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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
上巻
11/125

第二章(4)

「今日はありがとう、姉さま」

 午後の授業中にローダさまがお城からの急な呼び出しを受けて帰ってしまわれたので、自由になったわたしは放課後に姉さまを呼び止めてお礼を言った。

「何言ってるの。姉として当然でしょう」

 姉さまはいつものように頼もしい顔で胸を打ち、わたしに手を振って帰路に着こうとしたけど、ふと何かを思い付いたように立ち止まる。

「どうしたんですか? シノンさん」

「ごめん、アイリス。先に帰っていてくれる?」

 姉さまはアイリスたちと別れて、わたしの方に駆け寄ってきた。

「どうしたの、姉さま」

「カノン。久しぶりに二人でお話をしない?」

「えっ! いいの?」

 その申し出は願ってもないことで、わたしは二つ返事で了承した。

「じゃあ、あそこに行きましょう。覚えている? いつもの場所」

「もちろんよ」

 わたしたちは手を取り合い、園庭のレンガ道を仲良く歩く。今日も小雨が降っていたけど大したことはない。雨よけのケープさえあれば、屋根伝いに行かなくとも体が濡れることはなかった。

 わたしたちがまっすぐ向かったのは、お城の裏庭の方向だ。修道院の周りは、お城のお抱えの庭師たちに管理された綺麗なお庭で囲まれているのだけど、彼らが山頂にあるお城から往来するための小さな階段がこの先にあり、そこを登るとお城の裏庭に抜けることができる。

 わたしたちは周りを見回し、庭師たちがいないことを確認してから、小さな木製の通用門を開く。急斜面の坂に、草木に飲み込まれそうなほどにか細い階段が見える。手すりを手探りしながら慎重に登り、その先にある小さな門を再び警戒しながら通り抜けた。

 目指す場所はそこから程ない距離にある。お城のほうには向かわずに、外壁に沿った小道を歩く。ルリヒレという魚が泳ぐ小さな池の側を右折して、やや手入れが行き届いていない低木の間を進んでいく。

 わたしたちは顔を見合わせて笑った。目の前の景色がほとんど変わっていなかったからだ。

 最後にふたりでここを訪れたのは、たぶん二年近く前になる。小さい頃は度々大教会を抜け出してはここで姉さまを待っていたわたしだけど、段々と新たな生活に慣れ、姉さまだけを頼りにすることもなくなっていった。

 ここ一年は修道院で毎日顔を合わせていたから、ふたりきりでこっそり会う必要もなかったので、すっかりこの場所の存在も忘れてしまっていた。

「相変わらず不気味なベンチね」

「そうでしょう? マーリンたら、この辺りの手入れをサボるんだから、ずっと噂通りの場所なのよ」

 この場所は、『幽霊男のベンチ』と呼ばれていた。ぼうぼうに生えた雑草の真ん中に、古びたベンチがぽつりと置いてある。

 この先には焼却炉があり、たまにベテラン庭師のマーリンがここを通っているのを見かけるけど、彼以外がここを通ることはほとんどない。

 幽霊男のベンチと呼ばれるようになったのは、十年前くらいにここで幽霊みたいな不審者を見かけたという噂話が発端なのだけど、そもそも誰も通らないこの場所で誰が不審者を発見したというのだろう。初めは少し不気味に感じていたけれど、今となっては眉唾だなと思う。

「ここに来るのも久しぶりだね」

「私は頻繁に来てたわよ」

「え? どうして?」

「…………」

 姉さまは問いに応えず、わたしが座るベンチの足元の茂みをガサゴソと探っている。

「何をしているの? 姉さま」

「なんでもないわ」

 姉さまは苦笑いを返してから、ようやくわたしの隣に腰を下ろした。

 変な姉さま。ソワソワと落ち着きのない様子の彼女に、わたしは首を捻る。こんな姉さまを見たのは初めてのことだった。

 物心ついた時から姉さまは、わたしを守り引っ張ってくれる存在であり、わたしの前で落ち着きのないところを見せるような人ではなかった。午前の授業でも、彼女は変わりのない姿をわたしに見せてくれたのに……。

「あのね、カノン。実は、聞いてほしい話があって」

「う、うん。なぁに? 姉さま」

 姉さまはわたしの隣で深呼吸を繰り返す。かつてない雰囲気にわたしはすっかり不安になってしまい、彼女に合わせて深い呼吸をした。

「私、あなたにずっと頼みたかったことがあるの」

「頼みたかったこと?」

 わたしは首をひねる。ずっとって、いつからなんだろう。今まで姉さまがそんな素振りを見せたことはない。

 姉さまの表情は硬く、不安に満ちていて、わたしはドンヨリとした空気を払うべく、無理矢理笑顔を作って言った。

「姉さまったら。どうしたの、改まって。いつでも話してくれてよかったのに」

「ちょっとね、みんなの前では言えないことだから……」

「そうなんだ。姉さまにしては珍しいね。なあに? 何でも言ってよ」

「うん……えっとね……その」

 姉さまの表情は晴れない。言いにくそうにモゴモゴと口を動かすばかりで、なかなかちゃんとした言葉が出てこない。

「どうしたの? 姉さまらしくない」

「あはは。あのね、とても言いにくいことで……こんなことカノンに頼むのも申し訳ないし」

「別にいいのよ。いつも姉さまにはお世話になっているし、わたしで力になれることならなんでもするよ」

「うん。カノンならそう言ってくれると思っていたよ。だからこそ言いづらくて」

「もう、なんなの? なんでも良いから早く言ってよ~」

 わたしがそう急かすと、姉さまはようやく腹をくくった。三度息を大きく吸った後で、こんなことを口にした。

「あのね、テオさまに、手紙を渡してもらいたいの!」

 …………。その"お願い"は、全く予想もしなかったもので、わたしは暫くぽかんとした。

「この手紙を……その、テオさまに直接渡してもらいたいの。できればその場で読んでもらって、彼からのお返事を受け取ってきてもらいたいのだけど……無理よね、あはは」

 お姉ちゃんは顔を真っ赤にしながら、一枚の封筒を取り出した。可愛らしく桃色に染められたそれは、長い間持ち歩かれていたのか、すっかりヨレヨレになってしまっている。

 わたしは混乱した頭で考えた。姉さまは、男子修道院の誰かとこっそりお付き合いをしているの?

 お城を挟んで、女子修道院の反対側にある男子修道院。女子修道院の正面にある広い庭園の先、いくつもの柵や塀に隔てられた先にそれはある。

 アピス国の貴族層では、結婚前の男女が公共の場で話すことを"はしたないこと"だとしている。だから、男子修道院と女子修道院には公式な交流は一切ない。

 貴族の子女は親が決めた相手と未成年のうちに婚約をするのが一般的なので、クラスの女の子のほぼ全員にすでに婚約者がいる。確か姉さまも、左大臣ユジン=ランドールさまの嫡男のイザクさまと婚約しているはずだ。

 だけども現実は大人が望むようには行かず……婚約者がいるにも関わらず、クラスメイトの何人かは男子修道院の誰かと交際しているとかいう噂が流れていた。園庭には向こう側へ抜けられる秘密の抜け道があり、彼らはそこを抜けて密会を繰り返しているらしい。

 噂の発信源は大体リリムであり、彼女自身もこれまでに何人かの男子と交流があることを自慢していた。

 姉さまはそんな話を面白おかしく聞いてはいたけど、イザクさまとは上手く行っているようだったし、危険な火遊びに興味がある感じには見えなかったのに。

「姉さま、野暮なことは聞かないけど。手紙を渡すんだったら、わたしに頼むよりも他の人に頼むほうがいいと思うよ。わたしは向こうへの行き方も知らないし……」

 リリムに頼んだら、と言いかけて止める。リリムにそんなこと頼んだら、すぐにクラス中に噂が広まってしまう。そんなこと、優等生のイメージを保っている姉さまにできるはずがない。

「何言ってるの。カノンにしか頼めないことよ。あなたに白子の立場を利用させるようなことは頼みたくはなかったのだけど、お願い! 一度だけだから!」

 ……え? 白子の立場を利用? わたしはハッとした。

「ね、姉さま……。もしかして、そのテオさまってまさか」

 まさかまさか。嫌な汗が全身を伝う。もしかしてこの話は、よくある男子院生との逢瀬とか、ちょっとした火遊びのような話じゃなくて……。

 いや、でも、真面目で模範的で、悪い噂のひとつも立ったことのない姉さまに限ってまさか。わたしの祈るような思いとは裏腹に、姉さまは涼しい顔をして答えた。

「そうよ。テオさまは、テオドアさま。アルベルト派の白子のテオドアさま」

「ななな、なんですってーーーーーー!?」

 頭の中が真っ白になるほど驚いたのは、これが初めてのことかもしれない。

 姉さまは模範生の皮をかぶりながら、リリムの素行が霞むくらいのとんでもない事をしでかしていたのである。


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