月華狂宴 血界の夜想輪舞 11
「ふう」
カーリャは、静かに息を吐く。
ようやく終わった激戦の疲れをその細い玻璃のような身体で感じながら。残心などしない。どのみち、もはや指先一つ動かない。膝は震え、四肢からは完全に力が抜け落ちる。指先も動かず、もはや剣を抜く事すら不可能であろう。辛うじてまだ、立ってはいるが気を抜けば膝を地面につきそうなほどに消耗していた。
六つの印の同時発現。
師から教わった通りの結果であったし、かつては何度か同時発現に挑戦したことがあったので結果は知っていた。だからこの状況に対して驚きはしなかったが、想像通りの負荷であった。
クレハが最後に放ったラグナ・フィンスターニスは今まで見た中で最も鋭い一撃であった。おそらく、全力で迎え撃つしかなかったであろう。こうすることでしか、勝機を得ることは出来なかった。
けれども、ここまで消耗してしまうのはいただけない。師のおっしゃったとおり、本当に使い時は考えなければならないとしかと、肝に刻まれた。
カーリャは、億劫そうに背後のクレハを覗き見る。彼は完全に意識を手放していた。絶命にまでは至っていない。彼の陣術の生み出した防御力が辛うじて、彼を両断するのを拒んだのである。陣術の防御力によって斬り伏せられる前に跳ね飛ばされた。それが彼の幸運であった。簀巻きにされる前に、一命をとりとめたのである。
ミシューとフィリアの傍に付き添うシラギクが、彼女の主である自分に視線で訴える。止めはどうするかと。
その問いに、カーリャは静かに首を横に振った。何か、思う事があるわけではない。強いて上げるのであるのならば、剣を交える間に、不可思議な情を得たと言えば良いのだろうか。もしかしたら田舎娘の暢気がうつったのかもしれない。カーリャは不思議と、手心を加える気になった。
カーリャは一息つくと共にクレハの動かぬ姿を見届けると、よろよろと死に体寸前の身体で心を許した田舎娘の友人の傍に歩み寄った。
僅か、数ルゥース、十数歩の距離が長く感じる。カーリャは普段からは考えられないほどの時間を費やしてミシューの傍に歩み寄るとそっと、その顔を見下ろした。
治療を終えたフィリアが、言葉を渡す。
「もう大丈夫だと思う。あくまで応急処置だから、専門の医者に診せた方が良いとは思うけど」
「そう。ありがとう」
カーリャは普段の破天荒からは考えられないほどに優しく笑う。その慈悲深き笑みに、フィリアは思う。そう言いたいのは自分の方だと。知り合って大した時間もない自分を危険を冒してまで助けに来て、こうまでボロボロになって、死にかけすらして、そこまでして、その果てにこの情深き言葉である。フィリアは今更ながら、アーシュナイド学院時代に誰にも真に心を開かなかったミシューがここまで気を許した理由を明確に理解した。
カーリャは、静かに眠るミシューに、聞こえはずもないと解りつつも静かに、彼女が待ち受ける言葉を投げかけた。
「約束は果たしたわよ」
そして、そっと気になり振り返る。
ふと見ると。
ダフトフは事の劣勢を察したのか、護衛にわずかに残った亜人と共に、ドラン=ドッチを引き連れてそそくさとその場から逃げ出そうとしていた。カーリャはそれを目で追うが、すでに追いかける力もない。
傍らのシラギクに頼もうかと思ったが、自分がここまで消耗している状況、出来ればミシューとフィリアの護衛として手元に残していたいと思ったし、シラギク一人では、一人か二人、隙を見て取り逃される恐れもあったのであえて、命を下そうとは思わなかった。
しかし。
シラギクは、ご安心くださいとばかりに、主に視線を向ける。その視線の意味、カーリャは疑念を浮かべるがすぐに理解することになった。
「なっ!」
と、ダフトフか、ドランか、もしくは両方か、悪役らしい三下の台詞を放つ。
その意味が示すところ、それは彼の邸宅に訪れた無数の警察であった。数は十か、二十は下らないであろう。この手はずであるから、おそらくは邸宅周りもすでに、別動隊に包囲されている可能性が大きい。
これだけの人数ならば、屋敷の捜索もすでに行われているであろう。地下室の奴隷、無数に溢れる亜人の奴隷達。動かぬ証拠があれば、貴族でも言い逃れるのは至難である。
ダフトフ一派が逃走を図るのは、もはや不可能であろう。
「レーヴェリッター名義で、クリュール区部のポライズンを出動させました。バナン総大隊将公の口添えや、ライナス区長の進言ならば、渋るポライズンも動いてくれるようですね」
「随分と、準備が良いのね。私がいない方が、国が上手く回ると思うのだけど」
「ダフトフ一派始めとする貴族を敵に回してまで、総大隊将公が何故動いてくれたのか、その意味はきちんとご理解頂きたいと存じます」
理解しろといわれたところで本当に理解できない。バナンにしろ、グランクにしろ、こんな喜劇の王様みたいな人間に熱心に仕える意味が判らない。だが、いずれにしろ、あの二人も裸の王様を掲げる愚かさを何れ知る事であろうとカーリャは深く想像した。
だが。
これで、事件の一部始終が収まった。
後は。
いかにして、この腐敗した貴族社会の中で、のらりくらりと罪を避けるのばかり上手な悪党どもに裁きを下すか、というだけの話である。三流戯曲のようにいちゃもんつけて、この場でぶった斬った方が手っ取り早いのにとすら思える。
カーリャはその事について考えるだけで陰鬱になった。
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