「ありがとう!」

 姉さまはギュッとわたしを抱きしめてくれたけど、体が離れたあとにはなぜだか浮かない表情をしていた。

「どうしたの?」

「テオさまのお加減は……どんなご様子だった? まだお元気にはなられていなかった?」

「ああ……そうね。なんだかずいぶん風邪を拗らせてしまったみたいよ。まだ声が出せないというのだから」

「そう……。ならお返事はすぐには無理ね」

 そっか。わたしは手紙を渡すことで満足してしまっていたけど、返事が来ないことには姉さまの憂いが晴れることはないのよね。

 そして、憂いが晴れないということは……。

「ねえ、姉さま。お返事が来ないからといって、早まった真似をしては駄目よ」

「えっ」

 姉さまはいたずらを咎められた子供のような表情でわたしを見た。

「でもカノン。お返事が来ないということは、私が嫌われてしまったか、テオさまのお加減がいつまでも良くならないということよ。嫌われてしまったのなら潔く身を引くけれど、テオさまがもしご病気で苦しんでおられるのなら、私……」

 やっぱり駄目だ。これは放っておくとおかしなことをしでかす顔だわ。わたしは疲労の溜まったオズワルドさまの横顔を思い出す。

 姉さまたちのことは絶対にバレてはいけない。だから姉さまにはこれ以上危険な行動は取らずに、極力大人しくしてもらわなくてはならない。

「もう、仕方がないわね……」

 わたしはため息をついた。

 関わってしまった以上、途中で投げ出すのも忍びない。誰も不幸にしないためには、わたしがお節介を焼くしかないのだ。

「お願いだから、姉さまは大人しく待っていて。返事はいつまでなら待てる? 待てなくなったらわたしに言うのよ。わたしがなんとかするから」

 姉さまにはできないアプローチがわたしにはできる。白子であるわたしになら。

 このときわたしにはひとつの名案が浮かんでいた。そしてわたしは、その案を試してみたくて仕方がなかったのである。


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