フロックコートと、デコレーション
この時期にしては珍しく、からりと晴れた雲一つない空。これは、しっかりお化粧しても日に焼けてしまいそうだ。自分も含めて、女性陣はちょっと敬遠したくなるような、早朝の情報番組の気象予報士さんに『UV対策をしっかりと』とさんざん脅されたとおりの天気。――今日来てくれる人たちの足元や服が濡れるよりはいいけれど。
いつもと変わらない日。でも、特別な日。
緊張する。きっと向こうもそうだ。なんでもないよってふりをして笑って、でもその実、手を繋ぐと震えていたり指先が冷たかったりすることが何度もあった。まったく、ほんとに意地っ張りなんだから。
今日も朝からバタバタと動いていたけれど、ここにきてぽっかりと時間が空いた。かといってスマホで暇つぶしをするのも趣がないので、椅子に腰かけて考え事ばかりしている。
出会うまでのこと、出会ってからのこと、これからのこと。
結婚を前提にした同棲を始める為、悠君を両親に紹介した時。彼の方が年下なことを理由に絶対反対されると思っていた。だからはじめから何を云われてもいいように覚悟していた。ところが。
『いい方じゃないの』
一番の難関である筈の母が、悠君が持ってきてくれた梨の皮を台所で剥きながら、あっさりとそう口にした。
『え?』
手にした空のお盆を、落とすかと思った。
『いい方じゃない。一臣の云っていた通り、誠実そうな人ね』
弟からの予期せぬ援護射撃があったことを、初めて知った。
『でも……年が、私より……』と私が口を濁すと、皮を剥き終えた母がこちらを向き『あなた何時代錯誤なことを云っているの? それ位の人たちは世の中にたくさんいるわよ』と呆れられてしまった。
はい、と梨がこんもり盛られたガラスの器を、お盆に乗せられる。ずっしりと重いので落とさないように気を付けようとしずしず運ぶ私に『お父さんも、反対していないから』とナイフを片付けながらさりげなく母が懸念を除いてくれた。
『それよりあちらさんに気に入って戴けるようにするのよ、あなた緊張すると愛想がなくなるんだから』といつもの母節にようやく苦笑が滲む。
『はい』
『今日みたいに短いスカートは駄目よ、それから……』
母による『嫁ぎ先の家族に愛されるための講座』は、悠君と父の待つリビングに戻ってからも続き、父が『それ位にしておきなさい』と窘めるまで止まらなかった。
母の言葉をまるっと信じたわけではないけど、悠君のおうちに御挨拶に伺う日には思わず膝下丈のプリーツスカートをチョイスしてしまった。――愛されないまでも、嫌われたくはないから。
でも私の選んだ渾身の無難コーデは、悠君が『ダサッ! 夏美、その組み合わせはないよ』と笑い飛ばしてくれたおかげで『そうだよね』と退けることが出来た。
『このスカート、好きだよ。でもこれにはコレじゃないと』と組み合わせたブラウスは、私も好きなものだ。
『でもそれだとちょっとカジュアル過ぎない?』と心配する私に、『じゃあシャツとチノパンにしようと思ってる俺の立場は』と云われてしまう。確かに、私だけ堅苦しい格好だと並んだ時の落差がすごそうだ。
結局、いつも会社に着ていく組み合わせに、少しだけいいニットジャケットを合わせた。それでも『まだ力入り過ぎだよ』と渋る悠君に『これが最大限の譲歩だから』と私も譲らない。
鏡を見る。おすましじゃない、いつもの私がいる。そうだ、いつもの自分を、見てもらわなくちゃ。だからこれでいい。
悠君のおうちに来るのは、引越しの日に車を出してもらった時以来。中に入るのはこの日が初めてだ。車庫入れをする時に降ろしてもらって、俄然高鳴ってきた心臓を宥めていたら。
『あ、コンチハ』
『――こんにちは』
一年と少しぶりに見るヒナさんが、悠君のおうちのお隣のドアから出てきた。最後に見た時よりすっきりと大人っぽく、ますます可愛らしくなっている。
彼女との事を思い出して固まってしまった私に、彼女はわざと顰め面をしてフン、て笑った。
『なぁんて顔してんの、もっとワタシ愛されます! って堂々としてなよ』
『えっ、』
『あのねー、あたしもう悠のことなんかとっっっっくに忘れ去ってるし。だからあんたが……ナツミさんが、そんな申し訳なさそうにする理由なんてこれっぽっちもないの』
『――』
『おめでと。結婚式は、あたしたち家族で出るから、めっちゃ騒がしいと思うけどよろしくね』
じゃーね、と手をひらりとさせて、彼女は駅までの道を歩いて行く。さっき見た彼女の穏やかな顔を思い出しながらその背中を見送っていると、車庫入れを終えた悠君が『夏美、どうした?』って顔を覗き込んできた。
『ヒナさんがね』
『――ヒナに、なんか云われた?』
途端に自分が傷ついたような顔になる悠君に『違う違う!』って慌てて否定した。
『おめでとう、って』
『そっか』
『結婚式はお隣さん一家で出るからよろしくって』
『早ぇーよ心配が』
柔らかく微笑んだ顔。見惚れていたら、手を取られた。
『いこ。とーちゃんもかーちゃんも夏美のこと早く見たくてしょーがないんだよ。会わせろ会わせろってうるさかったんだから』とそのまま玄関を開けてしまう。すると。
『――げ』
車が入って話す声がしてたから、到着したって分かってたんだろうな。
悠君のご両親が、玄関で待ち構えてた。
『あらあら綺麗な方じゃないの! 悠、やったわね』とはしゃぐお母さん。
『お前、騙して連れて来たんじゃないよな』と私と悠君の顔を交互に見ながら、何故か真顔で悠君にそんな心配をするお父さん。
『違うって! 俺を何だと思ってんだよ』
『バカ息子』
しれっとお父さんに言い放たれ、『否定できないけどさ……』と落ち込む悠君に、繋いだ手に力を込めてみると、『ん、ありがと、大丈夫』って返ってきた。
『――ラブラブねぇー』
お母さんにしみじみ云われて、繋いだままだったと気付かずにいた手を、やっと離した。
結果的には二人の結婚に反対する人はおらず、それに向けての同棲もすんなりと了承された。
そして悠君は以前云っていた通りお母さんにお料理を教わって、うちでその腕前を披露してくれた。カレーライスで始まったレパートリーは、ぐんぐんとその数を増やしている。
たまに、ファミレス時代に鍛え上げられたデコレーションスキルを駆使して、買ってきたプリンやアイスに果物や生クリームを乗せてパフェも作ってくれる。それがあんまり上手で、女子に喜ばれそうだったから『悠君お店出したら? きっと繁盛するよ』と云うと、『夏美の喜ぶ顔が見たいだけだからそれはないな』と一蹴されてしまった。
同棲をしていく中で、時々贅沢しつつコツコツとお金を貯めて、その額は聞いていないけれど目標に達したらしい時に、改めて正式なプロポーズをいただいた。もちろんその場で了承した。
夢みたいだな。うっかりそう零せば、夢じゃないって分かる程、キスやそれ以上を与えられた。
悠君がいなくなったら、私駄目になるよ。そう脅せば、俺無しで生きられなくしちゃってごめんねって、悠君が笑う。
『ちっとも悪いと思ってないでしょ』
私が鼻先をピン、と痛くない強さで弾くと、『まあね』と認めたのち、キスが降ってきた。
そうして、時間をかけて今日に向けての準備をしていく間、やっぱり順風満帆、とはいかなくて。
堅実すぎる私と、ちょっとお財布の紐が緩みがちな悠君は、やっぱりというかなんというか、お付き合いをしていく中で――特に一緒に生活をするようになってからは顕著に――諍いが増えた。結婚式にまつわるもの以外でも。
ケンカして、ミルクティーを飲んで、キスして。
ハグして、またケンカして、ミルクティー飲んで。
私達、これからこれを何度繰り返すんだろ。想像して、笑っていた時。
こん、と気安いノックが一回聞こえた。その主が誰だか分かっているので、こちらも気安く「はーい」と答えると、静かにドアが開いて、その人が姿を現す。開けた時と同じく静かに後ろ手でドアを閉めて、お互いに無言で見つめ合った。
「――夏美、綺麗だ」
彼に、何度そう云ってもらっただろう。またまた、と流したくなることも、飛びあがりそうに嬉しかったことも、恥ずかしくて身を隠したくなることも、たくさんあったね。
「悠君もかっこいいよ」
私が、そう返して彼がテレる姿も。両方、きっとこれからもたくさん。
「すごく似合ってる、ドレス」
「悠君もホストみたいだよ」
「それ褒めてないって」
苦笑する彼と笑い合って、ずっと緊張していた心がほぐれる。
「やっぱりこのドレスにしてよかった。似合ってる」
「ありがと」
それについては、私は一点の負けを認めよう。
『オーダー?』
『うん』
あっさりとそう口にする悠君に、呆れかえる私。
『あのねえ、一日しか着ないものにそんなにお金かけられないよ』
『無駄遣いみたいに云われるの、心外』と悠君がムッとしても『無駄遣いでしょ、どう考えても』と私も譲らない。
『いい? 悠君。我が家は、』
『大金持ちではありません』
『贅沢は、』
『たまにするからいいものです』
まだ二人きりの、この家のルールをこちらが読み上げれば、すらすらと答えるくせに。
『でもその『たまに』の『たま』って、今じゃない?』
うーん、そう来たか。
『ねぇ、とりあえずこれ見てよ。ほんと素敵だから』と向けられたノートパソコンのディスプレイには、とびきり私好みのドレスがあった。
レンタルショップやカタログやサイトで、たくさんのドレスを見て、試着もした。でもその中には『これ!』という決め手になる物がなかった。中には、デザインは素敵だったけれどいざ着てみたら思いのほか似合わなかったドレスもあった。でもだからと云って、フルオーダーはやっぱり躊躇する。
『素敵、だね』
『でしょう?』
『でもお値段が……こういうところのは』
そう切り上げて諦めようと思っていたのに、悠君たら。
『いや、俺問い合わせてみたんだけど、ここ一人で作ってるから他に比べるとかなり抑えられてるんだよ、ほら』
『!』
クリックしてドレスの詳細を見れば、予想よりずいぶん控えめなお値段が表示されている。
『デザインも選べるって』
『で、でも……』
『一度しか着られないのがもったいないんでしょ? なら、誰かに貸すとか譲るとかしてもいいだろうし、もしいつか夏美によく似たかわいい女の子がうちに生まれたら、その子が着てくれるよ』
『――なに、それ』
『この先、俺のお小遣いをドレスの分カットしてくれて構わないから、ドレスは俺の願いを叶えてください! この通り!』
『お小遣いカットなんてしないって。ほらもう頭上げて』
まったく、悠君たら。
そうやって結局は、ごり押しのふりをして私の希望を叶えるのが、上手だよね。
床についてた手に触れる。すぐに包まれる。肩に凭れかかって『胸元が強調されないデザインに、してもらえるかなあ』って云ったら『いっそ見せつけよう!』って、悠君が笑った。
結局、悠君のそのリクエストは、胸を強調したくない私と、『着る人の意見が何より大事ですので』と云ってくれたデザイナーさんの前で、あえなく潰えたんだけど。
フロックコートに身を包んだ悠君が、私に手をのばす。でも、髪はくるくるに巻かれ、花が飾ってあるし、顔はいつもより作りこんであるし、結局は「――触れない」と悲しい顔をされるのだった。
「しょうがないでしょ」
「早く触りたい。キスしたい。みんなに、こんな綺麗な夏美を見せびらかしたいけど隠しておきたい気もする……」と私の横でしゃがみこんで頭を抱えてぶつぶつつぶやく悠君のおでこに、そっとキスをした。
――今日は結婚式。私がとびきりデコレーションされる日。ようやくあなただけの私に、なる日だよ。
16/06/14 一部修正しました。




