第二章(5)
「テオドアさんにお手紙をって、どういうことなの? 姉さま」
「やっぱり、驚かせてしまったわね」
あははと笑い声を上げた彼女だけど、わたしは一緒に笑ってあげることはできなかった。
「テオさまとはね、ニ年前からお手紙のやり取りをさせていただいているの」
姉さまはどこかふわふわした口ぶりで、テオドアとの馴れ初めを語り始める。
ニ年前。姉さまが園庭を散歩をしていると、とある花壇に一枚の封筒が埋もれているのを見つけた。『手紙を拾ったあなたへ』、そう宛てられていたので何気なく開いてみると、中の便箋にはこう記されていたという。
『この手紙を拾ったあなたが若くて美しい女性なら、是非お話がしてみたい。どんなものが好きで、どんな暮らしをしていらっしゃいますか。何でも良いので手紙に書いて、これがあった同じ場所に置いてください。お待ちしています。
テオドア・リィンハイル』
「笑っちゃったわ。羊角の白子は、なんて軟派な方なんだろうって」
「若くて美しい女性って……直球すぎるね……」
その馬鹿馬鹿しい手紙に興味を持った姉さまは、返事を書いてその場に置いた。
『私は十四歳の女です。美しいかどうかはわかりませんが、面白そうなのでお返事を書きました。……』
偽物かもしれないし、誰かに見つかったら大目玉を食らうから、初めのうちは偽名を使った。何度かやり取りをするうちに、間違いなく本人だと分かってから身分を明かしたのだという。
テオドアという名を知らない人はこの都にはいない。何故ならテオドアは、この国にある″もう一つの大教会″に属する白子だからである。
白子というのは、芽吹の節に二人生まれる。わたしたちが属するアリアト派、『禾穂の大教会』に女児が一人、そして園庭を隔てて向こう側にあるアルベルト派、『羊角の大教会』に男児が一人。
禾穂、羊角というのは、それぞれの大教会のシンボルマークからそう呼ばれている。アリアト派の貴族は代々農業に関わる家が多く、アルベルト派の貴族は代々牧畜に関わる家が多いことからそういうシンボルマークが付けられたそうだ。
テオドアはわたしと同じく、大教会に関わる貴族の家から生まれ、しばらくその家の子として養育された後に、大教会のてっぺんの部屋に隔離された。″リィンハイル″というのは、多分養育された家の名前を名乗っているのだろう。わたしたちは白子として扱われ始めてからは家名を失うので、彼は正式には『神子テオドア』であり、もとの家名は名乗ってはいけない。
何故テオドアがリィンハイルと言う名を敢えて名乗ったのか。その理由はわたしにはなんとなくわかる気がする。
「テオさまは修道院には通えないそうで、カノンの話をしたら羨ましいと仰っていたわ。でも男子修道院には行きたくない、女子修道院に通いたいなんて仰るんだもの、可笑しいわよね」
「そんな浮ついた人だなんて知らなかったわ……」
羊角の大教会は、ランディス=アルベルト=アピスリム主教を首長とするアルベルト派に治められている。
アピスヘイルを俯瞰したとき、お城から見て右半分、羊角の大教会側は主にアルベルト派の貴族や平民が住む土地になっているのだけど、基本的にアリアト派とアルベルト派は仲が良くなく、双方のテリトリー内に必要以上に干渉することはない。
白子は大教会と修道院からなる″教会区″から自由に出入りすることを禁じられているので、アリアト派の大教会にしか行けないアリアト派閥の人々は、アルベルト派の白子を見たことすらない人が大半だ。逆をいえば、アルベルト派の人はわたしの顔を知らない人が大多数だと思う。
「ここに人通りがないことを彼も知っていたから、手紙のやり取りはこのベンチの下に手紙を置いておくやり方に変えたの。だから修道院に入ってからも、私はよくここに来ていたというわけ」
「なるほどね……」
「マーリンには手紙を置くところを何度か見られたかもしれないけど、ほら、彼って寡黙でしょう? 多分口外していないと思うわ。誰にも注意を受けたことないもの」
わたしはマーリンの顔を思い浮かべる。真っ白な眉毛と口髭に覆われたしわくちゃの顔は、ほとんど表情を判別することができない。挨拶をしても、ああ、とか、うん、とか一言しか返してくれないし、目も合わさずすぐに立ち去ってしまうので、どんな人なのか未だによくわからない。
庭師としての腕はピカイチのようで、わたしが物心ついてからずっと彼はこのお城の裏庭を担当するベテランの立ち位置だった。ばあやも主教さまも彼の仕事ぶりに何の不満もないようで、彼の悪い噂を聞いたことは全くない。
「何度かやり取りを続けて、半年くらいたった頃かな。直接会って話してみたいと言われて」
「会ったの?! どうやって?」
「時間を決めて、ここで待ち合わせたの。流石に何時間も一緒にいるのは無理だから、ほんの二、三十分くらいだけど」
「大胆なことをしたものね、姉さま……」
「テオさまって、本当に端正なお顔をされているわよね。大きな紫の瞳が宝石のようで、もう私、ドキドキが止まらなかったんだから!」
「あ、そう……」
テオドアが絶世の美少年であることは、女子修道院の誰もが知る有名な話だった。女子修道院にはアルベルト派の女の子も通っていたから、きっと彼女たちが流した噂なのだろう。テオドアを一度でもいいから見てみたいというアリアト派の女の子はたくさんいた。姉さまは全然興味ないと言っていたけど、それは影でこっそり会っていたからだったわけね。
「カノンが羨ましいわ。テオさまとは幼少期からずっと会っていたのでしょう? テオさまは幼い頃から可愛かったのでしょうね。私も成長を見守りたかったわ」
「……まあ、そうだね……役得だったかもね」
浮かれる姉さまを尻目に、わたしはすっかり気分が落ち込んでいた。
テオドアのことは確かに昔から知っている。知っていると言っても、教会がらみの儀式で見かけるだけなので、互いに話をしたことはない。
テオドアが異常なまでに整った容姿ということは理解していたし、彼以外の同世代の異性に会うことはほとんど無かったから、彼の姿を見るだけでときめいたりした時期もあった。
だけどある時、わたしは気が付いてしまったのだ。白子について一般の人々が話をするとき、たいていテオドアの容姿のことが語られる。それはつまり、もう一人の白子が貧相で残念な容姿であるとみんなが思っているということだ!
わたしが美少女でないことはわかっている。だけど頑張って勉強をして、真面目に儀式をこなしているのに、褒められるのはテオドア。彼はわたしよりも八戒を守っていないし、儀式だっておざなりな態度なのに、みんなテオドアばかり褒めるのだからわたしとしては面白くない。
まさか姉さままでテオドアにお熱だったなんて。わたしにとってこの事実はショック以外の何物でもない。
「二人で会うようになってからもずっと文通を続けていたのだけど、ここ数か月、お返事が来ないの。十二月……いいえ、十一月の収穫祭のあとくらいからかしら。マーリンにも聞いてみたのよ、テオさまをお見かけしなかったか。彼もしばらく見ていないと言っていたわ」
「ふうん……そうなんだ」
「心配で私、平民に変装してアルベルト派の平民区の人にも話を聞きに行ったの。あ、お父様には絶対に内緒よ!」
「えっ、そんなことまでしちゃったの?!」
「だって、心配で夜も眠れなかったんだもの。だけど誰一人として、ここ数か月の間にテオさまの姿を見かけた人はいなかったわ。私、ほとんど毎週の祝日を費やしたのよ。ひとりも見ていないなんておかしくない?」
「テオドアさんは修道院に通っていないから、わたしほどは頻繁に聖堂を出入りしたりはしないだろうけど……ひとりも見かけていないっていうのは変ね。葬儀にも参列していないのかしら」
「カノンはどう? 彼を見ていない? この前の正礼拝にはいらっしゃった?」
この前の正礼拝というと、一月一日、冬季に入ったことを藍猫さまにご報告する正礼拝。わたしは記憶の糸を手繰るため、空に視線を移す。
正礼拝は王城の正教会で行われる公式な神事だ。四季のはじめのラピス・ユニアンの朝に行われる。この神事には禾穂と羊角の大教会のふたりの白子と、ふたりの主教さま、アリアト王と左右の大臣が出席する。非常に厳かな神事で、関係者以外がこの神事を見学することはご法度だ。
もちろん関係者が欠席することもご法度なので、テオドアが参加しなかったはずはない。そうだ、確か風邪を引いたとか何とかで声が出ないから、白子の宣誓を省略させてほしいとランディスさまが仰られたような。
「そういえば、お風邪を召されていたみたいだよ。あの頃流行っていたじゃない。だからかな、姿を見せないのは」
「大変! まだ体調を崩されたままなのかしら……」
「そうかもね」
姉さまはうつむいて、黙り込む。しばし流れる沈黙。わたしはなぜだか胸騒ぎを覚え始めていた。
「次の正礼拝、来月の頭だったね……」
「そう、そうなのカノン!」
ガバッと身を起こす姉さま。そしてその勢いのままわたしに掴みかかる。
「お願い!! 一生のお願いだからカノン!」
わたしの嫌な予感は見事に的中した。姉さまの目的はこれだったのだ。"来る四月一日、春季の正礼拝に必ず顔を出すだろうテオドアに、手紙を渡してほしい"。そのためにわたしをここに連れ出して、ひた隠しにしていた二年来の秘密を打ち明けたのだ。
「このままだと私、頭が変になっちゃう。お願いだから、この手紙を渡すだけでもいいから、カノン……私を助けて」
「…………」
わたしは、弱い人間だ。期待されると断ることができない。
わたしは黙って手紙を受け取った。姉さまは今まで見たことがないくらい、喜びの表情を浮かべてわたしを抱きしめた。
「ありがとう! カノン。大好きよ!」
後になって考えると、この安請け合いが全ての事件の発端だったのかもしれない。
だけどわたしは、このときささやかな幸せを感じていた。これまで姉さまから受けた恩を、まとめて返すことができるのだと思ったからだ。