第七話 極東の海の女王
お待たせしました。いよいよクライマックスです。
陸奥の反撃の一撃が瑞竜を捉えたのは、瑞竜の砲弾が陸奥の弾火薬庫を捉えた直後の事だった。
「艦載機搭載スペースに命中弾! 機体炎上。火災発生!」
もたらされた被害報告に、瑞竜乗員の士気はわずかに低下する。
「うろたえるなっ! 敵艦はすでに8発の命中弾を受け瀕死も同然。ここで一気にけりをつけるぞ!」
そんな中で赤松はそう怒声を放ち、兵の士気を鼓舞する。この時点で瑞竜はすでに8発の命中弾を与えているのに対し、受けた有効な命中弾は半数の4発。圧倒的優位に変わりはなかった。その事実に瑞竜乗員は急速に士気を回復する。
だがそうした中で赤松は一人唇をかむ。そう、すでに敵艦は世界最強の瑞竜の38センチ砲弾8発を被弾しているのだ。たとえ3万トンを超える戦艦でも、それだけの被害を受ければスクラップ同然になっていておかしくない。にもかかわらず敵艦は速力こそ15ノット以下にまで低下していたが、主砲はいまだ6門を維持。その火力で瑞竜に牙をむいている。
少なくとも35.6センチ砲以上の威力のある主砲8門に、26.5ノット以上の速力。加えて38センチ砲弾8発に耐える重防御。
「……考えが甘かったか」
人知れず赤松が呟くのと、強烈な衝撃が瑞竜を襲うのは同時だった。
その直後、異変が起こる。それまで各所で発生した浸水で速力を落としながらも、なんとか20ノット近い速力を維持していた瑞竜。それが突然足を引きずりはじめ、さらに左舷方向に傾斜しだしたのだ。
「何が起こっている!」
赤松の怒鳴り声に対し、答えとなる被害報告がもたらされる。
「2番砲塔付近水線下に命中弾! バルジ及び水雷防御区画に浸水発生。左舷傾斜10度!」
「くそっ、水中弾かっ」
もたらされる被害報告に赤松が吐き捨てるように言う。砲弾は目標手前の海面に落下した際、水中である程度の距離を水平に直進し、艦船の水中防御部に命中することがあり、これを水中弾と呼ぶ。実戦で発生することは稀であり、その現象が確認されたのもこの世界ではごく最近の事で、一部の砲術に詳しい者しか知る者はいなかった。
「右舷に注水! 傾斜復元急げ!」
赤松は不運を呪いつつ指示を飛ばす。艦が傾斜した状態では主砲射撃は出来ないため、一刻も早く傾斜を復元する必要があるのだ。
だが瑞竜が射撃できないでいる間にも、陸奥はこの機を逃すまいと猛烈な砲撃を加える。先ず一発が副艦橋に直撃するが、これは陸奥の砲弾の使用している大遅動信管が悪い効果を発揮し、炸裂する前に反対側に突き抜け、海面で爆発する。
だが次なる砲弾が瑞竜を叩く。
「4番砲塔基部に命中弾! 同主砲使用不能!」
もたらされた被害報告に、瑞竜乗員の士気はにわかに下がる。この一撃で瑞竜の火力は10分の7に減少。先ほど敵艦の4番砲塔を破壊したことで生まれた火力的優位が早々に失われたからだ。だが瑞竜の傾斜が復元するのもほぼ同時。速力もまだわずかに優位。
「ひるむなっ! 瑞竜はいまだ重要区画への被害を受けていない。対する敵艦は相次ぐ火災で防御を落としている。距離が縮まった今なら装甲も容易に貫けるはずだ!」
赤松は兵の士気を保つべく再び叫ぶ。実際瑞竜は未だ主要装甲を貫通されていなかったし、陸奥は火災を食い止めていた序盤と打って変わってひどい火災に見舞われている。戦闘距離もまた当初の25000メートルから22000程度まで縮まっている。これは近距離戦向きの砲身の長い砲を採用している瑞竜に有利に働くはずだ。
赤松の叫びに、兵たちは再三士気を回復し、砲撃を再開する。その砲弾は再び陸奥を捉え、火災をさらに激しくする。
だが陸奥も黙っていない。反撃の一撃は瑞竜の煙突下の傾斜された艦舷装甲に直撃、装甲を貫通しないまでも突き刺さった状態で大爆発を起こす。
「装甲大破! 機関区損害甚大! 速力さらに低下します」
もたらされる被害報告に、瑞竜乗員の士気は確実に低下していく。これまでも赤松の叫びで再三回復し、保たれてきた士気ではあったが、それはあくまで有利な戦況に裏打ちされたもの。その有利が徐々に失われてきた時、今度こそ瑞竜乗員の士気は極限の中で追い込まれていく。
「まずい……」
赤松が呟く中、死闘は佳境へと突入していく。
瑞竜の反撃の砲弾が二発、ほぼ同時に陸奥の体を射抜く。一発は副艦橋に直撃してこれに大穴を穿ち、一発は艦橋と煙突の間の艦舷装甲を貫通。内部の傾斜装甲に浅く突き刺さって起爆する。
それと同時、陸奥は激痛に腹部を抑えて体を折り、口から黒い重油を吐き出す。これで陸奥が被弾した有効な命中弾は11発。すでに右半身はほとんど着物が破れ、重油の黒に染まっている。さらにエルムが陸奥の体を支えるようになり、布で抑える手当をしなくなった傷口からは、戦艦陸奥の船体を包む炎と同じように、小さい炎が出はじめる。そしてその炎は、陸奥だけでなく、その体を支えるエルムの肌をもじりじりと焼いていく。
「熱い……熱いっ」
肌を直接炎であぶられる激痛に、エルムは思わず漏らす。そんな言葉は出したくないと、出しちゃだめだと思っていた。陸奥だって同じ、いや、それ以上の痛みに襲われているのに。自分のために戦ってくれている陸奥の前で、そんな言葉は出せないと。
だがそんなことができないくらい、どんなに歯を食いしばっても叫んでしまうくらい、炎は痛かった。だがそれでも、
「熱い……でもっ!」
エルムは自分より大きな陸奥の体を支え、どんなに重くてつらくても、炎にあぶられ、煙に包まれても。決して彼女から手を離さず、精一杯その体を支える。
そんなエルムを見、陸奥も乱れた呼吸を整えると、歯を食いしばり、顔を上げて再び敵艦を睨む。
「まだ……まだ!」
血を吐くように叫ぶと同時、放たれた砲弾は瑞竜の艦舷装甲を捉える。その一発は運悪く信管がうまく作動せず、砲弾は不発弾となって装甲に浅く突き刺さったままとなる。だが陸奥の反撃はこれにとどまらない。射撃の熱で溶解しかかった砲は、それでもなお轟音と共に次なる砲弾を放ち、瑞竜の煙突に直撃弾を与え、これに風穴を開ける。
反対に放たれた瑞竜の砲弾は陸奥の3番砲塔前盾に直撃する。が、陸奥の桁違いの厚みを持つ主砲前盾は近距離から放たれる38センチ砲弾をすらいともたやすく弾く。だがさらなる一撃が陸奥の艦載機搭載スペースに直撃しこれを吹き飛ばす。激しく炎上する水上機、熱で飴細工のようにひしゃげ、溶解していくカタパルト。
それと同時、陸奥の腰に大きな傷ができ、そこから大きな炎が燃え上がり、陸奥の美しい肌と、支えるエルムの白い肌をあぶり、火ぶくれをつくる。
言語を絶する激痛。自身の肉の焼ける気持ち悪い匂い。
手を離せば逃れられる。それだけでこの激痛から逃げ出せる。語りかけてくる弱い自分の心。
「エルム……離していいよ」
届く優しげな声に、エルムは目を向ける。そこには全身を黒く染め、傷だらけの痛々しい体で、それでも先ほどまで野獣のように敵艦を睨んでいた姿と打って変わり、どこまでも優しげにエルムを見つめる彼女がいた。
「私は大丈夫だから……きっと自分の力で立って、戦って見せるから。だから……」
「いやだ!」
エルムは激痛にさいなまれながら、それでも叫ぶ。
「絶対離さない。たとえ死んだって、沈んだって、水底までだって離すもんか! もう嫌なんだ、ミーネの時と同じことを繰り返すのは。逃げるのは嫌なんだ! 離れたくないんだ! 弱虫だってわかってる。 女々しいなんてわかってる。痛いのは嫌だ。辛いのは嫌だ。でも離れるのはもっといやだ!
だから……陸奥!」
エルムは叫ぶと、むしろ炎の立ち上る傷口に一層体を押し付け、渾身の力で陸奥の体を支え。持ち上げる。
「一緒にいて」
エルムの白い頬を一筋、清らかな雫が走った。
陸奥は思い出す。かつて国の誇りと歌われたあの頃。世界最強の誇りと共に地獄のような訓練に励み、しごかれ、それでも自分はあの陸奥の乗員なんだと胸を張り、笑っていた彼らの姿を。
「同じだ」
エルムは彼らと少し違っているようで、でももっと深いところで彼らの姿と重なる。
だから……
「まだっ……まだっ!!」
砲弾が自身の身を貫き、引き裂き、焼切る激痛の中で、天を仰ぎ叫ぶ。
「かつて私を信じてくれたあの人たちのために。 今一緒にいてくれるあなたのために。私は、私は二度と沈まない!
私は海の女王! この極東の海の女王! その名も、誇りも、力も、私の全てを、たったひとつ、守りたいあなたのために!」
叫びと共に、41センチ砲は唸りを上げ、砲身も焼けよと砲口より火を噴く。そして放たれた一トン以上もある砲弾は空気を切り裂き、瑞竜自慢の310ミリ傾斜装甲に食らいつき、食い破り、大遅動信管によりその奥深くまで食い込んだうえで爆発。爆風と破片はその金属の体を内部から引き裂き、焼切る。
瑞竜とて負けてはいない。世界最強の名のもとに、近距離で爆発的威力を発揮する長砲身の38センチ砲の一撃を持って、陸奥の体を撃ち、これを貫き、爆砕する。
さらに続けざまに放たれた一撃は陸奥の艦橋に直撃、大爆発を起こす。その衝撃は着弾地点より上階にいた二人をも襲い、その小さな体は宙に舞い、床に倒れ激しく体を打つ。
床に打った頭と肩から伝わる激痛。手で頭を抑えてみれば、生ぬるく、粘ついた感触。目を開け手についた赤い血を見たエルムは、
「陸奥!」
何をするより早くその名を呼び、姿を視界にとらえ、手についた血を自身の服で拭いつつすぐさま起き上がり、倒れる彼女の下に駆け寄る。
「エルム」
陸奥もまたその姿を認め、駆け寄るエルムの体に腕を回し、その体を抱き寄せる。その美しい顔は傷つき、右頬は焼けただれ重油の黒に染まり、口は醜く右方向に裂けてしまっていた。
だがそれでも二人はお互いを見つめ合い、互いに頷き合うと、残る力の全てを込めて立ち上がる。
「お願い」
「任せて」
絞り出すようなお互いの声と共に、陸奥は主砲に仰角をかけ、大きくゆがみ、穴の開いた艦橋から瑞竜を睨み、さらなる一撃を放つ。
全身くまなく穴が開き、炎に包まれ、自身の焼ける煙にまかれながら、陸奥は未だ、世界最強の前に立ちはだかる。
「奴は……不死身か……」
瑞竜艦橋にて、歴戦の司令部要員が蒼白な表情と共に呟く。
すでに与えた有効な命中弾は14発。艦の全体にくまなく大穴が開き、炎に包まれ、艦橋は倒壊しかかり、速力もすでに一桁まで落ち込んでいる。並みの戦艦なら、いや、あんな姿になってまでなお戦い続ける艦に前例などないはずだ。
だがそう思った瞬間、乗員の一人は思いだし、呟く。
「あの夜戦の時の重巡のようだ」
その者の呟きに、周りの者達は思い出す。周りの艦が逃げ出す中、旗艦の盾になるように森羅艦隊に突撃し、戦艦三隻を含む森羅全艦艇の集中砲火にあいながら、最後まで逃げずに戦い続けたあの重巡の姿を。
またある者は呟く。
「8年前の、ウルバン沖の奴と同じだ」
8年前、北畠の高速戦艦部隊の一隻に乗艦していたその者は思い出す。あの日、戦艦4隻の圧倒的砲力に蜂の巣となり、火だるまとなりながらも戦い続け、味方を粉砕した巨大戦艦の姿を。
「何をしている! 戦闘中だぞ! 奴は化け物なんかじゃない。速力を失い、主砲も一基破壊し、艦橋は倒壊しかかり、全身火だるま。我々は確実に打撃を与えているんだ。不沈じゃない。沈められるんだ! 我々の乗る瑞竜は世界最強だ。自分たちの乗る船を信じろ!」
赤松の怒号に、瑞竜乗員は我に返って己の職務を全うすべく動き出す。そして瑞竜は満身創痍の陸奥にさらなる砲撃を加え、艦中央付近に15発目の有効な命中弾を与える。
これで今度こそ、
そう瑞竜乗員の誰もが思った瞬間、放たれた陸奥の反撃の砲弾が二発、ほぼ同時に瑞竜に命中する。伝わる立っていられないほどの凄まじい衝撃。鳴り響く金属の裂ける悲鳴。
「装甲貫通されました! 機関区損害甚大! スクリュー二軸停止します」
「3番砲塔付近に命中弾! 弾火薬庫付近で火災発生」
相次いでもたらされる被害報告に、瑞竜司令部要員は今度こそ危機的表情を浮かべる。瑞竜のスクリューは4軸であり、2軸が停止したことでその速力は実質半減。さらなる被害を受ければ機関停止の可能性すらある。それに何より弾火薬庫付近の火災は、内部の弾火薬への誘爆による轟沈にもつながりかねない危機的状況を示していた。
「3番砲塔弾火薬庫注水! 機関要員はスクリュー復旧に全力を尽くせ!」
赤松は汗だくの厳しい表情を浮かべながら、それでも全力で指示を飛ばす。この適切な指示により弾火薬への引火は防がれたが、注水により瑞竜の速力はさらに低下、3番砲も使用不能となり、火力もとうとう10門中5門に半減することとなる。
世界最強の瑞竜の有効な命中弾15発を浴びてなお砲力を維持し、瑞竜自慢の310ミリの傾斜装甲を貫いてここまで追い詰める正体不明の敵艦。
「奴は……我々は戦艦ではなく、リヴァイアサンを相手にしているじゃないのか」
乗員の一人の口から飛び出した伝説上の海の怪物の名に、瑞竜乗員はついに気づいてしまう。自らの抱いていた誇りと自信のかげに潜んでいた恐ろしい怪物、恐怖。敵が瑞竜に突き立てる最大の牙、執念に。
「強い……強すぎる」
「あんな奴に、勝てるのか?」
一人の呟きから伝染していく言葉に、瑞竜乗員の士気は見る間に失われ、最強の誇りと自信は、砂上の楼閣と化して一気に崩壊する。
かに思われたその瞬間。
「馬鹿者!」
砲撃の破片で傷つき、額から血を流しながら、赤松は叫ぶ。
「瑞竜はまだ戦っている! 残る5門の砲を敵に向け、こんなにぼろぼろになりながらでも、最後の力を振り絞って戦おうとしている。それなのに我々が諦めてどうするんだ! 他ならぬ我々が瑞竜を見捨てるつもりか! 苦しいのは敵も同じだ。化け物はこちらも同じだ。ならば最後の一瞬まで化け物でありつづけた方の勝ちだ!
立つんだ! 戦うんだ! この瑞竜が健在である限り、その乗員たる我々が屈することはない! さあ皆! 行くぞ!」
赤松の叫びに、瑞竜乗員は思い至る。そう、ぼろぼろになりながらも力を振り絞り、戦っているのは敵だけじゃない。瑞竜だってそうなのだ。なのに自分たちが勝手に諦めてどうする。絶望してどうする。
「そうだ、まだ負けてない」
「まだやれるぞ」
瑞竜乗員は口々に叫び、瞳に再び闘志の炎を灯す。
その瞬間初めて、瑞竜は陸奥と同じ戦いの舞台に立つ。自らを最強と驕り、心のどこか奥底で敵を見下していた先ほどまでとは違う。ただ自分の大切なもののために、力、技、知識、誇り、持てるすべてをかけ、相手を対等と認めたうえで正面から挑む、真の戦士の姿に。
「残る力は少ない。この砲撃に全てをかけるぞ! 全砲一斉射だ!」
乗員たちは持てる最大の力を発揮し、瑞竜の戦闘力維持のため乾坤一擲の力を振り絞る。
「……勝負をかけてくるつもりね」
多数の41センチ砲弾を被弾し、自身同様満身創痍になりながらも残る全砲に仰角をかける瑞竜。その姿に、陸奥は雰囲気からその事を察すると、全身くまなく傷つき、炎に焼かれる苦痛に苦しみながらも笑みを浮かべる。
「……陸奥」
エルムは陸奥の体を支えながらその名を呼び、その瞳を見つめ、
「……エルム」
陸奥もまたエルムを見つめ返す。
「来て……一緒に」
言葉にするその姿はひどく弱々しく、声は震え、瞳には涙すら浮かぶ。
だがそれでも、彼は最後の一瞬まで彼女の瞳を真っ直ぐ見上げ、決して逸らさない。
そんな彼だからこそ陸奥は、
「……はい」
答える彼女の瞳から、どこまでも美しく透き通った雫がこぼれ、黒く焼けただれた頬を一筋、流れ落ちた。
エルムと陸奥はその手を重ね、硬く握り、再び水平線の向こうの瑞竜を、その瞳の中心にとらえる。そして戦艦陸奥もまた、それまでのように連装砲の片方だけではなく、動かしうる全ての砲に仰角をかける。
「絶対にあてるぞ!」
瑞竜乗員の全てが心を一つにする。
「陸奥!」
エルムが名を呼び、
「エルム!」
陸奥が答える。
その一瞬、重なり合った二つの手は、一層固く握りしめられた。
「撃て!」
叫びは陸奥と瑞竜、完全に同時に響き渡る。そして両艦の砲もまた、完全に同時に火を噴いた。
そうして放たれた両者の砲弾は空中で交錯し、互いの鋼鉄の肉体に襲いかかる。
放たれた瑞竜の38センチ砲弾5発の内、2発が陸奥に着弾。一発は3番砲塔基部に命中し、もう一発は2番砲塔弾火薬庫に命中、その外側の装甲を、障子紙のように貫く。
一方陸奥の41センチ砲弾6発も、そのうち2発が瑞竜を捉え、1発は艦橋を直撃し、3番砲塔の放った1発は310ミリの傾斜装甲を貫いて内部のタービンに突き刺さり、起爆した。
凄まじい爆炎と煙が重量4万トン近い二つの巨艦を包み込む。金属の裂ける悲鳴が鳴り響き、原型を失ったその巨体を炎がなめ、飴のように溶かしていく。
「……全員、無事か」
艦橋の床に倒れた赤松は全身を激痛に襲われながらも、瞳を開いて塵と煙に満ちた辺りの様子を確認し、残る力を込めて立ち上がる。
「……はい、なんとか」
赤松の言葉に、司令部要員達もかすれ声でなんとか答え、立ち上がる。彼らは全員が傷つき、血を流しているが、死亡者は無いようだった。
「各部、状況知らせ」
赤松は息も絶え絶えながら、何とかそう自身の職務を全うすべく状況把握に努める。瑞竜乗員たちもまた、最後まで自身のすべきことを全うすべく動き続け、数秒後には状況報告がもたらされた。
「艦橋大破、けが人多数。 機関区、直撃弾により完全に沈黙。現在復旧に全力を尽くしていますが、最低でも2時間を要すとのこと。前部主砲2基ともに使用不能。左舷副砲は全滅。右舷副砲のみ手動操作で射撃可能ですが、艦の回頭は難しく攻撃不能。事実上我が艦は戦闘力を喪失しました。
しかし赤松中将、瑞竜はまだ沈んでいません。沈んでいません」
最後の言葉を言う頃、報告する兵の瞳は涙で潤んでいた。そして瑞竜乗員の全てが、あれだけの砲撃を受け、なお浮かび続ける自身の乗艦、瑞竜の姿に涙を浮かべ、本当の意味での誇りを心に抱くのだった。
「……敵艦は?」
赤松は自身の瞳に浮かぶ涙をぬぐいつつ、見張りに問いかける。だが次の瞬間には、やはり自分の目で確かめねばと、双眼鏡を手に水平線の彼方の敵艦を見、乗員たちもそれに続いた。
陸奥は未だ爆炎と火災により発生した黒煙に包まれていた。そのため乗員たちは煙に阻まれ、その全容を把握できないままでいた。
だがやがて煙は風に流され徐々に晴れていく。
そして煙の向こうに、その戦艦は堂々姿を現す。
受けた有効な38センチ砲弾は17発。船体も構造物も、原型を留めない程破壊しつくされ、右舷のほぼ全体を炎が包む。喫水は深く沈み、速力は5ノット出ているかどうかというところ。
だがその戦艦は確実に動き続けていた。そしてその前部の1、2番主砲はいまだ砲身を動かし、仰角をかけ直していた。
「敵戦艦……いまだ健在」
瑞竜見張り員のその言葉が、戦いの勝敗を告げていた。
「……敵艦が……瑞竜が、沈黙した?」
水平線の彼方の敵艦の様子に、エルムは呟く。
その言葉に、陸奥は押し黙ったまま答えない。瑞竜に向けられた手も下されることは無く、主砲も発砲こそしていないが、その仰角はかけられたまま狙いを瑞竜に定め続ける。
「どうしたの……陸奥? 勝ったんだよ、勝負はついたんだよ?」
涙目で訴えるエルムに、
「まだ勝ってない!」
陸奥は野獣のような表情を浮かべたまま吠える。
「例え沈黙しても、浮かんでいる限り戦いは終わってない。油断させるために偽装しているのかもしれないし、そうでなくても、浮かんでいる限りは戦闘力の復旧に全力を尽くし、戦えるようになればまた戦う。それが軍艦。だからこそ敵艦が沈むか、さもなければ降伏するまで戦いは終わらないの。終えてはならないの。それが軍艦の生き様だから」
陸奥は叫び、満身創痍の体で再び瑞竜に発砲しようとする。
が、
「ダメだっ!」
エルムは彼女を支えていた先ほどまでと打って変わり、陸奥の体に抱きついてその体を抑える。そのエルムの行動に、それまで彼に支えられ立っていた陸奥は立ち続けることが出来ず、二人はもつれるように床に倒れる。
「もう勝負はついた。これ以上戦う理由なんかない。だから……」
エルムが必死に陸奥に言ったその時、
「いや、陸奥さんの言葉が正しいよ」
艦の外からそんな声が届く。それはひどく弱り、かすれてはいたが、間違いなく戦艦瑞竜の声だった。
「私はまだ戦闘不能であると確定していない。それに例え戦闘不能だとしても、戦闘力を回復する可能性があるうちは、戦いはまだ続いている。そして私に降伏する気がない以上、私が沈むまで、この戦いは終わらない。
だからエルム君も陸奥さんも、私に気兼ねする必要はない。さあ、とどめを……」
瑞竜がそう言いきろうとし、
「ダメだ!」
だがエルムはその言葉を最後まで言わせず遮る。
「陸奥さんが、僕たちが戦った理由は何? 戦いに勝つために戦ったんじゃないはずだ。思い出して!
僕たちの戦った理由を。 もう戦いは終わったんだ! だから……陸奥!!」
エルムの叫びが風穴の開いた艦橋に木霊する。そんな中で陸奥は閉じた目を開き、再び瑞竜を見つめた。
「敵戦艦、主砲仰角を下します」
見張り員の言葉に、瑞竜乗員は驚きを隠せなかった。
「とどめを……刺さないのか?」
頭に包帯を巻いた赤松は、総員に退艦及び自沈の準備を指示しようとした矢先の出来事に思わず呟く。
敵戦艦より信号が送られてきたのは直後の事だった。
「敵戦艦より信号。
貴艦の世界最強の名に恥じぬ戦いに敬意を表します。またまことに勝手ではありますが、当方はすでに戦闘目的を達しており、これ以上の戦闘を望みません。
もし再び戦場にて出会い、やむを得ず戦いとなった際には、再び互いの全力を持って戦いましょう。
無事の帰投を願っております。
最後に、この戦いをこれまでの戦いで沈んだ全ての人と船。そしてメーム海軍重巡洋艦ミーネと、水兵 エルムに捧げます。
大日本帝国海軍戦艦 陸奥」
信号が終わると同時、陸奥は主砲の向きを瑞竜から船首方向に戻したうえ、5ノット程度しか出ない速力ながら瑞竜から離れるように海原を走る。
そんな陸奥に向けて、瑞竜から信号が送られはじめる。
「赤松中将、誰かが勝手に敵戦艦に信号を発しています」
その報告に赤松は不審な表情を浮かべる。指示もなしに勝手に信号が出されていいはずがないし、そんなことを勝手にする者など、部下にはいないはずだった。
「誰が信号を!?」
「分かりません。というより、装置が勝手に……!! 嘘じゃありません!」
慌てる乗員。だが他の者達も誰が信号を送っているのか分からず、それこそ勝手に瑞竜が信号を送っているようにしか見えなかった。
「内容は!?」
状況把握を後回しに赤松は問いかける。
「はっ、えっと……
貴艦の見事な戦いぶりをたたえ、見事私に勝利したことを称賛します。
あなたこそ、この極東の海の女王なり。
以上です」
信号員のその言葉に、赤松は水平線の彼方へと去っていくその戦艦の後姿を見つめる。つい先ほどまで命を懸けて戦い、殺されかけた相手だというのに。その姿はどこまでも美しく、かつ勇壮で、思わず見惚れてしまうほどの何かがあった。
「……極東の海の女王」
赤松の呟きは、
「あれが……極東の海の女王」
「世界最強だった瑞竜を破った、この極東の海の女王」
乗員たちの間にも瞬く間に広がっていく。そしてその頃には、信号を誰が送ったのかなどどうでもよくなっていた。なぜなら瑞竜の送ったその信号の内容は、瑞竜乗員全ての思いを代弁した内容だったからだ。
「分離した艦隊より入電。敵艦隊は一端距離を置く構えの模様。我が艦隊は追撃を企図するものの速力に劣り捕捉に失敗。貴艦の現在の状況知らされたし。また今後の行動の指示をこう」
機動部隊の援軍に向かった艦隊よりの報告に、赤松は本来の冷静さを取り戻したうえで告げる。
「瑞竜が大破し、敵の強力かつ高速な艦隊が控えているこの状況で無理は出来ん。敵も考えは同じだろう。ここは潔く撤退し、艦隊の立て直しを図る」
その言葉に、司令部要員達は頷き、それぞれ行動を開始する。そして赤松は水平線の彼方に消えつつある陸奥の姿を再び見つめ、呟くのだった。
「……戦艦陸奥、極東の海の女王……次は負けん」
瑞竜の機関が回復したのは2時間ほど後の事。互いに勝負を避けたため海戦は瑞竜と陸奥の一騎討ちを除いては小規模なものに終わり、メーム、森羅両艦隊はそれぞれの根拠地に帰投した。
後にこの海戦は第二次レベイル沖海戦と呼ばれるようになる。
「ありがとう……エルム」
陸奥は傷だらけの顔に笑顔を浮かべエルムに告げる。そこにあの野獣のような表情はもうなかった。
「僕の方こそ、ありがとう、陸奥さん」
対するエルムもひどい火傷で火ぶくれを作った顔に笑顔を浮かべて答える。
「お互い、ひどい顔になっちゃったね……正直、醜いでしょ、今の私」
陸奥は少し悲しげに言い、恥ずかしげに顔をそむける。鏡がないため自身の顔がどんなになっているかは分からないはずだが、それでもなんとなくは分かるのだろう。陸奥の美しかった顔立ちは、重油の汚れに火傷、裂けた口でまさしく醜く、化け物のようになってしまっていた。
陸奥は艦とはいえ女性だ。顔の事を気にするのは当然。エルムはその事を理解したうえで言う。
「僕は好きだよ」
その答えに、陸奥は見えないように逸らしていた顔をエルムに向ける。その目は丸く、表情は驚愕に満ち、頬は赤く染まっていた。
「レベイル島について、陸奥さんから船を降りるように言われた時、言いそびれたことがあったよね。
今言うよ。
僕はいままでどんなに立派な戦艦や他の軍艦を見ても、重巡ミーネ以上に美しいと思ったことは無かったし、そんな船、未来永劫現れないと思ってた。
でも君を、戦艦陸奥を見た時、僕は思ったんだ。あのミーネに負けないくらい美しい、って。
そして一緒に戦って思ったんだ。これからもずっとそばにいたい。一緒にいたい。って。
だから陸奥さん」
エルムは自分より背の高い陸奥の瞳を真っ直ぐ見上げると、その手を差し出す。
「僕の乗艦になって。一緒にいさせて」
そう真剣に告げるエルム。
だがその姿はまだまだ背伸びした子供で、どこまでも頼りなさげ。
そんな彼の姿に陸奥は、
「ふ、ふふ、ふふふ、ふははっ、ふはははははっ」
自然とお腹を押さえ、吹き出してしまっていた。
「一緒にって……、もう燃料もほとんどないのにどうする気? 補給するあてがあるの? それとも一緒に沈む気?」
陸奥の言葉に、エルムは一瞬恥ずかしそうに顔を赤くし、だが真剣に答える。
「沈ませないよ! 確かに燃料も修理もあてはないけど、どうにかして軍に頼み込んで、土下座でも何でもするよ。それでどうにもならなかったら、その時は……」
エルムは続けようとして、だが先が思い浮かばず、黙ってしまう。対する陸奥は腹を抱えて笑ったまま、目に浮かんだ涙をぬぐう。
「やっぱり考えはないのね。まったく、一緒にいて心中でもする気なの、ほんと考えなしね」
陸奥の言葉にエルムは一層恥ずかしげにうつむく。
そんな彼に、陸奥はその一瞬笑いを抑えると、彼に向きなおり、真剣な表情とまなざしを向けた。
「いいよ」
応えに、エルムはその一瞬はっと陸奥を見上げる。
そこにはエルムがそれまで見た中で一番の、彼女の笑みがあった。
「今この瞬間から、私はあなたの艦。たとえこのまま燃料切れで沈んだって構わない。どこまでも、あなたと一緒に」
陸奥はそう言って、差し出されたエルムの、自分より小さなその手をしっかり握り返す。
その時、エルムの瞳から雫がこぼれ、頬に二つの筋を作った。
陸奥はそんなエルムを最後まで優しげに見つめ、やがて告げる。
「行こ エルム」
その言葉に瞳をぬぐいながらエルムも答える。
「うん、行こう」
そうして重量39050トンの巨体は足を引きずりながらも、うねる波を切り裂き大海原を駆けだす。
世界最強の瑞竜を打ち破るほどの力を持つ彼女が、どうして単なる飾りとして日々を過ごし、活躍できないまま沈まねばならなかったのか、未だ疑問は尽きない。
だが今この瞬間、この世界において、彼女がこの極東の海の女王として君臨していることは、間違いなかった。
納得のいく内容にまとめるのに時間がかかってしまいました。待っていて下さった皆さん、本当にありがとうございました。
次回投稿はしばらく後になると思いますが、1か月以内には投稿したいと思っています。
見て下さった皆さん、本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。






